第469話
その日の世界の空気は、一人の少女が成し遂げた、あまりにも無謀な、そしてどこまでも美しい勝利の余韻に、まだ浸っていた。
アリス。
彼女が、無限の命を武器に、ヒュドラの守護者を打ち破った、あの日から数日。世界の探索者たちの視線は、自然と、次なる挑戦者へと注がれていた。
「四天王集結、アトラスの守護者たち」。
JOKER、アリスに続き、その栄光のレースに、名を連ねるのは誰か。
その、世界の全ての問いに、答えるかのように。
一つの、あまりにも静かな、しかしどこまでも力強い配信が、始まった。
【配信タイトル:【アトラスガーディアン】フェニックス、討伐開始】
【配信者:龍 小鈴@青龍】
JOKERの配信画面には、そのあまりにもミニマリストなサムネイルが映し出され、神々の観戦席に座る三人の怪物は、その静かなる挑戦の始まりを、固唾を飲んで見守っていた。
「…始まったな」
JOKERの、その静かな呟き。それが、この夜の、全ての始まりを告げる、ゴングとなった。
◇
「――始めます」
小鈴の声は、いつも通り、静かだった。
だが、その声の奥には、これから始まる死闘への、絶対的な覚悟が宿っていた。
彼女のARウィンドウには、燃え盛る炎の鳥が描かれたマップが表示されている。
【フェニックスの巣窟】。
「アリス殿に、遅れを取るわけにはいきません」
彼女は、そう短く呟くと、自らの楽園諸島のマップデバイスに、その神々の領域への鍵を、捧げた。
開かれたポータルは、どこまでも熱く、そしてどこまでも神聖な、黄金の渦だった。
彼女が、その中へと飛び込んだ先。
フェニックスマップは、研究所だった。
それは、かつて世界の理を解き明かそうとした、古代文明の、打ち捨てられた魔導研究所。壁も、床も、天井も、全てが純白の、継ぎ目のない金属で覆われ、その表面には、今はもう意味をなさない、無数の青いラインが、明滅を繰り返している。
「…静かな、場所ですね」
小鈴は、そのあまりにも無機質な空間を、その黒曜石のような瞳で、冷静に分析していた。
彼女は、その闇の奥深くへと、研究所を進んでいく。
そして、数十分後。
彼女は、ついに、その場所へと到達する。
そこは、ひときわ巨大な、ドーム状の実験室だった。
ドームの中央には、巨大な円形の粒子加速器が、その残骸を晒している。そして、その加速器の、中心。
それは、いた。
二刀流の敵が、待ってる。
身長は、3メートルほど。その全身を、太陽の光そのものを鍛え上げて作ったかのような、白銀と黄金の、流麗な鎧に包んでいる。そして、その両の手には、刀身そのものが純粋な炎でできた、二振りの長剣が握られていた。
【フェニックスの守護者、アポロ】。
その、あまりにも美しく、そしてどこまでも神々しい姿。
それに、コメント欄は「頑張って!」という、純粋な応援の言葉で埋め尽くされていた。
戦闘開始。
アポロは、その二振りの炎の剣を、風車のように回転させながら、小鈴へと突進してきた。
回転切りをしながら向かってくるフェニックス。
それは、もはやただの剣技ではない。
全てを焼き尽くす、炎の竜巻。
だが、小鈴は、動じない。
だが、回転切りを華麗に回避しながら、スマイトをぶち込む。
彼女は、その竜巻の、ほんのわずかな隙間を、完璧に見切り、その懐へと滑り込むと、その小さな拳に、黄金の雷霆を纏わせた。
スマイトの一撃が、アポロの、その神々しい鎧に、確かに叩き込まれる。
だが、その直後だった。
アポロは、その猛攻をぴたりと止めると、その身に、これまでにないほどの、膨大な魔力を、集束させ始めた。
フェニックスは魔力を貯めていく。
「…!」
まずいと察して、バックステップで退避する小鈴。
その、彼女の判断は、正しかった。
次の瞬間。
爆発するフェニックス。
