第51話
一体の骸骨兵が、彼へと斬りかかってくる。
隼人は、その冷気を纏った一撃を、あえて受けた。
チリ、という悪寒が肌を刺す。
だが、彼のステータスウィンドウに、あの忌々しい**『凍傷』**のアイコンが表示されることはなかった。
**【吹雪の鎧】**が持つ、絶対的な無効化能力。
それが、このダンジョンの最大のギミックを、完全に無力化していたのだ。
そして、その貧弱な物理攻撃は、彼のわずかなエナジーシールドを削るだけで、彼のHPには傷一つ届かない。
「…ビンゴだ」
隼人は、ニヤリと笑った。
「イカサマのタネさえ分かれば、こんなもんよ」
もはや、骸骨兵たちの攻撃は、彼にとって脅威ではない。
彼は、その雑魚の群れを完全に無視した。
彼の瞳はただ一点。
玉座の上で、自らのオーラが効いていないことに、わずかに困惑の色を浮かべている、あの百人隊長だけを捉えていた。
「――お前の相手は、俺だ、大将」
隼人は、地面を蹴った。
殺到してくる骸骨の群れを、まるで障害物のようにいなし、弾き飛ばしながら、一直線にボスへと突き進んでいく。
彼の目的は、ただ一つ。
ボスとの一騎打ちの状況を、作り出すこと。
百人隊長もまた、その侵入者を迎え撃つべく、その巨大な両手剣を構えた。
その剣技は、E級のボスとは比較にならないほど洗練されており、そして重かった。
それは、かつて王国の騎士団を率いた者だけが持つことのできる、王者の剣技。
振り下ろされる剣。
薙ぎ払われる刃。
突き出される切っ先。
その全てが、隼人の命を刈り取るべく、的確に、そして容赦なく放たれる。
隼人は、その怒涛の連撃に苦戦を強いられた。
ガキン、キィン、と金属音が激しく鳴り響く。
彼のわずかなエナジーシールドは瞬く間に削り取られ、彼のHPバーもまた、少しずつ、しかし確実に減り始めていた。
視聴者A: うわ、ボスの攻撃、重いな!
視聴者B: 凍結は効かなくても、普通に剣士として強いのか、こいつ!
視聴者C: JOKERさん、押されてるぞ…!
視聴者D: 周りの雑魚も、邪魔すぎる!
コメント欄が、再び緊張に包まれる。
だが、隼人の心は冷静だった。
彼は、知っていた。
どんな強い剣士にも、必ず「隙」は生まれると。
彼は、ただ待った。
最高のカウンターを叩き込む、その一瞬の好機を。
彼は、百人隊長の剣戟を自らの長剣で受け流しながら、その動きのパターン、呼吸のリズム、そして力の込め方、その全てを、その驚異的な観察眼で分析し、記憶していく。
そして彼は、それを見逃さなかった。
百人隊長が苛立ちを募らせ、これまでの洗練された剣技ではなく、渾身の力を込めて両手剣を天高く振りかぶった、その大振りの一撃。
その、あまりにも巨大な予備動作。
それこそが、彼が待ち望んでいた致命的な「隙」。
隼人は、その攻撃をバックステップでかわすと、がら空きになったその懐へと、瞬時に飛び込んだ。
そして彼は、この瞬間のために温存していた、全ての魔力を解放する。
彼はオーラを、【吹雪の鎧】から【自動呪言】へと、瞬時に切り替えた。
百人隊長の頭上に、紫色の呪いの紋様が浮かび上がる。
そして、彼は叫んだ。
「――喰らいやがれッ!」
**【必殺技】衝撃波の一撃**を、百人隊長の胴体へと、全力で叩き込んだ。
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
凄まじい轟音と共に、百人隊長の豪華なプレートアーマーが、衝撃で砕け散る。
その巨体は大きくよろけ、後方へと数歩、たたらを踏んだ。
そして、そこから放たれた力の衝撃波が、彼の周囲に集まっていた骸骨兵たちを、まるでゴミのようにまとめて吹き飛ばした。
気絶効果により、百人隊長の動きが完全に止まる。
その、絶対的な好機。
隼人はそこに、嵐のような連撃を叩き込んだ。【通常技】無限斬撃。
もはやそれは、MPを気にする必要のない、純粋な暴力の嵐。
脆弱の呪いを受け、その防御力を失った百人隊長の骨の体に、彼の長剣が何度も、何度も深々と突き刺さり、その存在を削り取っていく。
ザク、ザク、ザク、ザクッ!
