仮想殺人
千穂ちゃんの話をざっくり纏めるとこうだった。
昨日、千穂ちゃんは風邪をひいた明美の見舞いに行ったらしいのだが、既に明美は完治していた。しかし、このまま帰るのもつまらないということで二人仲良くショッピングに行ったらしい。
しかし、そこで異変が起きた。
「実は私、ずっと前から三十台ぐらいの男の人にストーカーされていたんですけど、まぁ、大体いつものことかなぁって放って置いていたのがあーちゃんにばれてしまったのです」
千穂ちゃんは破竜院剣という、ある種学校のアイドルみたいな奴の幼馴染なせいで、割とストーカー被害や、妬みや恨みなんていうものと身近にあったりする。
前にそれがひどくなった時期があり、俺と当人である剣が協力して大分沈静化させていたのだが、今回はあの女子グループのリーダーがそういう仕事を生業とする奴を雇っていたらしい。
嫌な話だが、都心にはそういう人間の『負』の面を請け負う人間がたくさんいる。そして、その男もその中の一人だったのだろう。
「凄く説教されて、物凄く怒られてしまったのです」
「当たり前だ、つーか、俺も怒るぜ、それ」
俺はにっこりと微笑みながら千穂ちゃんの頭を掴む。
「前にも言っただろうが、そういうことはどんなに些細な事でも、俺や周りに相談して解決しろってよぉ、ああん?」
ぎりぎりと万力のように指に力を込めた。
千穂ちゃんが「いたたたたっ、でもこの痛みがいいのですよっ!」とかほざいているが無視。
「迷惑かかるとかそんなことを考えてるんじゃねーよ。俺たちは友達で、明美とお前は親友だろ? なら、遠慮された側は逆に傷つくぜ。そんなに俺たちはあてにならないのか? ってな」
「うっ、それは・・・・・・」
「だからな、千穂ちゃん。本当に本当に、もう自分ひとりで問題を抱えようとするのはやめてくれよな」
千穂ちゃんは俺の言葉に頷き、苦笑する。
「あははっ、そういえばこんな感じにあーちゃんにも怒られたのですよ」
「ほほう、こんなところでシンクロするとは、意外に明美さんと陽平さんって気が合うのですねー」
灯がぞっとするようなことをほざくが、とりあえずは流しておこう。
今はそれより大事な事がある。
「千穂ちゃん。それで、怒った明美は一体どうしたんだ?」
「・・・・・・大体、陽平先輩が予想している通りだと思うのです」
「その男をぶちのめしに行った、か」
あんな外見からは想像できないと思うが、明美はアレでかなり沸点が低い。
自分の親友が見知らぬ男にストーカーされているとなれば、なおさらだ。
「どうせ明美のことだ、ろくに男の特徴も聞かないで走り出したんだろ?」
「はい、あれであーちゃんはかなり健脚で、あっという間に見失ってしまったのですよ。携帯で連絡しても気付いてもらえないし。仕方ないから、あーちゃんと別れた所、都心のデパート前で待ってたんですけど・・・・・・そこに、ストーカー男が現れたんです」
千穂ちゃんは目を伏せながら語り始める。
「恐らく、そのストーカー男は直接的には襲わないで、ただ追い回すだけでプレッシャーを与えるタイプだったのですよ。だからまぁ、私もそう言うのに慣れていた部分があったので、ささっと巻いてやろうと思ったのですが、そこを、戻ってきたあーちゃんに見つかりました」
「それで、ストーカー男にとび蹴りを一発か?」
「いえ、とび蹴りからの回し蹴りのコンボでした」
ああ、あれは俺でもきついからな。当然、ストーカー男とやらはダウンしただろう。
「当然、蹴られたストーカー男は、あーちゃんに対して『何をするんだ!』って感じで怒ったんですけど、そんな怒りとは比較にならないぐらい、あーちゃんがマジキレしていたのですよ」
目を伏せて、自分の無力さを悔いるように千穂ちゃんは明美がやったことを淡々と話していった。
「あーちゃんは、ストーカー男を殴り続けたのです。何も言わずに、ひたすらずっと、自分の拳から血が流れてもまるで気にせずに。ストーカー男はあーちゃんの暴力というより、その怒りに当てられていて、動けなくて、このままじゃ、あーちゃんが人を殺しちゃうと思ったのです」
千穂ちゃんがそう思ったのを、俺は大げさだとは思わない。
明美なら、自分の親友を傷つける者を絶対に許さないだろう。
「さすがに私も止めに入ったのですけど、あーちゃんは怒りで周りが見えてなかったみたいで、軽く、なんですけど、私の腕をぱぁんって、払っちゃったんです」
――――例えそれが、自分自身だとしても。
