文化部の後輩と先輩
この話は視点が陽平ではなく、彼の後輩に移されます。
後輩といっても、毒を吐かない方ですけれど。
絵を描くことは好きですか?
私、上田 千穂はもちろん大好きです。
漫画やイラストはもちろん、油絵や風景画みたいなものまで、とにかく、何かを描いていれば私は物凄く幸せなわけなのです。
子供の頃からずっと絵ばっかり描いたので、当然の如く、社交性は皆無なのですが、そこはほら、類は友を呼ぶという奴で、こんな私にも一人の親友と数人の同類がいます。
そんな小規模な仲間たちと一緒に、ほのぼの地味ぃに過ごすのが私の高校生活。
華が無いと言われるかもですが、これはこれで幸せです。
・・・・・・実はちょっと気になっている先輩もいるのですが、いまいち勇気が出せなくてなかなか声をかけられないという状況なのです。
漫画みたいに都合よくイベントとかが発生して、私と先輩の距離が縮まったりしないかなぁと妄想する日々。
でも、昔の人は言いました。
『事実は小説よりも奇なり』と。
その言葉の通り、私にも今、高校生らしいイベントが発生しているわけなのですっ!
「ねぇ、上田さん。あなたがなんで私たちに呼ばれたのか、大体想像はついているわよね?」
――――期待していたのとは逆ベクトルな感じで。
「い、いえいえいえ、私は何も悪いことしてませんし、特にあなたたちとは関わり無い生活を送っていたと自負しているんですけどぉ」
「はぁ? なに、ぶりっ子してんの、こいつ」
「つーか、私たちだって別にあんたと関わりなんか持ちたくないっつーの!」
「オタ臭が移っちゃうから、ほんとだったら声もかけたくないんですけどー」
ぎゃははは、と男子高校生が見たら女子高生という存在に絶望しそうなほど下品な笑いが私を囲んでいる。
はい、いきなり廊下で囲まれて、無理やり人気の無い校舎裏まで連れてかれているところでもう気付いていましたが、現在私、イジメっぽいことをされようとしている状況なのです。
というか、普通にイジメなのです。
「あ、あのぉ、私に用が無いならもう帰りたいのですが」
「あー? 用が無いのに呼ぶわけないっしょ」
「つーか、マジ口開かないで、臭いから」
失礼な。
無駄に香水がきつい人たちには言われたくないのです。
私を取り囲んでいるのは、どうやら私より1つ上の、上級生の女子グループのようでした。
その人たちの髪は明らかに校則違反な色をしていて、化粧も、学校に来るだけなのに気合が入りすぎていて若干引くほど。
駅で見かけたらまず、目を逸らしてやり過ごすタイプの人たちのようです。
一人の除いて。
「あなたたち、うるさいわよ?」
その叱咤で、今まで珍獣のような声を出していた人たちがぴたりと口を閉じます。
例えるならその様子は、飼い主に怒られた犬にも似ていると思いました。
叱咤をした人、恐らくはこのグループのリーダーは、他の女子たちとはまるで毛並みが違い、一言で表すなら清楚なお嬢様といった風貌を。
滑らかな黒髪に、涼やかな微笑をたたえて、制服もきちんと着こなしているようです。
けれど、それがどこか『作り物』じみている感じがしました。
あまり良い例ではないのですが、AVやイメクラとか、そういったものに出てくるような、作り物じみた違和感を覚えるのです。
「ごめんなさいね、しつけが行き届いていなくて」
にっこりと黒髪のリーダーは私に微笑みかけました。
その笑みがあまりにも白々しくて、軽く吐き気を覚えます。
「こんな人数で囲んでから言うのもなんだけど、私たちは別にあなたを苛めるために呼んだんじゃないのよ?」
嘘吐け、と思いますが、私はチキンなので口に出さずに黙っています。
「私たちはね、ちょっとあなたに頼みごとしたいのよ」
