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第6話

 神崎隼人は、もはやゴブリンを「脅威」だとは認識していなかった。

 彼にとって、それは自らの成長を計測するための「的」であり、経験値という配当を支払ってくれる「スロットマシン」であり、そして、自身の未熟さを教えてくれる「反面教師」でもあった。

 一体、また一体と、彼は淡々とゴブリンを狩り続けていく。その動きは、数時間前にこの洞窟に足を踏み入れた時とは、比べ物にならないほど洗練されていた。

 無駄な動きが、ない。

 以前のように、闇雲にナイフを振るうことはしない。敵の攻撃を誘い、その予備動作を完全に見切り、最小限の動きで回避する。そして、生まれた一瞬の隙に、まるで外科医のように的確な一撃を叩き込む。彼のギャンブルで鍛え上げられた洞察力と集中力は、戦闘というフィールドにおいても、恐るべき才能として開花し始めていた。


 視聴者A: うまくなりすぎだろ…

 視聴者B: 最初と全然動きが違う。これがJOKERニキの学習能力…!

 視聴者C: あのガントレットの攻撃速度も、ちゃんと活かせるようになってきてるな。速いだけじゃなく、的確になってる。


 視聴者のコメントは、彼の成長を正確に捉えていた。【万象の守り】がもたらす「攻撃速度+15%」は、今や彼の動きに完全に馴染んでいた。それは、単に腕を速く振るうための力ではない。回避から攻撃へ、攻撃から次の回避へと移行する、その全ての動作の連携を滑らかにする潤滑油のような役割を果たしていた。コンマ数秒の余裕が、彼の思考と判断に、決定的なゆとりをもたらしていたのだ。


 そして、通算で8体目となるゴブリンとの対峙。

 その個体は、これまでのものより一回り体が大きく、手に持つ棍棒も、より殺傷能力の高そうな歪な形状をしていた。おそらく、このあたりのゴブリンの群れの、リーダー格なのだろう。

「グルオオオオッ!」

 リーダーゴブリンは、雄叫びと共に、地面を蹴って突進してきた。その速度と圧力は、雑魚のそれとは明らかに違う。

 だが、隼人の瞳は、冷静にその全てを捉えていた。

 突進の角度、重心の移動、棍棒を振りかぶる腕の筋肉の収縮。全てが、彼にはスローモーションのように見えていた。

(――来る)

 彼は、相手の攻撃を待たなかった。自ら、その懐へと踏み込む。それは、自殺行為に見える、あまりにも無謀な一歩。

 だが、それは、全てを計算し尽くした、必勝の一手だった。

 ゴブリンが棍棒を振り下ろす、その直前。隼人は、踏み込んだ勢いのまま、地面を蹴ってスライディングするように敵の股下をすり抜けた。ゴブリンの巨大な棍棒が、空しく空を切る。

 体勢を崩したゴブリンの、がら空きになった背後。アキレス腱。

 隼人は、体勢を立て直すのとほぼ同時に、ナイフを逆手に持ち、そこを深く、抉るように切り裂いた。

「グギャアアアアアアッ!」

 これまで聞いたこともない、凄まじい絶叫が洞窟に響き渡る。足の腱を断たれたリーダーゴブリンは、その場に崩れ落ち、もがいた。

 隼人は、一切の情けをかけることなく、倒れたゴブリンの後頭部へと、冷徹にナイフを突き立てた。

「ギ…」という短い断末魔を最後に、リーダーゴブリンの巨体は、ひときわ強い光を放ちながら、粒子となって霧散していった。


 その、直後だった。

 隼人の全身を、経験したことのない感覚が襲った。

「なっ…!?」

 彼の体から、淡い、それでいて力強い光の粒子が溢れ出したのだ。それは、まるで温泉に浸かったかのような温かさで、彼の全身を優しく包み込んでいく。

 これまでの戦闘で負った、脇腹の打撲の痛みが、嘘のように消えていく。切り傷が塞がり、疲労困憊だった筋肉に、再び活力が漲ってくる。消耗していた精神がクリアになり、思考が冴え渡る。

 それは、単なる回復ではない。存在そのものが、一つ上のステージへと強制的に引き上げられるような、絶対的な全能感。ギャンブルで大勝ちした時の高揚感など、児戯に等しい。これは、もっと本質的な、魂が震えるほどの快楽だった。


 視聴者D: 光ったああああああ!

 視聴者E: レベルアップきたああああああああ!!

 視聴者F: これがレベルアップの瞬間か…初めて見た…!


