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ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物  作者: パラレル・ゲーマー
C級編

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第75話

 血をぶちまけたような、禍々しい世界。

 神崎隼人は、その一歩足を踏み入れるごとに、粘つくような腐敗した魔素の空気が、肺の奥まで染み込んでくるのを感じていた。

 壁も、床も、天井も、全てがまるで生きているかのようにぬめりを帯び、時折脈打つ。

 空気中を漂う緑色の胞子は、彼の肌に付着すると、チリチリとした微かな痛みを与えた。

 ここは、彼がよく知る【忘れられた闘技場】ではない。

 その骸を苗床にして生まれた、全く別の生態系。

 彼は、その圧倒的な異質さに肌を粟立たせながらも、その口元には獰猛な笑みを浮かべていた。

 ギャンブラーは、常に新しいテーブルを求める。

 そしてこのテーブルは、間違いなく、彼がこれまで経験してきたどのテーブルよりもスリリングで、そして危険な香りに満ちていた。


 彼が最初の曲がり角を曲がった、その瞬間。

 それは、現れた。

 ぬめった壁の肉塊の中から、ずるりと這い出るように、一体のモンスターがその姿を現したのだ。

 そのシルエットは、彼が見慣れたあのゴブリン。

 だが、その様相は全く異なっていた。

 全身が、まるで返り血を浴びたかのように赤黒く染まっている。

 その緑色の皮膚は所々爛れ、腐敗し、そこから紫色の瘴気が陽炎のように立ち上っていた。

 その両目は、もはや理性の光を失い、ただ純粋な飢餓と憎悪に満ちた赤い光を放っている。

 そして、何よりも違うのは、その手にした武器。

 彼が見慣れた、錆びついたショートソードではない。

 その右手には、炎をまとった歪な形状のメイスが握られていた。


 ARシステムが、その新たな敵の情報を表示する。

【腐敗したゴブリン・グラディエーター】


「…なるほどな。見た目も随分と、ファンキーになっちまったじゃねえか」

 隼人は、軽口を叩きながらも、その警戒レベルを最大まで引き上げていた。

 腐敗エリアのモンスターは、攻撃力が30%上昇している。

 そして、こちらの耐性は30%低下している。

 油断は、できない。


 彼はセオリー通り、長剣【憎悪の残響】を構え、その腐敗した侵入者を迎え撃つ。

 ゴブリンが、奇声を上げながら突撃してくる。

 その動き。

(――速い!)

 隼人は、目を見張った。

 通常のグラディエーターとは、明らかに違う。

 その踏み込みの速度、そしてメイスを振りかぶるその動作の鋭さ。

 全てが、一回り、いや二回りも洗練されている。

 彼は、咄嗟にその炎をまとったメイスの一撃を、盾で受け流そうとした。

 だが、ゴブリンはその盾を狙ってはいなかった。

 メイスの軌道が空中で不規則に変化し、彼のがら空きになった胴体へと、吸い込まれるように突き込まれる。

「――何!?」

 隼人は、そのあまりにも人間くさいフェイントに驚愕した。

 彼は、咄嗟に体をひねり、その致命的な一撃を紙一重で回避する。

 だが、メイスにまとわりついていた炎が彼の鎧を掠め、チリリと音を立ててその表面を焦がした。

 彼の視界の隅に、ダメージ表示が現れる。

『火属性ダメージ 58』

 たかが掠めただけで、この威力。

 そして何よりも、彼は戦慄していた。

(こいつ…オーラを使ってやがる…!)

 そうだ、あの炎はただのエフェクトではない。

 モンスターが、自らの魔力で武器に属性を付与するオーラスキル。

 C級の雑魚モンスターが、そんな高度な技術を使ってくるなど、聞いたことがない。


『おいおい、嘘だろ!?』

『今の動き見たか!?完全に、フェイント入れてきたぞ!』

『しかも、属性攻撃持ちかよ!腐敗モンスター、ヤバすぎる!』


 コメント欄もまた、その信じられない光景にパニックに陥っていた。

 隼人は焦りを抑え、冷静に反撃の機会を窺う。

 ゴブリンの二撃目が、襲いかかる。

 今度は、横薙ぎの大振りな一撃。

(――誘ってやがるな)

 隼人は、その攻撃の意図を瞬時に見抜いた。

 これは、パリィを誘うための罠。

 もしここで安易にパリィを取ろうとすれば、三撃目の高速の追撃で体勢を崩されるだろう。

 彼は、その誘いには乗らなかった。

 彼は後方へと大きくステップし、その攻撃を空振りさせる。

 そして、ゴブリンが体勢を立て直すその一瞬の隙。

 それこそが、彼が待ち望んでいた唯一の好機だった。


「――もらった!」

 彼は地面を蹴り、神速の踏み込みでゴブリンの懐へと潜り込む。

 そして、彼はその腐敗した肉体へと、渾身の一撃を叩き込んだ。

【無限斬撃】。

 ザシュッ!

