御影家
再開の時であり、再会の時です。
御影時告。
年齢不詳、二十台の青年にも見え、四十台の中年にも見える。個性というものをごっそりと削り取った容姿がゆえに、周囲の風景を薄めるほど存在感が透明だ。
『フィクサー』と呼称される巨大組織の幹部で、この男によって世界の半分が操られていると言っても過言じゃない。
あっさりと言ってしまえば、この男は、俺の親父は、世界を牛耳る悪の組織の幹部というわけだ。
んでもって、
「よく帰って来たな、陽平。さぁ、まずはご飯にしようじゃないか。君の好きな物を、好きそうなグレードで取り揃えてみた。もちろん、私も腕によりをかけて料理を作らせて貰ったよ。なぁに、全然、手間じゃなかったさ。ちょっと、組織の仕事が滞って総帥にマジギレされた程度だ。ふん、この程度、久しぶりの家族団らんに比べれば、羽虫程度にも気に留めんよ」
ものすごく家族思いの人だったりする。
「……つーか、親父よぉ。勘当していた息子が帰ってきたんだから、それなりの態度って物があるんじゃねーのか?」
俺は、目の前でテーブルに次々と料理が運ばれていくのを眺めながら、ため息を吐く。
「ん、ああ、そうだな。おかえり、陽平」
「軽っ!?」
ものすげーフランクに言われたんだが。
「ああ、すまない、陽平。実はお前の生活ぶりを、私の子飼を使って一日ごとに報告させていたから、あまり久しぶりという気がしなくて」
「てめぇから勘当したくせに、どんだけ心配なんだよ、この親父はっ!」
「いや、だって、私の大切な息子だしなぁ」
朗らかに笑う親父を見て、俺は思わず脱力してしまう。
ああ、そうだった。この親父はこういう奴だったぜ。『フィクサー』という巨大な組織の幹部なくせに、まるで普通の、いや、それ以上の親バカみたいに俺に接してきやがるんだ。
思わず、血も繋がっていないこの俺が、中途半端に人間ですらないこの俺が、『親父』と呼びたくなるほどに。
「ましてやその息子が彼女を連れて帰ってきたんだ。喜びはすれど、怒ることなど何も無い」
「…………ふん、彼女じゃねーよ」
「あれっ!? そこだけはっきりと否定ですか!?」
口元にソースを付けながら抗議してくる灯を抑え、俺は親父に尋ねる。
「なぁ、親父。確かによ、あんたの性格なら久しぶりに息子に会いたいから、っていう理由で『師匠』に頼み込んで俺を呼び戻すかもしれねぇ。けど、あんまりにもタイミングが良すぎるんだよ」
「ほう?」
親父は、目を細め、口元に微笑を作った。
その顔は父親としての御影時告ではなく、『フィクサー』の幹部としての御影時告だった。
「どうせ、あんたのことだ。俺が今、陥っている状況ぐらい、とっくに把握済みなんだろ? ……つか、この状況にも『フィクサー』はどうせ関わっているだろうし」
「さて、それはどうだろうな?」
笑う親父からは、何の情報も読み取れない。
これでも俺は対人関係に関するエキスパートであり、それに特化した人造人間だ。その俺が表情からまったく何も情報を読み取ることができない。
ふん、さすがは悪の組織の幹部様だよな。これっくらいはお茶の子さいさいってか?
「隠しても無駄だぜ? ネームレスが出てきたってことはつまり、その背後には、あの忌々しい所長がいるってことだ。んで、その所長がいるってことはつまり、少なからず、この件には『フィクサー』が関わっている」
親父の表情は微動だにしない。
けれど、俺は構わず話を続ける。
「色々俺も、コネを使って所長が使っていた研究所潰したから、どんな企業や組織が研究に関わっていたのかぐらい大体わかるんだぜ? で、恐らく親父は俺がその事実を知ったことも分かっているはずだ。そして、その時に俺が呼び戻されたってことは――――」
「<NSシリーズ>」
親父の言葉に、俺は話を止めた。
「あいつはその研究体のことをそう言ってたよ。なんでも、人類が次のステージに上がるために貴重なサンプルだから、私の力で生け捕りにして欲しいと依頼してきたな」
「で、あんたはその依頼をどうしたんだ?」
親父は俺を一瞥すると、静かに含み笑って肩を揺らす。
「ふふふ、そう睨まずとも、私はしっかりと断ったさ。『フィクサー』が動いたなら、君が気づく前にサンプルを全て回収している」
「は、なめんなよ。そんときは、俺が全力であんたの組織をぶっ潰すしていたところだ」
親父は、怖い怖い、と余裕ぶった口調で俺をからかう。
……ちっ、暖簾に腕押しっていうのはこういうことなんだろうな。こっちがいくらすごんだとしても、親父は飄々とそれを受け流しやがる。ぶっちゃけ、親父は『師匠』の次にこの親父が苦手なんだよなぁ。
「ふん、親父、そろそろ本題に入れよ」
俺の言葉に、今日初めて、親父は動揺のようなものを見せた。
「あ、うん。そのことなんだがな、陽平」
