兄妹
殺しあっても、何があっても、兄妹です。
ある時、私に兄ができた。
どうやら、父が研究所から買い取ってきた人造人間らしい。なんでも、仕事の関係上、人身掌握に特化した人間が欲しかったからとか。
けど、私には関係ない。
父がどんな仕事をしていというが、私にはまったく関係無いのだ。父がどんな仕事をしていようが、私を養ってくれているならそれなりに感謝はするし、慕いもしよう。けど、それだけだ。私と父という人間は、ちゃんと個人として独立しているのだから、父がなんのために何をしていようが、私という個人には関係ない。関係ないのだ。
なので、私が重要だと感じたのは、一人っ子の私に兄ができるということである。
だって、兄だ。
念願の兄だよ。
来る日も来る日も、お兄ちゃんが欲しいなぁ、お兄ちゃんが欲しいなぁ、と父にねだった甲斐があったってもんだよ。
兄になる人かぁ、どんな人かはわからないけど、優しい人だったらいいな。
休みの日とかは、一緒に遊んでくれたり、どこかデパートに連れて行ってくれたりしてくれて。勉強が分からなかったときは、肩を竦めながら優しく微笑んで教えてくれて。
そして、時々ちょっと意地悪な兄。
…………うん、わかってる。そんな兄は存在しねぇ! という意見は重々承知。
けど、ちょっと妄想するぐらいはいいじゃんか。
もう少し、もう少しだけ。
兄になる人が来るまで、もう少しだけ、幸せな妄想に浸らせて欲しい。
「押し潰せ、グラビティムーン」
ドアをノックした瞬間、急に俺の体が重くなった。
いや、そんな表現では生易しすぎる。
文字通り、体が鉛になったように重みを増し、足が震え、膝を着かざるを得ないほどの圧力が肩に降り注ぐ。
「が、ぐ、これは、重力か!」
俺の足元が、突如発生した超重力に耐え切れずにひび割れ、俺の体からは、骨が軋む音が聞こえてきた。内臓が重力に耐え切れず、いくつか潰れるのを感じる。
このままではいずれ脳も潰されてしまうだろう。
いくら異常な復元能力を持つ<NHシリーズ>でも、脳を潰されれば確実に死ぬ。
「ちぃっ!」
とっさに偽装モードを解除。人造人間としての全力をもって、超重力に逆らい、部屋の外側へと飛びのく。
「陽平さん!」
灯が悲鳴のような声を上げて近づいてくるが、俺は片手でそれを制した。
潰れた内臓に意識を集中し、復元。血が巡り、無くなったモノが形を取り戻していく。
そして、前方から発せられる殺気の源へと、目を向ける。
「グラビティムーンによく耐えたよね、兄貴」
か細い声とは裏腹に、どこまでも冷たい声。
その声は、俺の記憶にある妹の物と違っていた。
「おいおい、いきなり兄を殺しにかかってくる妹がいるかよ?」
「それはそれは、妹を見捨てて失踪した兄貴に言われるとは思ってもいなかった」
冷笑と共に、皮肉を放つ妹の姿からは、あの健気で可愛らしかった――ってほどでもなかったけど、まぁ、うん、可愛らしいといえば可愛らしかった――妹の面影は無い。
もうすぐ高校に入るというのに、その体躯は小学生のように幼く、華奢。顔も童顔だが、それはよくできた氷細工のように繊細で、触れがたい美貌を携えている。その身を包むのは、純白のレースがついた、まるでお姫様のようなドレスだ。
ただ、その外見と相反するように、瞳は何処までも冷たい刃の光を宿している。
「美月、お前はまだ少女趣味なんだな。否定はしねーけど、そろそろ高校生だろ? それなりの格好をしたらどうだよ?」
「帰ってきて早々、随分兄貴風吹かせるんだね。この一年、顔も出さなかったくせに」
何かを言おうとして、言葉が詰まる。
今更、中途半端な言い訳なんかほざけるわけがねぇ。だけど、真実を語るには、あまりにも俺には覚悟が足りてなかったんだ。
ドアを開ける瞬間まではあんなに勇んでいたくせに、いざ、妹と顔を合わせたらこの体たらくかよ? まったく、自分の情けなさに嫌気がさす。
「ねー、兄貴。今更さ、何しに帰ってきたの?」
「あ、ああ。それはだな――――」
「黙れ」
封殺の言葉と共に、再び巨大な鉄槌に押しつぶされるかのような圧力が降ってきた。
「――がっ!?」
人間を超えるはずの怪力を宿しているはずの俺が、なすすべも無く膝を着き、まるで許しを請うように、美月の前で頭を垂れる。
「訊いといてなんだけど、聞きたくないよ。兄貴の言葉なんて」