 確かな手応え。

 彼の長剣は、ゴブリンの胸を深々と切り裂いた。

 青黒い冷気のオーラが迸り、その傷口を凍てつかせる。

 通常のグラディエーターであれば、この一撃で勝負は決まっていたはずだ。

 だが、腐敗したゴブリンは違った。

「ギシャアアアアアッ!」

 ゴブリンは、苦痛の絶叫を上げながらも、まだ倒れない。

 その赤い瞳は、憎悪の炎をさらに燃え上がらせ、カウンターの一撃を放とうとしていた。

(…硬えな!)

 隼人は、舌打ちした。

 仕留めきれない。

 この一撃で倒せないという事実。

 それが、彼の完璧だったはずの戦闘リズムを、わずかに狂わせた。

 そして、その狂いは、致命的な隙となって現れた。


 彼が追撃の二撃目を放とうとした、そのまさに背後。

 ぬめった壁から、もう一体の腐敗したゴブリンが、音もなくその姿を現していたのだ。

 その手には、氷のオーラをまとった鋭いダガーが握られている。

「――しまっ…!」

 隼人が気づいた時には、すでに遅かった。

 背後から突き込まれた氷のダガーが、彼の鎧の隙間を正確に貫き、その脇腹を抉る。

 ズブリ、という肉が裂ける生々しい感触。

 そして、彼の全身を凍てつくような激痛が駆け巡った。


「ぐっ…!?」

 彼の口から、呻き声が漏れる。

 HPバーが、一気にその輝きを失っていく。

 2割。

 たった一撃で、彼の最大HPの2割が吹き飛んだ。

 腐敗エリアの攻撃力+30%というデバフ。

 そして、属性攻撃。

 その二つの相乗効果は、彼の【決意のオーラ】による鉄壁の守りですら、いとも簡単に貫通してみせたのだ。


『JOKERさん!』

『うわああああ!後ろから、もう一体いたのか!』

『HP2割も持ってかれたぞ!ヤバい!』


 コメント欄が、悲鳴で埋め尽くされる。

 隼人は、奥歯をギリと噛みしめながらその場から飛び退き、距離を取った。

 脇腹が、焼けるように熱い。いや、冷たい。

 氷のダガーが残した呪いが、彼の体を内側から蝕んでいく。

 彼の目の前には、二体の腐敗した悪魔。

 一体は炎のメイスを構え、もう一体は氷のダガーを逆手に持っている。

 その二つの属性オーラが共鳴し、通路の空気を不気味に震わせていた。


「…キツイな、こりゃ」

 隼人は、荒い息を整えながら呟いた。

 だが、その口元には絶望ではなく、歓喜の笑みが浮かんでいた。

 そうだ、これだ。

 これこそが、俺が求めていたギャンブルだ。

 死と隣り合わせの、このヒリつくような緊張感。

 この絶望的な状況を、どうひっくり返すか。

 彼の全身の血が、沸騰するのを感じた。


 彼は、冷静に状況を分析する。

 敵は、二体。

 一体ずつ、確実に処理する必要がある。

 だが、一体を相手にしている隙に、もう一体から攻撃を受ければ、次こそ致命傷になりかねない。

 ならば、どうする?

 答えは、一つ。

 二体を、同時に無力化する。

 彼の脳裏に、あの必殺のスキルが浮かび上がっていた。

 だが、そのためには二体を射線上に捉える必要がある。

 彼は、動いた。

 ターゲットは、後方の氷のダガー使い。

 彼は、一直線にダガー使いへと突撃していく。

 当然、前衛の炎のメイス使いが、その進路を塞ぐように立ちはだかる。

 だが、それこそが隼人の狙いだった。

 彼は、メイス使いが攻撃を繰り出すそのまさに目の前で、急停止した。

 そして彼は、そのありったけの魔力と体重と、そして魂を込めて、長剣を地面に叩きつけた。

【必殺技】衝撃波の一撃ショックウェーブ・ストライク

 ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!