「た、頼みごとなのですか? お金だったら持っていないのですよ!」
「ふふふ、安心して。別にわざわざ貧乏そうなあなたから金を巻き上げるほど困っていないから」
黒髪のリーダーが私を嘲笑うと、それに続いて取り巻きも私を嘲笑い出します。
うわぁ、いやなチームワーク。
「私たちの頼みごとはね、実に簡単よ。あなた、幼馴染か何か知らないけど、剣君の周りをうろつかないでくれにかしら?」
黒髪のリーダーが嫌味ったらしく言った言葉で、やっと私はこの状況に合点がいきました。
剣君、というのは容姿端麗、頭脳明晰、女の子にはモテモテで男子からは殺意を抱かれているというハーレム体質の破竜院剣のことを言っているのです。
なんの因果か、そんな主人公体質の彼と私は幼馴染。
つまり、必然的に私は嫉妬の対象となってしまうらしいのです。
「剣君は優しいから言ってないけどね、あなたの行動に迷惑しているのよ? あなたみたいな美しくない人と一緒に行動されると、こっちの品位が落ちるってね」
どうやらこの黒髪のリーダーは、私と剣君が一緒にいるところを見て、嫉妬心をむき出しにしてしまったと。
なんというか、この手の人たちに絡まれることは度々あったのですが、この手の人たちは本当に行動が似通っているというか、ワンパターンというか。
「はぁ」
「何をため息なんかついているの?」
あ、やばい、睨まれました。
あまりにもうんざりしすぎて、ついついため息を吐いてしまったのはうっかりなのです。
「大体、あなたと剣君は釣り合わないわ。いいえ、貴方みたいな人が剣君と会話をすること自体が、彼の存在を貶めているのよ」
何かに憑かれたように語り出す黒髪のリーダー。
というか、剣君を美化しすぎなのですよ、この人は。
だって、私と剣君の会話内容はほとんどエロゲーとかエロ本とかそういった下ネタばかりなのですから。
みんな知らないようなのですが、剣君はあの外見からは想像もつかないほどのエロスを秘めた男なのです。
「はっ」
「何を鼻で笑っているのかしら?」
「ひぃ、ごめんなさい!」
即、私は謝りました。
だってほら、黒髪のリーダーの人が、どこからか小さなナイフを取り出していましたもん。
やばい、なんてバカな人だろうと思っていたら、物凄くバカな人だったみたいなのです。
リーダーがナイフを取り出すと、周りの取り巻きもナイフやスタンガン、携帯なども取り出しています。
「ねぇ、上田千穂さん、貴方にお願いよ。もう二度と剣君に近寄らないで、気安く名前も呼ばないで」
「あのー、なにか勘違いしているようですが、私と彼はただの幼馴染なのです。だから、そういった恋愛関係には絶対ならない思うのですが?」
「泥棒猫はいつだってそう言うわ」
泥棒猫って。
剣君からあなたの話とか、全然聞いたときないのですが。
私がうんざりした表情をしていると、黒髪のリーダーは、ナイフを私の顔に近づけてきました。
「だからね、万が一、いえ、百億分の一の可能性でも剣君があなたに惑わされないように、あなたが根っからのビッチだっていう写真を撮ってあげるのよ」
暗く、そして気持ち悪い声で黒髪のリーダーは私に語りかけてきます。
周りの取り巻きも、にやにやといやらしい視線を向けてきました。
ああ、私はどうやら凄くピンチのようなのですよ。
「悲鳴をあげてもいいけど、おすすめしないわ。だってほら、あなたが悲鳴をあげなければ、被害はあなた一人で済むじゃない? あなたの家族なんかにまでは被害は及ばないようになるわよ・・・・・・ところで、話は変わるけど、あなたの家に最近、動物の死骸か無かった? 下駄箱でも良いわよ? 後、脅迫状とか」
家族に被害は及ばない?
動物の死骸?