 視聴者たちが熱狂する中、隼人の視界に、祝福を告げる荘厳なウィンドウがポップアップした。黄金の美しい装飾が施されたその窓には、力強いフォントで、こう記されていた。


 ====================================

【LEVEL UP!】

 神崎 隼人 Lv1 -> Lv2

 ====================================


(…なるほどな)


 隼人は、全身に満ちる新たな力を感じながら、深く頷いた。

(これが、探索者たちが命を賭けてまで求める報酬の正体か。これじゃあ、やめられねえわけだ。最高の麻薬だよ、これは)


 だが、祝福はそれだけでは終わらなかった。

 レベルアップのウィンドウが静かに消えると、入れ替わるように、さらに巨大で、荘厳なウィンドウが彼の眼前に展開されたのだ。それは、まるで教会のステンドグラスのように、緻密で神々しいデザインが施されていた。中央には、彼の人生の次なる一歩を問う、運命の言葉が刻まれている。


 ====================================

【クラスを選択してください】


 あなたは、最初の天職クラスを得る資格を得ました。

 選択したクラスに応じて、今後の成長と習得スキルが変化します。


 この選択は、【複数人の人生(マルチアカウント)】によって後から変更可能ですが、

 最初の一歩は慎重に選ぶことを推奨します。


[1] 戦士(Warrior)

[2] 盗賊(Rogue)

[3] 魔術師(Mage)

[4] 無職(Jobless)

 ====================================


「…クラス選択」

 隼人は、その文字をゆっくりと口の中で転がした。

 ダンジョンというテーブルの、新たなルールが提示されたのだ。彼は、ギャンブラーとして、この選択肢一つ一つの意味と、その先に待つ未来を冷静に分析し始めた。


[1] 戦士(Warrior)

 最も堅実で、最も安定した選択肢。いわば、セオリー通りのオープニングベット。攻守のバランスに優れ、生存率が最も高い。どんな状況でも最低限の仕事ができるが、逆に言えば、爆発的なリターンは期待しにくい。手堅く勝ちを積み重ねていくプレイヤー向けの、ローリスク・ローリターンな選択。


[2] 盗賊(Rogue)

 素早い動きと、急所を狙った一撃。クリティカルヒットという確率に身を委ねる、ハイリスク・ハイリターンなクラス。上手くハマれば、格上の相手すら一撃で屠る快感が得られるだろう。だが、一歩間違えれば、その脆さゆえに即死する危険も孕んでいる。まさに、彼の気質に最も近い、ギャンブラーのためのようなクラス。


[3] 魔術師(Mage)

 未来への投資。序盤は、詠唱時間の長さや、消費する魔力の多さに苦しめられるだろう。成長も遅く、しばらくは苦難の道が続くに違いない。だが、育てきれば、戦況そのものを支配するほどの、圧倒的な破壊力を手に入れることができる。まるで、一点の曇りもない原石に、自分の全てを賭けるような、ロマンに満ちた選択。


[4] 無職(Jobless)

 最も異質で、最も狂気に満ちた選択肢。クラスに就かない、という選択。全ての能力が平均的に成長するが、専門職のような尖った強みは得られない。あらゆる可能性を残す代わりに、あらゆる専門性も手放す。これは、テーブルに参加しながら、どのカードにも賭けないという、究極の選択だ。常人には理解しがたい、茨の道。


 隼人は、それぞれの選択肢の先に広がる未来を、一瞬で見通していた。

 彼の心は、間違いなく[2]の盗賊に惹かれていた。リスクを冒し、確率の波を乗りこなし、一撃の快感に酔いしれる。それは、彼の生き方そのものだ。

 だが、彼は同時に、ウィンドウに記された一文の重要性も理解していた。

『この選択は、【複数人の人生】によって後から変更可能ですが、最初の一歩は慎重に選ぶことを推奨します』

 これは、最終決定ではない。あくまで、オープニングベット。

 そして、どんな熟練のギャンブラーも、最初の一手から無謀な賭けには出ない。まずは、場の流れを読み、情報を集め、堅実に足場を固める。それが、最終的な勝利へと至るための、絶対的なセオリーだ。


 隼人の思考が、定まった。

 だが、彼はすぐには選択しなかった。

 彼は、顔を上げ、ARカメラの向こう側にいる、千人を超える観客たちに意識を向けた。

 そうだ、俺には、最高の情報源がいるじゃないか。

 彼は、先ほどまでの内省的な雰囲気を一変させ、再び、自信に満ちた配信者「JOKER」の仮面を被る。


「さて、と…面白いカードが配られたな」


 彼は、目の前に浮かぶ壮麗なクラス選択のウィンドウを、そのまま配信画面に共有した。視聴者たちの視界にも、隼人が見ているものと全く同じ、運命の分岐路が映し出されているはずだ。コメント欄が、どよめきと興奮で一気に加速する。

 視聴者A: うおおおおお!クラス選択だ!

 視聴者B: これが噂の…!

 視聴者C: 4択か…!JOKERさんはどれを選ぶんだ…?


 隼人は、その熱狂を楽しみながら、芝居がかった口調で、問いかけた。

 その声は、自信と、ほんの少しの狂気、そして、観客をショーに引き込む魅力に満ちていた。


「ほう…クラス選択、か。面白いルールだ。さて、観客の皆さん。俺が最初に切るべきカードは、この4枚のうちどれだと思う?」


 その問いかけは、単なる質問ではない。

 それは、彼のショーの観客たちを、単なる傍観者から、物語の共犯者へと引き込むための、悪魔的な招待状だった。

 彼の運命を、共に弄ぶ、共犯者に。


 洞窟の静寂の中、隼人は、コメント欄に嵐が巻き起こるのを、満足げに待ち構えていた。

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