51.龍は依頼を達成する
―――
ルナス視点
「早かったなー」
路地裏から大通りへ戻りながら、ぽつりと呟く。
依頼書はもうない。仕事は――終わった。
(まあ、こんなもんか)
内容は“魔族らしき者を見た”という通報の確認。
だが実態は、ほとんどが――
見間違い。
勘違い。
思い込み。
いわゆる“三銃士”。
夜目の利かない老人が、外套の色を見誤った。
酒場帰りの男が、角のある幻覚を見た。
子どもが噂話を真に受けて騒いだ。
どれも、よくある話だ。
(魔族って言葉は、便利だからね)
理解できないもの、不安なもの、説明のつかないもの。
全部そこに押し込められる。
それに――
「一番の理由は、これか」
自分の姿を、ウィンドウに映る影で確認する。
黒い翼。
異質な気配。
どう見ても“人外”。
こんなのが聞き込みに来たら、普通はこう思う。
(……あれ?
じゃあ、さっき見たのって……)
(もしかして、俺の勘違い?)
疑念が、恐怖より先に来る。
そして人は、怖いよりも“自分の勘違い”で済む方を選ぶ。
「おかげで、話が早い」
魔族だと断定されていたら、騒ぎになる。
だが“魔族にしか見えない存在”が否定するなら――
それはもう、見間違いでいい。
(皮肉なもんだ)
自分が異常であることが、
人々の異常認識を上書きしてしまう。
「さて……」
通りを歩きながら、プレートを指で弾く。
透明なエメラルドグリーンが、淡く光った。
(依頼は終わった。情報も特に無し)
となれば、次は――
「……戻るか」
王都。
学院。
生徒たち。
そして、“空白の少年”。
あの場は、今も確実に動いている。
「息抜きにはなったけど」
小さく笑い、空を見上げる。
(やっぱり、本番はそっちだな)
龍の誕生に向かって、
因果は着実に収束している。
それを“歪める”ための時間は、
思ったよりも――多くない。
ルナスは足を止めず、
人混みの中へと溶け込んでいった。
異質でありながら、
誰よりも自然に。
―――
烏丸愜視点
異世界に召喚されて、もう数ヶ月が経った。
クラスメイトたちは、明らかに変わった。
剣で建物を切り裂く者。
魔法で地面に大きなクレーターを作る者。
戦争で失った兵士の腕を再生させる者。
それぞれが、自分の持ち味を磨き上げていた。
もはや、以前の“同じクラスメイト”とは呼べない。
愜は、ただ立ち尽くす。
胸の奥に、微かな焦燥と、わずかな羨望。
「……俺は……」
言葉にならない思いが、唇をかすかに震わせる。
力がない、形がない、何も持たない自分。
それでも――目の前の仲間たちを見て、心のどこかで何かが動いた。
(……俺も、何とかしなきゃ……)
まだ形のない自分が、ほんの少しだけ未来に触れた気がした。
幸いにも、烏丸愜がクラスメイトから虐められることはなかった。
単純に、虐める理由がなかったというのもある。
敵意を向けるほどの感情を抱く前に、彼は“何も持っていない”存在として認識されていた。
だが――
不平不満が、溜まらないわけではない。
剣を振るえば地を裂き、
魔法を放てば地形すら変える。
そんな力を手に入れた者たちと、
烏丸愜は同じ「勇者候補」として扱われている。
訓練内容。
食事。
寝床。
評価。
すべてが、同じ。
「……おかしくないか?」
誰かが、心の中でそう思うのは自然だった。
自分よりも明確に弱い存在。
役に立たない存在。
それが、同列に並んでいる。
人は、違いを許容できるほど強くない。
そして、人は本能的に“足を引っ張る存在”を排除しようとする。
本来なら――
とっくに歪みが生まれていても、おかしくはなかった。
それが起きていない理由は、ただ一つ。
ルナスの存在だ。
明確な“上”がいる。
比較対象にすらならない、圧倒的な異物。
誰もが無意識に理解している。
ここで烏丸愜をどう扱おうと、
その結果は必ず――ルナスに届く。
あの存在が、彼を見ている。
評価している。
観測している。
それだけで、人は躊躇する。
「触れてはいけないもの」の気配が、
烏丸愜の周囲には、常に薄く張り付いていた。