脅迫状?
なんのことでしょうか?
あ、でも最近、変な男が通学路でよく待ち伏せしたり、後を付けてきたりしたような?
「あら、まだだったの。まったく、せっかく雇ってあげたのに、仕事が遅いわね」
「雇った?」
私が聞き返すと、黒髪のリーダーは侮蔑の笑みをもって答えました。
「そうよ。あなたみたいな田舎者は知らないでしょうけどね、都心の方には、そう言うことを請け負うような仕事をする人間もいるのよ? つまり、あなたや、あなたの家族を貶めることぐらい、私には簡単なの」
その言葉に、私は恐怖よりも気持ち悪さを覚えます。
自分の手を汚さす、他人を貶めようとすることを、なんでこうも自慢げに語れるのか? その神経が私にはとても気持ち悪いものに思えたのです。
「さぁ、もうおしゃべりは終わりよ。じゃ、千穂さん、選びなさい。自分から服を脱ぐか、それともナイフで切り裂かれ――」
「とりゃあ」
ぱぁん、と乾いた音が1つ。
「え?」
黒髪のリーダーは頬を押さえて、信じられないといった顔で私を見ました。
それもそうだと思うのですよ。
だって、今までか弱い獲物だと思っていた私にビンタを喰らったのですから。
「てめぇっ」
取り巻きが声を上げて私を取り押さえようとします。
しかし私は、素早くナイフやスタンガンを持った手を蹴り飛ばし、至近距離まで近づいてきた女子には引っかきをお見舞いしました。
怒りよりも、驚きの表情で女子グループの皆さんは私を見ます。
いやね、さすがにあれなのですよ。
長年、モテモテの主人公体質の幼馴染をやっていると、どうしてもこういった荒事に対して強くなってしまうのです。
後単純に、私、インドア派ですけど喧嘩は強いのです。
「あなた・・・・・・」
黒髪のリーダーが放心から復活し、私に憎悪が篭った視線を送ってきました。
それにあわせて取り巻きの人たちの目にも怒りが宿ります。
ふぅ、正直に言えば困ったのです。
相手は五人でこちらは一人、数の上で圧倒的に不利ですし、これはかなり苦戦しそうなのです。
ああ、今日は明美ちゃんと遊ぼうと思っていたのに、ちょっと外出できない怪我を負ってしまいそう。
私がそう思ったその時でした。
「おいおい、イジメはかっこ悪いぜ、諸君」
まるで漫画のようなタイミングで、その人は現れました。
長身で細身ながらも無駄が無い筋肉のついた、狩りに適した肉食獣のような体つき。癖の強い、灰色の髪。口元にはむき出しの犬歯が。
まるで『獣』という存在を体現したようなその人――木島陽平先輩は、獲物を食い殺すような目つきで女子グループを睨みつける。
ひぃ、と取り巻きの人たちは恐怖の声を漏らしました。
そして威嚇が終わると、一転、陽平先輩は不敵な笑顔で私に言います。
「よう、後輩。漫画を返して借りに来たぜ」
こうして陽平先輩は、私の憧れの先輩は、同人誌片手に、まるでヒーローみたいに私の目の前に現れました。
初めて陽平先輩と出会ったのは、中学一年生の時でした。
当時の私は、この中学校に美術部というものが存在していないことを知り、早々に自分の中学校生活に見切りを付けようとしていたのです。
「よ、君も絵を描くのが好きなのか?」
昼休みや放課後に、私はよくスケッチブック片手に誰にも見つからないような場所でスケッチをしたり、適当にイラストを描いていたりしました。
さすがに教室の中で描くのは恥ずかしくて、こそこそと傷心を癒していたとき、陽平先輩が私に声をかけてくれたのです。
自分も絵を描くのが好きだから、とりあえず同好会を作ってみないかと誘ってくれたのでした。
もちろん、私に断る理由は無かったです。
