第62話
神崎隼人はその日、新たな戦場の入り口に立っていた。
D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】を、もはや自らの安定した収入源として完全に掌握した彼。
レベルは13に到達し、そのビルドもまた一つの完成形を迎えていた。
だが、彼は安住しない。
ギャンブラーは、常により高いレートのテーブルを求める生き物だ。
その渇望が、彼をこの場所へと導いた。
C級ダンジョン【忘れられた闘技場】
そこは、古代の巨大なコロッセオの遺跡がダンジョン化した場所だった。
風化した円形の壁。
観客席であっただろう、石の階段。
そして、その中央に広がる、血と砂にまみれた広大なアリーナ。
空気中に漂う魔素は、これまでのダンジョンとは比較にならないほど濃密で、そしてどこか鉄臭い闘争の匂いがした。
彼は、その新たな戦場の空気を深く吸い込んだ。
そして、いつものように配信のスイッチを入れる。
『【C級初挑戦】忘れられた闘技場。――ここからが、本当の始まりだ』
そのタイトルを目にした数万人の視聴者たちが、一斉に彼のチャンネルへとなだれ込んでくる。
コメント欄は、期待と、そしてそれ以上に大きな不安の声で埋め尽くされていた。
『ついにC級か…!』
『おいおいJOKER、いくらなんでも早すぎるだろ!レベル13でC級ソロは、自殺行為だぞ!』
『D級とC級の間には、天と地ほどの壁があるって聞くぞ…』
『無理はするなよ、JOKERさん!』
隼人は、その心配の声をBGMに、静かに、そして確かにその覚悟を固めていた。
彼は、今日の配信では、いつもの音楽もドラマも流してはいない。
ふざけていられるステージではないことを、彼自身が一番理解していたからだ。
これは、ただの金策ではない。
自らの力がどこまで通用するのかを試す、本気のギャンブル。
「さてと」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに静かに告げた。
「C級ダンジョンがどれほどの物か。――この目で、確かめてやろうじゃねえか」
その言葉と共に、彼は闘技場の巨大なゲートをくぐり、その血と砂のアリーナへと、その第一歩を踏み出した。
広大なアリーナに足を踏み入れた隼人。
彼が周囲を警戒した、その瞬間。
アリーナの中央の地面から、一体のモンスターがせり上がってきた。
それは、彼が見慣れたあのモンスター。
ゴブリンだった。
だが、その姿はF級の雑魚とも、E級の兵士とも全く違っていた。
身長は、隼人と同じくらい。
その緑色の皮膚は引き締まり、無駄な贅肉は一切ない。
その両手には、何も持っていない。武器も、盾も。
ただその鋭い爪と牙だけを剥き出しにして、その瞳は、まるで熟練の武術家のように、静かに、そして深く隼人の動きを観察していた。
『…ゴブリン一体?』
『なんだ、拍子抜けだな…』
『いや、待て!あれはただのゴブリンじゃねえ!【ゴブリン・グラディエーター】だ!C級の固有モンスター!』
ベテランの視聴者が、警告の声を上げる。
だが、隼人は動じない。
(たかがゴブリン一体。相手が何であろうと、やることは変わらねえ)
彼は、この最初の敵を、自らの力の試金石とすることに決めた。
彼は長剣【憎悪の残響】を抜き放つと、迷いなく**【通常技】無限斬撃**を起動した。
シュインッ!
