根暗な後輩
陽平の後輩その1が登場します。
一学年下のとある教室、その窓際の一番後ろ、それがそいつの指定席だ。
「なんか用? 木島先輩。用が無いならさっさと帰ってください、目障りなんで」
そいつは俺を見つけると、開口一番になかなかいいパンチを繰り出してきやがった。
「相変わらず口が悪いな、明美。少しは先輩に対する敬意とかねーのかよ?」
「敬意? はっ、私がなんで木島先輩を敬う必要があるの? 意味わかんない」
言葉の中には不慣れなものなら一撃で沈める毒が込められており、友達である俺に対しても容赦が無い。
というか、こいつは誰に対しても敵意満点だ。
自分の周囲を全てシャットダウンするために、前髪は伸ばしたままにしており、すっぽりと目を隠している。髪質自体は綺麗なものなのだが、自分の腰まで伸ばしているのと、全体的に関わった相手を呪い殺してやろうか、と言わんばかりの負のオーラをまとっているせいで、まるで映画に出てくる亡霊のようだ。
闇や呪い、などと言った言葉がこれほど似合う奴もそうそう居ないだろう。
それが俺の後輩、桐生 明美だ。
「俺に対する敬意はさておいてだ、今日はお前に新しい友達を紹介しようと思ってきたんだ。あれだ、どうせお前は一人を除いてろくに友達と遊ぼうとしない暗い奴だからな。ありがたく思えよ、このやろう」
「友達なんて要りませんから帰ってくださいよ」
「いいから黙って聞け、な?」
俺は明美の頭をがしりと掴んで、力づくで灯の方を向かせようとするが、明美は首の力だけで抵抗してくる。
「やめてください、セクハラとかマジ無理」
「おいおい、先輩の親切をセクハラ呼ばわりかよ、薄情な後輩だなぁ」
「小さな親切大きなお世話」
「黙れ根暗女」
「・・・・・・あのー、二人とも。とりあえず喧嘩はやめましょうよー」
「「ちっ」」
俺と明美は同時に舌打ちをし、渋々休戦した。
不思議なことなのだが、俺と明美は顔を会わせるといつも口喧嘩から軽い乱闘に発展してしまう。これでも俺は女性には手を出さない主義だったのだが、明美と友達になってからは唯一の例外が出来た。
それくらい俺と明美は相性が悪かったりするわけだ。
「改めまして、初めましてですねー、明美さん。私は聖名灯、この度陽平さんのクラスに転校してきた者です。陽平さんと明美さんは友達だって聞いていてねー、出来れば私も友達に入れて欲しいと思ってるんですよー」
俺たちを仲裁した後、にこやかに灯は明美に挨拶をする。
その笑みはまさに小動物さながらの可愛さを纏っていて、初対面の相手に少なからずマイナスのイメージを絶対に与えない完璧なものだった。
「やだ、もう話しかけるな」
だがしかし、明美はそれを一刀の元に切り捨てる。
灯は明美の態度に戸惑いつつも、笑顔を立て直して尋ねた。
「あのー、明美さん。私、何か不快にさせることしましたかー? もし、何か私に不満があったら遠慮無く言ってくださいねー」
「別に。強いて言えば、あんたが私の目の前にいることぐらいたあっ!?」
そっぽを向いて憎まれ口を叩く後輩に、俺は鮮烈なデコピンを喰らわせる。
「ったく、この社会不適合者が。恥ずかしいからって無闇やらたらと敵意を振りまくな」
「だっ、誰が恥ずかしいって!?」
明美が顔を赤く染めて抗議してきた。
んなもん、お前だよ、お前。
明美は重度の人見知りで、人と交流するぐらいだったら孤独死する方がマシだと考えているような奴なのだ。
無闇やたらと敵意を振りまくのは、そうして自分の周りに人を近寄らせないためだろう。
けど、友達が欲しくないわけではないらしい。
そうじゃなかったら、俺とこうやって会話することもないだろう。
それに、親友だって作らないだろうしな。
「はっ、どうせ木島先輩は可愛い彼女を見せびらかしに来ただけだろ? 私はそんな惚気話に付き合う気は無いね」
口元を歪めて皮肉げな笑みを作る明美。
「いや、こいつとはそんな仲じゃねーし。今日はただの挨拶だけだっつーの」
「じゃあもう用は済みましたね、もう帰ってください」
「ほんっと、お前という奴は、本当に可愛くない後輩だな」
確かにいつも敵意満点の明美だが、今日はやけに他人行儀というか、対応がそっけない気がする。
いつもならもっと会話を繰り広げて俺に毒舌を吐いてくるのに。
「・・・・・・どうせ、私は可愛くないよ」
いつもなら十倍返しで反撃してくるはずなのだが、明美はやや沈んだ声で答えるだけ。
気のせいかもしれないが、明美が若干落ち込んでいるような気がする。
もしかしてだが、こいつ、拗ねてるんじゃないか?