「それだけなのに、あーちゃんは一瞬で素に戻って、そして、まるで世界の終わりみたいな顔をして髪を掻き毟って、叫んで、そうしたら私に抱きついてきて、ずっと『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい』って言い続けて、まるで、自分が凄く許されないことをしたみたいに謝り続けていたのです。でも私は――」
「明らかに過剰な反応だな。だからな、千穂ちゃん。千穂ちゃんが明美の行動に驚いて、しばらく何も言えなかったのは仕方ないと思うぞ」
千穂ちゃんは悲しむように、嬉しいがるように顔をくしゃくしゃと歪めた。
「ずるいですよ、陽平先輩」
「ずるくねぇ、いいから続きを話せ」
ぶっきらぼうにそう言うと、なぜか隣に居た灯がくすくすと笑う。
何がおかしいんだ、この野郎。
「それで、ですね。私が呆然としている間にストーカー男が逃げ出して、それに気付いたあーちゃんが追いかけて、私もそれを追いかけて、でも見失って、それでも頑張って聞き込みとかしながらあーちゃんの後を追ったのですけど、追いついたときにはもう夜で、そこには」
息を飲んで、震える声を抑えながら千穂ちゃんは俺に言う。
「地面に倒れ付すストーカー男と、泣きながら笑っているあーちゃんが居ました。あーちゃんは私の方を向くと、凄く、凄く凄くっ、悲しそうな、泣いちゃいそうな顔をして、走って逃げちゃいました。後を追おうと思ったのですけど、あーちゃんがストーカー男を殺してないか確かめるのが先だと思って、ストーカー男を診たんでけど、幸いなことに、あーちゃんが殴った痕だけで外傷は無かったんです。脈も正常で、どこにも目立った傷は無かったんです」
恐怖を孕んだ声で、千穂ちゃんはその事実を語る。
「それなのに、全然、ぴくりともそいつは動かないんです。頭をぶつけて気絶したなら分かるんですけど、その痕すら見当たりませんでした。私も、それなりに昔から色んな荒事に巻き込まれたから分かるんですけど、ありえないのですよ。『まるで人間の中身だけを壊して動かなくしたみたい』に、ストーカー男は動かなくなっていたのです」
千穂ちゃんの話を聞き、俺は灯に目配せをした。
灯はなにやら考えているようだったが、苦々しい笑みを浮かべて頷く。
つまり、ビンゴということか。
「それから救急車を匿名で呼んで、その後から携帯でメールを送ったり、電話をかけてもまるで返事が無くて。私、私は・・・・・・」
「もういい。お前はよく頑張ったよ、千穂ちゃん」
震える千穂ちゃんの頭に、優しく俺は掌を乗せた。
「泣き出したいほど辛いのに、お前はよく今まで繕っていたな、尊敬するぜ。だからほら、今だけはちょっとだけ胸を貸しといてやるよ」
優しく頭を撫でると、千穂ちゃんは瞳を潤ませて、嗚咽を飲み込む。
「すみません、陽平先輩。少し、少しだけなのですよ」
千穂ちゃんは俺の胸に額を当て、しばらくの間、静かに震えていた。
その間、俺はずっと灰色の空を眺めていたから、千穂ちゃんが泣いていたのかどうかは分からない。
けれど、泣いていようが、泣いていまいが、関係ねぇ。
「大丈夫だ、千穂ちゃん」
可愛い後輩が親友を心配して、俺を頼ってくれたんだ。
オマケにその親友も俺の友達なわけで、つまり、
「後は、頼りになる先輩に任せとけ」
助けないわけがないだろうが。
世界の危機なんかがかかっていなくても、化け物じみた異能力が明美に感染していたとしても、俺は絶対に後輩たちを助ける。
胸から伝わる体温を感じながら、俺は静かに決意した。
視界が広い。
ただそれだけのことなのに、世界がまるで違うように見えた。
放課後の教室は、私を含めて数人の男女が適当にだべっているだけという、なんということの無い光景なのだが、私はその光景になんとなく安心感を覚えていた。
あの時、まるで世界が変わってしまうような感覚に襲われてから、ずっとずっと一人だけ違う世界に放り出されたような気がしていたから、目の前に広がる、『あいかわらずの当たり前』に私は安心したんだろう。
「むう」
私はほぼ無意識に、陽平先輩から無理やり押し付けられた髪留めに触れる。
悔しいけれど、今、私がこうして落ち着いていられるのは陽平先輩と話したおかげだ。
あのバカな先輩とバカみたいに口喧嘩をしたおかげで、ほんの少しだが、胸の中でわだかまっていた何かを吐き出せたような気がする。
もっとも、いくら私がちょっと異常な状態にあったからといって、陽平先輩に言い負かされるという屈辱を味わったことは事実なので、この借りは必ず倍にして返すとしよう。
「ふふっ」
一体、どんな仕返しをしてやろうか?
