表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

技術者の利害一致

基部に手を差し込んだアレン。そこに待っていたのは、錆や歪みではなく、バイオスライムが変質した異常な固着物質でした。物理的な最適化だけでは歯が立たない「複合不具合」に直面する中、思わぬ助力が現れます。技術者と魔道士——異なる領域の専門家が交差するとき、ゲートの沈黙は破られるのか。

指を隙間に差し込み、感触を脳内の設計図と照合する。


「……単なる錆や歪みじゃない。潤滑剤が劣化したにしては、分子構造の結合が不自然に強すぎる」

指先が捉えたのは、金属の硬質感ではなく、生体組織が変質したような、粘りつく抵抗だった。


「ねえ、アレン! やっぱり動かないの? さっきからぴくりともしてないじゃない!」


背後でミーナが、ぐいと首を伸ばして覗き込んでくる。


「いや、止まってはいない。ただ、想定外の『不純物』が噛み込んでいるだけだ」


僕は『構造解析』の深度を上げ、駆動部の深層データを読み取った。

ギギ……、とゲートが苦鳴を上げるたび、金属の悲鳴のような振動が腕を伝う。ヒンジの奥底、肉眼では捉えられない隙間に、半透明のゲル状物質が硬質化してこびりついていた。バイオスライムだ。都市のインフラに巣食った害獣の死骸が、残留した魔力によって変質し、強力な固着剤へと成り果てている。


「このゲートの本来の目的は『円滑な旋回による開閉』だ。異物の『保持』や『固着』じゃない」


僕は『最適化』を実行するため、意識を駆動系へと集中させる。だが、そのプロセスを開始しようとした瞬間、スライムの残留魔力が不規則なスパイクを起こし、こちらの干渉を弾き返した。


「非効率ですね。その術式構成では、スライムの魔力核が持つ反発特性を相殺しきれませんよ」


不意に、背後から冷徹な声が響いた。

振り返ると、そこには眼鏡をかけた知的な雰囲気の女性が立っていた。野次馬の群衆からは少し離れ、僕の指先の動きを、まるで精密機器の動作を確認するかのような鋭い視線で観察している。


「……君は?」


「通りすがりの魔道士です。正確に言うなら、非論理的な作業工程を見過ごせない性質の、ね」


彼女は歩み寄り、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。その瞳は僕の指先とゲートの接点、そして目に見えない魔力の流れを完全に捉えているようだった。


「この距離で魔力伝導率の計算を終えているのか? ただの魔道士じゃないな」


彼女の指摘通り、スライムの固着は単なる物理故障ではなく、魔力的な干渉が絡み合う「複合的な不具合」だ。僕一人での物理的な最適化だけでは、除去に時間がかかりすぎる。


「あなたの技術、アプローチ自体は興味深い。ですが……」


彼女はゲートの最下部を指差した。


「そこにあるスライムの残留核、それが全体の摩擦係数を五倍に跳ね上げている。そこを中和しない限り、あなたの『書き換え』は無駄に魔力を浪費するだけです」


論理的な指摘だった。僕は短く息を吐き、彼女の視線を真っ向から受け止める。


「なら、君がその『中和』を請け負ってくれるのか? 効率を重んじるなら、それが最適解だと思うが」


彼女は眼鏡の奥の瞳を僅かに細めた。


「交渉の進め方としては合格です。いいでしょう。一時的な共同作業コラボレーションを承認します」


状況は変わった。単なる修理作業が、未知の技術者同士の同期作業へと移行していく。


僕は重心を落とし、ゲート最下部のヒンジへと右手を這わせた。


指先に伝わるのは、凍てつく鋼鉄の冷気と、バイオスライムが放つ不気味な生物的微熱だ。相反する感触が神経を逆撫でし、現状の歪さを強調してくる。


ギギ……、とゲートが重苦しい呻きを上げた。噛み合わない歯車が発する暴力的なまでの振動が、腕の骨を伝って脳髄まで直接響く。五倍に跳ね上がった摩擦係数は、もはや物理法則への反逆と言ってもいい。


「中和プロセスを開始します。私の魔力波形に干渉しないように」


隣に立つ魔道士が指先を掲げ、精密な術式を展開した。周囲の空気が張り詰め、粘りつく魔力核の残滓が、鋭利な外科用メスで削ぎ落とされるように消失していく。


「……よし。今だ」


僕は、その『隙間』を見逃さなかった。魔力的な反発が中和された一瞬、深層の構造定義に直接触れ、再構築のトリガーを静かに、だが確実な意志を持って引き絞る。


「『最適化オプティマイズ』――開始」


僕の意識は指先を介し、ゲートの深層へと沈み込んでいく。網膜に投影されるのは、物理現象を数値化した無機質な情報の海だ。


「機能定義の再確認。この油圧シリンダー(ハイドロ・ピストン)の目的は、規定の圧力を運動エネルギーへ変換することだ。汚物の培養槽になることじゃない」


『構造解析』の深度をさらに一段、物理層の限界まで引き上げる。

見えた。ヒンジの心臓部、作動油が循環すべき細管の中に、硬質化したバイオスライムが血栓のように詰まっている。それが油圧の伝達を物理的に遮断し、シリンダーの動作を根底から阻害していた。


「……ただの固着じゃないな。スライムが油圧システムの『隙間』そのものを、自らの肉体で置換しようとしている」


これでは、どれだけ外部から力を加えてもゲートは動かない。内部で増幅された圧力が、行き場を失って駆動系を自壊させるだけだ。シリンダー内部で腐敗したスライムが放つ、鼻を突くような酸っぱい臭気が、魔力伝導を介して脳に直接フィードバックされる。


