第73話
C級ダンジョン【忘れられた闘技場】。
その血と砂にまみれたアリーナに、神崎隼人は王者の風格を漂わせながら再び降り立った。
彼の魂に宿る二つのオーラスキル…【活力のオーラ】と【精度のオーラ】は、レベル2へとその輝きを増している。その代償として、彼のMPはさらに深く予約され、実際に使える量はわずか106。
普通の探索者であれば、そのあまりにもピーキーなリソース配分に恐怖を覚えるだろう。
だが、隼人は違った。
彼の口元には、絶対的な自信に満ちた不敵な笑みが浮かんでいた。
「さてと」
彼はARカメラの向こうの、数万人の観客たちに語りかける。
「新しい力の試運転だ。どれほどのものか、見せてやるよ」
その言葉を合図にしたかのように、アリーナの四方から鉄格子がせり上がり、あの忌まわしいゴブリン・グラディエーターたちがその姿を現した。
前衛に、盾持ちが二体。
後衛に、弓兵が二体。
かつて彼を苦しめた、完璧な布陣。
だが、今の彼にとってはもはや最高のカモでしかなかった。
「――まずは後衛からだ」
彼は、もはやルーティンと化した黄金パターンの第一手を放つ。
【スペクトラル・スロー】。
分裂し、弧を描きながら飛翔する三つの霊体の剣。
後衛の弓兵たちは、そのあまりにも理不尽な弾道になすすべもなく、その胸を貫かれ、光の粒子となって消滅した。
一撃。
たった一撃。
あまりにも、呆気ない幕開けだった。
「グルアアアアアッ!」
相棒を一瞬で失った前衛のグラディエーターたちが、怒りに我を忘れ突撃してくる。
その重い一撃を、隼人は盾で受け止める。
ゴッ、という鈍い衝撃音。
だが、彼の体はびくともしない。
そして、彼は反撃の狼煙を上げた。
【無限斬撃】。
神速の連撃が、グラディエーターの盾を弾き、鎧を砕く。
そして彼は、気づいた。
自らの剣が、これまでとは明らかに違う次元の動きをしていることに。
(…当たる。面白いように、当たるな)
これまで、レベル1の【精度のオーラ】では、時折『Miss』の表示が出ていた。
だが、レベル2の圧倒的な精度補正を受けた彼の剣は、もはや空を切ることがない。
全ての一撃が、まるで磁石のように敵の急所へと吸い込まれていく。
10割。
いや、体感では12割。
未来の軌道すら見えているかのような、絶対的な命中精度。
攻撃が、全て当たる。
その事実が、彼のDPSをこれまでとは比較にならない領域へと引き上げていた。
グラディエーターは、なすすべもなくその嵐のような連撃の前にひれ伏し、やがて光の粒子となって消滅した。
『うおおおおお!強ええええ!』
『なんだ今の殲滅速度!前より、明らかに速くなってるぞ!』
『精度やべえな…。攻撃が全部当たると、こんなに違うもんなのか…』
『上げて正解だったな、JOKERさん!』
コメント欄が、熱狂に包まれる。
隼人は、その声援を背に、ただ静かに頷いた。
「ああ、正解だったな」
彼は、その確かな成長を噛みしめながら、闘技場のさらに奥深くへとその歩みを進めていく。
通路に現れる全ての敵が、彼のショーを盛り上げるためのエキストラと化していた。
高台の弓兵は、【スペクトラル・スロー】の餌食に。
通路を塞ぐ盾兵は、【無限斬撃】の錆に。
それは、もはや戦闘ではない。
ただの、一方的な蹂躙。
ただの、ショータイムだった。
そして彼は、ついにあの場所へとたどり着いた。
闘技場の最深部。
ボス部屋。
彼がアリーナの中央に足を踏み入れた、その瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…!
闘技場全体が地響きを立てて揺れ、あの絶望の軍勢がその姿を現した。
総勢十体の、ゴブリン・グラディエーター軍団。
だが、その光景を目の前にしても、彼の心は凪いでいた。
「――ショーの主役の登場か」
彼は不敵に笑うと、あの時と全く同じ動きをトレースした。
敵陣の中央へと突撃し、そのど真ん中で必殺の一撃を地面に叩きつける。
【衝撃波の一撃】。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
轟音と共に闘技場の床が砕け散り、衝撃波が10体のグラディエーターを同時に飲み込んだ。
完璧な、イニシエート。
そして彼は、後衛の弓兵たちへと向き直り、【スペクトラル・スロー】の嵐を叩き込む。
シュオオオッ!シュオオオッ!シュオオオッ!