陽平先輩が慌てふためく顔を思い浮かべると、自然と笑みが浮かんでいた。
「って、これは別にそういう感じのフラグじゃなくて、ただ純粋にあのバカ先輩を苛めるのが楽しみなだけっ」
危ない危ない、陽平先輩は無自覚にフラグを立てる天才だからな、ちゃんと気をつけないと。
親友との三角関係になるなんて御免だ。
というか、むしろ私がちーちゃんとフラグを立てたいってーの。
・・・・・・その前に、色々と仲直りしなきゃだな。
昨日は何かなんだがよく分からない状態がずっと続いたせいで、ちーちゃんからのメールも返してないし、電話も全部保留にしてしまっていた。正直、嫌われていないか心配だけど、ちーちゃんなら私を嫌うより心配してくれると思う。
ずきりと胸が痛む。
ちーちゃんを傷つけて、挙句に心配までさせている私が、一体どんな顔で会えばいいんだろう?
『いつもの陰気な面で会えばいいんじゃねーの?』
ふと、脳裏に陽平先輩が無責任にそう言う姿が思い浮かんだ。
うっわ、絶対、陽平先輩なら私に向かってそう言うなぁ、と思わず苦笑する。
「そっか」
でもきっとそうだろう。
どんな顔も何も、こんな顔しか私は持っていないんだから、そのままの自分で行くしかないのだ。
もし、それでダメだったら、陽平先輩に責任を持って何とかしてもらおう。
というか、あの先輩なら、私が一生懸命に悩んでいることを一笑に付して、あっさりと解決してくれるような気すらする。
え? 超能力使えんの、お前? やったじゃん、すげーじゃん、動画撮ってネットに流そうぜ、とかデリカシーの欠片も無く言いそうだ。
「まったく」
本当にしょうがない先輩だ。
妄想の段階で、ここまで真実味を帯びさせるイメージを持つ人はあの先輩だけだろう。
「じゃあちょっと、後輩らしく、たまには先輩に頼りますか」
そう思い、携帯を取り出したところで、不意にメールの着信音が鳴った。
宛名はまったく知らないアドレス。
迷惑メールと判断し、未開封のまま削除しようと思ったんだけれど、そのメールのタイトルを見た瞬間、思わず息を飲んだ。
『ベイビーボマーへ』
ベイビーボマー。
まるで知らない単語。
けれど、無性にその単語が気になり、私はそのメールを開き、本文にまで目を通してしまった。
本文にはただ、この学校に在籍している女子生徒のクラスと名前が数人、書かれている。
そして、本文の最後にはたった一文。
『ライターアースより』
まったく意味が分からない。
けれど、私はそのメールに添付されている画像データがあることに気付く。
私は恐る恐る、振るえる指で携帯を操作し、そのデータを見た。
その画像は、私の親友を校舎裏へと連れ出した数人の女子生徒の姿が映っていた。そいつらの手には、ナイフやスタンガンといったものまである。
「っ!!」
瞬間、全てを理解し、私の理性は吹き飛んだ。
私は無言で席を立ち、あのゴミクズどもをぶち殺すために歩き出す。
「殺す」
口からは自然と殺意が漏れ出した。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すっ」
大きく息を吐き出して、自分の怒りを確かめるように呟く。
「あのゴミクズどもを爆殺しよう」