第52話
神崎隼人は、再び西新宿のガラス張りの超高層ビルへと、その凱旋の一歩を踏み入れていた。
D級ダンジョン、【打ち捨てられた王家の地下墓地】。
あの忌々しい骨の王との死闘を制し、手に入れた数多の魔石。そして、彼の新たな相棒となったユニーク長剣、【憎悪の残響】。
その確かな成果を手に、彼の足取りはこれまでにないほど軽く、そして自信に満ち溢れていた。
もはやこのギルド公認の換金所に、彼が最初に感じたような場違いな感覚や、息苦しさは微塵もない。
ここは、彼の主戦場の一つ。
彼は、もはやただの新人ではない。
D級ダンジョンを、単独で踏破した実力者。
その自覚が、彼の背筋をまっすぐに伸ばさせていた。
彼が、いつものカウンターへと向かうと、そこにはやはり彼女がいた。
水瀬雫が、彼の姿を見つけると、その大きな瞳を嬉しそうに細め、プロフェッショナルの笑顔の中に、隠しきれない温かな歓迎の色を滲ませて、出迎えてくれた。
「JOKERさん、お待ちしておりました!D級ダンジョン攻略、本当におめでとうございます!」
その第一声は、事務的な挨拶ではない。
彼の勝利を、自分のことのように喜ぶ、一人のファンとしての心からの祝福だった。
「配信、もちろん拝見していましたよ!あの絶望的な状況からのリベンジ、本当に見事でした!」
「…まあな」
隼人は、その手放しの賞賛に、少しだけ照れくさそうに答えながら、インベントリからこの数日間の稼ぎである大量の魔石を、カウンターのトレイの上に置いた。
雫は、その魔石の量に一瞬だけ驚きの表情を浮かべたが、すぐに手慣れた様子で、それらを鑑定機へとかけていく。
その鑑定を待つ、わずかな時間。
それはもはや、彼らにとって恒例となった、貴重な作戦会議の時間だった。
「それにしても…」
雫は、鑑定機のモニターを見つめながら、感嘆の溜息を漏らした。
「本当に、素晴らしいご判断でした。あの状況からの撤退のご判断、本当にお見事です。そして何より…【憎悪の残響】のドロップ、本当におめでとうございます!」
彼女の声に、再びファンとしての熱がこもる。
「あれは、本当に素晴らしい武器です。物理攻撃ビルドであれば、A級ダンジョンでも十分に通用する一級品。きっと、JOKERさんの力になってくれます。長く使える、良い相棒になりますよ」
彼女はそう言うと、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「まあ、そのあまりの便利さ故に、一部のベテランの間では、こうも呼ばれていますけどね」
「…なんだ?」
「『一度装備したら、二度と外せない呪いの装備』**って」
「…はっ、言い得て妙だな」
隼人も、思わず笑みを漏らした。
「確かに、攻撃オーラを無料で使えるこの快適さを知っちまったら、もう元の剣には戻れねえ」
彼は、自らの新たな相棒の柄を、そっと撫でた。
その刀身からは、青黒い冷気のオーラが、静かに立ち昇っている。
「おかげで、D級の周回も楽になった。帰りがけに試運転してきたが、雑魚の骸骨たちが弱すぎて、逆に困ったくらいだ」
スキルを使うまでもない。ただ剣を振るうだけで、敵が砕け散っていく。
その、圧倒的な殲滅力。
それは、彼に確かな満足感を与えると同時に、新たな課題をもたらしていた。
【結】新たなる「地平」と、軍師からの問いかけ
「だがな、水瀬さん」
隼人の瞳が、鋭く未来を見据えていた。
「今の俺には、まだ足りないものがある」
彼はそこで一度言葉を切ると、目の前の信頼できる軍師に、その胸の内を正直に打ち明けた。
「次の目標は、MPをどかっと増やして、今の俺には使えない新しいオーラ、あるいは何か別の力を手に入れることだ。何か、いい手はないか?」
その、あまりにも貪欲で真っ直ぐな問いかけ。
それに、雫は待っていましたとばかりに、その瞳をキラキラと輝かせた。
彼女のゲーマーとしての魂に、火がついた瞬間だった。
「素晴らしい目標ですね!JOKERさんのように、常に高みを目指す姿勢、尊敬します」
彼女はそう言うと、ARウィンドウを操作し、いくつかのスキルジェムの情報を表示させた。
「確かに、MPを増やすことで複数のオーラを張る、『オーラスタッカー』という道もあります。例えば、【決意のオーラ】で物理防御を固めながら、【憎悪のオーラ】で火力を上げる。鉄壁の要塞と、なりますね」
「ですが、JOKERさん。MPの使い道は、それだけじゃないんですよ」
「…と言うと?」
「探索者の世界には、『フィニッシュスキル』と呼ばれる、特殊なカテゴリーが存在するんです」
雫は、一つのスキルジェムの情報を拡大する。
【フィニッシュ・オブ・アッシュ】
効果: 予約したMPに応じて、物理ダメージに追加の火炎ダメージを得る。そして、このスキルが有効な間、あなたが倒した敵は爆発し、周囲の敵に火炎ダメージを与える。
「フィニッシュ…?」
隼人は、その聞き慣れない単語に眉をひそめた。
「ええ。オーラとは少し違う、特殊な自己強化スキルです。この【灰の先駆者】を使えば、JOKERさんの殲滅速度は、さらに劇的に向上するでしょうね。あなたが敵を一体倒すたびに、その死体が連鎖爆発の起爆剤となるのですから」
死体爆発。
その、あまりにも物騒で、そして魅力的な響き。
隼人の口元が、ニヤリと歪んだ。
「他にも、雷の追加ダメージと感電効果をもたらす【フィニッシュ・オブ・サンダー】。氷の追加ダメージと敵を凍結させる効果を持つ【フィニッシュ・オブ・アイス】など、様々です」
「…面白いじゃねえか」
「でしょう?」
雫は、そう言うと悪戯っぽく笑った。
「ですが、これ以上はご自分で調べるのを、楽しみにしていてください。JOKERさんなら、その方がきっと面白いでしょう?」
彼女のその思わせぶりな態度に、隼人はチッと舌打ちをしながらも、その口元には笑みが浮かんでいた。
彼女は、分かっているのだ。
彼が、答えを与えられることよりも、自らの手で謎を解き明かすことに喜びを感じる人間であることを。
その時、鑑定の終了を告げる電子音が鳴り響いた。
雫がモニターを確認し、笑顔で告げる。
「お待たせいたしました。D級ダンジョンの魔石も加わりましたので、今回は素晴らしい金額になりましたよ。買い取り価格、合計でちょうど10万円になります」
10万円。
その、大きな塊。
彼はそれを受け取ると、静かに立ち上がった。
雫が、彼に声をかける。
「次の配信も、楽しみにしていますね。あなたが、どんな『フィニッシュ』を見つけ出すのか」
「…ああ。期待して、待ってな」
隼人は、ぶっきらぼうにそう答えると、換金所を後にした。
彼の心は、すでに次なるパズルに向かっていた。
フィニッシュとは、何か。
そして、それを手に入れるために、必要なものは何か。
彼の情報の海へのダイブは、まだ終わらない。
物語は、新たな謎と目標を手に入れた主人公が、その尽きることのない探求心と共に、次なるステージへと歩みを進める、その確かな一歩を描き出して、幕を閉じた。




