第55話
神崎隼人は、自室のベッドの上で、ゆっくりとその身を起こした。
窓の外は、まだ薄暗い。
だが、彼の意識はこれまでにないほどクリアで、そして研ぎ澄まされていた。
昨日の激闘。
D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】の主、【骸骨の百人隊長】との死闘。
そして、その末に手に入れた新たな力…ユニーク長剣**【憎悪の残響】**。
その全てが、彼の肉体と魂に、確かな成長の証を刻み込んでいた。
彼はベッドから起き上がると、部屋の隅に立てかけてあった、その新たな相棒を手に取った。
その刀身からは、禍々しい、しかし力強い青黒い冷気のオーラが、静かに立ち昇っている。
彼はその剣を握りしめ、自らの次なる目標を、再確認した。
(フィニッシュスキル…)
SeekerNetの深淵で、その存在を知った新たな力。
敵を倒したその死体が、連鎖爆発を起こし、戦場そのものを支配する、芸術的なまでの殲滅力。
あれを、手に入れる。
そのためにはまず、MPの最大値を大幅に引き上げる必要があった。
そしてそのためには、金と、レベルが必要だ。
「…やることは、決まってる」
彼は、呟いた。
最高のギャンブルに挑むためには、まず、そのテーブルに座るための軍資金を、稼がなければならない。
地道な、作業。
だが、それこそが勝利への最も確実な道であることを、彼は知っていた。
彼はその日の午前中、いつものように配信のスイッチを入れた。
タイトルは、こうだ。
『【D級周回】レベル上げと金策配信。お前ら、作業用BGMにでもしとけ』
そのどこか投げやりな、しかし彼の絶対的な自信を感じさせるタイトルに、彼のチャンネルは瞬く間に数万人の観客で埋め尽くされた。
彼が向かう先はもちろん、昨日、彼が完全に制覇したあの場所。
D級ダンジョン、【打ち捨てられた王家の地下墓地】。
もはやそこは、彼にとって未知の脅威が待つ危険な場所ではない。
最高の効率で経験値と金を稼ぎ出すことができる、最高の「狩場」となっていた。
「よう、お前ら。今日は、ひたすらレベル上げだ。退屈かもしれねえが、付き合えよ」
隼人は、ARカメラの向こうの観客たちにそう告げると、迷いなく地下墓地の奥深くへと進んでいく。
彼の全身からは、すでに**【憎悪のオーラ】**の青黒い冷気が、立ち昇っていた。
ノーコストで展開される、この常時発動の攻撃バフ。
それが、このダンジョン周回をどれほど変えるのか。
彼自身も、そして視聴者たちも、まだその本当の恐ろしさを知らなかった。
最初の広間。
カタカタと、お馴染みの音を立てて、数十体の骸骨兵が地面から湧き出てくる。
以前の彼であれば、ここで一度立ち止まり、スキルを使う準備をしていただろう。
だが、今の彼は違う。
彼は、歩みを止めない。
ただ、殺到してくる骸骨の群れの中を、ゆっくりと歩いていく。
そして、その右手に握られた【憎悪の残響】を、まるで邪魔な草を薙ぎ払うかのように、軽く一閃させた。
ザシュッ、という乾いた音。
彼の剣が触れた一体の骸骨兵が、その骨の体をいとも簡単に両断され、その断面からは、青白い霜が吹き出し、一瞬で光の粒子となって消滅した。
スキルは、使っていない。
ただ剣を振るった、それだけでD級のモンスターが、死んだのだ。
『レアドロップ、おめでとう!』
『無双タイム!』
隼人は、その声援を背中に感じながら、地下墓地の長い回廊を駆け抜けていく。
残りの骸骨兵たちやネクロマンサーの群れも、彼が通り過ぎるその風圧だけで、砕け散っていくようだった。
彼のダンジョン周回の速度は、この瞬間、さらに加速した。
彼は、ただ歩き、剣を振るうだけで、このD級ダンジョンを蹂躙していく。
それはもはや、冒険ではない。
ただの、効率的な「作業」だった。
数時間の周回を終えた、隼人。
彼のレベルは、さらに一つ上昇し、10となっていた。
そして彼のインベントリには、大量の魔石と、いくつかのレアアイテムが蓄積されていた。
換金すれば、数十万円にはなるだろう。
確実な、成果。
彼は、その地道な勝利の味を噛みしめていた。
(…悪くない。こういう、コツコツとした稼ぎも、悪くない)
彼は、思う。
ギャンブルのスリルもいいが、こうして確実に資産を増やしていくという行為もまた、彼の心を満たしていた。
だが彼は、知っていた。
このままD級ダンジョンに籠もり続けても、彼が求める本当の「力」…フィニッシュスキルを手に入れることはできないということを。
彼が求めるアイテムは、もっと上のテーブルにしか存在しない。
C級、あるいはB級。
そのためには、もっとレベルを上げ、もっと金を稼ぎ、そしてもっと強力な装備を、手に入れる必要があった。
彼は、その日の配信をそこで終了した。
そして自室で一人、SeekerNetのマーケットを開き、自らの次なる「目標」を探し始める。
MPを大幅に増加させる装備。
あるいは、フィニッシュスキルそのもの。
表示された、アイテムの数々。
そのどれもが、今の彼にとってはまだ少しだけ手の届かない、高価なものばかり。
だが、彼は絶望しなかった。
むしろ、その遠い道のりに、彼の心は燃えていた。
(…面白い。実に、面白いじゃねえか)
彼は、呟いた。
(まだまだ、このゲームは俺を楽しませてくれるらしい)
彼の瞳は、もはや目の前の現実ではなく、その遥か先に広がる無限の可能性の地平線を見つめていた。
物語は、D級ダンジョンを完全に自らの庭とし、次なるステージへの準備を着実に進める主人公の、その圧倒的な成長と、尽きることのない野心を描き出して、幕を閉じた。




