つかの間の現実逃避
現実逃避もたまにはいいものです。
また、前を向けるのなら。
「やぁやぁ、お久しぶりですね、いや、お久しぶりというほど間は開いてないけど、陽平先輩の憎たらしい顔を見ずに数日間はちーちゃんと二人で、実に幸せな日常を過ごせましたよ。というか、何、後輩の教室に来てるんですか? わかりませんかね? 陽平先輩みたいな人がか弱い後輩たちが居る教室に入ってくると、皆、萎縮してしまっているのが。あ、すみません、わかりませんよね。なにせ、陽平先輩はそんなこともわからない無知無能の塊だったのですから。そんなこともわからない私が馬鹿でした。いや、絶対陽平の方が馬鹿だけど」
なんつーか、桐生明美が完全復活した。
数日、灯の忠告を聞いて学校を休んでいた俺は、一応、心配していたであろう友達に挨拶をして回っているのだが、どうやら、この後輩をそのリストに入れたのは間違いだったらしい。
心の闇が完治した明美は、俺の顔を見るなり、いきいきとした口調で心を折りに来たからな。
「お前なぁ・・・・・・後輩のために色々と体を張った先輩に対して、何か他に言うことは無いのかよ?」
「陽平先輩の体って、なんか再生してましたよね、超キモイ」
「人の秘密をあっさりと口にして、しかもキモイとか言うなよ! お前、どんだけ容赦なく俺の心を折りに来てるんだよ!? そんなに、俺に言い負かされたのが悔しかったのか?」
「ええ、無理やり押し倒されて陵辱されるってあんな感じなんだろうな、って思いましたよ」
「どんだけ屈辱だったんだよ」
恨めしそうに俺を睨みつける明美。
その瞳には、後輩のために軽く死に掛けた先輩に対して、敬意の欠片も感じられない。
あれ? おっかしーぜ?
確か俺、こいつのためにわり命がけの説得をしたような気がするんだが、それでなんでここまで言われなきゃいけないんだろう?
というか、言われてたまるか。
「つーかよぉ、明美。俺の心を折るより先に、まず、何か言わなきゃいけないことがあるんじゃねーのか? ああん?」
「破れた制服だったら、灯先輩が直して、ちーちゃんと二等分していたけど?」
「そっちじゃねぇ! いや、その内容も気になるけどよ!」
「ちーちゃんが上着で、灯先輩がスボンを持っていった。使用用途は聞かないほうが幸せになれる、とこの私が気を遣うぐらいな感じ」
「普通に返せよ、あの二人! それと、服に着る以外の使用用途を導き出すな!」
ぜーはー、と思わず俺は息を荒くした。
ちくしょう、俺のツッコミ属性をうまく利用して攻撃をかわしやがって、明美の奴。
そんなに俺に礼を言うのが嫌かよ。
まぁ、嫌だろうけど。
「陽平先輩」
「あぁ?」
「そろそろ昼休みが終わるから帰れ」
にっこりと、それはもう勝ち誇った笑みで明美は俺に言った。
ぶちりと、俺の理性が切れる音が聞こえる。
「言われなくても帰るわ!」
帰り間際に、腹いせに強烈なデコピンをお見舞いしようとしたが、それより先に明美は座っていた椅子を傾けるという回避運動によって無効にされた。
にやり、とさらに笑みを深める明美の姿に、俺は思わず、このまま明美を教室の窓から投げ捨てたいという願望を実行しそうになってしまった。
具体的には、椅子の足を掴んだところで正気に戻ったぜ。
俺は深く呼吸を繰り返し、なんとか気分を落ち着かせる。
「明美、これ以上、お前と会話していると人としてやっちゃいけない行動に移りそうだから、教室に戻るわ。昼休みも終わるし」
「そうだね、さっさと帰れよ、陽平」
「先輩はつけろよ、後輩」
つくづく可愛くない後輩め。
でも、元気にはなっていたようだから、これはこれで良しするか。
