第60話
神崎隼人は、D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】の冷たい空気を背に、地上への帰路を歩んでいた。
彼のインベントリには、今日の成果である大量の魔石と、そして先ほどドロップしたばかりのユニーク・アミュレット【劫火の眼差し】が、確かな重みをもって収まっている。
今日の稼ぎも上々だ。
彼は、満足感に浸りながら、ダンジョンの出口へと向かう最後の回廊を進んでいく。
その彼の目の前に、最後の一体となる骸骨の騎士が立ち塞がった。
もはや、それは敵ではない。
ただの経験値の塊。
彼は、雑談の延長のように、その右手に握られた【憎悪の残響】を軽く一閃させた。
青黒い冷気のオーラが迸り、骸骨の騎士は、その存在を保つことができず一瞬で砕け散る。
その瞬間。
彼の全身を、黄金の光が包み込んだ。
【LEVEL UP!】
「…おっと」
予期せぬレベルアップに、隼人は小さく声を漏らした。
彼のレベルは、ついに11へと到達していた。
ステータスポイントが新たに5ポイント加算され、彼の未割り振りのポイントは合計で20となった。
HPとMPもわずかに上昇し、彼のビルドはまた一つ、その完成度を高めた。
彼は、その確かな成長を噛みしめながら、地上へと帰還した。
そして、その足で向かったのはアメ横のフリーマーケットではない。
彼は、新宿のギルド本部ビル、その最上階にある一つの特別な施設へと向かっていた。
トップランカーたちが利用するという、「公式オークションハウス」。
フリーマーケットよりも手数料は高いが、その分アイテムはより高値で、そして安全に取引されるという場所だ。
彼はそこで、手に入れたばかりの【劫火の眼差し】を出品した。
コメント欄の有識者たちの言葉通り、弓ビルドのプレイヤーからの需要は極めて高く、オークションは白熱。
そして最終的に、そのアミュレットは彼の予想をわずかに上回る、16万円という高値で落札された。
彼の資産は、これで50万円を超えた。
莫大な軍資金。
これでようやく、あの忌々しいMPの枷から解放され、新たな力の扉を開くことができる。
彼の心は、高揚していた。
自室に戻った隼人。
彼は、興奮を抑えきれないまま、SeekerNetのマーケットへとアクセスした。
彼の目的は、ただ一つ。
あの彼の心を掴んで離さない、究極のロマン…**「フィニッシュスキル」**を手に入れること。
彼は検索窓に、自らのビルドと最も相性の良いであろう、そのスキルジェムの名前を打ち込んだ。
『フィニッシュ・オブ・アイス(氷のフィニッシュ)』
彼の長剣【憎悪の残響】は、彼の攻撃に追加の冷気ダメージを付与する。
つまり、彼がこのスキルを手に入れれば、彼はいつでも**「凍結」**のフィニッシュブローを発動させることができるのだ。
敵を倒したその死体が、無数の氷の刃となって破裂し、周囲の敵を切り刻む。
その光景を想像しただけで、彼の口元が緩む。
いくつかの出品がヒットした。
価格は10万円前後。
今の彼にとっては、決して払えない金額ではない。
彼はその中で最も安価な出品をクリックし、その詳細な性能を確認する。
====================================
スキル名: フィニッシュ・オブ・アイス (Lv.1)
種別: フィニッシュスキル / スペル
効果:
MP予約: 30
起動中、あなたの攻撃に10~20の追加冷気ダメージを付与する。
フィニッシュブロー: 「凍結」状態で敵を倒した時、その死体を破裂させ、周囲の敵にダメージを与える。
装備要件:
レベル 16
知性 24
その性能を確認した隼人の動きが、ぴたりと止まった。
彼の視線は、その最後の一文に釘付けになっていた。
「装備要件:レベル16」
「…………は?」
彼の口から、間抜けな声が漏れた。
レベル16。
彼の現在のレベルは、11。
5も足りない。
彼は慌てて、他のフィニッシュスキル…【ヘラルド・オブ・アッシュ】や【ヘラルド・オブ・サンダー】の情報も確認する。
だが、その全てに同じ絶望的な数字が記されていた。
『装備要件:レベル16』
フィニッシュスキルとは、それだけの強力な力を持つが故に、ある程度のレベルに達した探索者にしか扱うことを許されない、代物だったのだ。
彼の高揚感は、一瞬で冷水を浴びせられたかのように消え去っていた。
「…マジかよ」
彼は椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。
コメント欄の有識者たちは、誰もそんなこと一言も言っていなかった。
彼らにとってレベル16などは、もはや遥か過去の通過点に過ぎず、意識にすら上らなかったのだろう。
だが、今の隼人にとっては、それはあまりにも高く、そして分厚い壁だった。
『どうしたJOKER?固まってるぞw』
『フィニッシュスキル見てるのか?』
『ああ、レベル足りないのか。ドンマイw』
『あるあるw 俺も昔、憧れのユニークやっと金貯めて買ったら、レベル足りなくて装備できなくて泣いたわw』
コメント欄の慰めの言葉が、彼の心に突き刺さる。
彼は、深くため息をついた。
だが、いつまでも落ち込んでいる彼ではない。
彼のギャンブラーとしての思考が、即座に現状を分析し、次なる最善の一手を導き出す。
(…なるほどな。そういうことか)
彼は、自らの甘さを自覚した。
D級ダンジョンを制覇し、強力なユニークを手に入れたことで、少し調子に乗りすぎていたのかもしれない。
この世界は、そんなに甘くない。
頂への道は、いつだって地道な一歩の積み重ねでしか、切り開くことはできないのだと。
彼は、ゆっくりと体を起こした。
その瞳には、もはや落胆の色はない。
ただ静かで、そして確かな決意の光が宿っていた。
「まあ良いさ」
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに聞こえるように呟いた。
「焦る必要はねえ。やることは変わらねえんだ」
「地道にレベル上げするか」
彼の次なる目標が定まった。
それは、新たなスキルの習得でも、装備の更新でもない。
ただひたすらに、レベルを上げること。
レベル16という、次なるステージへの扉を開くその時まで。
彼は再び、あの退屈な「作業」へと戻ることを決意したのだ。
その地道な一歩こそが、未来の巨大な勝利へと繋がる、唯一の道であると信じて。