頭を下げる俺の目線に合わせるように美月はしゃがみ、無感情に言い放つ。
「逃げたくせに。全部私に押し付けて、逃げたくせに。今更、どんな言葉を吐けるんだよ? 今更、何を言うんだよ? どうにもならないでしょ? どうにもできないでしょ? 一年って長いんだよ? 人が変わるには十分すぎる時間だよ。心が潰れるには十分すぎる時間だよ」
途絶えることなく続く言葉の刃が、俺の体を切り刻んでいった。
正直、俺には超重力より、こっちのほうが身にこたえるぜ。
「兄貴が学校で楽しく現実逃避している間、私が一体どんな思いをしていたと思う? 私がどんな重しに耐えていたと思う? ねぇ、答えてよ。楽しく学生生活を謳歌していた、木島陽平さん?」
「……ッ! 俺は――」
「だから、聞きたくないって」
重みを増す圧力。
その名の通り、月が押しつぶそうとしていると錯覚するほどだ。
体中が鉛の泥に沈められ、そのまま圧殺されるイメージが俺の頭を駆け巡り、やがて、俺はそのイメージの通りに俺は潰されてしまうのだろうと推測する。
「だからさ、このまま潰されておいてよ。兄貴」
トドメとばかりに振り下ろされた右腕。
それと共に増加する圧力。
既に床はその下の大地まで露出するほどに、破壊され、俺の体も節々から血が噴出し、骨にもいくつもヒビが入っている。
俺はただ耐えるだけで、指一本動かせやしない。
――――だが、それでも動かなきゃいけねーだろうが。
「残念っ、だがよ、可愛い妹の頼みでも、そいつは、御免だ、ぜっ!」
俺にのしかかる月を背負うように、俺は超重力に逆らって顔を上げる。
顔には不敵な笑みを貼り付け、いかにも余裕綽々といったように装う。
「俺はテメェじゃねーから、テメェの気持ちなんてわかんねーけどよ。それでもお前の兄貴だからな、それなりに察することもあるぜ?」
軋む体を無理やり稼動させ、ゆっくりと立ち上がっていく。
まずは体を上げ、膝を立て、腰に力を入れ、足を使って重力に逆らう。その度に体のどこかが壊れていくが、問題は無い。
このまま美月を救えないのと比べれば、些事にすぎねぇ!
「……さすが陽平さんです」
俺が完全に立ち上がり、目を丸くする美月を見下ろしていると、灯の賞賛の声が聞こえた。ルールの制限があるとはいえ、俺が最初に示したとおり、灯はずっと俺を見守るだけで、手を出さないでいてくれた。
俺を信頼してくれていた、と考えるのは、少し自惚れだろうか?
まぁ、自惚れはともかく、少なくとも強がりはしねーとな。
だってほら、相棒である灯と妹である美月が見てんだ。せめて、強がって格好つけねーと、男じゃねーだろ?
「いいから、聞きやがれ、美月」
「…………うぅ」
俺に見下ろされているせいか、それともグラビティムーンに逆らっているせいか、美月は先ほどまでとはうって違い、怯えるように目を伏せる。
その瞳には、冷たさよりも、戸惑いが浮かんでいた。
「なぁ、美月。お前の言うとおり、俺はお前にぺらぺらと言い訳を並べる資格なんざありゃしねーよ。けどな、このままじゃ何も解決しねー。何も解決せず、何も進まず、ただ、逃げているだけになっちまう。俺は、それだけは嫌なんだ」
美月は上目遣いに目を上げ、眉間にしわを寄せて、俺を睨みつけた。
戸惑うような視線で、けれども冷たい視線をぶつけてきた。
「だったら、教えてよ。逃げないって言うなら、この『御影』から逃げないっていうなら、教えてよ、兄貴! 一年前、どうして兄貴が家を出て行ったのか! なんで、私たちから逃げたのか、教えてよ!」
俺を攻め立てる悲鳴を合図に、押しつぶされるような圧力が解除された。
その反動で、うっかり体から力が抜け、倒れそうになってしまうが、それでも四肢に力を入れて踏み留まる。
「いいぜ、答えてやる、美月。それはな――」
ふらふらのままだが、ボロボロのままだが、俺はこれから長い話をする。
いや、むしろこの姿なら、あの話をするには相応しいだろう。
かつての相棒にして、情報を操る魔女――安田猫子と出会った、あの時を語るには、ちょうどいだろう。
「あの時の俺は、お前に顔向けできないほどの『悪』だったからだ」
『悪の執行人』として、世界に反抗期をやっていた頃の、いわゆる黒歴史という恥ずかしくも誇らしい過去を語るには、ちょうどいい。