第470話
その日の世界の空気は、一つの巨大な「問い」を巡って、静かな、しかしどこまでも深い熱気に包まれていた。
【四天王集結、アトラスの守護者たち】。
JOKER、アリス、そして小鈴。三人の天才が、それぞれ自らのガーディアンを打ち破り、その証であるフラグメントを手に入れた。
残るは、一人。
ヴァルキリー・キャピタルの白き剣、ソフィア・リード。
彼女が、いつ、その沈黙を破るのか。世界の、全ての視線が、その一点へと注がれていた。
そして、小鈴がフェニックスを討伐した、まさにその数時間後。
世界は、その「答え」を、目の当たりにすることとなる。
【配信タイトル:【アトラスガーディアン】ミノタウロス、狩りの時間ですわ】
【配信者:ソフィア・リード@Valkyrie Capital】
JOKERの配信画面には、そのあまりにも優雅な、そしてどこまでも挑戦的なサムネイルが映し出され、神々の観戦席に座る三人の怪物は、その最後の挑戦者の、その初陣を、固唾を飲んで見守っていた。
◇
「皆さん、ごきげんよう。ソフィア・リードですわ」
ソフィアの声は、いつも通り、静かで、そしてどこまでも気高かった。
彼女のARウィンドウには、巨大な迷宮が描かれたマップが表示されている。
【ミノタウロスの迷宮】。
「アリス様、小鈴様。見事な戦いでしたわ。わたくしも、お二人に遅れを取るわけには、まいりませんわね」
その、あまりにも穏やかな、しかしどこまでも競争心を煽る一言。
それに、コメント欄は「頑張って!」「ソフィア様なら、余裕ですわ!」「待ってました!」といった、熱狂的な応援の言葉で埋め尽くされていた。
彼女は、その声援を背に、自らの楽園諸島のマップデバイスに、その神々の領域への鍵を、捧げた。
開かれたポータルは、どこまでも深く、そしてどこまでも土と、鉄の匂いがする、暗黒の渦だった。
彼女が、その中へと飛び込んだ先。
ミノタウロスマップは、洞窟だった。
それは、古代の、巨大な地下迷宮。壁も、床も、天井も、全てが人の手によって掘られた、無骨な岩肌が、剥き出しになっていた。
「…ふむ。随分と、野蛮な内装ですわね」
ソフィアは、その美しい顔を、わずかに歪ませた。
だが、彼女は歩みを止めない。
彼女は、その闇の奥深くへと、洞窟を進んでいく。
そして、数十分後。
彼女は、ついに、その場所へと到達する。
そこは、ひときわ巨大な、円形の闘技場だった。
闘技場の壁には、無数の、巨大な獣の骸骨が飾られ、その中央には、血で黒ずんだ、巨大な石の玉座が鎮座していた。
そして、その玉座に、それはいた。
斧を持ってる敵が待ってる。
身長は、5メートルを超えているだろうか。その全身は、鋼鉄のような黒い毛で覆われ、その筋肉は、まるで鎧のように、隆起していた。そして、その手に握られているのは、彼の身長ほどもある、両刃の巨大な戦斧。
【ミノタウロスの守護者、アステリオス】。
その、あまりにも圧倒的な、そしてどこまでも暴力的な存在感。
「あらあら」
ソフィアは、その絶望的な光景を前にして、しかし不敵に笑った。
その声は、どこまでも、楽しそうだった。
「随分と、可愛らしいペットですこと」
戦闘開始。
アステリオスが、その牛の鼻から、荒々しい息を吐き出した。
そして、その巨体を揺らし、一直線に、ソフィアへと突撃してきた。
戦斧が、風を切り裂き、唸りを上げる。
だが、その、山をも砕くかのような一撃は、空を切った。
ソフィアの体は、まるで幻影のように、その攻撃を、華麗に避けていた。
そして、その回避の、ほんのわずかな隙間。
彼女の、その華奢な、しかし神の力を宿した拳が、ミノタウロスの、その無防備な脇腹へと、閃光のように叩き込まれる。
スマイト、スマイトする。
黄金の雷霆が、炸裂する。
「グオッ!?」
ミノタウロスの、その巨体が、初めて、苦痛の声を上げた。
だが、そのダメージは、浅い。
ソフィアは、その手応えに、その美しい眉を、わずかにひそめた。
そして、彼女は、その唇から、どこまでも優雅な、しかしどこまでも残酷な、挑発の言葉を、紡ぎ出した。
「あらあら、これだけですの?すぐ倒しちゃいますわよ?」
その一言が、引き金となった。
ミノタウロスの、その獣の瞳が、憎悪の赤い光で、燃え上がった。
「グルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」
ミノタウロスは、新たな攻撃を仕掛ける。
彼は、その巨大な戦斧を、闘技場の床へと、力任せに叩きつけた。
轟音。
そして、地響き。
それは、洞窟全体を攻撃して、落石攻撃を仕掛けてくる。
天井から、おびただしい数の、巨大な岩石が、雨のように、ソフィアへと降り注いだ。
「…それは、ちょっとまずいですわね…!」
ソフィアの、その冷静だったはずの声に、初めて、明確な焦りの色が浮かんだ。
落石攻撃を避けながら、斧攻撃も避ける。両方しなきゃならない。キツイですわね。
彼女は、その死の雨の中を、そしてミノタウロスの、その追撃の斧の嵐の中を、必死に、そして無様に、転がり続けた。
その、あまりにも一方的な光景。
それに、神々の観戦席にいた、湊が、悲鳴に近い声を上げた。
「危ない!ソフィアさん!」
そして、その戦況は、さらに、絶望的なものへと変わっていく。
落石をぶん投げてくるミノタウロス。
彼は、その足元に転がっていた、巨大な岩石を、その怪力で掴み上げると、まるでボールのように、ソフィアへと投げつけた。
「…っ!」
スマイトで迎撃するが、落石の破片で、視界が遮られる。
砕け散った岩石の、その粉塵。
それが、彼女の視界を、一瞬だけ、完全に奪った。
「まずい!」
避け…!!