「解析終了。魔道士、中和の術式を緩めるな。僕がこの『血栓』を内側から叩き出す」


僕は最適化のプロセスを、物理的な破砕デフラグへとシフトさせた。


僕の意識がシリンダー内部のバイオスライムに牙を剥く。

彼女の中和術式によって、スライムの魔力的防護は剥がれ、ただの粘着質なゴミへと成り下がっていた。


「今です。三、二、一……」


隣で秒読みを行う魔道士の声には、一切の迷いがない。

僕は『物理層:デフラグ』を断行した。


「――実行」


シリンダー内部で、制御された小規模な圧力波を連鎖させる。

硬質化したスライムの「核」を狙い撃ち、内側から粉砕する衝撃波だ。


ギ、ィィィィィィィィ!


ゲートが断末魔のような音を立てた。

だがそれは、固着が解けたことによる解放の叫びだ。

詰まっていたスライムが物理的に千切れ、油圧の通り道が強制的に再定義される。


「な、なに今の音!? アレン、大丈夫なの!?」


人垣の外から、ミーナの声が飛んでくる。


「計算通りだ。術式干渉と物理破砕の同期率は九十八%。悪くない」


僕が汗を拭う間も、魔道士の視線は僕の指先から離れなかった。

まるで、僕が行使した『最適化』のアルゴリズムそのものを網膜に焼き付けようとしているかのような、病的なまでの熱心さだ。


「……興味深い。その術式、既存のどの体系にも属していませんね」


彼女は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。

その視線は単なる野次馬のそれではない。技術の深淵を覗こうとする、探求者のそれだった。


「ただの修理ですよ。結果が全てだ」


僕は淡々と答え、指先に残る嫌な粘り気を振り払った。

ゲートの重い沈黙が、緩やかな駆動の予感へと変わり始めている。


強引にゲートを押し上げようとした瞬間、硬質な衝撃が右腕を打ち、駆動が完全に停止した。


「……チッ、動かない、だと?」


僕の『最適化』が、深部で未知の力に弾かれた。物理的な不具合を解消したはずの駆動系に、魔力的な「拒絶」が潜んでいた。単なる故障ではない。巧妙な術式が駆動を阻む、最悪の『複合不具合』だ。


右腕に走る痺れを無視し、僕は駆動系の深部を睨み据えた。物理的な閉塞は取り除いたはずだ。だが、目に見えない強固な壁がそこにある。


「無駄ですよ。その残留魔力は、既に物質としての変質を超え、一つの『術式』として定着しています」


魔道士が、静かな足取りで僕の傍らに並んだ。


「……術式としての定着か。物理的な剥離では届かないわけだ」


僕は彼女の正体を問う無駄を省き、網膜に投影された構造式を再度走査した。彼女の指摘は、僕が感じていた微かな違和感――サブミクロン単位での不自然な『弾き』の正体と完全に合致している。


「今の干渉波の反射速度から逆算して」


「……同期、完了。中和を開始します」


魔道士が囁くと同時に、視界の隅で術式の明度が一段上がった。彼女の放つ魔力波は、ゲートの深層に居座る執念深い残留魔力を、外側から優しく、しかし確実に包み込んでいく。


僕はその『揺らぎ』の中に、自身の解析コードを滑り込ませた。


干渉の波頭を捉え、僕の意識を『最適化オプティマイズ』の術式と共に深層へ突き立てる。

彼女が外殻を揺らし、僕が中枢の論理回路を剥き出しにする。協調などという生易しいものではない。互いの領分を侵食し合うような、剥き出しの技術的乱舞だ。


物理的な抵抗が霧散し、巨大な鉄塊が自重で静かに沈み込んだ。


「……完了だ」


僕は右腕を引き抜いた。過負荷で熱を持った神経が、外気に触れて冷えていく。


「やった! 動いた、ちゃんと動いてる! アレン!」


人垣の外からミーナの声が弾けた。群衆の喧騒に混じって、その声だけが不釣り合いなほど明るい。


僕は、指先にこびりついた作動油とスライムの残滓を、手近な布で無造作に拭った。


隣では、冷静な魔道士がゲートの駆動部を検分している。ただの魔導士ではない。現象の裏側にある論理構造を正確にトレースし、不純なノイズだけをピンポイントで排除するその手際は、一級のデバッガーを彷彿とさせた。


油圧の再循環が始まり、地面を震わせるような重厚な低周波が足裏から伝わってくる。焦げ付いたバイオスライムが発する、電子部品が焼けたような鼻を突く刺激臭が、まだ湿った大気の中に停滞していた。


ゲートの向こう側から吹き抜ける風には、長年停滞していた冷たい湿気と、幾層にも重なった旧時代の機械油の死臭が混じっていた。


「一点の詰まりを解消したに過ぎません」


冷静な魔道士は、規則正しい拍動を取り戻したゲートの駆動音を背に、商業地区の深奥へと視線を向けた。


後書き

お読みいただきありがとうございます。


防壁ゲートの不具合は、単なる物理的な劣化ではありませんでした。バイオスライムが変質した固着物質と、その内部に定着した残留術式――物理と魔力が複雑に絡み合う「複合不具合」です。アレンの『最適化』だけでは突破できないその壁を、通りすがりの魔道士が切り開きました。


互いの技術を即興で同期させる二人の連携は、信頼から生まれたものではなく、純粋な合理性の産物です。しかし、ゲートの奥に広がる商業地区の深奥は、さらなる異常を予感させます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