俺がそう心境を無理やり納得させ、教室から立ち去ろうとすると、明美は遠慮がちに俺の制服を掴んだ。
「・・・・・・陽平」
「先輩をつけろ」
「陽平先輩」
「なんだ?」
振り返ると、さっきまでの勝ち誇った顔はどこへやら。明美は顔を真っ赤に染めて、視線をさ迷わせている。
「あ、あの、その」
「あ?」
明美は俯いて、恥ずかしそうに、消えてしまいそうな声で言った。
「ありがとう」
あー、悪い、前言撤回だわ。
どうやらこの後輩は、なかなか可愛いところもあるらしい。
長すぎる前髪を、あの時の髪留めで律儀に留めている明美を眺めながら、そんなことを俺は思った。
走る。
走る走る。
なんの変哲もないはずの田舎道を、俺は全力で走って――――いや、逃げている。
「はぁっ、はぁはぁっ、はぁっ! やべー、やべー」
思わず笑い出してしまいそうな焦燥感を堪えながら、俺は逃走中って感じです。。
いやー、あれですな。
なんかこうやって、自分の息切れの音を聞いていると、まるで俺が変態に見えるというかー、なんていうかー、こんな思考で現実逃避しなきゃいけないくらいやべー。
「っと、あっぶねぇ!」
自分の直感を信じて、転がるように左へ折れは避けた。
その後、ちょうど、俺がいたはずの地面をちゅんっ、と音を立てて何かが抉っていく。
「こえー、こえー。やー、マジこえぇっすわー。ありえなくね? 現実で、拳銃持った黒服に追われているとか、マジ、ありえねぇんっすけど!? そー思いませんか? 黒服さーん?」
当然のことながら答えが帰ってこない。
代わりに銃弾を立て続けに三発ほど打ち込まれました、てへ。
「ってぇええええええええっ!? づぁっ、は、初めて知った! 銃弾がかすると、痛いよりも、すげぇ熱いっ!」
腕とかわき腹から、そりゃあもう、だっくだっくと血が出てきている。
本当にやばい。
というかですね、何で全力疾走している相手に、こんな精度で射撃ができるだよ?
普通、運がよければ当たるって程度だって、なんかの本で読んだのに。
ああー、つまり、あれですか。
俺はただ今、それが可能なレベルの相手に追われているっつーことっすか。
「ダメっすわ、こりゃーちょっと、死ぬっすわ」
自分の口から自然と弱音が出てしまう。
幸い、足は無事なんで、なんとか走れているけど、もうダメだ。心が半分くらい、折れ曲がっていますもん。
だってさー、今、運良く逃げ切ったとしても、行ける場所がないし。
俺の知り合いの中に、こんなやばい連中から助けてくれそうな人なんて――
「ターゲットを補足。これから捕獲する」
思考を遮るように、無機質な声が響く。
あっれー? いつも間に回りこんでいたんですか、黒服さん。
「降伏を推奨する。抵抗が確認された場合、制圧許可を得ている」
無機質ながらも、美しい声。
その声の持ち主は、灰色のショートヘアーをなびかせ、人形染みた無機質な美貌を持つ黒服の女性だった。
年は大体、十代後半、成人しているかどうか微妙な感じだ。
今の状況で唯一救いがあるとすれば、追っているハンターが、こんな美人ってことぐらいっすかねー。
いや、筋肉ムキムキのおっさんよりも、綺麗なお姉さんに追われている方が気分がいいじゃないっすか。
「あー、お姉さん。ここで素直に降伏したら、お姉さんとデートできるんっすかねー?」
「それは私の任務に含まれていない」
俺の軽口はきっぱりと切り捨てられた。
うん、何度か会話を試みた見たけど、どうやらこのお姉さん、まるでロボットみたいに受け答えに遊びがないというか、余裕が無い感じがする。
こういう人が相手で、しかも自分よりも各上の相手な場合、ほとんど逃げ切れる気がしませんっすわ、本当。
ああ、もういっそのこと、捕まってしまおうか?