やがて、百人隊長はその巨体を支えきれず、ゆっくりとその場に膝をついた。
そして、その空虚な眼窩の鬼火が、ふっと消える。
次の瞬間、その巨体は、ひときわ強く、そして荘厳な光を放ちながら、霧散していった。
指揮官を失った残りの骸骨兵たちもまた、その動きを完全に停止させた。
静寂が、戻ってきた。
あれほどこの広大な墓室を支配していた、骨と鉄がぶつかり合う耳障りな不協和音。骸骨たちの、空虚な雄叫び。そして、自らの荒い息遣いと、心臓の激しい鼓動。
その全ての音が、まるで嘘のように消え去り、後に残されたのは、絶対的な静寂だけだった。
神崎隼人は、その静寂の中心で、無銘の長剣を杖代わりに、その刀身に体重を預け、かろうじてその場に立っていた。
彼の目の前では、【骸骨の百人隊長】が、その巨体を維持できず、ひときわ強く、そして荘厳な光を放ちながら、ゆっくりと光の粒子へと分解されていく。
王の、終焉。
「はぁ……はぁ……はぁっ…」
彼は、勝利したのだ。
D級ダンジョンという新たなテーブル。そこで彼を待ち受けていた、二つの凶悪なギミック…「無限復活」と「凍結ループ」。そのどちらもを、自らの頭脳と才覚で看破し、そしてねじ伏せた。
だが、その代償は決して安くはなかった。
彼のHPバーは、もはや風前の灯火。ベルトに差された5本のフラスコも、そのほとんどがチャージを使い切り、ただの空の瓶と化していた。
もし、百人隊長の最後の抵抗が、もう少しだけ長引いていたら。
もし、彼の必殺の一撃が、ほんの少しでもその威力を欠いていたら。
今頃、この冷たい大理石の床に転がっていたのは、間違いなく彼の方だっただろう。
薄氷の上の、勝利。
だが、勝利は勝利だ。
その彼の、魂を揺さぶる激闘の結末。
それを見届けた数万人の観客たちもまた、その胸に深い満足感と、そして心地よい疲労感を感じていた。
コメント欄には、万雷の拍手と賞賛の声が、嵐のように吹き荒れている。
だが、隼人はその熱狂に浸ることはなかった。
彼の瞳はただ一点。
百人隊長が完全に消え去ったその玉座の跡地に、静かに、そして圧倒的な存在感を放って残された、一つの戦利品に釘付けになっていた。
それは、一本の長剣だった。
禍々しい、しかしどこまでも力強い青白い冷気のオーラを、その刀身から放っている。
ユニーク等級の、ドロップアイテム。
D級ダンジョンの主を討伐した彼に、この世界が与えた最高の「配当」。
その瞬間。
彼の全身を、これまでにないほど力強い黄金の光が包み込んだ。
【LEVEL UP!】
【LEVEL UP!】
D級のボスを討伐した、絶大な経験値。
彼のレベルは、7から一気に9へと跳ね上がっていた。
だが、今の彼にとって、レベルアップの祝福すらも、目の前のユニーク長剣の輝きの前では、色褪せて見えた。
彼は、まるで夢遊病者のようにその剣へと歩み寄り、そしてその柄を、ゆっくりと手に取った。
ARシステムが、その驚愕の性能を表示する。
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アイテム名: 憎悪の残響
種別: 長剣
レアリティ: ユニーク
効果:
この剣に、Lv15の【憎悪のオーラ】スキルが付与される。
スキル【憎悪のオーラ】のMP予約コストを、100%削減する。
【憎悪のオーラ】: 術者と、周囲の味方の全ての物理攻撃に、強力な追加冷気ダメージを付与する。
装備要件:
筋力 50
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「…………」
隼人は、言葉を失った。
憎悪のオーラ。
それは、彼がつい先ほどまで戦っていた、あの百人隊長が使っていたスキル。
