とりあえず殴り合おう
話し合いで解決できなければ殴り合いに発展します。
けど、殴りあわなければ解決できないこともあるのです。
「・・・・・・ここらでいいか」
俺が住む田舎町には当然、一目のつかない場所なんかはどこにでも存在する。
例えば、こんな男二人が思う存分、殴り合える程度の広さがある野原などは、割と探せば存在するのだ。
「一応、灯には特別処置として、結界をお前中心にして発動するように変更させたから、ネームレスに見つかる心配はねーぞ」
「ああ、そりゃどうもっす」
そっけなく答える剣。
その顔からは、いつものふざけた雰囲気は無く、なにか張り詰めたものが剣から漂ってきている。
「おいおい、これから正々堂々、喧嘩するってーのに、何、そんなに固くなっているんだよ? そんなんじゃ、俺の拳で一発だぜ?」
「先輩こそ、どうして喧嘩の前なのに、そんなに気楽なんっすかね?」
剣は俺を非難するように視線を浴びせた。
はっ、いやいや、後輩君。喧嘩の前だからこそ、リラックスしていなければいけねーんだぜ?
「くっくっく、剣。いいか? 喧嘩が始まる前に一つだけ教えておいてやるがよ。俺に喧嘩で勝ったって、別に千穂ちゃんがお前の事を見てくれるようになるわけじゃねーんだからな。そこんとこは勘違いするなよ」
「はっ、愚問っすね。何年俺が千穂の隣に居ると思っているんっすか? 俺が先輩と喧嘩するのは、ただ単に」
剣は今まで向けてきたことが無いような、明確な敵意と憎悪の視線を俺に向ける。
「先輩をぶん殴ってやりたいだけっすから」
後輩の答えを聞いて、俺は安心した。
「ああ、よかったぜ、剣。お前が変な理由で俺と喧嘩しようってんじゃなくて」
にぃ、と俺は犬歯を剥き出しにして笑う。
「これなら容赦なく、お前を殴れそうだ」
互いの距離は、一歩踏み出せば殴り合える程度。
空は既に陽が落ち、薄暗いヴェールで包まれている。
俺と剣は静かににらみ合い、そして、何の合図も無く、お互いに一歩踏み出した。
固く、拳を握って。
「んじゃあ、一丁、青春してみるかぁっ!? 後輩君よぉっ!」
「せいぜいほざいていてくださいよ、先輩ぃいいいっ!!」
というわけで、肉体言語を用いた悩み相談が始まった。
相談主はもちろん、剣。
疑問や不満は全て拳に乗せて話してくる。
返答ももちろん、拳。
いやぁ、シンプルでいいじゃねーか、どうも。
とまぁ、そんなわけで、俺と後輩の、殴り合いの喧嘩が始まった。
喧嘩が始まった直後、剣の体がぶれた。
「っとお!?」
俺の拳は空を切り、その直後、腹部に鈍い衝撃が。
「遅いっすよ、先輩」
そこからさらに顎から脳天を貫く衝撃。
視界は揺さぶられ、思わず俺はたたらを踏む。
「くそっ」
俺は悪態を吐きつつ、気合でバックステップをする。
ひゅん、という鋭い風きり音が目の前で生じ、俺の髪も数本持っていかれた。
「ねぇ、先輩。俺は昔っからずっと思ってたんっすよ。ひょっとしたら俺は、人間じゃないかもしれない、ってね」
ゆらり、ゆらり。
目の前に居るはずの剣は、独特の足運びで、俺に焦点を合わせられないようにぶれて動いている。
人間というのはどうしても目に頼ってしまう動物だ。その上、目の焦点があっていない物質に対しての反応は、どうしても遅くなってしまいがちである。
剣はその性質を最大限に利用できる足運びで、俺の目を惑わしていた。