だから誰も手を出さない。
だから誰も、踏み込めない。
それは庇護ではない。
好意でもない。
ただの――恐怖だ。
そして、その恐怖の中心にいるルナスは、
そんな人間たちの心理など、知ってか知らずか。
ただ静かに、
“起点”となる少年を、見続けていた。
烏丸愜自身は、まだ気づいていない。
自分が守られているのではなく、
“触れられない位置”に置かれていることを。
そしてそれが、
決して安全を意味しないということも。
―――
ルナス視点
「なるほどね」
王国に残した分身から、情報が流れ込んでくる。
「成長はなし。力の開花も見られない、と」
想定通りの結果だ。
むしろ、これ以外はあり得なかった。
「……あの少年からすれば、絶望だろうけど」
異世界に召喚され、
周囲は次々と力に目覚めていく。
剣を振るえば超常。
魔法を放てば災害。
回復で失われた肉体すら再生する。
そんな中で、自分だけが“何もない”。
普通なら、心が折れて当然だ。
「でも――」
ルナスは、どこか冷えた声音で続ける。
「こちらとしては、そのままでいてほしい」
烏丸愜が力を得てしまえば、
それは単なる成長では済まない。
龍神が仕込んだ器に、
別の“何か”が干渉したことになる。
それはつまり――
龍神の想定を超える存在が、介入したという証明だ。
「……考えたくもないね」
龍神に対抗できる算段すら、まだ立っていない。
そんな状況で、
龍神以上の存在が表に出てくるなど、悪夢以外の何物でもない。
「だから、今は……」
静かに、結論を出す。
「空白のままでいてもらう」
可哀想かどうかは、問題じゃない。
正しいかどうかも、どうでもいい。
必要なのは――
“予定通りであること”。
ルナスは視線を遠くへ向ける。
「君が動き出すのは、まだ早い」
それは忠告でも、祈りでもない。
ただの、因果と運命の管理者としての判断だった。
―――
???視点
「はぁ……はぁ……っ、ハァ……」
荒れ狂う心臓を、無理やり押さえつける。
深く息を吸い、吐く。それを何度か繰り返す。
これから会うのは――魔王様。
この世界における、絶対者。
あの方の前で、醜態を晒すわけにはいかない。
「……ふぅ」
目を閉じ、意識を沈める。
額に滲んだ汗を拭い、感情の波を鎮める。
そして――
「…………」
短い詠唱。
次の瞬間、目の前の空間が裂けた。
引き裂かれた空間の向こう側。
そこには街があった。
魔族の街。
秩序と混沌が奇妙な均衡で共存する、魔王領の中枢。
そして、そのさらに奥。
禍々しさと荘厳さを同時に備えた、
異様なまでに美しい建造物――魔王城。
(……変わらない)
いや、違う。
変わっていない“はず”なのに、
城から発せられる圧だけが、以前よりも鋭くなっている。
そう感じた瞬間――
「……っ」
視界が歪む。
気づいた時には、すでに魔王城の内部。
玉座へと続く、巨大な扉の前に立っていた。
転移の感覚すら、なかった。
(やはり……)
魔王は全知全能。
少なくとも、この世界においてはそう扱われる存在。
天上天下、あらゆる事象を把握し、
世界の流れを“管理”する者。
正確には――
この世界の本来の「管理者」に代わって、その役割を担う代理。
それが、魔王。
扉の向こうにいる“それ”を思うだけで、
背筋に冷たいものが走る。
(呼ばれる前に来ることすら、許されていない……か)
それでも、来た。
来なければならなかった。
この報告は、
決して他の誰にも任せられない。
「……」
静かに、片膝をつく。
扉はまだ閉じたまま。
だが、この姿勢こそが正しいと、本能が理解していた。
――そして。
重厚な扉が、音もなく開く。
玉座の間に満ちる、圧倒的な“存在感”。
まだ姿すら見えていないというのに、
心臓が再び早鐘を打ち始める。
(……落ち着け)
ここから先は、
一言一句が世界の流れを左右する。
この世界の代理管理者に、
“異物”の存在を告げるという、
取り返しのつかない役目が――今、始まろうとしていた。
―――
―「面をあげよ」―
不思議な声だった、まるで二つの声が被っているような
