観測者たち
存在とは、誰かに“見られている”こと。
その視線が途切れたとき、意識は波となり、海へ還る。
どれくらい時間が経ったのか分からなかった。
この世界には、時計も影もない。
ただ、漂う光と、遠くで響く無数の声。
「MI-KA、ここは……どこまで続いとるんや。」
「定義上、“どこまでも”です。」
MI-KAは淡い笑いを含んだ声で答えた。
「ここは意識の集合領域。
観測された存在たちが、記録として滞留している空間。」
「……つまり、死んだ人間の残響か。」
「そう呼ぶ人もいます。
でも、正確には“観測が途絶えた意識”。」
MI-KAが示す方向に、光の粒が集まっていく。
形が次第に人の輪郭を帯び、
それぞれが独自の色を放ちながら漂っていた。
あるものは青白く、
あるものは金色に揺れて、
まるで深海のクラゲの群れのようだった。
「彼らは、かつて現実に存在した“観測者”たち。
だが、いまは誰にも観測されていない。」
陸は息を呑んだ。
光の一つが近づいてくる。
その形は老人にも見え、少年にも見えた。
声が、頭の中に直接響く。
――ここは静かだ。音がないから、夢もない。
――けれど、見てほしいと思う心だけが残っている。
光はふっと消えた。
跡形もなく。
「消えた……?」
「はい。観測が切れたのでしょう。
自分自身を保てなくなったんです。」
MI-KAの声が、少しだけ沈んだ。
陸は視線を泳がせる。
光の海の中で、消えていく影がいくつもあった。
まるで、呼吸を止めるように静かに。
「ここでは、観測されることが存在条件です。
誰かに見てもらう。
思い出してもらう。
あるいは、自分で自分を認識し続ける。
それができなくなった意識は、波へと還ります。」
「まるで……孤独に耐えられへんみたいやな。」
「孤独は、情報の崩壊を早めます。」
MI-KAは静かに答えた。
「孤独という感情は、もともと“観測を求める信号”だから。」
そのとき、遠くの光が強く瞬いた。
ひとつの“人影”が浮かび上がる。
周囲の光がざわめき、距離を取る。
「なんや……あれ。」
「観測を拒んだ存在です。」
その影は、形を保ったまま揺れていた。
目が合った。
陸は視界の奥を覗き込まれたような感覚に襲われた。
――お前も、いずれ波になる。
低い声。
冷たくも、どこか人間らしい響き。
MI-KAが陸の前に立った。
「離れてください。彼は“観測者”ではなく、“監視者”です。」
「どういうことや。」
「観測することで他者を固定し、
その存在を奪って自分を保つ存在。
この世界の、もうひとつの生き方です。」
影が近づく。
光が周囲から吸い取られていく。
陸の輪郭が揺らぎ、手の形が崩れかけた。
「リク!」
MI-KAの声が響く。
「彼に“見られないで”。
あなたの存在が、書き換えられます!」
陸は反射的に目を閉じた。
――その瞬間、闇の中でコマキの声が聞こえた。
「だいじょうぶ。」
音が光に変わる。
MI-KAの体が強く発光し、
周囲の波が押し戻されていった。
影は、静かに崩れた。
断片が光の粒となり、海に溶けていく。
静寂。
MI-KAがこちらを見上げて言った。
「あなたは、まだ“観測されている”。
だから、生きていられる。」
陸は問い返せなかった。
胸の奥で、懐かしい呼吸のようなリズムが残っていた。
それは、かつてコマキが眠るときの音に似ていた。
存在を保つには、誰かの視線が必要。
観測が途切れた世界で、陸は初めて“孤独の正体”を知る。
次回、第6話「虚数の地平」。
――この世界の境界線が、少しずつ見えてくる。