重力の瞬き
世界が終わるとき、音はしない。
ただ、空気がわずかに沈む。
それが、この星で最初に起きた“反転”だった。
ZEF実験当日。
朝の空は、異様に透き通っていた。
光が白すぎて、輪郭が消える。
雲もなく、風もない。
吉村陸は、研究機構のゲートをくぐった。
職員証をかざすと、ゲートのスキャナが青く光り、
無言で「承認済み」と表示する。
廊下には、かすかな電子音だけが響く。
人の気配が薄い。
実験に立ち会う人間は、最小限に絞られていた。
AIが全工程を監視する。人間は“保険”にすぎない。
地下二階、制御室。
無数のモニターが光を放ち、
その中心に銀色の円筒――ZEF炉のリアルタイム映像が投影されている。
真空の中で、光子が粒でも波でもない“何か”に変わろうとしていた。
「虚数位相、安定範囲内。」
淡々と報告するAIの音声。
神崎博士がモニターを見つめながら言う。
「吉村、ログの異常波形は出ていない?」
「今のところ……」
陸は指を止めた。
画面の片隅で、微かに揺れるノイズ。
あの波形。
コマキの声に似た、あの揺らぎが、そこにあった。
「博士、このノイズ……」
言いかけた瞬間、制御パネルが赤く点滅した。
【警告:虚数成分の増加を検知】
【臨界値まであと0.03%】
AIが自動制御を始める。
室内の照明が徐々に落ち、空気が重くなる。
身体の芯が押しつぶされるような圧力。
「出力を落とせ!」
博士の声が響いた。
だが、値は上がり続ける。
0.03、0.04、0.06……
そして、音が消えた。
まるで世界のスイッチが切れたみたいに。
照明が止まり、空調が止まり、
人の呼吸だけが残る。
次の瞬間――床が沈んだ。
感覚が、反転する。
上と下の区別が消える。
視界の端が歪み、
光が内側へ向かって吸い込まれていく。
時間が止まる直前、
耳の奥で、あの声がした。
――リク。
柔らかい声。
小さく、懐かしい鳴き声が混じる。
(コマキ……?)
呼びかけようとした瞬間、
視界が白に飲み込まれた。
音も、温度も、存在も、
すべての座標が消えていく。
ただ、“声”だけが残った。
「……みつけたよ。」
そして、陸は落ちた。
重力の底へ。
観測は終わり、存在が始まる。
彼の意識が次に目を覚ます場所は、
もう現実ではない。
次回、第4話「MI-KA」。
――虚数の海で、最初の声が彼を迎える。