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第9話

 神崎隼人の独壇場――“無双”は、続いていた。

 もはや、彼の前に立つゴブリンは、敵ですらなかった。それは、彼の新しい力と、成長し続けるプレイヤースキルを試すための、ただの(まと)。あるいは、経験値というチップを払い出してくれる、都合の良いスロットマシンの絵柄でしかなかった。


 一体のゴブリンが、奇声を上げて飛びかかってくる。隼人はそれを、もはや目で追うことすらしなかった。肌で風の流れを、耳で空気を切り裂く音を、そして、ギャンブラーとしての直感が、攻撃の軌道を寸分の狂いもなく彼に伝えていた。

 彼は、最小限の動きでそれを回避すると、すれ違いざまに、ナイフを振るった。クラスを得る前の彼であれば、確実に仕留めるために、神経をすり減らして急所を狙わなければならなかった一撃。だが、今の彼に、そんな繊細な作業は必要ない。

【戦士】のクラスと、底上げされた【筋力】が、ただの薙ぎ払いを、必殺の一撃へと昇華させる。

 刃こぼれのナイフが、ゴブリンの脇腹に深々と食い込み、その勢いのまま、体内の臓腑を滅茶苦茶にかき回した。ゴブリンは、断末魔の叫びを上げることすらできずに、その場で崩れ落ち、おびただしい光の粒子となって霧散していく。


「…ふぅ」


 隼人は、短く息をついた。戦闘だというのに、彼の心拍数は安定したまま。息切れ一つしていない。以前は一体倒すだけでもアドレナリンが駆け巡り、心臓がうるさいほどに脈打っていたというのに、今では、まるでラジオ体操でも終えたかのような、心地よい疲労感しか残っていなかった。

 これが、強者の戦いか。

 これが、この世界の「格」の違いというやつか。

 彼は、その圧倒的な成長を、自らのことながら、どこか他人事のように、冷静に分析していた。


 視聴者A: うますぎる…

 視聴者B: もう完全に動きをマスターしてるな。これがJOKERニキの才能か。

 視聴者C: もはやゴブリンがただの作業になってて草


 視聴者たちのコメントも、彼の無双劇を、もはや当然のこととして受け止めていた。彼らは、もっと強い敵との戦いを望み始めていたが、隼人はまだ、この洞窟から出るつもりはなかった。レベルアップという報酬も魅力的だが、それ以上に、彼はこの「確実な勝利」を繰り返すことで得られる、経験とデータの蓄積を重視していた。


 光の粒子が完全に消え去った跡に、いつものように、いくつかのドロップアイテムが残されていた。

「さて、と。今回の配当は…」

 隼人は、配信を意識した口調で、地面に落ちたアイテムを拾い上げようとした。おそらく、また「ゴブリンの耳」や「汚れた布切れ」だろう。そう思いながら、無造作に手を伸ばした、その時だった。


 彼の、ギャンブラーとしての鋭敏な五感が、それに気づいた。

 ガラクタの中に、一つだけ、明らかに異質なものが混じっている。

 それは、いつものドロップアイテムが放つ、淡く、頼りない光ではなかった。もっと強く、もっと濃密な、確かな存在感を主張する輝き。

 隼人は、思わず手を止め、その光源を凝視した。

 そこにあったのは、彼の拳の半分ほどの大きさの、黒く濁った水晶のような石だった。一見すると、ただの黒い石ころ。だが、その内部で、まるで脈打つ心臓のように、鈍い紫色の光がぼんやりと、しかし、確かに明滅していた。

 それは、周囲の光苔の青白い光を吸収し、自らの糧としているかのように、禍々しくも、美しかった。


「…なんだ、これ…?」


 隼人は、思わず呟いた。

 これまでのドロップ品とは、明らかに「格」が違う。彼がこれまで見てきた、ゴブリンの耳や布切れが「1ドルチップ」だとしたら、これは、少なくとも「100ドルチップ」の風格を漂わせていた。

 彼は、慎重に、その黒い水晶石へと手を伸ばした。

 指先が触れた瞬間、ひんやりとした、それでいて、微かな振動が伝わってくる。まるで、小さな生き物が、その中で息づいているかのようだ。

 彼がそれを拾い上げると、ARシステムが即座に鑑定を開始し、彼の視界に、新たなウィンドウをポップアップさせた。


 ====================================

【ゴブリンの魔石(小)】を入手しました


 種別: 換金用アイテム

 レアリティ: アンコモン

 説明: ゴブリンの心臓部から稀に採取される魔力の結晶体。

 ギルドや専門店で買い取ってもらえる。

 ====================================


「魔石…」

 隼人は、その単語を口の中で繰り返した。ダンジョンから産出される、最も価値のある資源。エネルギー源として、あるいは、魔法のアイテムを創るための触媒として、現代社会では金やプラチナ以上の価値を持つとされる、あの「魔石」か。

 それが、こんな最下級のダンジョンで、最弱のゴブリンからドロップしたというのか。

 彼の心臓が、ドクリと大きく脈打った。


 彼がアイテムを拾い上げた瞬間、それまで彼の無双劇を眺めていたコメント欄の空気が、再び一変した。

 視聴者D: ん!?今のドロップ、なんか違ったぞ!

 視聴者E: 紫色に光ってた!なんだあれ!

