第88話
静寂が戻った、塔の広間。
神崎隼人は、荒い息を整えながら、目の前の光景を見つめていた。
床には、先ほどのローグ・エグザイルが残した、おびただしい数のドロップアイテムがキラキラと輝いている。
そのほとんどは、換金価値のほとんどないガラクタばかり。
だが、そのガラクタの山の中に、ひときわ強く、そして神々しい二つの橙色の光が、確かに存在していた。
ユニークが、二つ。
それも、一体の敵から同時に。
ローグ・エグザイルのドロップが美味いという噂は、本当だったらしい。
「…はっ。大盤振る舞いじゃ、ねえか」
彼の口元に、満足げな笑みが浮かぶ。
ギャンブルに勝利し、最高の配当を手にするこの瞬間。
それこそが、彼がこの世界で生きていると実感できる、唯一の時だった。
彼は、期待に胸を膨らませながら、その二つの光の元へとゆっくりと歩み寄っていく。
コメント欄の数万人の視聴者たちもまた、固唾を飲んでその瞬間を見守っていた。
彼がまず手に取ったのは、深紅のローブだった。
それは、まるで燃え盛る炎そのものを織り上げて作られたかのような、美しい胴防具。
その表面からは陽炎のように熱気が立ち上り、触れることすら躊躇われるほどの、圧倒的な熱量を放っていた。
ARシステムが、その詳細な性能を表示する。
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名前: 炎の衣
種別: ユニーク・胴防具
【ユニーク特性】
火耐性 +75%
敵への発火効果時間 +75%
近接攻撃者に100の火ダメージを反射する
受ける物理ダメージの40%を火ダメージとして受ける
【フレーバーテキスト】
賢者は炎を恐れぬ。第二の皮膚として、その身に纏うのみ。
「…ほう」
隼人は、そのあまりにも特徴的な性能に、感嘆の声を漏らした。
火耐性+75%。
これ一つで、火の属性耐性が上限に達する。
そして、最後の一文。
『受ける物理ダメージの40%を火ダメージとして受ける』。
つまり、物理攻撃を受けた時、そのダメージの4割が火属性へと変換される。
そして、その変換された火ダメージは、この胴具の圧倒的な火耐性によって大幅に軽減される。
なるほどな、と彼は思った。
これは、物理ダメージを擬似的に軽減するための、特殊な防御装備か。
面白い、設計思想だ。
次に、彼はもう一つの光の元へと手を伸ばした。
そこにあったのは、白く輝く美しい矢筒だった。
それは、まるで冬の女王の吐息が凍ってできたかのような、冷たく、そして気品のあるオーラを放っている。
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名前: 女王の氷牙
種別: ユニーク・弓筒
【ユニーク特性】
アタックが敵にヒットするごとに、ライフを(6-8)得る
筋力 +25
敏捷性 +45
知性 +25
アタックに10-20の冷気ダメージを追加する
攻撃スピードが10%増加する
効果範囲が10%増加する
【フレーバーテキスト】
冬の女王が放つ矢は、ただ肉を穿つのではない。生命の温もり、そのものを奪い去るのだ。
「…なるほどな。こっちは、弓ビルド用の装備か」
隼人は、その性能を一瞥しただけで、その価値を正確に理解した。
ライフ・オン・ヒットによる、安定した回復能力。
全ての能力値を底上げする、バランスの良さ。
そして、追加の冷気ダメージと攻撃速度の上昇。
どれも、弓ビルドにとっては、喉から手が出るほど欲しい能力ばかりだ。
先ほど彼が倒したローグ・エグザイルが、生前愛用していた装備なのかもしれない。
その二つの、ユニークアイテム。
それらを目にしたコメント欄が、再び活気づいた。
『おお!ユニーク二つ!大当たりじゃん!』
『どっちもよく見るユニークだけど、普通に強いやつだ!』
『炎の衣と女王の氷牙か。両方合わせりゃ、40万くらいにはなるだろ!』
『JOKERさん、また大儲けだな!おめでとう!』
視聴者たちがその金銭的な価値に沸き立つ中。
一人の、これまであまり見かけなかったハンドルネームの有識者が、静かに、しかし確かな熱意を込めてコメントを投じた。
炎上愛好家:
…ほう。炎の衣か。
素晴らしい。実に、素晴らしいドロップだ。
JOKER君、君は幸運だな。
その胴当てが、どれほどの可能性を秘めているか、分かっているかね?