 凄まじい轟音と共に、腐敗した床が砕け散る。

 そして、そこから放たれた半透明の力の衝撃波が、二体のゴブリンを同時に飲み込んだ。

 気絶効果により、二体の動きが完全に止まった。

 その絶対的な好機。

 隼人は、そこに嵐のような連撃を叩き込んだ。

【無限斬撃】。

 もはやそれは、MPを気にする必要のない、純粋な暴力の嵐。

 脆弱の呪いを受け、その防御力を失った二体のゴブリンに、彼の長剣が何度も、何度も深々と突き刺さり、その存在を削り取っていく。

 やがて、二体のゴブリンは、その体を支えきれず、ゆっくりとその場に崩れ落ち、ひときわ強い光を放ちながら消滅した。


 静寂が、戻る。

 隼人は、脇腹の痛みをこらえながら、荒い息を整えていた。

 彼のHPバーは、すでに【背水の防壁】と【生命の泉】の効果で、半分以上回復している。

 彼は、ドロップした魔石を拾い上げると、ARカメラの向こうの観客たちに語りかける。

「…なるほどな。大体、分かった」

 彼は、自らの戦いを冷静に分析し、その結論を口にした。

「まず、通常技一発じゃ仕留めきれねえ。最低でも、二撃は必須だ」

「そして、敵の飽和攻撃。あいつらの機動力と火力を考えると、多分5体以上同時に来られたらキツイな」

 彼の脳内で、高速のシミュレーションが行われる。

「5体以上いる場合は、まともにやり合うのは愚策だ。逃げながら、【スペクトラル・スロー】で一体ずつ、確実に数を減らしていくしかねえな」

 そのあまりにも的確な分析。

 それに、コメント欄のベテランたちも同意の声を上げた。


 元ギルドマン@戦士一筋:

 うむ。その方針で、良いと思う。

 腐敗エリアは、敵の火力が異常だ。囲まれたら、終わりだと思え。

 常に、ヒット&アウェイを心がけろ。


 ハクスラ廃人:

 その通りだ。無理はするなよ、JOKER。

 死んだら、元も子もねえんだからな。


「ああ、分かってる」

 隼人は、その忠告に静かに頷いた。

 彼は、この新たなテーブルのルールを完全に理解した。

 そして、彼はそのルールの上で、最高のパフォーマンスを演じることを決意した。


 彼は、腐敗した通路をさらに奥深くへと進んでいく。

 彼の予想通り、そこからは常に複数体の腐敗ゴブリンが同時に襲いかかってきた。

 三体、四体。

 その度に、彼は自らが立てた戦術を忠実に実行した。

 まず、【スペクトラル・スロー】で一体を確実に仕留め、敵の数を減らす。

 そして、残った敵を一体ずつおびき寄せ、【無限斬撃】で確実に処理していく。

 時には攻撃を受け、HPが半分以下まで削られることもあった。

 だが、その度に、彼の驚異的なリジェネ能力が彼を死の淵から引き戻す。

 彼は、まるで綱渡りをするかのように、危険と安全の境界線を行き来しながら、着実に、しかし確実にその歩みを進めていった。

 幸い、敵のグループは最大でも四体までだった。

 それが、このエリアの神が定めた、最低限の慈悲だったのかもしれない。


 どれほどの時間を、進んだだろうか。

 入り組んだ腐敗の迷宮を抜けたその先。

 隼人は、ついにその場所へとたどり着いた。

 そこは、これまで彼が通ってきたどのエリアとも比較にならないほど広大で、そして異様な光景が広がる空間だった。

 闘技場の、ボス部屋。

 だが、その様相は完全に変貌していた。

 床も、壁も、全てが脈打つ肉塊と、そして無数の錆びついた機械部品で覆われている。

 まるで、悪魔の肉体と機械の残骸が無理やり融合させられたかのような、冒涜的な光景。

 そして、その広大な部屋の中央。

 そこに、それは鎮座していた。

 ボスだ。

 だが、その姿は、彼が想像していたどんな巨大なゴブリンでも、ドラゴンでもなかった。

 それは、一体の機械だった。

 高さは、10メートルはあろうか。

 錆びついた鉄の装甲。

 無数のパイプが絡みついた、巨大な胴体。

 そして、その胴体の中心には、巨大な単眼のレンズが不気味な赤い光を放っている。

 そのレンズの下からは、まるで昆虫の足のように六本の多関節のアームが伸び、その先端にはドリルや回転ノコギリ、レーザー砲といった殺戮のための武装が取り付けられていた。

 それは、まるで古代の兵器が悪魔の魂を宿し、蘇ったかのような冒涜的な存在。

 鉄の悪魔。

 それが、この腐敗した領域の主にふさわしい呼び名だろう。

 物語は、主人公が腐敗の洗礼を乗り越え、ついにその領域の最深部で待ち受ける未知なる脅威と対峙した、その絶望と希望が入り混じる最高の瞬間を描き出して幕を閉じた。


※2025/07/14 読者から指摘があり誤字があったので修正しました。

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