試しに灯を褒めてみる。
「はんっ、そりゃーな。お前みたいに口の悪い奴より、小動物系美少女の方が可愛いに決まってるだろーが」
「よ、陽平さん。その言葉を嬉しい限りでけど、一言で表すなら空気を読んでー」
「・・・・・・ふん」
あわあわする灯は放っておくとして、やはりこれだけ言ってるのに何も言葉を返さないのは明美らしくない。
俺は苦笑しつつ、言葉を続けた。
「だがな、それはあくまでも性格的なことを言っているんであってだな、別にお前の容姿は可愛い方だと俺は思ってるぞ?」
「別に、分かりきったお世辞なんていらない――」
「ほらな、こうすれば結構可愛いじゃねーか」
ぶつぶつ拗ねている後輩の、長い前髪を片手で軽く上げる。
前髪で隠れていた瞳は、綺麗な栗色で、目元がすっとはっきりとした、どちらかと言えば綺麗と言った方がいいものだった。
しかし、珍しく俺から褒められたせいか、明美が石の如く固まっているんだが。
「ちょっと、陽平さん!? いきなり何をしているんですかー、貴方はっ!」
「いや、コンプレックスで拗ねている感じの後輩を褒めてやっただけだぜ?」
「そーいうことではなくてですね・・・・・・ああもう、陽平さんはなんでこう少女漫画チックな行動ができるのですかねー?」
よくわからないが、このまま明美がフリーズしているのも面倒なので額をぺちぺち叩いて正気に戻す。
「・・・・・・・・・・・・いきなりなにしやがる、この変態」
「せっかく褒めてやったってーのに、いきなりそれかよ」
石化から解放された明美は、なぜかさっきよりも俺に対して負のオーラを放出してきた。
「可愛いだなんて嘘を吐くな。そんなこと、自分の親にだって言われて時は無い」
「でも、親友には言われたときあるんじゃねーの?」
明美の視線に、怒りの感情が混じる。
「分かるだろ? ちーちゃんは優しいから私に気を遣ってくれているんだ。そんな事も分からないほど私はバカじゃない」
「あ?」
おいおい、ちょっと待てよ。
てめぇ、そこまで卑屈だと俺もさすがに苛立つぞ、こら。
俺はともなく、てめぇの親友が言ったことも信じられないのか、こいつは。
「あーあ、はいはい。わかったよ、わかりましたよ! お前の言う通り、お前は可愛い感じの女の子じゃねーよ!」
「ほら、やっぱりそうだ。陽平先輩のくせに、私に気を遣いやがって」
自分で自分を貶めてほっと安堵している後輩に向かって、俺は不敵に笑って言ってやる。
「お前はどっちかと言うと綺麗な感じの女の子だよ」
「なっ」
ぼふぅ、という効果音が聞こえそうなほど勢いで、明美の顔が赤く染まった。
わなわなと口を動かして、何か言おうとするが、そうはさせねぇ!