そんな諦め半分な思考に陥りかけたとき、ふと、お姉さんの髪が目に留まった。
灰色の髪が、やけに引っかかった。
「あ、居た」
俺は思い出す。
こんな絶望的な状況でも、まるでヒーローみたいに俺を救ってくれそうな、お人よしで最強で、すげぇ頼りになる先輩を。
先輩の不敵な笑みを思い浮かべると、案外、こんな状況でもなんとかなるような気がするっすよ。
「執行猶予期間終了。これより、ターゲットの捕獲に入る」
かちゃりと、銃口が俺に向けられた。
さっきまでの俺だったら、ここでもう諦めていただろうけど、さすがに、ここで諦めたらあの先輩に笑われるような気がするので、つーか、好きな女の子にも告白してないのにさ、諦められるはずが無いっすよ、良く考えたら。
「要するに、肝心なのは覚悟なんっすよねぇ」
「・・・・・・何の話をしている?」
俺の言葉に、何らかの不確定要素でも見出したのか、お姉さんの動きが止まり、初めて俺に疑問を投げかけてくる。
その疑問には答えず、俺は大きく深呼吸をした。
目を背けるな。
心の奥にある、闇を見つめろ。
逃げるな。
それを受け入れて――――認めろ。
自分を定義する、もう一つの名前を呼べ。
「覆い隠せ、ダークカーテン」
俺の声に反応して、俺のイメージが現実を侵食し始める。
そして、銃口と俺を隔てるように、漆黒のカーテンが出現した。
ライターアース。
それは、世界最悪の異能力者。
それは、世界破壊者。
そして――――アカシックレコードへのアクセス権を持つ者。
「ぶっちゃけ、チートですよねー」
あの時、俺が病院から帰ってきたときに、灯は乾いた笑いを漏らしながら、俺に説明を続けた。
アカシックレコード。
灯曰く、それはこの惑星が観測した過去、観測している現在、観測するはずの未来、その全ての事象を記憶した一冊の本らしい。
一冊の本、というのはあくまでもイメージ的なもので、本当にそんな本が存在しているというわけではなく、というか、アカシックレコード自体、俺が存在する次元とは異なるところに保存されているので、俺が知っている言語、概念では理解しきれないようだ。
そのアカシックレコードへ、ライターアースは干渉することが可能というわけだ。
最悪なことにな。
まぁ、アクセス出来るといっても過去や未来といった人智の及ばない領域を閲覧したり、改ざんすることは不可能らしい。
ライターアースが干渉できるのはただ一つ、この『現代』のみだ。
しかし、それでも充分にその能力は脅威、いや、反則過ぎる。
灯が言うには、アカシックレコードにアクセスできるからと言って、何でも思うがまま改変することは当然不可能だけれど、『万物創造能力』、『空間支配』、『全魔術使用許可』ぐらいは出来るとか。
さて、落ち着いてライターアースが使用できる能力について考えてみようか。
・『万物創造能力』
この世界に存在する全ての物質を再現、創造することが可能。本来なら、こんな能力を所有したところで、燃費が悪すぎて使用できないのだが、ライターアースの絶大なる心の闇が莫大なエネルギーを生み出すので、使用可能。ある程度、使用限界はあるとはいえ、うまく使えば町一つなんて軽く吹き飛ばせる。頑張れば一国とかが吹き飛ぶみたいだ。
・ 『空間支配』
文字通り、空間を支配できる。空間の座標を操って、空を歩く事も可能だし、テレポート、サイコキネシスなどといった異能力の行使が可能。本来なら、燃費が悪すぎて使用不可能な能力なのだが、ライターアースの絶大な心の闇が莫大なエネルギーを生み出して――以下略。
・『全魔術使用許可』
信じられないことだが、この現代にも魔術というものが残っているらしい。というか、異能力者が感染するというウイルスには魔術やオカルトというブラックボックスを使用しているというので、よく考えれば当然かもしれないが。
ライターアースはその魔術を、現存する魔術を全て、使用することが可能なのだ。過去に失われた魔術は、現代しか干渉できないライターアースではさすがに使用できないのだが、現代にまで残っている魔術というのが、これはまた厄介なものらしく、コンピューターなどといった現代の機械技術も取り入れてより効率的に行使できるようになっているとのこと。
全ての魔術を行使できる知識があるからといって、全ての魔術を行使することができることは別なのだが、そこはライターアースの――以下略。