彼女の、その戦士としての本能が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
だが、もう遅い。
ミノタウロスの一撃が、クリーンヒット。
彼の、その巨大な戦斧が、ソフィアの、その無防備な胴体を、完璧に捉えた。
彼女の、その華奢な体は、まるで紙切れのように、壁まで吹き飛ぶ。
『ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』
悲鳴を上げるコメント欄。
誰もが、その絶望的な光景に、彼女の死を、確信した。
だが。
壁に叩きつけられ、土煙の中に沈んだはずの、その場所から。
一つの、どこまでも冷静な、そしてどこまでも気高い声が、響き渡った。
「――ふぅ」
土煙が、晴れる。
そこに立っていたのは、その純白のドレスに、わずかな土埃を付けただけで、しかし傷一つない、ソフィア・リードの姿だった。
しかし、一撃を貰う時に、相手の攻撃にスマイトで迎撃しており、ノーダメージ。
彼女の、その拳と、そしてミノタウロスの戦斧が激突した、そのコンマ数秒の瞬間に。
彼女は、そのドレスの埃を、優雅に払いながら、その美しい顔に、最高の、そして最も無慈悲な笑みを浮かべて、言った。
「ふー、まともに食らうと、死にますね。しかし、のろまですから、無理ですわよ?」
その、あまりにも圧倒的な、そしてどこまでも残酷な、挑発。
それに、ミノタウロスの、その獣の理性が、完全に焼き切れた。
「グルオオオオオオオオオオッ!!!!!」
ミノタウロスは、怒り、突撃する。
だが、その、あまりにも直線的で、そしてどこまでも単純な攻撃。
それを、ソフィアは、待っていた。
彼女は、その頭上から降り注ぐ、巨大な岩石の一つを、そのスマイトの拳で、横薙ぎに殴りつけた、スマイトで落石をぶん殴り、ミノタウロスにぶつける。
「お返しですわ」
黄金の雷霆を纏った岩石が、砲弾となって、ミノタウロスの、その巨大な顔面に、直撃する。
「グギャッ!?」
ミノタウロスの、その巨体が、初めて、よろめいた。
だが、ソフィアの、その無慈悲な「遊戯」は、まだ終わりではなかった。
「ほらほら、今度は貴方が、対応する番ですわよ?」
彼女は、その場から一歩も動かない。
ただ、その頭上から降り注ぐ、無限の弾丸を、そのスマイトの拳で、次々と、ミノタウロスへと打ち返していく。
落石を、スマイト攻撃で、吹き飛ばし、ミノタウロスにぶつける。
それは、もはや戦闘ではなかった。
ただ、一人の天才が、そのあまりにも巨大な「壁」を相手に、一人だけの、壁打ちテニスを楽しんでいるかのような、あまりにも滑稽で、そしてどこまでも残酷な光景だった。
ミノタウロスは、何も出来ずに、倒される。
やがて、その巨体は、自らが降らせたはずの、無数の岩石の墓標の下に、完全に沈黙した。
「ふー。落石攻撃が、マイナス行動でしたね。力尽くのほうが、よろしかったですのに」
ソフィアは、その完璧な勝利に、しかしどこか退屈そうに、そう呟いた。
そして、その彼女の足元に、一つの、小さな、しかしひときわ強い輝きを放つ、ドロップ品が、静かに、その姿を現した。
それは、ミノタウロスの、その角の一片のようだった。
【ミノタウロスのフラグメント】。
彼女の、そのあまりにも気高い挑戦は、終わった。
そして、世界の、本当の戦いは、これから始まろうとしていた。




