第70話
C級ダンジョン【忘れられた闘技場】を完全攻略し、レベル16へと到達した神崎隼人。
その日の夜、彼の戦場は血と砂にまみれたアリーナではなく、自室の古びたゲーミングチェアの上にあった。
新宿のギルド公認換金所。そこで、彼の勝利の女神であり、最高の軍師でもある水瀬雫から授けられた新たな知識。
【チャージスキル】。
そのあまりにも甘美で、そして奥深い響きは、彼のギャンブラーとしての、そして一人のゲーマーとしての魂を、根底から揺さぶっていた。
30万円という、これまでの人生で手にしたことのないほどの大金が銀行口座に振り込まれたという事実すら、今の彼にとっては些細なことに思えた。彼の頭の中は、ただ一つ。あの赤、緑、青に輝く三色のオーブのことで、いっぱいだった。
「…面白い」
彼の唇から、乾いた、そして歓喜に満ちた呟きが漏れる。
彼は興奮冷めやらぬまま、再び情報の海…日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』へと、その意識をダイブさせた。
目的は、ただ一つ。
雫から教わった「チャージ」という名の新たな大陸の、その全貌を自らの目で確かめるためだ。
彼がまず向かったのは、もはや彼の第二の故郷とも言える場所。
『戦士クラス総合スレ』。
彼は検索窓に、『チャージ』『血の怒り』というキーワードを打ち込んだ。
表示されたのは、おびただしい数のスレッド。そのほとんどが、彼と同じようにレベル16に到達したばかりの新人戦士たちの、期待と不安に満ちた質問だった。
『【質問】血の怒り使ってみたけど、自傷ダメージが痛すぎてポーションがぶ飲みなんだが…』
『【相談】持久力チャージと狂乱チャージ、どっちを取るべき?』
『【ビルド】チャージを効率よく維持する方法、教えてくれ!』
隼人は、その一つ一つの書き込みを、まるで自分のことのように読み進めていく。
そして彼は、改めて水瀬雫のそのあまりにも的確な先見の明に、舌を巻いていた。
彼女が彼に語ってくれたこと。その全てが、このスレッドの中で、数多のベテラン探索者たちによって裏付けられていたのだ。
721 名無しの古参兵
715
【血の怒り】の自傷ダメージが痛いだと?甘えるな、新人。
それは、お前のビルドが未熟なだけだ。
【決意のオーラ】で物理ダメージ軽減を積んでいるか?
【生命の泉】のような、割合リジェネを確保しているか?
それらの準備を怠ったまま、安易にこの諸刃の剣に手を出すからそうなる。
このスキルはな、デメリットを別の力で完全に踏み倒して、初めて真価を発揮するんだよ。
それができないなら、お前にはまだ早い。
735 ハクスラ廃人
持久力か、狂乱かだと?永遠のテーマだな、それは。
俺個人の意見を言わせてもらえば、答えは、お前の財力次第だ。
金があるなら、狂乱チャージを選べ。圧倒的な攻撃速度とダメージ上昇で敵を瞬殺すれば、結果的に被弾は減る。攻撃は最大の防御なり、ってな。
だが、金がなくて装備が貧弱なら、素直に持久力チャージを選んでおけ。物理ダメージ軽減と全属性耐性+12%は、どんな状況でもお前の命を救ってくれる、最高の保険になる。
まあ、最近話題のあのJOKERとかいうイカれた新人は、その両方を手に入れてるようなもんだがな。羨ましいこった。
雫の解説は、完璧だった。
彼女は、まるでこのスレッドの内容を全て暗記しているかのように、彼に最適な道を示してくれていたのだ。
隼人は、その揺るぎない事実に、改めて彼女への信頼を深めていた。
だが、彼の探求心はそこで止まらなかった。
彼はこのスレッドのさらに奥深く。
ベテランたちが、当たり前のように語り合っている未知の領域へと足を踏み入れていく。
そして彼は、気づいてしまったのだ。
チャージの供給源は、【血の怒り】のように敵を倒すことだけではないという、衝撃の事実に。
801 盾職人
最近、ブロック率を極限まで高めたタンクビルドを試してるんだが、これが面白い。
パッシブスキルで、「ブロック時に25%の確率で持久力チャージを1得る」ってのを取ってみたんだ。
C級の敵の猛攻を盾で受け流し続けてるだけで、勝手に持久力チャージが最大まで溜まっていく。
気がつけば、物理ダメージ軽減率がとんでもない数値になってて、もはや敵の攻撃がマッサージにしか感じられねえw
815 パリィの達人
801
ブロックもいいが、男は黙ってパリィだろ。
俺は、「パリィ成功時に100%の確率で狂乱チャージを1得る」っていう、ユニークの手袋を使ってる。
敵の攻撃を華麗にいなした瞬間、俺の攻撃速度は狂ったように跳ね上がる。
あのカウンターの一撃が、最高に気持ちいいんだよな。
822 幸運の剣士
お前ら、地味な戦い方してんなあ。
俺のビルドは、もっと派手だぜ。
クリティカル率を極限まで高めて、パッシブの「クリティカルヒット時に確率でパワーチャージを得る」ってのを取ってる。
敵の急所に一撃叩き込むたびに、俺の次の一撃のクリティカル率が、さらに跳ね上がっていく。
この無限に火力が上昇していく感覚。やめられねえよ。
ブロック、パリィ、クリティカル…。
チャージを得るための手段は、プレイヤーの戦闘スタイルそのものと、密接に結びついていた。
それは、ただスキルを使うだけではない。
「どう戦うか」によって、得られる力が変わってくる。
そのあまりにも自由で奥深いビルド構築の可能性に、隼人は戦慄していた。
それだけではない。
チャージの使い道もまた、彼が想像していたよりも遥かに多様だった。
855 資産家ウォリアー