アポロの体は、超新星爆発のように、凄まじい熱量の炎となって、四方八方へと飛散した。
ドーム全体が、灼熱の地獄へと変わる。
だが、小鈴は、その爆風の、最も威力が弱い一点を、完璧に見切り、そのダメージを最小限に抑えていた。
しかし。
彼女のARウィンドウに、一つの、禍々しいデバフアイコンが、その光を灯した。
そして小鈴にデバフ発動。【フェニックスの残響:最大火耐性-5% (スタック1)】
「…これは…」
小鈴の、その眉が、わずかにひそめられた。
そして、彼女の、その困惑を、肯定するかのように。
爆発の中心で、霧散したはずの炎の粒子が、再び、一つの場所へと収束していく。
フェニックスは、再び炎を纏い、そして完全に、その姿を再生させた。
そして、再び、あの炎の竜巻となって、小鈴へと襲いかかってくる。
回転切りをしてくる。回避する小鈴。
彼女は、再び、その猛攻を完璧にいなした。
だが、その直後。
アポロは、再び、あの自爆攻撃を、敢行した。
そして、小鈴にデバフ発動。【フェニックスの残響:最大火耐性-5% (スタック2)】になる。
「…これ、スタックするんですか!?ヤバいですね…」
小鈴の、その冷静だったはずの声に、初めて、明確な戦慄の色が浮かんだ。
時間が経過するほど、火耐性が下がり、さらに敵の火攻撃がダメージを喰らいやすくなる。
これは、もはやただのボスではない。
彼女の、その完璧な防御を、その根底から否定する、時間制限付きの、死の宣告だった。
「…!」
小鈴は、その戦術を、切り替えた。
もはや、守っているだけでは、ジリ貧になる。
速攻で、スマイトをぶち込む。
彼女は、あえていくつかの被弾を覚悟の上で、その攻撃の手を、早めた。
だが、フェニックスは耐える。
そして、そのカウンターの、回転切りをする。
回避するが、一撃貰う。そして、HPがゴリっと減る。
「…っ!まずい、ですね…!」
小鈴の、その小さな体から、初めて、苦痛の声が漏れた。
「スマイト!スマイト!」
フェニックスは怯む。そこにスマイトを重ねていく。
彼女は、理解した。
この敵を、倒すために必要なのは、完璧な守りではない。
その守りを、自ら打ち破るほどの、狂気的なまでの、攻撃性。
「…多少、ゴリ押しでも、攻めないと!」
彼女は、その魂の全てを、その小さな拳に込めた。
そこから始まったのは、もはや舞踏ではなかった。
ただ、一方的な、そしてどこまでも美しい「暴力」の嵐だった。
そして攻めて、攻めて、攻めまくる。
小鈴の、その黄金の雷霆が、フェニックスの、その再生の炎を、上回る速度で、その肉体を削り取っていく。
その飽和攻撃に、フェニックスは、どんどん何も出来ずに削られていく。
そして、ついにその時は来た。
彼女の、その最後の一撃が、フェニックスの、その炎の心臓を、完全に粉砕した。
「――…やりました」
静寂。
後に残されたのは、絶対的な静寂と、そしてその中心で、荒い息をつきながら、しかし確かな勝利を噛みしめる、一人の少女の姿だけだった。
そして、その彼女の足元に、一つの、小さな、しかしひときわ強い輝きを放つ、ドロップ品が、静かに、その姿を現した。
それは、フェニックスの、その炎の羽根の一枚のようだった。
【フェニックスのフラグメント】。
彼女は、その勝利の証を、震える指で拾い上げた。
そして、彼女は呟いた。
その声は、どこまでも、冷静だった。
「…正解は、攻め、でしたか。避けているだけだと、負けていましたね」
その、あまりにもストイックな、そしてどこまでも彼女らしい、自己分析。
それに、神々の観戦席は、万雷の拍手喝采に包まれた。
彼女の、その気高い挑戦は、終わった。
だが、世界の、本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。