全ての攻撃に、追加の冷気ダメージを付与する、極めて強力な攻撃オーラ。
そのオーラを、この剣はそれ自体が内包している。
そして何よりも異常なのは、その二つ目の効果。
MP予約コストを、100%削減する。
つまり、ノーコスト。
本来であれば、最大MPの半分近くを予約しなければ使えないはずのこの強力なオーラを、彼は何のリスクも負うことなく、その身に宿すことができるのだ。
それは、【清純の元素】と【元素の円環】のコンボと、全く同じ思想。
だがこちらは、防御ではない。
純粋な「攻撃」に特化した、暴力の化身。
これさえあれば。
彼の火力は、さらに異次元の領域へと跳ね上がるだろう。
だが。
彼の脳裏には、そのあまりにも甘美な性能と同時に、その最後に記された一つの重い枷が、焼き付いていた。
「装備要件:筋力50」
その、無慈悲な数字。
隼人は、自らのステータスウィンドウを確認する。
レベルアップによって基礎能力が上昇し、彼の現在の筋力は25。
そして、彼がこれまで来るべき時のためにと温存し続けてきた未割り振りのステータスポイントは、レベルアップのボーナスも合わせて、合計で35。
筋力が、25、足りない。
つまり、この剣を装備するためには、彼が温存してきた35ポイントのうち、25ポイントを全て筋力に注ぎ込む必要があった。
それは、彼がこれまで堅持してきたプレイスタイルそのものを、根底から覆す決断だった。
『将来手に入れるかもしれない、未知の最強のカードのために、常に選択肢を残しておく』
それこそが、彼のギャンブラーとしての、そしてゲーマーとしての哲学だったはずだ。
この目の前の剣は、確かに強力だ。
だが、これに全てを賭けてしまっていいのか?
もしこの先、もっと強力な、しかし筋力以外の、例えば敏捷や知性を要求する装備が手に入ったとしたら?
その時彼は、指をくわえて見ていることしかできなくなる。
彼は、一瞬逡巡した。
そのわずかな迷いを、コメント欄の観客たちもまた、感じ取っていた。
『どうした、JOKER?』
『すごい剣じゃん!早く装備しろよ!』
『いや、待て…装備要件STR50か…。今のJOKERさんじゃ、足りないぞ…』
『ポイント振るしかねえな…。でも、あいつポイント温存するスタイルだよな…?』
そうだ、どうする?
俺は、どうすべきだ?
隼人は、自問自答する。
そして、彼はその答えを見つけ出した。
彼の口元に、いつもの獰猛な笑みが浮かんだ。
そうだ、俺はギャンブラーだ。
ギャンブラーとは、いつだって最高のカードが手元に来た時に、張る生き物だ。
未来の不確定な可能性よりも、今この手の中にある確実な勝利を掴み取る。
それこそが、勝負師。
彼は、ARカメラの向こうの観客たちに、そして自らの魂に宣言した。
「…面白い」
「ギャンブルってのはな、最高のカードが手元に来た時に、張るもんだ」
「――俺は、この剣に賭ける」
【承】力の継承と、新たなオーラ
その決断に、コメント欄が沸き立った。
これこそが、彼らが見たかったJOKERの姿だったからだ。
常に冷静で、クレバー。しかし、勝負の時には全てを投げ打つ狂気を併せ持つ。
隼人はその場で、自らのステータスウィンドウを開くと、迷いなく未割り振りの35ポイントのうち、25ポイントを「筋力」の項目へと注ぎ込んだ。
彼のステータスウィンドウの数字が、凄まじい勢いで更新されていく。
筋力: 25 -> 50
残りステータスポイント: 35 -> 10
彼の肉体が、内側から軋むような音を立てる。
レベルアップとはまた質の違う、純粋な「力」そのものが、彼の筋肉と骨格を再構築していく。
彼は、自らの拳を強く握りしめた。
以前とは、比較にならないほどの圧倒的なパワーがそこにはあった。