えー、以上、ライターアースが使用できると思われる能力の一覧でした。
んじゃ、説明も終わったところだし、そのライターアースと相対しなきゃいけねぇ俺から一言。
「無理だぁああああああああああああああああっ!!」
下校中、俺は澄み渡った青い空に向かって、吠えた。
「あーもう、無理だし、意味わかんねぇし、チート過ぎだし、全然、笑えねぇし! ふざけんなよ、何がゲームだこんちくしょう! ゲームバランスおかしいだろうが、おい。明らかに勝つことは無理、っつーか、なんだこの『中学生が授業中に考えた最強キャラクター』みたいな能力はよぉおおおおっ! せめてこっちにも何か能力をよこせっ、自前の性能だけじゃきついんだよ! 爪楊枝で山を崩すような気持ちなんだよっ!」
「落ち着いてください、陽平さん。空に向かって吠えても現状は変わりませんよー」
ぜぇぜぇ、と息を切らしながらも、とりあえず俺はここ数日でたまった鬱憤を全部吐き出した。
灯が感じたレーダーの不調。
その原因はライターアースの空間支配と魔術使用によるものだった。
どういう理由かわからないが、ライターアースは灯同様に、もしくはそれ以上に前回からの記憶を引き継いでいる。
そうでなければ、ライターアースとはいえ、いきなりあんな能力を行使することは不可能だと灯は言った。
ライターアースの能力によって妨害されていたとしても、灯はあくまでも悪魔だ。
妨害されたということは『能力』を使用したということ。
灯はライターアースの正体や、居場所を発見できないまでも、その能力の詳細を前回の記憶から閲覧できるように設定し、ライターアースにいつでもハッキングをかけ、その情報を取得できるようにしているのだとか。
しかし、そこまでして得た情報がもたらしたのは、深い闇を携えた絶望だった。
反則的なまで異能。
格の違い。
何気ない日常の中でも、足元から世界が崩れていくんじゃないかという不安。
そんな感情が俺の心の中で渦巻いて、まともに動くことすら出来なかった。
数日間学校を休んだのは、傷の療養という部分もあったが、それよりも精神的なものの方が大部分を占めていた。
俺なんかじゃ世界は救えない。
そんな当たり前なことを、現実的なことを、嫌というほどに思い知らされた。
そう、思い知らされた、だけどよぉ、
「だが、これで決意することが出来たぜ」
んなことは最初からわかっていたことだ。
世界を救うだなんて口では言っていたが、正直、それだけだったんだ。
本当に、自分が世界を救えるだなんて思えるわけがねぇ。
俺はそんな重みに耐えられるほど強くない。
虚勢を張っていただけだ。
だから、ライターアースの能力を知った途端、簡単に絶望に押しつぶされる。
もう無理だって、思った。
最初の一日は、布団の中に包まって、がたがた震えながら過ごした。
けど、俺は気付いたんだ。
「そのライターアースっていう中二病キャラと、意地でも笑い合ってやるってな」
俺がやるべき戦い方に。
「大体、全部が全部異能力者と戦う結末になるとは限らないしな。明美の時だって、ボロボロにされたけど、結局は話し合いで何とかなった。だから、後二人の異能力者も、ライターアースとも、誠心誠意真正面からぶつかって話し合う。これが、俺ができる唯一の戦い方だ」
灯の目を見つめて、俺は宣言する。
そして、悪魔の冷たい視線を跳ね返すように、俺は決意した。
「文句は言わせねぇぞ? 悪魔」
「・・・・・・・・・・・・本当に」
灯はその可愛らしい容姿に似合わない、苦々しい笑み浮かべた後、ふっ、と柔らかく微笑む。
「本当に、陽平さんは陽平さんですね」
何を当たり前のことを言っているんだか。
けどなんか、その微笑みを見ていると、なんとかなりそうって思えるから不思議だ。
例えそれが、世界を救うだなんて荒唐無稽なことでも。
「ったりめーだろうが」
だから、とりあえず俺は灯に合わせて、笑っておくことにした。
いつだって現実は急にやってくる。
時に、絶望を携えて。
時に、希望を背負って。
だから俺たちはいつでも覚悟をしなければいけないんだ。
現実を、受け止める覚悟を。
「あ・・・・・・先輩、すんません。悪いっすけど、ちょっと、助けてください」
家に帰ると、血まみれの後輩――――破竜院剣が、玄関のドアにもたれ掛かるように座り込んでいた。