「だってほら、俺って異常じゃないっすか? 一度見たことは忘れないし、一つの公式を理解できたなら、そこから派生する百の発展した公式を導き出すことだってできる。運動だって、一度見た動きなら完全に再現できるし、どんな達人の秘奥だって、一日二日で習得する自信がある。かく言う、この歩法もその一つっす」
たんっ、という地を蹴る音が聞こえたときにはもう、俺の顔面を剣の拳が捉えていた。
「確か『柳三歩』でしたっすかねぇ? いやぁ、俺にこの歩法を教えてくれた師匠には悪いことしちゃったっすよ。だってほら、師匠が二十年ほどかけて編み出したこの歩法を、あっさり数時間で習得しちゃったんですし」
止まらない拳打の嵐。
四方から繰り出されるその攻撃に隙は無く、また、防御しきれる余地も無い。
「師匠の努力を、あっさりと踏みにじっちゃったわけですし!」
今までの拳打とは比べ物にならない、重い一撃が鳩尾に入る。
「かはっ」
肺中の息は吐き出され、体の内側から何かに蹂躙されるような痛みが走った。
「とまぁ、この様に俺は異常なほどの天才なわけっすよ。おまけにこの容姿なもんだから、うざったい虫が寄り付く、寄り付く」
俺が痛みで膝を着くと、それを見下すように、俺の眼前で剣は大きくため息を吐いた。
「そんな中で、唯一、俺が憧れる存在が居たんっすよ。それが、木島陽平。つまり、先輩だったんっすよ」
容赦の無い前蹴りが、俺の顔面を蹴飛ばし、意識を刈り取ろうとする。
俺はそれをとっさに両の手を交差させて防いだ。
「先輩は凄かった。俺と同じく、大勢の人間から好意を寄せられているというのに、俺の周りと先輩の周りはあまりにも空気が違っていたんっす」
剣の足を掴み、そのまま地面へ引きずり下ろそうとするが、あらかじめそれを読んでいたかのように、剣は自ら足の力を抜いた。そして、そのまま俺が引きずり下ろした勢いを乗せて、肘を俺の脳天に落とす。
「つあっ!?」
脳に響く衝撃に、俺は一瞬、体中の力を抜いてしまった。
それを当然、剣が見逃すはずが無い。
「俺の周りに集まる人間は、俺に対して崇拝染みた好意をもって集まってくる。すると当然、出来上がるのは偶像を祭るカルト集団のような空気。けど、先輩の周りはもっと純粋な行為と、友情によって繋がっていた。お互いの利害関係をはっきりとさせ、ギブアンドテイクな関係と、時折それを越す友情。ほんと、人間関係においては理想的っすよね。普段はギブアンドテイクな関係で澱みも歪みも無くし、そこから生まれる友情と仲間意識によって、利害を超えた関係も生み出す。ほんと、理想的っすよ」
蛇の顎のように、剣の右手は俺の首を掴み、そのまま体の重みで締まるように持ち上げていく。
「が、あっ」
「そんな先輩を、俺は妬んでいましたし、羨んでた、そして、なにより尊敬してたんっすよ。いや、今、この瞬間も、俺は先輩に対しての敬意を忘れてないっすよ」
ぎりぎりと、剣の右手は容赦なく俺の首を絞めている。
「周りの人間に心の底から慕われて、周りに人間を幸せにできる先輩なら。『異常』じゃない、普通人間である先輩なら、幼馴染の、千穂の隣を譲ったって悔いは無いんっす。だけどもし、先輩が千穂のことをなんとも思っていなくて、遊び程度に考えているなら」
右手の力が増し、剣の眼差しが鋭く変わった。
「先輩をここで完膚なきまでに踏みにじる必要がある」
他者の努力をあっさりと踏みにじり、才能だけでその上に君臨する絶対者。
才能という絶望を司る人間。
あまりの才覚に、その周りの人間を自らの意思に関係な取り込んでしまう、洗脳染みたカリスマ。
それが俺の後輩、破竜院剣だった。
