52.龍の息抜き
―――
ルナス視点
「数週間、か」
御者の言葉を反芻しながら、馬車の荷台に軽く腰を下ろす。
王国の端。地図で見れば“余白”のような場所だ。
舗装も甘く、街道沿いの結界も薄い。
魔族や魔物が出てもおかしくない――が、逆に言えば刺激も少ない。
「飛べば半日もかからないんだけどね」
誰に聞かせるでもなく呟いて、肩をすくめる。
今回は急ぎの用も、介入する理由もない。
(のんびり、か)
思えば久しい。世界を歩くのは
馬車が動き出す。
車輪が石を噛み、一定のリズムで揺れが伝わる。
――ガタン、ゴトン。
単調で、心地いい。
同乗しているのは数人。
商人らしき中年、護衛の若者、旅慣れた修道女。
皆、ルナスを一瞥はするが、深く関わろうとはしない。
目立たず、深入りしない。
それが一番、長生きする。
街道の景色が流れていく。
畑、林、川、小さな村。
どれも“世界がちゃんと回っている”証拠だ。
(……いいね)
理由もなく、そう思った。
今この世界は危うい。
龍に龍神がこの世界の因果に干渉している
それでも、こうして人は畑を耕し、道を往き、日常を積み重ねる。
ルナスは目を細める。
馬車の揺れに身を任せながら、
王都の喧騒でも、勇者たちの成長でもなく――
今はただ、この“移動の時間”を味わうことにした。
(数週間、何も起きなければいいけど)
そう思った瞬間、
――世界は、たいてい裏切る。
遠くの森のさらに奥。
わずかに“流れ”が歪むのを感じて、ルナスは小さく息を吐いた。
「……まあ、暇よりはいいか」
馬車は進む。
王都へ向かって。
そして、いくつかの因果を拾いながら。
馬車は変わらず進む。
御者も、同乗者も、誰一人として気づいていない。
「……」
(来るなら、明日かな)
商人が咳払いをして、護衛の若者が剣の位置を直す。
修道女は小さな祈りを口の中で転がしていた。
(なるほど、無意識に感じてはいるか)
世界は正直だ。
理解できなくても、“嫌な予感”だけは伝える。
馬車が小さな村で止まり、簡単な休憩に入る。
水の補給、馬の世話、軽い食事。
「旅の方、今夜はここで泊まっていくかい?」
村人の問いに、御者が首を振る。
「王都まで急ぎでね。森を越えた先の街まで行く」
村人の顔が、わずかに曇る。
「……夜の森は、あまりおすすめしませんが」
「護衛もいるし、大丈夫だろ」
そう言って笑う御者。
理屈としては、間違っていない。
(問題は、そこじゃない)
ルナスは干し肉を一切れ受け取り、礼を言う。
馬車が再び動き出す。
空は茜から群青へ。
鳥の声が消え、虫の音だけが残る。
――ガタン、ゴトン。
さっきよりも、揺れが重い。
いや、馬が怯えている
(案外早いね)
――ドガン!
何か大きなものが落ちてきたような音がした
砂埃が晴れ、その姿を見た商人と護衛は息を止めた
ドラゴン
この世界において、最強と呼ばれる種
数が少なく、滅多に人前に現れない半分伝説のような存在
その赤い光沢のある鱗はまるで太陽のように輝き、夜でもその姿をはっきりとさせる
「……へぇ」
落ちてきた“それ”を見て、思わず感嘆が漏れた。
恐怖でも警戒でもない、純粋な観察の声。
赤い鱗。
熱を孕んだ魔力の循環。
翼を広げただけで、周囲の空気が軋む。
(正真正銘、本物のドラゴンだ)
伝説級。
人類にとっては災厄。
王国が総力を挙げても、討伐できるか怪しい存在。
――同乗者にとっては。
「……ド、ドラ……」
商人の声が、途中で途切れる。
護衛の若者は剣を構えようとして、腕が震えて止まった。
修道女は膝をつき、祈りの言葉を声に出すことすらできない。
馬が悲鳴を上げ、馬車が傾ぐ。
ドラゴンが、首を下ろした。
黄金色の瞳が、街道をなぞる。
人、荷、馬車――そして。
ルナスで、止まった。
(……なるほど)
ドラゴンは縄張り意識が強く、他の”同種”が縄張りに許可なくはいることを許さない
「……ふぅ」
ルナスは馬車の前に、一歩だけ出た。
護衛が叫ぶ。
「な、何を――!」
「大丈夫。多分」
“多分”という言葉に、何の説得力もない。
だが、今はそれに縋るしかない。
ドラゴンが、低く唸る。
大地が震え、熱風が吹き荒れる。
普通の人間なら、その威圧だけで意識を失う。
