第97話
灼熱のカルデラに響き渡るのは巨大な竜の怒りの咆哮と一人の男の荒い息遣いだけだった。
神崎隼人 "JOKER" は血の海にまみれその満身創痍の体でかろうじて立っていた。
彼の目の前にはその半分の生命を失いしかしそれ故に真の力を解放した絶対的な捕食者【古竜マグマロス】が鎮座している。
その黄金の瞳にはもはや理性の光はない。
ただ目の前の憎き侵入者をこの世から消し去るという純粋な破壊の衝動だけが燃え盛っていた。
嵐のような連撃。
その一撃一撃が隼人のHPを容赦なく削り取り彼の生命線であるライフフラスコのチャージを枯渇させていく。
もはや彼のHPは常に3割と5割の間を行き来し一瞬の油断が即死に繋がる極限の綱渡り。
コメント欄の数万人の視聴者たちもまたそのあまりにも絶望的な光景に言葉を失いただ祈るように画面を見つめていた。
(…まだか…)
隼人の思考は極限の集中状態の中でどこまでも冷静だった。
彼はただ待っていた。
この圧倒的な暴力の嵐の中に必ず存在するはずのたった一筋の光。
その千載一遇の好機を。
ギャンブラーは待つ。
最高のカードが配られるその瞬間まで決して諦めない。
そしてその瞬間は唐突に訪れた。
マグマロスがこれまでの高速の連撃とは明らかに違う一つの大きな動きを見せたのだ。
彼はその巨大な体を大きくのけぞらせ天へと向かって咆哮を上げた。
そしてその口内にこれまでにないほどの膨大な灼熱のエネルギーを収束させ始めた。
それはこの戦いを終わらせるための最大のそして最後の一撃。
全てを焼き尽くす終末のブレス。
そのあまりにも巨大な予備動作。
それこそが隼人が待ち望んでいた致命的な「隙」だった。
「――ここしかねえッ!」
彼は残された最後の力を振り絞り地面を蹴った。
ブレスのチャージに集中するマグマロスのそのがら空きになった懐へと一直線に飛び込む。
そして彼はその傷だらけの腹部の鱗の隙間へと自らの全てを賭けた一撃を叩き込んだ。
【必殺技】衝撃波の一撃。
だがそれはもはやただのスキルではなかった。
彼の魂の全てを乗せた最後のギャンブル。
彼の運命への挑戦状だった。
そして彼は叫んだ。
その声はこの世界の理そのものに語りかける絶対者の宣言。
「――傾け天秤ッ!」
彼のユニークスキル【運命の天秤】がその声に呼応するように激しく脈打った。
彼の精神世界で巨大な天秤がギシリと音を立てて大きくそして確実に奇跡の方向へと傾いていく。
そして彼の長剣がマグマロスの肉体を捉えたその瞬間。
ありえない奇跡が再び起こった。
クリティカルヒット。
それもただのクリティカルではない。
彼のビルドでは本来決して起こり得ないはずの神の気まぐれ。
ズッッッッッッッッッ
これまでとは比較にならない凄まじい破壊音。
マグマロスの硬い鱗がまるで紙のように引き裂かれその奥にある生命の炉心を直接破壊した絶対的な感触。
マグマロスの巨大なHPバーが一瞬でその輝きを失っていく。
4割3割2割1割…。
そしてついにゼロになった。
「ギ…シャアアアア」
マグマロスが断末魔の雄叫びを上げた。
その巨大な体はもはやその存在を維持することができず内側から崩壊していく。
その黄金の瞳から光が消えゆっくりとその巨体が地面に崩れ落ちた。
後に残されたのはおびただしい光の粒子とそしてその中心で静かに佇む一人の悪魔の姿だけだった。
そのあまりにも劇的な結末。
それを目の当たりにしたコメント欄が爆発した。
『クリティカル!?』
『ボス戦二度目のクリティカルだと!?』
『パッシブスキルで全く振ってないのにここで二度目出るか!?』
『なんだこの男…!運命に愛されすぎだろ!』
『神!神!神!神!』
視聴者たちは騒然となっていた。
クリティカルビルドでもない彼がこの土壇場で二度も奇跡の一撃を引き当てた。
その事実に誰もが戦慄していた。
これこそがJOKER。
これこそが運命の天秤を操る男。
だが隼人はまだ倒れてはいなかった。
彼のHPは残り1ミリ。
MPも完全に枯渇している。
そして目の前にはまだ息も絶え絶えの巨大なドラゴンがいる。
HPバーはゼロになった。
だがその巨体はまだ完全には消滅していない。
最後の抵抗を見せるかのようにその爪をわずかに動かしている。
「…まだか」
隼人は血反吐を吐きながら呟いた。
「しぶとい野郎だぜ…」
彼はもはやスキルを使う力は残っていない。
フラスコもない。
残されているのはただその体一つと右手に握られた一本の剣だけ。
彼はゆっくりと立ち上がった。
そして最後の戦いを挑む。
それはもはや華麗なスキルや戦術の応酬ではない。
ただ泥臭い魂の削り合い。
彼はドラゴンの懐へと飛び込みその傷だらけの体にただひたすらに剣を叩き込み続けた。
ガキンガキンと鈍い音が響く。
ドラゴンもまた最後の力を振り絞りその爪で彼を薙ぎ払おうとする。
だがその動きはあまりにも緩慢だった。
隼人はその全ての攻撃を受け流しそしてただ斬る。斬る。斬る。
やがてその執念がついに古竜の生命を完全に断ち切った。
マグマロスの巨体が完全に光の粒子となって霧散していく。
その瞬間。
アリーナに絶対的な静寂が戻った。
そして隼人の全身をこれまでにないほど強くそして荘厳な黄金の光が包み込んだ。
B級の主を討伐した莫大な経験値。
それが彼の魂と肉体を一気に次のステージへと引き上げたのだ。
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
祝福のウィンドウが彼の視界に立て続けに五度ポップアップする。
彼のレベルは20から25へと一気に五つ上昇した。
死闘を制したのは主人公だった。
その光景にコメント欄は万雷の拍手喝采で応えた。
彼の伝説はまた新たな一ページを刻んだのだ。
物語は主人公がその不屈の闘志と神がかった運命力で最強の敵を打ち破りそしてさらなる高みへと至ったその最高のカタルシスと共に幕を閉じた。