「んだよ? 何をためらってんだよ? 俺を呼んだ理由が一家団欒じゃなくて、別にあるぐらい、もうわかりきってることだし。さっさと用件を言いやがれ。ほら、俺の相棒がせっかく空気になって話が終わるの待ってんだからよ」
「うわーい、陽平さんの心遣いになぜか胸が痛むよー」
あー、はいはい。空気は言いすぎたなー、悪かったなー、と俺は灯の頭を撫でて機嫌を取っておく。
「…………陽平、はじめに言っておく。私は、父親失格だ」
俺が灯の頭を撫でていると、親父は重々しく口を開いた。
「私があいつからの依頼を断ったのは、もちろん、サンプル対象がお前の友人だったのもあるが、何より、あいつの不手際の所為で、大切な娘が危機に陥っているからだ」
自分でも、目が見開き、眼光が鋭くなっていくのが分かる。
頭がバーナーであぶられたかのように熱を帯びていく。
親父は、俺の目の前で深々と頭を下げ、搾り出すような声で俺に言う。
「頼む、陽平。美月の奴を、お前の妹を、助けてやってくれ」
苛立ち交じりの俺の拳は、べきりと音を立ててテーブルを叩き割った。
今更かもしれないが、俺には妹がいる。
もちろん、俺は人造人間なので血は繋がっていないのだが。
妹は、俺とは別に、正真正銘、親父が母親に生ませた子供である。残念ながら母親は、俺がここに買い取られる前に病気で死んだらしく、顔は写真の中でしか見たときは無いが、とても妹に似ていた。って、逆か。
さて、そんな母親似の妹なのだが、よくないことにその病弱さも遺伝してしまったらしく、俺の記憶にある妹の姿は、ほとんどベッドの上だった。
けれど、その性格は誰に似てしまったのか、『病弱な令嬢』というイメージなんか粉々に粉砕するほど、『あれ』なのだ。
親父曰く、妹は、俺の性格がそのまま病弱な少女になっているだけ、とのこと。俺と妹は別にお互いが似ていると思っていないが、まぁ、多少言葉遣いが似ているところがあるかもしれないが、そこまで似ているとは思っていない。まぁ、血は繋がっていないのだし、似ていなくて当然かもしれないが。
だけど、俺は正直に言うと、嬉しかったんだ。
親父に、俺と妹が似ていると言われて、俺はとても嬉しかった。血というつながりが無くても、妹と兄妹だと感じられて、似ていると言われて、俺は嬉しかったんだ。
妹もぶっきらぼうに文句を言いつつそっぽを向いていたが、顔がにやついていたことを思い出すと、まんざらでは無かったのかもしれない。
だから、俺にとって妹は、御影 美月は、かけがえの無い家族であり、大切な兄妹なのだ。
例え、血なんか繋がっていなくても、だ。
それだけは自身を持って言える。
…………だが、そんな大切な妹から、自分の過去から、俺は今まで逃げ出していたんだ。
正直に言おう、気が重い。
「陽平さん、大丈夫ですかー? なんだか、目が死んだ魚みたいになってて、いつの陽平さんらしく無いですよー?」
「は、そりゃな。これから、今まで逃げ出してきた妹と対面するんだ、気も重くなるってもんだぜ。それに」
俺は乱暴に頭を掻くと、深いため息と共に言葉を吐き出した。
「妹が異能力者になっているってんなら、なおさらな」
ライターアースを除く三人の異能力者。
その最後の一人が、御影美月、つまり、俺の妹だったらしい。
本来なら、俺が住んでいる田舎町の中でしか感染しないはずなのだが、偶然、ウイルスが漏れてしまったとき、美月は俺が住んでいる田舎町に居た。そして偶然、ウイルスに感染して、異能力者になってしまった。
『偶然』、こんなことが起きてしまった。
「いや、偶然なんかじゃねーよ」
俺が逃げ出して、妹を放っておいたから心の闇が膨れ上がって、俺を心配した妹が、俺の住んでいる田舎町に来ていたんだ。
全部、俺の責任だ。
「陽平さん。私は貴方が何を思っているのか、さっぱり見当もつきませんけど、うん、そんなに陽平さんは悪くありませんよー」
灯は俺を見上げて、悪魔らしくない、子犬のような人懐っこい笑みを作ってみせる。
その笑顔で、俺の心は大分軽くなった。
「あんがとな」
「さてさて、なんのことですかねー?」
俺は灯の頭に優しく手を置いて、ゆっくりと前を見据えた。
赤い絨毯が敷かれた道の先、一番奥の部屋。
趣向が凝らしてあるそのドアの先には、俺の妹がいる。
今まで逃げてきた過去がある。
そのドアを開けてしまえば、もう後戻りはできない。
『木島』から『御影』に戻らなければいけない。
過去と相対して、前に進まなければいけない。
「でも、逃げちゃだめだよなぁ」
逃げたら、お前に会わす顔もねーよなぁ、猫子。
かつての相棒の顔を思い浮かべ、俺は気力を振り絞る。
「んじゃ、久しぶりに御影家全員集合と行くか」
ゆっくりと、震える手で、俺は、御影陽平は、そのドアをノックした。