48.龍は世界に戻る
―――
ルナス視点
「面倒臭い」
黒い翼をそっと揺らし、手元で“何か”をいじる。
それは、運命――あるいは因果と呼ばれるもの。
この世界の因果、その一点を、指先で確かめるように触れていた。
バチッ!
弾かれるように手が跳ね返る。
「……無理か」
肩をすくめ、静かに呟く。
「龍の誕生をなくすことはできない……分かり切ってたけど」
目の前の因果は、普通なら複数の線が絡み合い、揺らぐもの。
だが今回は違う。たった一つ、確定した線。
つまり――誰かが決めている。
「…龍神」
言葉は少しだけ重く、低く落ちる。
手元の因果は微かに光り、だが決して抗うことはできなかった。
この世界で唯一、自分より上位の存在――その力が、すべてを動かしている。
ルナスは目を細める。
「……やれやれ、面倒は増えるばかりだ」
だが、その瞳の奥には、冷静で静かな決意が宿っていた。
どれだけ上位の存在が介入しようとも、
“誕生の形を歪める”ための手は、まだ残されている。
―――
ルナス視点
「よっと」
空間の継ぎ目から、軽く足を踏み出す。
世界の狭間特有の圧も、因果のざらつきも、背後で静かに閉じた。
「あそこは時間の流れが違うからね」
「……あれから、どんぐらい経ったかな?」
独り言を漏らしつつ、周囲を見渡す。
空は青い。
雲は流れ、風は普通に吹いている。
――“普通の世界”。
少しだけ高度を上げ、視界を広げる。
「……あった」
遠くに、城壁と建物の密集が見える。
石造りの街並み、往来する人影、立ち上る生活の気配。
「ふむ……王都じゃないね」
「地方都市、ってところかな」
降下しながら、気配を読む。
魔力の濃度は低め。
軍事的な緊張も薄い。
召喚騒ぎの余波は、まだここまでは届いていないらしい。
「いいね、こういうところ」
「誰も世界の終わりなんて考えてない」
地上に足をつけると、翼と角を歪め、存在を“人間寄り”に調整する。
完全に隠す必要はないが、目立つのは面倒だ。
「さて……」
街門をくぐりながら、思考を整理する。
・分身は王国で機能している
・少年――烏丸愜は順調に“空白のまま”
・龍神は因果を固定済み
・誕生は避けられない
「……となると」
視線が、街の中心へ向く。
「世界側の反応を見ておく必要がある」
「特に、“歪み”を感知できる連中」
宗教。
預言者。
古い血統。
あるいは――世界そのものに近い存在。
ルナスは、人混みに紛れながら微かに笑う。
「龍神だけが盤上にいると思ったら、大間違いだからね」
通りの向こうで、鐘の音が鳴る。
人々は足を止め、誰も気にしない日常を続けている。
だが。
「……あー、やっぱりいる」
一瞬だけ、視線が合った。
フードを被った人物。
年齢不詳。性別不明。
だが、その“奥”が、こちらを見ていた。
「面倒だけど、丁度いい」
歩みを止めず、すれ違いざまに呟く。
「さて……この世界は、どこまで気付いてるかな?」
街は平和だ。
何も知らず、何も疑わない。
――だからこそ。
ここから先は、“静かな前哨戦”になる。
ルナスは、そのことを誰よりも理解していた。
―――
???視点
初めてだった。
恐怖で、体が完全に固まったのは。
ほんの一瞬。
視線が、合った。
それだけだ。
それだけのはずなのに。
「………………」
呼吸を忘れていたことに、遅れて気づく。
肺が痛み、心臓が異様な速さで脈打つ。
何なのだ、今のは。
気配を読んだわけでもない。
魔力を感知したわけでもない。
殺気を向けられたわけでも、威圧を受けたわけでもない。
――ただ、見られただけ。
それなのに。
背骨の奥が冷え、内臓が下に引きずられる感覚。
魂の輪郭を、指でなぞられたような不快感。
「……あり得ない」
思わず、そう呟いていた。
偉大なる魔王様に、初めて謁見時ですら、ここまでではなかった。
あの時は畏怖こそあれど、立っていられた。
思考も、言葉も、失わなかった。
だが、今の“それ”は違う。
格が違う。
次元が違う。
比較すること自体が、間違いだった。
「……人の形をしていた、はずだ」
街に溶け込む、ただの旅人のように見えた。
なのに。
見えたのは、形ではない。
世界の外側。
法則の向こう側。
触れてはいけない“空白”と“満ちた何か”が、同時に存在している感覚。
「……まさか」
喉が、ひくりと鳴る。
魔王様ですら、“世界の内側”の存在だ。
どれほど強大でも、どれほど古くても、世界の枠からは出られない。
だが、あれは――。
「違う……違いすぎる」
足の震えが、ようやく止まり始める。
だが、恐怖は消えない。
理解できないものは、理解できないまま恐ろしい。
「……見られた、か」
否定したかった。
偶然だと言いたかった。
だが、本能が告げている。
――あれは、こちらを“認識した”。
狙われたわけではない。
敵意もない。
だが、それが余計に質が悪い。
「……報告すべき、だな」
魔王様へ。
あるいは、もっと上へ。
そう思った瞬間、脳裏に浮かぶ。
――あれに、報告という概念は通じるのか?
理解されるのか?
信じられるのか?
「……いや」
拳を、強く握る。
「報告しなければならない」
「世界の外から、何かが“歩いている”」
街の喧騒が、遠く聞こえる。
誰も気づいていない。
誰も知らない。
だが確かに。
この世界には、
“触れてはいけない存在”が、すでに降りてきている。
そしてそれは――
魔王でも、神でもない。
そう直感してしまったことが、何より恐ろしかった。
――――
ルナス視点
「行ったね」
遠ざかっていく影を眺めながら、静かに呟く。
「アレが魔族か。随分と溶け込んでるじゃないか」
街の人波に紛れ、気配を完全に殺していた。
例えここが王都でなくとも、魔族が一体でも発見されれば大騒ぎになるはずだ。
それを思えば、あれは相当に洗練されている。
そして――。
「感が鋭い」
本当に一瞬だった。
視線が交差したのは、刹那ほどの時間。
それだけで、こちらの“異常性”に気づいた。
「優秀だね」
感知でも、解析でもない。
理屈を超えた直感。
生き延びてきた者だけが持つ、危険を危険として嗅ぎ分ける感覚。
「アレを基準にするなら……」
小さく息を吐く。
「そりゃあ、人間に勝ち目はない」
個としての完成度。
生存本能の研ぎ澄まされ方。
戦う以前に、立っている地平が違う。
それでも。
「……だからこそ、だ」
魔族が脅威である理由は単純だ。
強いからでも、数がいるからでもない。
「世界の理不尽に、慣れすぎている」
人間はまだ“希望”を信じる。
だが、魔族は違う。
希望も絶望も、等価な選択肢として扱える。
「……面倒だね、本当に」
そう呟きながら、視線を王都の奥へ向ける。
烏丸愜。
空白の少年。
そして、近い未来に生まれる“龍”。
「どいつもこいつも、厄介なのばかりだ」
それでも、止めるつもりはない。
止まれない。
ルナスは、ゆっくりと踵を返す。
世界は、すでに動いている。
気づいた者から、巻き込まれていくだけだ。
「さて……次はどこを見ようか」
誰にともなく、そう呟いて。
いかがでしたか?楽しんでもらえたのなら幸いです。
見にくい、ここの文章がおかしい、面白くない、などありましたら教えて頂きたいです