彼の神速の一撃が、グラディエエーターの喉元を捉える。
そう思われた。
だが、次の瞬間。
隼人は、信じられない光景を目の当たりにする。
ひらりと。
グラディエーターは、まるで風に舞う木の葉のように、彼の剣を最小限の動きで華麗にかわしてみせたのだ。
「――何!?」
隼人の口から、初めて素の驚きの声が漏れた。
彼の攻撃が、避けられた。
それも、D級の骸骨の王のようにブロックされたのではない。完全に見切られ、完璧に回避されたのだ。
彼は焦りを抑え、再び剣を振るう。
二度、三度、四度。
だが、その全ての斬撃が空を切った。
グラディエーターは、ケタケタと甲高い声で嘲笑いながら、彼の猛攻をまるで子供の遊びのようにいなしていく。
彼の視界の隅では、『Miss』『Miss』『Miss』という、無慈悲なシステムメッセージが高速で流れていく。
『嘘だろ…!?』
『JOKERさんの攻撃が、全く当たってない!』
『なんだあのゴブリン!動きが速すぎる!』
コメント欄もまた、その信じられない光景にパニックに陥っていた。
そして、回避のショーを終えたグラディエーターが、反撃に転じる。
ケタケタと笑いながら、その鋭い爪で嵐のような連続攻撃を仕掛けてきたのだ。
隼人は、その猛攻を**【鉄壁の報復】**で受け流す。
だが、その攻撃の一撃一撃が重い。
彼のHPバーが、みるみるうちに削られていく。
HPが50%を切ったその瞬間、【背水の防壁】の効果が発動し、秒間100という驚異的なHPリジェネが、彼を死の淵から引き戻す。
だが、それも時間の問題だった。
攻撃が当たらなければ、勝つことはできない。
このままでは、いずれじり貧で押し切られる。
(なぜだ…なぜ、当たらん…!)
彼の心に、焦りが生まれる。
その焦りが、彼の完璧だったはずの剣の軌道を、わずかに鈍らせた。
その一瞬の隙を見逃すほど、目の前の剣闘士は甘くはなかった。
その時だった。
彼の絶望的な状況を見かねたコメント欄の有識者たちが、一斉に叫び声を上げた。
元ギルドマン@戦士一筋:
『JOKER!【精度のオーラ】だ!それをオンにしろ!』
ハクスラ廃人:
『そうだ!C級からは、敵の回避力が爆上がりするんだよ!お前の今の精度じゃ、攻撃が当たるわけねえだろうが!』
ベテランシーカ―:
『早く!オーラを切り替えるんです!』
精度。
その言葉に、隼人はハッとした。
そうだ、俺にはもう一つのカードがあったはずだ。
彼は脳内でスキルウィンドウを開くと、これまで温存していたあのオーラスキルを起動させた。
【自動呪言】をオフに。
そして、**【精度のオーラ】**をオンに。
彼のMPバーが22予約され、その代わりに、彼の全身を集中力を高める透明なオーラが包み込んだ。
彼の視界が変わった。
これまで高速で捉えきれなかったグラディエーターの動きが、その未来の軌道まで含めて、手に取るように見える。
(…なるほどな。ここで、これが必要になるってわけか)
彼は自らの準備不足を恥じると同時に、この世界の奥深さに、改めて戦慄していた。
そして、彼は反撃に転じる。
グラディエーターの次なる一撃を、彼はもはやパリィしない。
自らその懐へと踏み込み、カウンターの一撃を叩き込む。
ザシュッ!
今度こそ、確かな手応えがあった。
彼の長剣は、嘘のようにグラディエーターの体を深々と切り裂いていた。
体感8割。いや、それ以上の確率で攻撃が当たる。
「ギッ!?」
これまで余裕の笑みを浮かべていたグラディエーターが、初めて苦痛の声を上げた。
一度その回避のリズムを崩されてしまえば、あとはもう一方的な展開だった。
隼人の【無限斬撃】が面白いようにヒットし、グラディエーターはなすすべもなくその生命を削り取られ、やがて光の粒子となって消滅した。
【結】新たなる理解と、次なる一歩
静寂が戻ったアリーナ。
隼人は、荒い息を整えながら、自らの剣を見下ろしていた。
そして彼は、静かに呟いた。
「…なるほどな。今後は、攻撃が確実に当たるわけじゃねえってことか」
彼はこのC級ダンジョンという新たなテーブルで、新たな、そしてあまりにも重要なルールを学んだのだ。
火力、耐久力、そして何よりも「精度」。
この三つのバランスが取れて初めて、探索者は高みへと登ることができる。
彼のビルドは、まだ完成してはいなかった。
むしろ、ここからが本当の始まりなのだと、彼は悟った。
彼はドロップした魔石を拾い上げると、この闘技場のさらに奥深くへと、その歩みを進めていく。
彼の心には、もはや慢心はない。
あるのは、ただこの世界のさらなる深淵を覗き込みたいという、純粋な探求心だけ。
彼の本当のC級ダンジョン攻略が、今、始まった。