「なぁ、千穂ちゃん。僕は多分、絵の才能って奴が本当に無いんだと思うんだよ。別に努力が報われないとか、そういうことを嘆いているんじゃなくてね。ただこう、事実としてそういう風になっている気がする。ま、僕も将来は絵描きになるわけじゃないし、それでも言いと思っているんだ」
けどさ、と柔らかな黒髪を揺らして陽平先輩は言葉を繋ぎます。
「君には才能がある。中途半端な僕なんかとは違う、紛れも無い確かなものが。だからね、千穂ちゃん。本当に君が絵描きで食べて生きたいと思っているなら、疑っちゃダメだよ、自分の才能を」
進路や自分の将来といった不安定なものに右往左往していたときに、陽平先輩が優しくそう私に語ってくれたのを今でも覚えているのですよ。
あの頃の陽平先輩は本当に優しくて、儚げで、ふわふわと掴んだら消えてしまいそうな雲のような人でした――――いや、本当ですってば。
「おーおー、お前らは確かよく都心に遊びに行く不良グループじゃねーか。あれだぜ、最近は素行が悪いってんで、先生方の間では結構有名らしいぞ、お前ら」
けらけらと野獣の笑みで女子グループを追い詰めている今を見ると、とてもじゃないですけど、同一人物と判断し辛いのですが。
陽平先輩はとある事情で、中学三年の後期から通学して来なくなってしまい、私ともそれっきり合わなくなっていたのです。
そして、偶然、この高校で陽平先輩と再会した時にはもう既にこんな感じになっていましたとさ。
なんか凄く体が鍛えられていましたし、髪とか灰色に脱色してましたし、正直、中学時代の先輩を知る人はまず別人だと思いますよ?
ま、私は一目で見抜いたわけなのですが。
「つーかよぉ、お前らさぁ・・・・・・俺の可愛い後輩に何してんだよ?」
殺意。
普通に日常生活を送っていれば、まず出会うことが無い明確な殺意が女子グループの人たちを射抜きました。
「あ、あ・・・・・・」
「ひぃっ」
女子グループは一人を除いて、恐怖で腰を抜かして、地面にへたり込みます。
それは当然のことでしょう。
今の陽平先輩を例えるなら、まさしく肉食獣という単語が思い浮かびます。所詮、思春期に振り回されて不良ぶっている人たちが、いえ、この迫力なら陽平先輩の近くにいるだけで、大の大人が土下座しますよ。
ちなみに私は、陽平先輩が放った殺意よりも、陽平先輩が言った『可愛い後輩』という単語に反応してうっとりしていたので問題無しです。
「何をしていた? おかしなことを言いますね、陽平さん。私たちは別に貴方の後輩に何もしていませんよ?」
そして、女子グループの中で、黒髪のリーダーさんだけがまともに陽平先輩の殺意を受けて、立っていました。
もっとも、足がぷるぷる震えていて、どうみてもやせ我慢です。
恐らく、恐怖よりも自分のプライドの方を優先したんでしょうが、その選択は間違いなのです。
「あぁ? てめぇ、何が言いてーんだよ?」
「私たちは偶然、貴方の後輩とここでばったり会って、少し『お話』しただけです。そうでしょ、上田千穂さん?」
黒髪のリーダーが、気持ち悪い愛想笑いを私に向けました。
明らかに言葉の裏で、『もしもチクったらひどい目あわせるぞ』と脅しをかけているのが丸分かりな感じです。
「千穂ちゃん、こいつの言っていることは本当か?」
もはや分かりきっていることですが、一応陽平先輩が私に確認を取りました。
これは『本当に苛められてなかったのか?』と尋ねているのではなく、『この問題に俺が首を突っ込んでいいのか?』と問いかけてくれているのです。
