第93話
神崎隼人 "JOKER" の瞳に、絶対的な殺意が宿った。
彼のターゲットは、ただ一人。
完璧な軍隊の連携を支える、最後の生命線。
残された、もう一体の【竜の巫女】。
彼がその脆弱な魔術師へと、その死の刃を向けた、その瞬間。
戦場の空気が、一変した。
「「「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」
それまで冷静に、そして的確に彼を追い詰めていた残りの竜人たちが、一斉に、理性の箍を外したかのような狂気の咆哮を上げたのだ。
彼らの主であり、そして精神的な支柱でもあった巫女が、一人、目の前で無残に殺された。
その事実が、彼らの誇り高き竜の血を沸騰させ、そして暴走させた。
彼らの全身の筋肉が異常なまでに膨れ上がり、その鱗の隙間から、赤い闘気のオーラが蒸気のように立ち昇る。
その瞳は、もはや戦士のそれではない。
ただ目の前の憎き敵を八つ裂きにするためだけの、獣のそれに変わっていた。
ARシステムがその異常な変化を冷静に分析し、彼の視界の隅に表示する。
【状態変化: バーサーカーモード】
効果:
攻撃力 +30%
攻撃速度 +30%
ただし、代償として毎秒最大HPの5%を失う
「…はっ。仲間がやられて逆ギレか。面白いじゃねえか」
隼人は、その絶望的な状況を前にしてなお、不敵な笑みを浮かべていた。
攻撃力と攻撃速度が30%も上昇した、B級のエリートモンスター。
その暴力は、もはや想像を絶する。
だが、同時に、彼らは自らの命を削りながら戦うという、致命的なリスクを背負った。
つまり、これは時間との勝負。
彼らが自滅する前に俺が死ぬか。
あるいは、俺が彼らの猛攻を凌ぎ切り、最後の一人となるか。
最高の、チキンレース。
最高の、ギャンブル。
彼の魂が、歓喜に打ち震えた。
「――かかってこいよ、トカゲども!」
彼の挑発を合図に、狂乱の宴が始まった。
嵐のような斬撃。
嵐のような矢の雨。
その全てが、先ほどとは比較にならない速度と密度で、彼ただ一人へと殺到する。
もはや、回避は不可能。
彼はその死の嵐の中で、ただひたすらに、その左手に構えた盾と右手に握られた長剣だけで、全てを受け止め、そしていなし続けることを決意した。
【鉄壁の報復】。
彼のプレイヤースキルが、今、神の領域へと足を踏み入れる。
キィン、ガキン、キン、ガッキィィィンッ!
甲高い金属音が、狂ったようなリズムでアリーナに響き渡る。
彼の長剣が、まるで意思を持ったかのように、踊り、舞う。
右から迫る曲刀を受け流し、その力を利用して、左から来る戦斧を弾き返す。
頭上から降り注ぐ矢は、その切っ先で正確に叩き落とす。
彼の動きは、もはや人間のそれではない。
無数の攻撃の軌道を同時に読み、その全てに最適解を叩き出し続ける、超高性能の戦闘AI。
あるいは、嵐の中で舞い続ける一枚の木の葉。
そのあまりにも神がかった光景に、コメント欄の数万人の視聴者たちは、もはや言葉を失っていた。
ただ息を呑み、その奇跡のような攻防を見守るだけだった。
だが、彼のHPバーは確実に削られていく。
パリィで回復するHPよりも、バーサーカーモードの猛攻がそれを上回る。
そして何よりも、彼の精神が限界に近づいていた。
コンマ数秒の判断ミスが即死に繋がる、極限の集中状態。
それが、永遠に続くわけではない。
(…まだか…!)