(若いね)
力はあるが、洗練されていない
「君」
ルナスは、普通に声をかけた。
まるで、道端で出会った野生動物にでも話しかけるように。
「ここ、通らせてほしいんだけど」
沈黙。
次の瞬間――
ドラゴンの喉奥が、赤く輝いた。
(あ、撃つ気だ)
熱線。
王都の城壁すら溶かす威力。
護衛が叫び、修道女が目を閉じる。
――が。
「……やれやれ」
ルナスは、軽く指を鳴らした。
熱線は、放たれなかった。
正確には、
“放とうとした現象”が、成立しなかった。
ドラゴンの口から漏れたのは、戸惑いの息だけ。
「……?」
理解できない、という感情が
その巨大な瞳にはっきりと浮かぶ。
(そりゃそうだ)
似たような種族であろうと
人とミジンコのような関係である
しかもこちらは、概念側。
ルナスは一歩、さらに近づく。
「安心して。喧嘩しに来たわけじゃない」
そう言って、少しだけ――
ほんの、ほんの僅かだけ。
“龍”を解放した。
――空気が、沈む。
ドラゴンの四肢が、反射的に地面へ伏した。
威圧ではない。
本能が、理解してしまった結果だ。
(ああ、やっぱり)
この個体は、自らの縄張りを守るためにきた
たったそれだけ
「帰りな」
静かな声。
「君の居場所は、ここじゃない」
ドラゴンは数秒、ルナスを見つめ――
次の瞬間、翼を打った。
爆風。
砂埃。
夜空へと消える赤い影。
静寂が、戻る。
――ガタン。
ようやく、馬車が軋む音が聞こえた。
「……い、今の……?」
誰かが呟く。
ルナスは振り返り、首を傾げた。
「通りすがりの事故、かな」
誰も、突っ込めなかった。
馬車は、再び動き出す。
夜の街道を、何事もなかったかのように。
(……案外、早く片付いたね)
ルナスは夜空を見上げ、小さく笑った。
王都までの道のりは、まだ長い。
そして――
今のは、前触れに過ぎない。
―――
ルナス視点
ドラゴンとの邂逅から、はや数十日。
馬車はようやく、王都圏の街道へと入っていた。
「……やっと、か」
正直な感想だった。
あの日以来、同乗者たちは妙に静かだった。
視線は合わせないが、完全に無視することもできない。
話しかければ失礼になる気がして、かといって何も言わないのも落ち着かない。
そんな“気まずさ”が、ずっと馬車に張り付いていた。
(空気が重いって、こういうことを言うんだよね)
誰かが悪いわけじゃない。
ただ、「理解できないものと同じ空間にいる」という事実が、人を消耗させる。
ルナスは幌の隙間から外を眺める。
街道は広くなり、石畳も整っている。
行き交う馬車の数が増え、旅人の装備も明らかに良くなった。
――王都が近い。
空気そのものが変わっていた。
人の数、魔力の濃度、結界の密度。
すべてが“管理されている”感触。
王都は、世界の要衝。
政治、軍事、宗教、そして勇者召喚の中心。
因果が絡まるには、これ以上ない場所だ。
「見えてきたぞー!」
御者の声が、どこか弾んでいる。
同乗者たちの表情にも、ようやく安堵が戻った。
城壁が、遠くに見える。
白く高く、幾重にも重なった防御結界が淡く光っていた。
(……随分と、積み上げたね)
人の手で築ける限界に近い。
それでも、魔王や“龍神”を相手にするには、心許ない。
だが――
人は人なりに、抗っている。
ルナスは、それを否定する気はなかった。
馬車が検問へ向かって進む。
騎士たちの視線が、鋭くこちらを射抜く。
……が。
ルナスに向けられたそれは、途中でわずかに揺らいだ。
全員ではない。
だが、“何か違う”と感じ取る者は確実にいる。
「さて」
ルナスは、軽く伸びをした。
「やっと、舞台の中央か」
王都は目前。
勇者たちは成長し、龍神は水面下で糸を引き、
そして――自分もまた、因果の渦中に戻ってきた。
(休暇は、ここまでかな)
そう思いながら、
ルナスは城壁へと続く道を、静かに見据えた。
この都で――
いくつの運命が、折れて、歪んで、そして結ばれるのか。
それを観測するのが、今の自分の役目だ。
少なくとも――
今は、そういうことにしておく。
いかがでしたか?楽しんでもらえたのなら幸いです。
見にくい、ここの文章がおかしい、面白くない、などありましたら教えて頂きたいです