そして彼は、これまで使っていた、あのアメ横の隻眼の老人が打った無銘の長剣を、インベントリへと静かに仕舞った。
「…世話になったな、相棒」
短く別れを告げると、彼は新たに手に入れた【憎悪の残響】を、その右手に握りしめた。
その瞬間、彼の体に電流が走った。
まるで、この剣が最初から彼のためにあつらえられたかのように、その重さも、重心も、握り心地も、完璧に彼の肉体と馴染んでいた。
新たな、そして本当の「相棒」を、手に入れた瞬間だった。
だが、ショーはまだ終わらない。
彼は、その剣が持つ真の力を解放する。
スキルウィンドウを開き、【憎悪のオーラ】のアイコンを起動させた。
その瞬間。
彼の全身を、これまでの【元素の盾】の青白いオーラとは全く違う、禍々しい、しかし力強い青黒い冷気のオーラが、奔流のように包み込んだ。
洞窟の空気が急速に冷却され、彼の足元から、白い霜が広がっていく。
そして、彼のMPバーは一切減らない。
この強力な攻撃オーラを、彼はノーコストで手に入れたのだ。
彼の全身から放たれる、圧倒的な威圧感。
(…これが、憎悪の力か)
彼は、自らの新たな力に酔いしれていた。
「さてと」
隼人は、その新たな力を試すべく、指揮官を失い、ただその場に立ち尽くしている骸骨兵の一体に、ゆっくりと近づいていく。
彼は、スキルを使わない。
ただ、その新しい相棒…【憎悪の残響】を、軽く振るっただけ。
彼の全身を覆う青黒いオーラが、その剣の動きに呼応するように、激しく脈打つ。
ザシュッ、という軽い音。
骸骨兵は、その骨の体をいとも簡単に両断され、その断面からは、青白い霜が吹き出していた。
そして、一瞬で光の粒子となって消滅した。
通常技すら使っていない。
ただ、剣を振るった、それだけで敵が死んだのだ。
「……強い…!」
隼人は、そのあまりの威力に思わず呟いた。
自らの選択が正しかったことを、彼は心の底から確信する。
彼は帰り道、その新たな力で無双を始めた。
これまで彼が苦戦していた骸骨の群れが、もはやただの藁人形のようだった。
彼はただ歩き、剣を振るう。
その度に、周囲の骸骨兵たちが次々と凍てつき、砕け散っていく。
もはや、それは戦闘ですらない。
ただ、絶対的な強者が弱者を蹂躙するだけの、一方的なショーだった。
その圧倒的な光景に、コメント欄は爆発的な熱狂に包まれていた。
『え!?今、何した!?』
『スキル、使ってなくね?』
『剣、振っただけで死んだぞ!』
『これが、憎悪のオーラの力か…!』
その混乱と熱狂を鎮めたのは、いつものベテラン視聴者だった。
ハクスラ廃人:
『落ち着け、素人ども。あれが、【憎悪のオーラ】の力だ。有志の検証結果によれば、正確には、Lv15相当の【憎悪のオーラ】は、使用者の物理ダメージの37%を、追加の冷気ダメージとして得る。つまり、単純にJOKERの火力が1.37倍になったってことだ。そりゃ、雑魚は一撃で死ぬ』
ベテランシーカ―:
『ええ。この【憎悪の残響】は、比較的に出やすいユニークではありますが、その分かりやすい強さと使いやすさから、常に高い需要があります。マーケットでの相場は、20万円は硬いでしょうね。素晴らしいドロップです』
解説によって、JOKERが手に入れた力の本当の価値を理解した、視聴者たち。
彼らは改めて、その神がかった幸運と、そしてそれを掴み取る実力に、賞賛の声を送る。
『レアドロップ、おめでとう!』
『20万の剣か…!強すぎる!』
『もはや、JOKERさんを止められる者はいないな…』
隼人は、その声援を背中に感じながら、地下墓地の長い回廊を駆け抜けていく。
残りの骸骨兵たちは、彼が通り過ぎるその風圧だけで、砕け散っていくようだった。
彼のダンジョン周回の速度は、この瞬間、さらに加速した。