最近、面白い指輪を手に入れたんだ。
「あなたの持久力チャージ一つにつき、あなたの近接物理ダメージが5%増加する」って効果の、ユニークリングだ。
持久力チャージで防御を固めながら、同時に火力も上げられる。まさに、攻防一体。
値段は高かったが、いい買い物をしたぜ。
861 オーラ信者
俺は、「あなたの狂乱チャージが最大数の時、あなたが展開するオーラの効果が20%増加する」っていう、ユニークの兜を使ってる。
狂乱チャージで攻撃速度を上げながら、【憎悪のオーラ】の追加ダメージも底上げする。
このシナジーが、たまらねえんだ。
チャージは、単なるステータスバフではない。
それは、他のスキルや装備と複雑に絡み合い、新たな力を生み出す、ビルドの核となる「リソース」。
隼人は、この世界の本当の深淵を垣間見た気がした。
そして、彼の探求は彼をさらに狂的な領域へといざなう。
議論が白熱するスレッドの中で、彼はいくつかの衝撃的な動画クリップへのリンクを発見したのだ。
最初の動画。
タイトルは、『【爽快】チャージ・ディスチャージビルドで、C級ダンジョンを高速周回』。
クリックすると、そこに映し出されていたのは、一人の重装備の戦士だった。
彼は、アリーナに出現した数十体のモンスターの群れのど真ん中へと、躊躇なく突撃していく。
そして、次の瞬間。
彼の体を中心に、巨大な雷の爆発が発生した。
バチバチバチッ!という轟音と共に、画面が真っ白になるほどの閃光がほとばしる。
光が収まった時。
そこにいたはずのモンスターの群れは、一体残らず消し炭となっていた。
そして、爆発を起こしたはずの戦士の周りには、何事もなかったかのように、新たな三色のチャージオーブがキラキラと輝きながら浮遊している。
彼は即座に、次の敵の集団へと突撃していく。
そして、再び大爆発。
そのあまりにも豪快で、破滅的な連鎖爆発。
隼人は、その光景に目を奪われた。
スレッドの解説には、こう書かれていた。
「これは【ディスチャージ】っていうスキルを使ったビルドだ。全てのチャージを消費して、その数と種類に応じた大規模な範囲攻撃を放つ。そして、特定のユニーク装備の効果で、その爆発で敵を倒した時にチャージを再獲得する。まさに、自らが人間爆弾となって戦場を更地に変えていく、究極の爽快感ビルドだ」
二つ目の動画。
タイトルは、『【神速】フリッカーストライクで、ボス部屋3秒クッキング』。
そこに映し出されていたのは、一人の軽装の盗賊だった。
彼は、ボスの巨大なドラゴンが咆哮を上げるその目の前で、静かにダガーを構えている。
そして、戦闘が始まった瞬間。
彼の姿が、消えた。
次の瞬間、彼はドラゴンの巨大な翼の付け根に現れ、そのダガーを深々と突き立てていた。
さらに次の瞬間。
彼は、ドラゴンの首筋にワープし、その逆鱗を切り裂く。
画面が、目まぐるしく切り替わる。
青白い閃光が何度も、何度も交差し、そのたびにドラゴンは苦痛の咆哮を上げた。
それは、もはや戦闘ではない。
一方的な、解体ショー。
そして、わずか3秒後。
巨大なドラゴンは、おびただしい傷をその身に刻み、血の涙を流しながら、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
後に残されたのは、返り血一つ浴びていない、涼しい顔の盗賊だけだった。
スレッドの解説。
「【フリッカーストライク】。狂乱チャージを一つ消費して、ランダムな敵の近くにテレポートし、攻撃する究極の移動兼攻撃スキルだ。敵を倒せば、【血の怒り】でチャージが補充される。つまり、条件さえ揃えば、敵がいなくなるまで無限に瞬間移動を繰り返す、神速の暗殺者ビルドが完成する」
隼人は、その人間業とは思えない神速の蹂躙劇に、言葉を失っていた。
戦士スレだけでは飽き足らず、彼は他のクラスのスレッドも覗きに行った。
『盗賊クラス総合スレ』では、パッシブスキルでチャージの上限を「7」にまで引き上げた盗賊が、狂乱チャージを7つその身に宿し、常人にはもはや残像しか見えないほどの速度でダガーを振り回し、格上のボスを瞬殺していた。
(攻撃速度+28%、ダメージ+28%…。化け物か…)
『魔術師クラス総合スレ』では、パワーチャージを最大まで溜め込み、クリティカル率を極限まで高めた魔術師が、詠唱したたった一発の巨大な氷の槍で、ボスのHPバーを文字通り「蒸発」させていた。
(クリティカル率+150%…。どんな防御も、意味をなさないな…)
情報の海から帰還した隼人。
彼の頭の中は、興奮と、そして自らの無知へのわずかな悔しさで、いっぱいだった。
チャージ。
それは、彼が思っていたよりも遥かに、遥かに奥深く、そして無限の可能性を秘めたシステムだった。
彼は改めて水瀬雫のその的確なアドバイスに感謝すると同時に、この世界の本当の面白さに、心を躍らせていた。
「面白い…。実に面白いじゃねえか、この世界は…」
彼の口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。
彼の次なる目標は、もはやただ【血の怒り】を手に入れることだけではなかった。
この無限に広がる、「チャージ」という名の新たなパズル。
それを、どう自分流に解き明かし、誰も見たことのない最強のビルドを組み上げるか。
彼のギャンブラーとしての、そしてゲーマーとしての本当の戦いが、今、始まろうとしていた。
物語は、主人公がこの世界のさらなる深淵を覗き込み、その無限の可能性に心を震わせた、その覚醒の瞬間を描き出して幕を閉じた。