確かに、こんなことは剣君の幼馴染だったので日常茶飯事ですし、この程度の相手で陽平先輩の手を煩わせてしまうのもどうかも思います――けどさくっとチクります。
「こ、怖かったです、陽平先輩! この人たちにいきなり呼び出されて、囲まれて、ナイフとかスタンガンで脅されて・・・・・・」
私は弱々しくそう呟いて、陽平先輩の腕に抱きつきました。
黒髪のリーダーさんが苦々しくこちらを睨んでいますけど、当然スルーなのです。
いやだってほら、せっかく陽平先輩に甘えられるチャンスなんですし。
というか、陽平先輩なんか凄くいい匂いがするのですよぅ、はぁはぁ。
「言いたいことは分かったら、まず匂いを嗅ぐのをやめような。後、ちょっと俺はこれからこのクズどもに用事があるから、これ持って離れてろ」
私に同人誌を手渡し、陽平先輩は私を引き剥がしました。
「了解なのです」
名残惜しかったのですけど、私は素直に陽平先輩に従います。
「さぁてと、これで言い逃れは出来なくなったな、クズども?」
本物の野獣のように殺意を込めた視線を向けながら、陽平先輩は笑みを浮かべます。
もちろん、完全な獣の笑みを。
「お、女の子に暴力を振るうのかしら?」
黒髪のリーダーは引きつった顔で、そう一般論を盾にしますが、
「クズは人間にカウントしねぇんだよ」
容赦なく、陽平先輩はそれを両断しました。
「私に手を出したら、私のお父様が黙っていませんよ? 私のお父様は政界にも顔が通じているから、貴方一人程度、社会的に抹殺するのなんか簡単ですよ!」
「そうか、よかったな」
陽平先輩は獣の笑みを浮かべながら、黒髪のリーダーへ歩み寄ります。
「後で貴方の大切な人や、家族がどうなってもいいんですか!?」
「心配するな、お前に『後で』なんてねぇから」
一歩一歩、陽平先輩が歩みを進めるたびに、黒髪のリーダーが顔を恐怖に歪めていきます。
黒髪のリーダーが何かをわめき立てますが、陽平先輩はそれらを全て容赦無く切り捨て、手を伸ばせば届く距離まで歩み寄ると、そこで立ち止まりました。
「で、他に何か言うことはあるか?」
「あっ、ああ、ああああっ」
もはや黒髪のリーダーには恐怖という感情しか無いようでした。
周りの取り巻きはリーダーを助けることなく、むしろ下手に動いて標的を帰られないかと戦々恐々しているという友情。
「んじゃ、もういいよな」
仲間にも見捨てられた黒髪のリーダーへ、陽平先輩は死刑宣告を言い渡します。
ゆらりと、上げられた右腕はまるで獣の牙。
黒髪のリーダーは、涙や鼻水を流して首を振りますが、もう遅いのです。
獣の顎はもう、開かれました。
「壊れろ」
短い言葉と共に、右腕が獲物目掛けて振るわれました。
右腕はぱぁん、という小気味いい音を奏で、獲物の顔面――のすぐ隣の空間を破砕しました。
破砕された空気は衝撃はとなって、すぐ隣の黒髪を揺らします。
「う、うあぅ・・・・・・」
黒髪のリーダーは、涙や鼻水やら色々な液体を流しながら震え、そのまま膝を着きました。
その顔からはもはや、数分前まで持ち合わせていた彼女のプライドと言うものがまるで感じられなかったのです。
多分、理解してしまったのでしょう。
もしも、あの右手が本当に自分の顔面に振るわれていたら、冗談じゃなく、死んでしまっていたのだと。
陽平先輩は言葉どおり、彼女のプライドが修復不可能に壊れたのを確認すると、満足げ
に頷いて、取り巻きたちに視線を移しました。
「で、次は誰だ?」
もはや恐怖で声を発する事もままならず、取り巻きの人たちは、よろよろと腰が抜けた状態で逃げて行きます。
あーあ、自分たちのリーダーを見捨てていくなんて失礼な人なのですよ。