「灯、髪留めだっ!」
「サー、イエッサー!」
灯は素早く俺に髪留めを手渡し手渡してくる。
うん、自分から言っといてなんだが、灯、お前ノリいいなぁ。
「ちょ、ちょっと、なにするんだよ、陽平!」
俺が素早く前髪を留めると、顔をさらに赤くして明美が抗議の声を上げた。
つーか、ついに呼び捨てにしやがったな、こいつ。
まぁ、それは置いといて、だ。
「よく聞きやがれ、この根暗後輩。俺はな、今のお前は素直に綺麗だと思ってるからそう言っただけだ。別にお前に気を遣っているわけじゃねーよ。というかさ、お前、俺がわざわざお前に気を遣うと思ってんのか?」
「う、それは確かに」
俺と明美は傷口を舐めあわず、むしろ塩を塗りつけるような友達関係だ。
明美が落ち込めば俺が貶し、俺が落ち込んでいれば明美が哂う。
我がならひどい友情だと思うが、そこには一種の信頼性があることだけは確かなのだ。
「それにな、明美。お前も分かってるだろ? お前の親友は嘘がめちゃくちゃ下手だ。それはもう、幼稚園児にだって見破られるだろう。そんな奴がな、お前を気遣って思っても無いことを言うと思ってんのかよ」
「・・・・・・うぅ」
明美は言い返せない。
言い返せるわけが無い。
俺の言葉を否定するということは即ち、自分の親友を否定することに繋がるのだから。
「別にな、明美。俺はお前がナルシストになれって言ってるわけじゃねーんだよ。けどな、てめぇの親友の言葉ぐらい、素直に受け取れるぐらい卑屈を直せ。さもなくば」
俺は精一杯の笑顔で明美に宣告する。
「お前の親友に『第一回、桐生明美ちゃんのファッションショー』を提案して、今流行のブランドからメイド服まで資源を提供してやるぞ」
「あんたは鬼かっ!?」
その光景を想像したのだろう、明美は軽く涙目になりがなら叫んだ。
明美が親友を大事に思っているように、その親友も明美のことを大切に思っている。というか、軽く引くほど溺愛している。
仮に俺がそんなことをしたならば、ほぼ確実にファッションショーは開催されてしまうだろう。
「ま、とりあえずはその格好で今日一日過ごしてみるんだな、後輩」
「ううー」
恨みがましく俺を睨む明美。
はははは、いくらでも俺を恨むがいい、その表情が見られるのならいくらでも恨まれてやろう。
俺は嫌がらせのように明美の頭を撫でてやった。
くくく、悔しかろう、完敗した相手に慰められる屈辱を知れ!
「・・・・・・うー」
頭を撫でられると、ぷるぷると顔を赤くして明美は体を震わせている。
あれ?
ちょっとやりすぎたか? 泣かないよな、うん、さすがに泣かないよなー、後輩。
「陽平さん、本当に貴方って人は罪作りですねー」
灯がジト目で俺を見てくる。
「ち、違うんだ、灯! 軽く苛めてやろうと思ったけど、別に泣かそうとまでは思ってねぇよ!」
「そうじゃなくてですねー、はぁ、そう言うところがなおさら鈍亀といいますかー」
「ちょっ、何、諦め半分にため息を吐いているんだごふっ!?」
俺が灯に弁解をしていると、腹部に衝撃が来た。
どうやら明美の奴が物理的に反撃してきたらしい。
「なにするんだ、後輩」
「それはこっちの台詞だ、陽平先輩。私の親友だけじゃ飽き足らず、私にもフラグを立てるつもりかよ」
息を荒くして明美が睨んでくる。
いや、意味わかんねぇよ。
「仕方ないですよー、明美さん。この人は根っからの旗立て職人ですからー」
「それはわかっているけど、やっぱりむかつく」
「おーい、てめぇら。言ってる意味はわかんねぇけど、絶対バカにしてんだろ?」
俺の言葉に、灯と明美は揃ってため息を吐いた。
む、むかつくなぁ、おい。
「はぁ、とりあえず陽平先輩が言いたいことはわかった。灯先輩とはそれなりに話も合いそうだから、まぁ、挨拶ぐらいはするよ。それと、陽平先輩がどうしてもって言うから、仕方なくこの髪留めはしばらく付けといてあげる」
ふん、となぜか無駄に偉そうに言う後輩。
何か言い返そうと思ったが、そこは先輩としての心の広さで我慢した。
「後、陽平先輩。ちょっと頼まれてほしいんだけど?」
「あぁ? お前が俺に頼みごとだと」
珍しいな、俺に借りを絶対作りたくない明美がそんなことを言い出すなんて。
「私の親友にこの漫画を返しといて欲しいんだ」
「漫画を返すぐらい自分でや――――」
明美から差し出されたのは、正確には単行本ではなくて、小冊子のようなもので、いわゆる同人誌という奴だった。
しかもこれは幻の名作と名高い『空に国境は無い』じゃないか!
もう絶版になっていて入手はこんなんなはずなのに、なぜ!?
「私の親友がさ、それ書いた人と親戚らしいんだとさ。それ聞いたときは私も驚いてね」
「あ、あのぅ、明美サン? これは君の親友に頼めば、ひょっとして借りられたりするのデスか?」
「悔しいけど、あんたの頼みをちーちゃんが断るわけないだろ」
ひゃっはー!
「任せとけ! コンマ1秒でも早くこれを返してやるぜ! そして借りるんだっ!!」
俺は教室から廊下へ素早く移動し、全力疾走で漫画を返しに走った。
「はやっ! ちょっと待ってくださいよー、陽平さーん」
俺を呼び止める灯の声が聞こえたが、もちろん待つわけが無かった。