霊体の剣が乱れ飛び、弓兵たちは悲鳴を上げる暇もなく全滅した。
残された、六体の前衛。
彼らが混乱から立ち直った時、目の前にいたのは、悪魔の笑みを浮かべた絶対的な捕食者だった。
「さあ、第二ラウンドだ」
隼人の神速の剣が、残されたグラディエーターたちを蹂躙していく。
それは、もはや作業ですらなかった。
ただの、芸術。
あまりにも完成された、殺戮の舞踏。
そして、最後の一体が光の粒子となって消え去ったその時。
アリーナに、絶対的な静寂が戻った。
後に残されたのは、おびただしい数の魔石とドロップアイテム。
そして、その中心で、荒い息一つ乱すことなく静かに佇む一人の王者の姿だけだった。
彼は、ドロップしたアイテムを一つ一つ拾い上げていく。
C級の魔石が、数十個。
いくつかの、レア装備。
そして、彼の目が、一つのひときわ異質な輝きを放つアイテムの前で止まった。
それは、濃密で力強い橙色の光。
ユニークの輝きだった。
彼のユニークスキル【運命の天秤】が、またしてもその奇跡の力を発揮したのだ。
彼は、その光の中心に静かに横たわる一つの胴防具を拾い上げた。
それは、黒い霧のような実体のない素材で作られた、禍々しい胸当てだった。
ARシステムが、その詳細な性能を表示する。
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名前: 亡霊の身悶え(ぼうれいのみもだえ)
種別: ユニーク・胴防具
装備条件:Level 11, 37 知性
【プロパティ】
最大エナジーシールド +200
最大ライフ +100
混沌耐性 +50%
最大ライフの50%をエナジーシールドに変換する
【フレーバーテキスト】 肉体は枷。それを砕き、純粋な意志の骸として生まれ変われ。
「…なんだ、これ」
隼人は、思わず声を漏らした。
そのあまりにも特徴的で、そしてどこか自傷的な性能。
「強いな…」
最大エナジーシールド+200、最大ライフ+100、そして混沌耐性+50%。
その三つのプロパティだけでも、C級の防具としては破格の性能だ。
だが、問題は最後の一文。
『最大ライフの50%をエナジーシールドに変換する』
彼の現在の最大HPは862。その半分が、エナジーシールドになる。
つまり、HPが431まで減る代わりに、エナジーシールドが431増えるということか。
エナジーシールドとは、HPの上乗せされる第二のライフバーのようなもの。ダメージを受けると、まずエナジーシールドから消費され、それが尽きて初めてHPが減り始める。
そして、一定時間ダメージを受けなければ、高速で自動回復するという特性を持つ。
そのあまりにもピーキーな性能に、コメント欄が即座に反応した。
『うおおおお!亡霊の身悶えじゃねえか!』
『またユニークかよ!JOKERのドロップ運、マジでどうなってんだ!』
『これ、強いけど安いんだよな。結構ドロップするから、10万円くらいで買えるはずだぜ』
そのコメントに、隼人は少しだけがっかりした。
だが、ベテランの視聴者たちが、その装備の真の価値について語り始める。
元ギルドマン@戦士一筋:
JOKER
その胴当ての肝は、最後の一文だ。「最大ライフの50%をエナジーシールドに変換する」。
これを利用した、特殊なビルドが存在する。
ライフを極限まで少なくして、代わりにエナジーシールドをガチガチに固める。
そうすることで、ライフの「割合」でダメージを受ける特定の継続ダメージスキル(例えば出血など)の効果を、最小限に抑えることができるんだ。
ハクスラ廃人:
そういうことだ。そして、そのビルドの本当の目的は防御じゃない。火力だ。
お前ら、禁断のスキル【デーモンフォーム】を知ってるか?
敵にダメージを与えるか、食らうたびに無限にスタックしていく「悪魔の刻印」ってバフがあるんだよ。
1スタックごとにスペルダメージが1%増える代わりに、毎秒最大ライフの0.1%の混沌ダメージを受け続けるっていう、狂ったスキルだ。
つまり、この『亡霊の身悶え』でライフを極限まで減らせば、デーモンフォームの自傷ダメージも最小限に抑えられる。
その上で、悪魔の刻印を数百、数千とスタックさせて、神をも殺す一撃を放つ。
俺たちは、そのビルドを敬意と少しの揶揄を込めて、『デーモンフォームビルド』って呼んでる。
まるで悪魔に魂を売ったかのように、人の身を捨てた戦い方だからな。
「なるほどな…」
隼人は、その深い解説に感心した。
「変わり種の装備か。魔法使い系のビルドってことだな」
装備条件に知性が要求されることからも、それは明らかだった。
「うーん、魔法使い用だしな…。一応、取っておくか…」
彼はそう呟きながら、その禍々しい胴当てをインベントリへと仕舞った。
今の彼には、不要な装備。
だが、彼のユニークスキル【複数人の人生】が、いつかこのパズルのピースを必要とする時が来るかもしれない。
彼の、その何気ない一言。
それに、コメント欄が待っていましたとばかりに食いついた。
『え!?』
『魔法使い用…?もしかしてJOKERさん、ついに魔法使いビルドも始めるの!?』
『うおおおお!マジか!あのJOKERが、杖を振るう姿見てみてえええ!』
『脳筋戦士からのインテリ魔術師とか、ギャップ萌えやばすぎるだろ!』
コメント欄が、新たな期待に一気に沸き立つ。
そのあまりの熱狂ぶりに、隼人は少しだけ呆れたように笑った。
「気が早えよ、お前ら」
彼は、ARカメラの向こうの興奮する観客たちをいなすように言った。
「もしやるとしたら、まずはユニークのワンドでも手に入れてからだな。話は、それからだ」
その言葉。
それは、彼のリップサービス。
だが、彼のギャンブラーとしての魂は、すでに新たなゲームの可能性に心を躍らせていた。
戦士、そして魔法使い。
二つの全く異なる人生を、同時に歩む。
それは、なんとスリリングで、なんと刺激的なギャンブルだろうか。
物語は、主人公が一つの戦いを完全に終え、そしてまた新たなパズルのピースを手に入れた、その無限に広がる可能性を描き出して幕を閉じた。