「はぁーあ。あいつらの処分は猫子と一緒に考えるとして、相変わらずのトラブルメーカーだな、千穂ちゃん」
さっきまでの獣染みた笑みはすっかり消え去り、陽平先輩は気さくな笑顔を私に向けてきます。
「私は剣君の事情に巻き込まれているだけなのですよ。それと、陽平先輩は相変わらず容赦無いのですね」
私がそう言うと、陽平先輩は苦々しく笑いました。
「これでも抑えた方なんだがな、こいつらみたいな奴を見かけると、どーも昔の血が騒ぐみたいだ」
呆然と座り込んでいる黒髪のリーダーを指差し、自己嫌悪のため息を漏らす陽平先輩。
さっきの様子だけ見ると、陽平先輩は容赦無くて怖い先輩のように思われるかもしれないのですが、実際は根っからの平和主義者なのです。
脅し文句で『クズは人間にカウントしねぇ』とか言ってましたが、実際には黒髪のリーダーや、その取り巻きには指一本触れずに対処しましたし。
もっとも、彼女たちの心には本物の恐怖と言う奴が埋め込まれましたけど。
「とりあえずだ、ちょっと話があるから場所を変えないか?」
「話ですか? この同人誌だったら貸してあげてもいいのですよ」
「それは超嬉しいが、それ以外の話もあるからな」
め、珍しいのです、陽平先輩が漫画や絵関係の話を私にしてくるのは。
ひょっとしてこれは千載一遇のチャンスという奴なのでしょうか?
私は勇気を振り絞って恐る恐る陽平先輩に尋ねます。
「あ、あのっ、もうすぐ昼休みも終わってしまいますし、良かったらその話は放課後に、その、一緒に帰りながら話しませんかっ?」
「ん? ああ、そうだな。そっちの方が色々と都合がいい」
陽平先輩はさらっとオッケーしてくれましたが、私にとっては思わずガッツポーズをとりたくなるほどの出来事でした。
だって、一緒に帰りながら会話をするとか、陽平先輩と出来るのは中学生以来でしたから、正直、このまま地面を転がりまわりたい気分です。
「約束ですよ、陽平先輩! 今日の放課後、一緒に帰りましょうねっ!」
そして放課後。
「よう、待たせたな。先に紹介しておくと、この小動物みたいな奴が、まぁ、この度俺のクラスに転校してきて、とある事情で俺の家に居候している聖名灯だ。んで、こっちが俺の可愛い後輩の上田千穂ちゃん。中学生の頃は一緒に美術部とかやってた」
「そうなんですかー、話に聞いていたとおり、可愛らしい人ですねー。これからよろしくお願いします」
「は、はぁ、こちらこそなのです」
例えるなら子犬のような可愛らしさを備えた、正真正銘の美少女が目の前にいました。
しかも、陽平先輩と一つ屋根の下で暮らしているらしいのですよ。
・・・・・・さすが陽平先輩、想像の斜め上の行動をしてくるのです。
「どうした、千穂ちゃん? そんなトンビに油揚げを横から掻っ攫われた狐みたいな表情をして」
「いえ、いいのです。思えば陽平先輩は昔からこんな感じだったのです」
私ががっくりと肩を落としていると、その肩を灯先輩が優しく叩いて、私に微笑みかけてくれます。
「その気持ち、よくわかりますよー」
その儚げな笑顔を見ただけで、私と灯先輩は既に通じ合えていました。
そーなのですね、陽平先輩は自分で立てた旗を自分で叩き折るような人なのです、しかも無自覚で。
私も今までで、何度も天然たらしからのフラグクラッシュの急降下を味わって来たのです、恐らく灯先輩も同じなのでしょう。
つまりは、強敵ってことなのです。
「負けないのですよ」
「ふふ、望むところですよー」
私と灯先輩はお互いに宣戦布告しました。
出会って数分も経っていませんが、もはや私たちは目と目で会話が出来るほどの宿敵(友達)になったのです!