悲しいほどに努力が出来ず、他の人間との隔絶を感じてしまう、孤高の天才だった。
「かはっ、はっ、はぁ・・・・・・・・・・・・くはっ、くくくく、くははははははははっ!!」
そんな天才に対して、俺は首を絞められながら精一杯笑ってやる。
「何がおかしいんっすか?」
剣は眉をひそめて、俺に尋ねた。
「はっ、なんで俺が笑っているかだって? そんなこともわかんねぇのか、この後輩はよぉっ!」
その問いに対して、俺は獰猛に笑って答える。
「この俺が普通の人間だと!? よりにもよって、この俺がだ! くははははっ、まったく、何を勘違いしてやがるんだが!」
俺はその笑みのまま、ゆっくりと首を回してく。
ゆっくりと、剣の右腕の力を凌駕し、首の筋肉をほぐすように回していく。
「な、にしてんっすか? 先輩? は? え? おかしいでしょ? 人間が、こんなに血管締められながら首を回しているのに、気絶しないなんて!?」
信じられないものを見るような剣の叫び。
「別におかしくねぇよ、後輩」
その叫びに、疑問に、俺は丁寧に答えてやった。
「この俺が、たかが数十秒脳に血液が行かないだけで気絶するような脆弱な生物のはずないだろ。まったく、人間じゃあるまいし(・・・・・・・・・)」
剣の目が驚愕によって見開かれる。
俺はそれに苦笑で答え、堂々と宣言した。
「教えてやるよ、後輩。人間じゃないっていうのは、こういうことだってな」
剣は確かに万能の天才だ。
人間の中では異常なほどの才能を所有し、どんな達人、熟練の殺し屋にだって対応するだろう。
ならばなぜ、ネームレスというエージェントには対応できなかったのか?
その答えは簡単だ。
ネームレスというエージェントは、まっとうな人間ではない。奴は人の形を模した兵器のようなものだ。いくら天才である剣といえど、戦うためだけに作られた兵器と相対すれば、性能で劣ってしまうのだ。
「まぁ、相変わらず中途半端に、だけどなぁ」
首の筋肉だけで右手の拘束に抗い、俺は大きく息を吸った。
そして、スイッチを切り替えるように呟く。
「偽装モードを解除する」
さぁ、後輩。
この俺が中途半端に人間じゃないってことを証明してやろうじゃねーか。
先輩が何かを呟いた瞬間、先輩の雰囲気が、まるでスイッチで切り替えたかのようにがらりと変質した。
先輩を掴んでいる右手が警告する。
本能が、俺に告げる。
『死にたくなければ今すぐ逃げろ』と。
あの黒服のお姉さん――ネームレスの時と同じように!
「くはっ」
犬歯を剥き出しに、先輩は野獣の笑みを浮かべた。
その瞬間、俺の右腕が弾かれる。
まるで重機で無理やり剥がされたかのような、圧倒的な駆動力によって。
「とりあえず、今までの分を返してやるよ」
ドンっ!!
そんな音が聞こえた。
気付くと、俺の視界はくるくると回転していて、何かに跳ね飛ばされたという感覚だけが体に残っている。
「あ、がぁ」
俺が先輩に殴り飛ばされたという事実を理解できたのは、地面に叩きつけられ、無様に先輩を見上げた後だった。
「確かにお前は、異常なほどの才能を持っている。その才能を持っていれば、ほぼ全ての人間はお前の敵じゃないだろう。そう、人間はな」
本能が再び警告。
背筋に走る寒気は体中が恐怖している証明。
俺は本能に従って、とっさにうつ伏せの状態から飛び上がっていた。
そのほんの数瞬後、俺がいた場所を、先輩の手が抉る。
地面を深々と、まるで圧倒的な力を持った化け物が腕を振るったかのように。
これが人間に出来るレベルの事象なのだろうか?
