第64話
神崎隼人は、C級ダンジョン【忘れられた闘技場】のその最後の一体となるモンスターが、光の粒子となって消え去るのを静かに見届けた。
闘技場の広大なアリーナに、静寂が戻る。
床には、おびただしい数の魔石といくつかのレアアイテムが、キラキラと輝いていた。
今日の稼ぎも、上々だ。
彼はその確かな成果に満足しながらも、その胸の内には、これまでとはまた質の違う、新たな「課題」が生まれていた。
C級ダンジョン。
それは、確かに彼がこれまで経験してきたどのダンジョンよりも、遥かに厄介だった。
敵の回避力。
そして何よりも、その完璧な「連携」。
彼は、自らのビルドとプレイヤースキル、そして機転を利かせた戦術によって、その全てを打ち破り勝利を掴んだ。
だが、それはあくまで結果論だ。
一歩間違えれば、負けていたかもしれない。
もっと圧倒的に、そしてもっと安定して勝つためには、何かが足りない。
その漠然とした、しかし確かな感覚が、彼の心を支配していた。
彼は、ドロップしたアイテムを全て回収すると、ダンジョンを後にした。
その足で向かう先は、いつもの場所。
新宿のギルド本部ビル、その一階にある換金所。
そこに、彼の最高の「軍師」がいることを、彼は知っていたからだ。
換金所のガラス張りの自動ドアをくぐると、そこにはやはり彼女がいた。
水瀬雫が彼の姿を見つけると、その大きな瞳を嬉しそうに細め、プロフェッショナルの笑顔の中に、隠しきれない温かな歓迎の色を滲ませて出迎えてくれた。
「JOKERさん、お待ちしておりました!C級ダンジョン初クリア、本当におめでとうございます!」
その第一声は、事務的な挨拶ではない。
彼の新たな挑戦の成功を、自分のことのように喜ぶ心からの祝福だった。
「配信、もちろん拝見していましたよ!最後のグラディエーターとスナイパーの連携、見事でしたね!」
「…まあな」
隼人は、その手放しの賞賛に少しだけ照れくさそうに答えながら、インベントリから今日の成果である大量の魔石を、カウンターのトレイの上に置いた。
雫は、その魔石の量に満足げに頷くと、手慣れた様子でそれらを鑑定機へとかけていく。
その鑑定を待つ、わずかな時間。
それは、彼らにとって恒例となった、貴重な作戦会議の時間だった。
「ですが…」
雫は鑑定機のモニターを見つめながら、切り出した。その瞳には、彼の勝利を称えるファンとしての輝きと同時に、彼のビルドを分析する軍師としての鋭い光が宿っていた。
「何か、新たな課題が見つかったのではありませんか?」
そのあまりにも的確な問いかけ。
隼人は、驚きを隠せなかった。
彼女は、ただ配信を見て楽しんでいるだけではない。
彼の戦いを、その一挙手一投足を完璧に分析し、彼が今抱えている問題を正確に見抜いていたのだ。
「…その通りだ」
隼人は、観念したように認めた。
「まず一つ。防御力が低い。攻撃が、痛すぎる」
「確かに、HPは盾のおかげで今のところ半分以下から驚異的な速度で回復するから、死ぬことはない。だが、C級の敵の一撃は重い。一発もらうだけで、HPがごっそりと持っていかれる。あれでは、いずれ回復が追いつかなくなる」
「そして、もう一つ」
彼は続けた。
「今の俺の手札だと、遠距離攻撃の手段が全くないことだ」
「あの弓兵のように、距離を取ってちくちくと攻撃してくる相手に対して、俺は近づくしか選択肢がない。必殺技の**【衝撃波の一撃】**なら遠距離も攻撃できるが、あんなMP消費の激しい技を雑魚相手に連発はできない。あれは、あくまでボス用の切り札だ」
二つの明確な弱点。
それを打ち明けた隼人に、雫は待っていましたとばかりに、その瞳をキラキラと輝かせた。
彼女のゲーマーとしての魂に、火がついた瞬間だった。
【転】「投擲」という解法と、「物理耐性」という壁
「素晴らしい自己分析ですね!」
雫はそう言うと、ARウィンドウを操作し、一つのスキルジェムの情報を表示させた。
それは、隼人がこれまで一度も見たことのない、緑色のスキルジェムだった。
「まず、遠距離攻撃の問題。それに対する最も簡単な回答が、これです」
【スペクトラル・スロー】