「よくわかんねーけど、帰りにスーパー寄っていいか? 今日は豆腐と納豆が特売だったんだ」
もっとも、一番自覚すべき人は完全スルーだったのですけど。
それはともあれ、私たちは雑談をしながら陽平先輩の買い物に付き合い、帰り道近くの公園で休憩をしました。
そして、三人揃ってベンチに座ったところで、やっと陽平先輩が話を切り出してきます。
「こういう話は、出来れば俺と千穂ちゃんだけの二人だけの方がいいかもしれねぇんだけどさ、ある意味で、灯も関係者になるかもしれないから話を聞いてもらいたいんだが、いいか?」
言葉の文面だけをとれば、恋愛関係のお話ですかっ!? と私が小躍りしてしまうものだったのですけど、口調があまりにも重々しかったので、私は黙って頷きます。
「・・・・・・なぁ、千穂ちゃん。こういうプライベートなことを詮索するのは正直趣味じゃないんだが、一応俺も友達の一人として聞かせてもらうぜ」
陽平先輩は、黒い瞳で私を見つめながら尋ねました。
「明美に一体何があったんだよ?」
その質問はあまりにも核心を突きすぎていて、ちょっと呆然としてしまいましたが、私はすぐに我を取り戻します。
あまりにも的確に質問してくるので、少し驚いてしまいましたが、私は薄々、陽平先輩なら気付くと予想していたのですから。
「やっぱり、わかりますか」
「わからねぇわけが無いだろうが。あんなもん、一目瞭然だ」
灯先輩は何がなんだかよくわからない、という顔をしています。
陽平先輩は、灯先輩にも事情が分かるように、そして自分自身でも確認するように言いました。
「いつもの毒舌のキレがねぇ」
「ええっ!?」
灯先輩が驚きの声を上げました。
「いやだって、初対面の私に対しても結構容赦なかったですよー?」
「甘いな、灯。本来のあいつだったら、お前はしばらく立ち直れないほどの精神ダメージを負ってしまっていたぜ」
「そこまでですかっ!?」
その通りだと私も思います。
かつて私も、あーちゃんがツンツンしていた時期にはよく心を折られていたのですよ。
「ていうかだな、俺があいつと毒舌や口論を交わして勝てる方がおかしいんだよ。いつもはこっちが引くほど千穂ちゃんとの仲の良さを語ってくるくせに、今日はなぜかやけに卑屈だったし、何より、心が弱っていた」
あーちゃんが陽平先輩に、口論で負けたという事実は、私に少なからず衝撃を与えました。
まさか、そこまであーちゃんが弱っているだなんて思っていなかったのです。
「話せよ、千穂ちゃん。事と次第によっちゃ、千穂ちゃんが思っているよりも最悪の事態になっているかもしれねぇんだ」
「陽平さん、それはもしかして・・・・・・」
灯先輩の問いかけに、陽平先輩は無言で頷きました。
そのやり取りの意味はよく分かりませんでしたけど、どうやら、私が思っているよりも自体が悪化しているのだけは確かなようです。
「分かりました」
どの道、陽平先輩には相談しようと思っていました。
できれば今日の昼休みにでも相談しに行きたかったのですけど、不幸な呼び出しのせいで遅れてしまい・・・・・・でも巡り巡って肝心な所では助けに来てくれるのが陽平先輩のようです。
結果としては、私が変な遠慮や、勇気が足りないせいであーちゃんのことを話すタイミングを逃がすことを防いだ形になったのですよ。
「信頼する陽平先輩になら、そして陽平先輩が信用している灯先輩なら、あーちゃんのことを頼めるかもしれません」
私は、昨日あったとある出来事について語り始めました。
今回は陽平ってこんな感じー、ということで彼の描写をしてみました。
次から視点は戻ると思います。