「逃がさねぇよ」
ぐん、と先輩は異常な駆動で俺との間合いを詰め、右腕を弓なりに構える。
しかし、恐れる必要は無い。
俺にはまだ、『柳三歩』という歩法がある。あれは人間の焦点をずらし、攻撃を確実にかわす武術の秘奥。いかに先輩が強力な攻撃を持っていたとしても、当たらなければ無意味っすから。
ということで、
「あえて言うっすよ、先輩。当たらなければ意味などな――――」
「んじゃ、当てるぜ」
自分の肋骨が軋む音が聞こえた。
体は今まで感じたことがないほどの苦痛を与えられ、否が応にくの字曲がる。
「え、おっ・・・・・・な、にが起こったんっすかねぇ、先輩?」
「だから、当てたんだよ、後輩」
先輩の右腕にもたれかかる俺を、俺の首根っこを掴み、左腕だというのにやけに強い力で先輩は地面に叩きつけた。
「かはっ」
息が出来ない。
思考することも、何もできない。
これは、地面に叩きつけられただけじゃなくて、何かに押しつぶされそうになっている?
「さぁて、ここで先輩からのお説教だ」
混乱する頭で状況を確認すると、どうやら、俺は仰向けに倒れていて、その俺の胸を踏み潰すように先輩が足を乗せているようだ。
「まずなぁ、後輩。おまえさぁ、何でこんなときまで建前で語ってんだよ? お前が千穂ちゃんを諦める? はっ、笑わせるのも大概にしろ。お前が唯一、お前で居られる場所を、そんなに簡単に諦めるわけねーだろうが」
反論しようと口を開くが、先輩に肺を踏みしめられている所為で、声が出せない。
「んでもって、お前は何、被害者ぶった面してるんだよ、後輩。違うだろ? お前の才能はお前の物で、その所為でお前が不幸になるのは自業自得だ」
みしみしと、自分の肋骨が軋む音がする。
もがいてももがいても、拘束が解けることは無い。
「なのにお前はなんで諦めてんだよ? 千穂ちゃんを諦めるとかほざく前に、まず、お前が諦めちゃいけないものがあるだろうが。いくら他人が怖くたって、いくら他人が理解できなくたって――――」
そして、自嘲するように先輩は言葉を紡いだ。
「人間諦めてんじゃねーぞ」
その言葉で、俺の闇が溢れた。
「アァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
膨大な闇のイメージ。
それが片っ端から具現化し、先輩を押しつぶそうとする。
いや、この俺が先輩を押しつぶしたいと思っている。
「知った風な口を利くなぁああああああああああああああああああああっ!!」
幾重にもダークカーテンを重ね、まとめ、その奔流で、俺を踏みしめている先輩を吹き飛ばした。
「あんたに何がわかる!? 誰とも競えない! 誰とも共感できない! 他の人間が何を考えているんだかわからない! この孤独が! あんな幸せそうな世界で笑っているあんたにっ、何がわかってるってんだよぉおおおおおおおっ!!」
黒い衝動に突き動かされるままに立ち上がり、強く強く、決して千切れない闇の布をイメージし、この手に具現化する。
「異常になるしかねぇじゃん! 化け物になるしかねぇじゃん! 他人がそういう目で見てきてやがるんだがら、そういう風に隔てなきゃ、黒いカーテンでも引いて、隠れてなきゃ、わけわかんねぇ他人となんか一緒に居られるかよ!!」
決して千切れることの無いダークカーテンで、今度こそ俺は、黒の奔流に飲まれた先輩の首を絡め取った。
「ぐ、う」
うめく声が聞こえるが、関係ない。
関係あるわけが無い。
「特にあんたは眩しかったよ。俺に無いものを全部持っていて、楽しそうで、周りが誰も笑顔でいて。その上、俺を、俺を唯一、天才とか化け物とかじゃなくて、破竜院剣として見てくれた千穂まで奪った! 俺の居場所を奪ったんだ! 憎くないわけねーだろ! 諦めきれるわけねーだろうが!」
ずるり、と幾重にも束ねられたダークカーテンの中から、先輩を引きずり出す。そしてそのまま自分の前まで引き寄せた。