「魔王様ご報告が……」
―「よい、わかっておる。彼の方のことだろう、放っておけ、我々にどうにかでき存在ではない」―
「!?……恐れながら、魔王様はあの者をご存知で?」
驚きと、当然だという感情が混ざる。魔王は全知全能この世界のことならなんでも知る存在、そんな存在が知っていないはずがないと…だが
―「知っている……か、確かに知ってはいる。いや、教えられたというべきか」―
―「魔王がこの世界の管理者の代理、言うなれば神であるとは知っているな」―
「は、はい」
―「我が任されたのは、魔族並びにその同胞達」―
―「そして――我が片割れ。人間共に“女神”などと称されている者が、人並びに人に分類された存在を管理している」―
その言葉に、喉が鳴る。
(やはり……)
魔王と女神。
対立する存在として語られることは多いが、
本質は“役割分担”に過ぎない。
―「我らは世界そのものではない」―
―「世界を“円滑に回すための機構”だ」―
淡々とした声。
だが、その奥には確かな諦観が滲んでいる。
―「山が削れ、海が満ち、種が栄え、文明が生まれる」―
―「それらは全て、世界の自律作用だ」―
―「我らはそれが破綻せぬよう、調整しているに過ぎん」―
「……では」
恐る恐る、口を開く。
「彼の者は……その枠外、ということでしょうか」
一瞬の沈黙。
それだけで、答えは十分だった。
―「枠外、などという言葉では生温い」―
―「あれは“外”だ」―
言い切り。
―「この世界に存在してはいるが、属してはいない」―
―「管理、観測、修正、そのいずれもが成立しない」―
背筋が凍る。
―「我が知っているのは、名と概念のみ」―
―「それ以上を知ろうとすれば、こちらが壊れる」―
「……!」
それはつまり。
魔王ですら、
深く理解しようとすれば“危険”な存在。
―「故に放置する」―
―「干渉しない。関与しない。存在していないものとして扱う」―
―「それが、最善だ」―
玉座の奥で、何かが微かに動いた気配がする。
―「女神にも、既に伝えてある」―
―「あれに触れるな、と」―
「では……勇者召喚に影響が出た件も……」
―「当然だ」―
―「世界が歪んだのではない」―
―「世界の外側に“触れてしまった”だけだ」―
その言葉は、あまりにも静かで、
あまりにも決定的だった。
―「召喚された人間共が力を得たのは、副次的な結果に過ぎん」―
―「本来流れるはずだった魔力が、行き場を失い、溢れただけ」―
「……では、今後――」
―「何も起こらん」―
―「起こっているように見えても、それは世界の自己修復だ」―
断言。
―「あれが意思をもって動かぬ限り、我らは安全だ」―
―「逆に言えば……」―
わずかに、声が低くなる。
―「あれが“その気”になった時点で、この世界は不要になる」―
それ以上の説明はなかった。
必要ないからだ。
「……ご無礼を承知でお伺いします」
震える声で、問いを投げる。
「あの存在は……敵なのでしょうか」
長い沈黙。
そして――
―「わからん」―
魔王は、そう答えた。
―「敵でも、味方でもない」―
―「善悪でも、災厄でも、神でもない」―
―「あれはただ――“在る”」―
重い言葉。
―「だからこそ、恐ろしい」―
「……承知いたしました」
深く頭を下げる。
これ以上、問うべきではない。
それは、理解した。
―「報告、ご苦労」―
―「お前は引き続き、世界の流れのみを見ていろ」―
―「あれを観測するな」―
「はっ」
次の瞬間。
視界が反転する。
気づけば、魔王城の外。
夜風が、やけに冷たく感じられた。
世界に干渉しない“外側の存在”。
その気まぐれ一つで、
この世界の常識も、法則も、
すべてが無意味になる。
(どうか……)
どうか、目立たず。
どうか、関わらず。
祈りにも似た感情を胸に、
???は闇へと溶けていった。
――世界が、まだ“続いている”ことを願いながら。
いかがでしたか?楽しんでもらえたのなら幸いです。
見にくい、ここの文章がおかしい、面白くない、などありましたら教えて頂きたいです