 視聴者F: 【ゴブリンの魔石(小)】だと!?

 視聴者G: おおお、魔石!

 視聴者H: レアドロップじゃん!おめでとう!ナイスドロップ!

 視聴者I: ゴブリンから出るのはマジで運いいな!

 視聴者J: やったなJOKER!それ、換金アイテムだぞ!


 そして、隼人の運命を、再び大きく揺さぶる、決定的な一言がコメント欄に表示された。


 視聴者K: 小サイズなら、今の相場で1万円くらいで売れるはずだぞ!


 そのコメントが、隼人の瞳に飛び込んできた、瞬間だった。


【結】1万円の重みと、次なる一歩


「――いち、まんえん…」


 隼人の口から、かすれた声が漏れた。

 彼は、手のひらの上にある、黒く濁った石と、ARウィンドウに表示された「1万円」という文字を、何度も、何度も、交互に見比べた。

 彼の頭の中で、その数字が、現実の重みを持って、ゆっくりと再構築されていく。

 1万円。

【万象の守り】が持つという、4000万円という価値とは、全く意味合いが違う。あの4000万円は、あまりにも非現実的で、まだ彼の実感にはなかった。それは、宝くじに当たったとか、システムのバグで手に入れたとか、そういう類いの、自分の人生とはどこか乖離した、物語の中の数字だった。

 だが、この1万円は、違う。

 これは、ダンジョンが生み出す、正規の「産物」だ。視聴者のコメントによれば、ギルドや専門店に持って行けば、いつでも、確実に、「現金」に変わる価値を持っている。

 それは、雀荘の薄暗い光の下で、ハイエナのように他人の懐具合と顔色を窺いながら、半日、神経をすり減らして、ようやく稼げるか稼げないか、という金額。

 それは、深夜のコンビニで、理不尽な客に頭を下げながら、1日立ち尽くして、やっと手にできる金額。

 それを、彼は、たった数時間の探索で。いや、この魔石そのものは、たった一体のゴブリンから、自らの力で、勝ち取ったのだ。

 これまで彼が身を置いてきた、裏社会の汚れたテーブルとは違う。正当なリスクと、正当な実力、そして、ほんの少しの幸運によってもたらされた、クリーンで、あまりにも大きなリターン。


 隼人は、手のひらの魔石を、強く、強く握りしめた。

 ひんやりとした石の感触。その内部で脈打つ、微かな振動。

 この石の重みが、彼の心に、ずしりとのしかかってくる。

 これは、ただの1万円ではない。

 これは、彼女が、病院のベッドの上で、少しでも痛みに苦しまずに済む、一日の時間だ。


 これまで、彼がどんなに足掻いても、掴むことのできなかった、確かな「希望」の欠片。

 それが今、確かに、この手の中にある。


(…届く)


 彼の心に、これまで抱いたことのない、確かな感情が芽生えていた。

(この場所なら、この力なら…美咲を、救うことができるかもしれない…!)

 彼の目に、これまで以上に、強く、そして、切実な光が宿った。それは、単なるギャンブラーの狂気や、ショーマンとしての自信ではない。愛する者を守るために、全てを懸ける覚悟を決めた、男の光だった。


「…もっとだ」


 彼の唇から、渇いた声が漏れる。


「もっと…もっと、稼ぐ…!」


 その声は、もはや配信用のパフォーマンスではなかった。彼の魂の奥底からの、偽らざる叫びだった。

 レベルアップなど、どうでもいい。

 名声など、今は必要ない。

 彼が今、求めるものは、ただ一つ。

 この、確かな価値を持つ「魔石」を、一つでも多く手に入れること。

 1万円。その具体的な数字が、彼の脳裏に焼き付き、新たな、そして、より強力な原動力となって、彼を次なる戦いへと駆り立てていた。


 隼人は、初めて自力で手に入れた「成果」である魔石を、まるで宝物のように、ポケットの奥深くへとしまい込んだ。ズボンの生地越しに感じる、石の硬い感触が、彼の決意を、さらに強固なものにしていく。

 彼は、顔を上げた。

 その視線は、もはや洞窟の出口には向いていない。

 さらに奥深く、まだ見ぬ獲物が潜む、漆黒の闇を見据えていた。

 彼の最初の目標は、もはや単なるレベルアップや、スキルの習熟ではない。

「1万円」という、あまりにもリアルで、あまりにも切実な目標が、彼を突き動かしていた。


 新たな力と、確かな目標を得た彼の無双劇は、まだ始まったばかりだ。

 いや、本当の意味での彼の戦いは、ここから始まるのかもしれない。


 闇の奥で、次のゴブリンの唸り声が聞こえた。

 隼人の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 それは、獲物を見つけた、飢えた獣の笑みだった。

※2025/07/08 【万象の守り】の価格を20万円から4000万円に修正しました。国宝級なのに20万円は安すぎでは?と指摘があったので確かに安いので修正


2025/07/16 読者からコンビニなら数日ではなくて1日ではないのか?という指摘があったので修正ついでに1日の薬代が約7万円なので描写を修正しました。

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― 新着の感想 ―
1話では、毎月数百万円が必要と書かれていました。しかしこの話では、薬代が1週間に1万円と書かれています。 また、1万円とはコンビニで何日も深夜労働して得られる金額であると説明していますが、深夜労働であ…
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