「でも、しょがないだろ! 千穂ちゃんがそう願ってんだから! 幼馴染なんだから! 幸せを願わなくちゃいけないだろ!」
ぶつける。
俺は、眼前にまで引き寄せた先輩に、感情のままに言葉をぶつけていた。
馬鹿みたいに、まるで子供みたいに。
本気の言葉で話していた。
「・・・・・・・・・・・・そこまで想っているなら、どうして逃げた?」
手にかかる力が急に上がる。
その理由は簡単明白。
首に巻きついているダークカーテンを、先輩が異常なほどの力で握り締めていたから。
「なぁ、後輩・・・・・・いや、破竜院剣。そこまで千穂ちゃんを想っているなら、どうして逃げたんだよ? なぁ、なんで逃げたんだよ!?」
怒りに満ちた野獣のように、先輩は犬歯を剥き出しにした顔を俺に向けてくる。
「どうして千穂ちゃんからも逃げた!?」
人間離れした力で、無理やり先輩はダークカーテンの拘束を解く。
そして、逆にダークカーテンを使って俺を引き寄せようと力を込めてきた。
「ぐ・・・・・・」
ダークカーテンを離すのは簡単だった。
けど、この手を離してしまったら、何かに負けてしまう、そう、先輩の言うとおり、何かから逃げるようなきがしたから。
「お前の唯一の居場所だったんだろうが! お前が唯一、お前自身で居られる場所だったんだろうが! なのに、お前はどうして逃げた!?」
異常な力で引きづられるのを必死に耐え、俺は答える。
「怖かったからっすよ! 唯一、俺を理解してくれる千穂の事を、俺が理解できないのが怖かったんっすよ! 千穂が、俺すら及ばないほどの才能を持った化け物だったのが、怖かったんっすよ!」
上田千穂。
それは俺の幼馴染にして、世界に名だたる絶対的な絵画の天才の名前だ。
千穂の才能が開花し始めたのは、小学校を卒業した頃。並みの画家よりも才能がある俺は、いち早くその片鱗を感じ取り、そして恐怖した。
天才という言葉すら生ぬるく、この俺ですら圧倒する鬼才。
たった一枚で、人の存在を根底から変えてしまえるほどの感動を与えられる、そんな異端者。
それが俺の幼馴染、上田千穂の正体だった。
彼女の才能を目の辺りにしてしまったら、挫折どころではない。圧倒的な理不尽によって潰される。絶対にたどり着けない境地を見せられてしまっては、どんな天才だろうと、そう、この俺だろうと二度と筆など持てない。
だから、俺には理解できなかった。
圧倒的才能で他者を踏み潰してもなお、明美や先輩のように、他者と心を通わせ、笑い合える千穂が怖くなった。
だから俺は逃げ出した。
千穂の才能が完全に開花する前に、こっそりと距離をとって、その異常に押しつぶされたにように生きることを選んだ。
「なのに、なのにあんたは一体なんなんだよ、先輩!? 俺はあんたも怖かった! 中学の頃から眩しくて、千穂ちゃんと同じくらい理解できなかった」
ダークカーテンを俺の腕に巻きつけ、握力だけでなく、体中の力で対抗できるして、俺は叫ぶ。
「なぁ、なんでだよ!? なんで、あんたはあんな異常才能者の隣で、普通に絵を描くことが出来たんだ!? どうして、あんたは潰れなかった!? どうしてあんたは千穂の隣に居続けることができたんだ!?」
慟哭だった。
過去の罪を、嘆きを、挫折を、声にして、問いにして、俺は先輩に投げつけた。
「はんっ、そんなこともわかんねぇのかよ、後輩!」
圧倒的な力によって、俺の体は引きずられて、先輩との距離は後、一歩までに縮む。
皮肉なことにそれは、俺と先輩が最初に殴りかかった距離だった。
「確かに千穂ちゃんはすげぇ。圧倒的過ぎて、俺があの境地にたどり着けないことぐらい、嫌でも理解させられた。でも、それがどうしたんだよ?」
犬歯を剥き出しに、先輩は不敵に笑う。
「千穂ちゃんが鬼才で、異常才能者で、異端者だったからといって、この俺が絶対にたどり着けない境地に居るから、それがなんだよ!?」