効果: 装備している近接武器の**霊体**を生成し、それを前方に投擲する。霊体は、ブーメランのように手元に戻ってくる軌道を描き、その軌跡上の全ての敵にダメージを与える。
「これは武器を投擲するスキルですが、実際に武器を投げるわけではありません。あくまで、武器の霊体を投擲するんです。だから、武器を失う心配もない」
「そして何より重要なのが、これがアタックスキルであるという点です。つまり、武器の威力に依存してダメージが決まるので、JOKERさんのような強力な物理武器を持つ戦士でも、違和感なく、そして効率的に使いこなすことができるんです」
そのあまりにも画期的なスキル。
隼人は、息を呑んだ。これさえあれば、彼の戦術の幅は飛躍的に向上するだろう。
「そして、もう一つの問題」
雫は続けた。
「『攻撃が痛い』…つまり、物理耐性が低いという問題ですね」
彼女の表情が、少しだけ曇る。
「これは、JOKERさん、あなただけの問題ではありません。全ての低レベルの探索者が直面する、大きな壁なんです」
「どういうことだ?」
「本来、探索者の物理耐性は、兜や鎧といった防具に付与される特性(MOD)で稼ぐのが基本です。ですが、その物理耐性のMODが付与されるようになるのは、その装備のアイテムレベルが20以上になってからなんです」
「そして、アイテムレベルはドロップするダンジョンのランクに依存する。つまり、JOKERさん、あなたはまだレベルが足りない。だから、どんなに良い装備を探しても、物理耐性を大幅に上げることはできないんです」
そのあまりにも残酷な、世界のルール。
隼人は初めて、自らのレベルの低さが明確な「枷」となっている現実を、突きつけられた。
「もちろん、例外はあります」
雫はそう言うと、もう一つ別のスキルジェムの情報を、表示させた。
それは、赤く力強い輝きを放つオーラスキルだった。
【決意のオーラ】
効果: 術者と周囲の味方の物理ダメージ軽減率とアーマー値を、大幅に増加させる。
装備要件:レベル24
MP予約:50%
「この【決意のオーラ】で物理耐性を盛りっと増やすというのが、戦士の鉄板ビルドの一つです。ですが、ご覧の通りこちらもレベルが足りない。レベル24解禁です。それに、予約MPも50%。今のあなたのMPでは、とてもじゃありませんが、他のオーラと併用することはできません。まだまだ使えませんね」
絶望的な現実。
レベルという、時間と経験の壁。
それだけは、彼のギャンブルの才覚でもどうすることもできない。
彼が押し黙った、その時。
雫は、悪戯っぽく笑った。
「…とまあ、これが教科書通りの絶望です」
「ですが、JOKERさん。あなたのような『例外』には、いつだって**『例外の道』**が用意されているものですよ」
彼女はそう言うと、最後のヒントを彼に与えた。
「例外は、ユニーク装備に付いてる決意のオーラスキルですね。これなら、装備条件を無視して高レベルのオーラを使うことができます。もしマーケットで見かけたら、それは運命かもしれませんよ?ぜひ、探してみて下さい」
そのあまりにも思わせぶりな言葉。
それは、彼のギャンブラーとしての魂に、新たな火を灯すには十分すぎるほどの燃料だった。
その時、鑑定の終了を告げる電子音が鳴り響いた。
雫がモニターを確認し、笑顔で告げる。
「お待たせいたしました。C級ダンジョンの魔石も加わりましたので、今回は素晴らしい金額になりましたよ。買い取り価格、合計でちょうど10万円になります」
10万円。
その大きな塊。
彼は、それを受け取ると、静かに立ち上がった。
雫が、彼に声をかける。
「次の配信も、楽しみにしていますね。あなたがどんな『回答』を見つけ出すのか」
「…ああ。期待して、待ってな」
隼人は、ぶっきらぼうにそう答えると、換金所を後にした。
彼の心は、すでに次なるパズルに向かっていた。
遠距離攻撃のための【スペクトラル・スロー】。
そして、物理耐性を確保するための未知のユニーク装備。
彼の情報の海へのダイブは、まだ終わらない。
物語は、新たな課題とそのヒントを手に入れた主人公が、その尽きることのない探求心と共に、次なるステージへと歩みを進める、その確かな一歩を描き出して幕を閉じた。