そのあまりにも思わせぶりな物言いに、隼人は興味を惹かれた。
「…どういうことだ?ただの物理受け用の防具じゃ、ねえのか?」
彼のその問いかけに、炎上愛好家と名乗る男は、待っていましたとばかりに、その狂的なビルド哲学を語り始めた。
炎上愛好家:
物理受け?はっ、違うね。全く違う。
それは、その装備の一面しか見ていない、素人の発想だ。
その胴当ての真価は、防御ではない。
「攻撃」だよ。
それも、この世界のあらゆるビルドの中で最も異質で、最も美しい攻撃方法…「炎上ビルド」を組むための、最高のパーツなのさ。
炎上ビルド?
なんだ、それは。
隼人の脳内に、疑問符が浮かぶ。
その彼の困惑を楽しむかのように、炎上愛好家は続けた。
炎上愛好家:
JOKER君、君は自分が燃えながら戦うという発想をしたことがあるかね?
自らの身を聖なる炎で焼き尽くし、その炎そのものを武器として、周囲の全てを浄化する。
そんな究極の自己犠牲のビルドが、この世界には存在するのだよ。
「…自分が燃える?どういう意味だ?」
隼人は、思わず聞き返した。
炎上愛好家:
文字通りの意味さ。
この世界には、一つの禁断のスキルジェムが存在する。
その名は、【ライチャス・ファイヤー】。
このスキルを発動した瞬間、術者は自らの最大HPとエナジーシールドの90%を、毎秒火ダメージとして受け続ける、呪われた状態になる。
まさに、自殺行為。
だが、その代償として、術者の周囲には、彼の最大HPとESに比例したダメージを与える、聖なる炎のオーラが展開されるのだ。
そして何よりも重要なのが、このスキルがもたらすもう一つの恩恵。
燃えている間、術者の「スペルダメージが大幅に上昇する」という、強力なバフが付与される。
そのあまりにも自傷的で、そしてハイリスク・ハイリターンなスキル。
隼人は、その狂った性能に戦慄していた。
そして、彼は気づいた。
そのスキルと、【炎の衣】との悪魔的なシナジーに。
「…なるほどな」
彼の口から、感嘆の声が漏れた。
「ライチャス・ファイヤーの自傷ダメージは、火属性。つまり、この【炎の衣】を装備していれば、そのダメージを75%以上カットできる。そして、他の装備やパッシブで火耐性をさらに15%ほど稼ぎ、合計で90%にすれば…」
炎上愛好家:
その通り!
自傷ダメージを完全に無効化し、メリットであるスペルダメージ増加のバフだけを、享受することができる!
そして、その状態で別の強力な火属性のスペルを連発する!
これこそが、我々炎上愛好家がたどり着いた、一つの究極の形なのだよ!
そのあまりにも完成された、ビルドの思想。
隼人は、ただ感心するしかなかった。
この世界には、まだ俺の知らない無数の狂気が眠っている。
「面白いな。掲示板で、調べてみるか」
隼人は、そう呟いた。
炎上愛好家:
ああ、ぜひそうしたまえ!
SeekerNetには、我々炎上愛好家が集うスレッドがある!
そこでは、日夜、いかにして美しく、そして効率的に自らを燃やすかという、高尚な議論が交わされている!
君のような才能ある若者が我々の道に興味を持ってくれたこと、心から歓迎するよ!
そのあまりにも熱烈な、勧誘。
隼人は、苦笑いを浮かべながらも、その新たな世界の扉に確かに心を惹かれていた。
彼は、手に入れた二つのユニークアイテムをインベントリへと仕舞った。
【炎の衣】は、売らない。
これは、いつか俺が新たな人生を歩む時のための、重要な選択肢の一つだ。
彼の心は、すでに次なる探求へと向かっていた。
物語は、主人公がまた一つ新たなビルドの可能性を見出し、その尽きることのない探求心が、彼をさらなる深淵へと導いていく、その確かな予感を描き出して幕を閉じた。