重機で思い切り引き寄せられるように、俺の体は宙に浮いて、そして、気付くと先輩の右腕で胸倉を捕まれていた。
「この俺が絵を描くのは好きだからだ! 絵を描くのが、なによりも、俺が気に入ってるから描いているんだ! この世界に、俺の隣に、どんな天才が居ようが、それが変わることはねぇんだよ!」
だから、と先輩は言葉を続けて、
「千穂ちゃんが好きなら、いい加減隠れてないで向き合えよ!」
言葉を拳に乗せて、思いっきり顔面を殴ってきた。
俺の体はかつて味わったことが無いような浮遊感に包まれ、そして、体中をすさまじい衝撃が襲った。
地面に叩きつけられた衝撃で、体中が痛い。
特に、殴られた右頬なんかは痛すぎて感覚が麻痺してきている。
けれど、それよりも――――俺には先輩の言葉が一番痛かった。
黒いカーテンに包まって隠れていた俺を、カーテンごと吹き飛ばすような、そんな一言だった。
不思議と、その痛みはどこか清々しかった。
「・・・・・・ったく、のんきに伸びやがって」
俺はやけに満足した表情で気絶している剣を見下ろし、ため息を吐く。
「まぁ、とりあえずこれで少しはお前の闇が晴れるといいな、後輩」
大体、この後輩は格好つけすぎなのだ。
悩んでいることや怖がっていることを必死に隠して、なんでもないように振舞って、自分を異常だと決め付けて、幼馴染に格好悪いところを見せないように取り繕っている。
・・・・・・いや、それは俺も同じかもな。
つーか、男は皆、取り繕いながら必死に格好付ける生き物みたいだしなぁ。
俺が自嘲気味に苦笑していると、電子音がポケットから聞こえる。確か、この音は灯からの着信だったはず。
俺は素早く携帯を取り、電話を受けた。
「おう、どうした? こっちは後輩の人生相談を終えたところで――――」
『今すぐ家に帰ってきてください!』
切迫した声だった。
あの灯がこんなにも焦っている声を、俺は始めて聞いたような気がする。
『ライターアースによって、私の結界が干渉を受けました! 何の目的かはわかりませんが、異常事態には違いありません! 早く私と合流してくだ―――』
灯の言葉は途中で途切れ、砂嵐のようなノイズしか携帯から流れない。
「くそっ!」
俺は苛立ちながら電話を切った。
一体、何が起こってやがる?
なんで今、ライターアースが干渉してくる? そもそも、俺らの存在をもう補足したのか? 明美の事件は悪魔の能力で情報処理したはずなのだが・・・・・・いや、もしかしたらライターアースはそれすらも凌駕するのかもしれない。
何にせよ、この場を離れるのが先決だ。
「目標補足。これより、警戒最大レベルで捕獲します。対象の状態は損傷60%までを上限と設定しました」
聞き覚えのある懐かしい無機質な声。
その声の主が、黒服を纏った灰色髪の女が、目の前の草原を歩いてくる。
俺はその様子を内心、泣き出したくなるほどの苛立ちに襲われながら、眺めていた。
おいおいおい、どうしてこんなタイミングで出てきやがるんだよ!
「障害を確認。識別コード、レッド。第一級警戒対象と判断します」
灰色髪の女――――ネームレスが両手にそれぞれ十徳ナイフのような形状の、それよりも性質が悪い特注のナイフを携えて俺を見つめてくる。
「・・・・・・はぁ、お前は本当に最悪のタイミングに現れやがって」
俺は苛立ち混じりにがしがしと頭を掻き、心を無理やり奮い立たせて笑みを浮かべた。
「とりあえず、久しぶりだな、ネームレス。いや、<NH>シリーズNo.145 タイプ【アサシン】」
ネームレスは相変わらずの無愛想な声で言葉を返す。
「一年と二ヶ月ぶりです、御影 陽平。いえ、ブラックリスト上位者『悪の執行人』にして<NH>シリーズ No.547 タイプ【エンペラー】」
俺たちは『兵器』同士、再会の言葉を交わした。