彼は、奥歯をギリと噛みしめた。
彼の視線は、ただ一点。
嵐のような猛攻の向こう側。
必死に詠唱を続け、傷ついた仲間を回復させようとしている、最後の【竜の巫女】の姿を捉えていた。
あいつがいる限り、この地獄は終わらない。
だが、同時に、あいつの命もまた、バーサーカーモードの代償によって、刻一刻と削られているはずだ。
先に力尽きるのは、どっちだ。
数分が、経過した。
それは彼にとって、数時間、いや数年にも感じられる、永遠のような時間だった。
彼のHPバーは、もはや1割を切っていた。
【背水の防壁】のリジェネも、もはや焼け石に水。
彼の動きに、明らかに疲労の色が見え始めた、その瞬間だった。
「――ギ…!?」
後方で詠唱を続けていた竜の巫女が、ついにその膝をついた。
バーサーカーモードの自傷ダメージに、その脆弱な生命が、耐えきれなかったのだ。
その姿を見た瞬間、隼人の瞳に、最後の光が宿った。
――チャンスだ。
彼は、もはや防御を捨てた。
残された全ての力を振り絞り、最後の猛攻を仕掛ける。
「――終わりだあああああああッ!」
彼は雄叫びと共に、残された竜人たちの群れの中心へと飛び込んだ。
そして、彼はそのありったけの魔力と魂を込めて、長剣を地面に叩きつけた。
【必死の一撃】衝撃波の一撃。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
凄まじい轟音と共に、大地が砕け散る。
衝撃波を受け、体勢を崩した竜人たち。
その無防備な体に、隼人は最後の力を振り絞り、追撃の嵐を叩き込んだ。
【通常技】無限斬撃。
ザク、ザク、ザク、ザクッ!
神速の連撃が、竜人たちの命を確実に刈り取っていく。
そして、最後の一体が光の粒子となって消え去ったその時、アリーナに絶対的な静寂が戻った。
後に残されたのは、おびただしい数の魔石とドロップアイテム。
そして、その中心で、血の海に膝をつき、荒い息を繰り返す、一人の満身創痍の王者の姿だけだった。
「…はぁ…はぁ…勝った…のか…?」
彼の意識は、朦朧としていた。
だが、彼の魂は、確かに勝利の味を噛みしめていた。
その瞬間、コメント欄が、これまでのどの熱狂とも比較にならない、本当の爆発を起こした。
それは、もはやただの賞賛ではない。
一つの神話が完成したその瞬間に立ち会えたことへの、感謝と、祝福と、そして畏怖の嵐だった。
『うおおおおおお!!!!!!』
『神!神!神!神!』
『勝った…!あの地獄絵図から、勝ったぞ!』
『最後の巫女が自滅した瞬間、鳥肌立った…!』
『JOKERさん、あんた最高だよ!』
その熱狂の中で、いつもの有識者たちが、冷静な、しかし興奮を隠しきれない分析を始めた。
元ギルドマン@戦士一筋:
…見事としか、言いようがない。
あのバーサーカーモードの猛攻を、凌ぎ切るとは…。
彼のプレイヤースキルは、もはやB級の領域を、完全に超えている。
そして何よりも、彼の戦術眼。
巫女が弱点であると瞬時に見抜き、そしてその自滅を待つという判断。
普通の冒険者には、到底できん。
ハクスラ廃人:
ああ、その通りだ。
付け入る隙は、そこしかなかった。
あの巫女が回復役であると同時に、バーサーカーモードの自傷ダメージで最も早く脱落する、弱点でもあったわけだ。
その矛盾を、見抜いたJOKERの勝ちだな。
ベテランシーカ―:
ええ。ですが、厳しい意見を言わせていただければ、今回の勝利はあまりにも綱渡りすぎました。
彼のHPが少ないから、ギリギリの戦いになっているのです。
もしこれがパーティであれば、タンク役がヘイトを集め、DPSが攻撃に専念する。
そうすれば、もっと安定して、そして安全に勝利することができたはずです。
彼のソロでの戦い方は、確かに美しい。ですが、それ故にあまりにも脆い。
彼がこの先、A級、S級と目指すのであれば、いずれこの課題と向き合う時が来るでしょう。
その的確な指摘。
隼人自身も、それを痛いほど感じていた。
勝った。
だが、それは奇跡的な勝利だった。
もっと安定して勝つためには、何かが足りない。
彼は、ドロップしたおびただしいアイテムの山を見つめながら、次なるビルドの強化へと思考を巡らせ始めていた。
物語は、主人公がB級の圧倒的な壁を、その神がかったプレイヤースキルとギャンブラーとしての本能で乗り越えた、その最高のカタルシスと、そして同時に彼が抱える新たな課題を浮き彫りにして、幕を閉じた。




