第466話
その日の世界の空気は、一人の男が持ち帰った、一つの「謎」を巡って、静かな、しかしどこまでも深い熱気に包まれていた。
JOKER。
彼が、世界で初めて発見したユニークマップ【合成獣の巣窟】。その最深部で、激闘の末に手に入れた、黒曜石の爪の欠片…【キメラのフラグメント】。
彼の配信は、その謎のアイテムをインベントリに収納したところで、唐突に終了した。
世界の、1000万を超える観客たちは、そのあまりにも意味深なクリフハンガーに、悶え苦しんでいた。
【SeekerNet 掲示板 - アトラス攻略総合スレ Part. 35】
1: 名無しのマップ開拓者
スレ立て乙。
…おい、見たかよ、昨日のJOKERの配信。
なんだよ、あの終わり方!
キメラのフラグメントって、一体何なんだよ!
2: 名無しのビルド考察家
>>1
乙。
分からん。ギルドのデータベースにも、一切情報がない。
だが、あの禍々しいオーラ。そして、JOKERの、あの満足げな表情。
間違いなく、ただの記念品ではない。
何かの、鍵だ。それも、とんでもなく巨大な扉を開けるためのな。
3: 名無しのハクスラ廃人
>>2
ああ。
アトラスは、まだ始まったばかりだということだ。
俺たちが今、ヒーヒー言いながら登ってるこの山は、本当の山の、麓に過ぎなかったってわけだ。
チッ。面白えじゃねえか。
その、あまりにも巨大な謎。
世界の、全ての探索者が、その答えを渇望していた。
そして、その答えは、彼らが思うよりもずっと早く、しかし世界のほんの一握りの人間にだけ、明かされることとなる。
◇
西新宿のタワーマンション、その最上階。
JOKERは、自室のARウィンドウに映し出された【キメラのフラグメント】の鑑定情報を、忌々しげに眺めていた。
【鑑定結果:不明。より高度な鑑定設備、あるいは特殊な鑑定スキルが必要です】
「…チッ。埒が明かねえな」
彼は、そう吐き捨てると、一つの通信回線を開いた。
相手は、彼がこの世界で、最も信頼する「情報源」。
水瀬雫だった。
JOKER: 「よう。ちょっと、厄介なブツを拾った。ギルドの、最高の鑑定士に診せたいんだが」
雫: 「お待ちしておりました、JOKERさん。すでに、話は通してありますわ。いつでも、どうぞ」
その、あまりにも手際の良すぎる、そしてどこまでも完璧な返答。
それに、JOKERは、ふっと息を吐き出した。
彼は、その場にポータルを開くと、国際公式ギルド、日本支部の、その最も奥深くへと、その身を転移させた。
◇
そこは、JOKERですら、初めて足を踏み入れる場所だった。
国際公式ギルド本部、地下30階。
【アーティファクト鑑定局・特殊遺物分析室】。
純白の壁と、チタン合金の床。その、あまりにも無機質で、そしてどこまでも静寂な空間の中央に、一つの巨大な、水晶でできたレンズのような装置が、静かに鎮座していた。
そして、その装置の前に、一人の老人が、静かに立っていた。
白衣を纏い、その顔には、深い皺が、まるで古代の地図のように刻まれている。だが、その瞳だけが、少年のような、尽きることのない好奇心の光を宿していた。
彼こそが、このギルドが誇る、最高の鑑定士。
アーサー・ペンフィールド博士だった。
「…お待ちしておりましたぞ、JOKER殿」
アーサーは、その優しい、しかしどこか狂気を孕んだ瞳で、JOKERを、そして彼が差し出したフラグメントを、値踏みするように眺めた。
「…ほう。これは、これは…。素晴らしい。実に、素晴らしい『謎』だ」
彼は、そのフラグメントを、まるで壊れ物を扱うかのように、慎重に、しかし確かな手つきで受け取ると、その巨大な鑑定装置の、中央の台座へと、静かに置いた。
そして、彼は言った。
「――では、始めようか。神々の、悪戯の、解読を」
装置が、起動する。
水晶のレンズから、純白の光が放たれ、フラグメントを、その内側から照らし出す。
フラグメントの、その黒曜石の表面に、これまで誰も見たことのなかった、無数の、そしてどこまでも複雑な、古代のルーン文字が、青白い光となって浮かび上がった。
アーサーは、その光の奔流を、その老いた瞳で、食い入るように見つめていた。
数分間の、絶対的な沈黙。
そして、彼は、その震える声で、その神々の言葉を、翻訳し始めた。
「…これは、鍵。あるいは、鍵の、欠片」
彼の声が、静寂な分析室に響き渡る。
「…アトラスの、中心へと至るための、な」
「アトラスには、四方の守護者がいる。東のミノタウロス、西のフェニックス、南のヒュドラ、そして、北のキメラ」
「このフラグメントは、その一体…北の守護者、キメラを打ち破った証」
彼は、そこで一度言葉を切ると、その顔に、最高の、そして最も狂気的な笑みを浮かべて、続けた。
「――そして、ここからが、本題だ」
「アトラスの中心、その封印を解くためには、このフラグメントが、4種類、それぞれ4つずつ…合計16個、必要となる」
「…なんだと?」
JOKERの、その眉が、ピクリと動いた。
「そうだ」
アーサーは、頷いた。
「ミノタウロス、フェニックス、ヒュドラ、そしてキメラ。その、全ての守護者を、それぞれ4回ずつ屠り、その魂の欠片を、全て集めなければならない」
「そして、その16個の欠片を、マップデバイスに同時に捧げた時…」
彼の、その老いた瞳が、この世界の、誰も見たことのない、深淵を、見据えていた。
「…道は、開かれる。■■■■と戦える、ただ一つの、道がな」
その、あまりにも無慈悲な、そしてどこまでも冒涜的な、最後の単語。
それは、アーサーの口から紡ぎ出された瞬間、世界の理そのものによって検閲され、ただの、意味をなさないノイズへと、その姿を変えていた。
だが、そのノイズの、その奥にある、あまりにも巨大な「何か」の存在を、JOKERは、その魂で、確かに感じ取っていた。
◇
「――面白い」
タワーマンションへと、帰還したJOKERは、そのARウィンドウに、ギルドから送られてきた、正式な鑑定報告書を映し出し、そして心の底から、楽しそうに、笑っていた。
「最高の、テーブルじゃねえか」
16個の、フラグメント。
四体の、神々の領域の番人。
そして、その先に待つ、未知なる、最後の敵。
それは、もはや彼一人で挑むには、あまりにも巨大で、そしてあまりにも、時間がかかりすぎる、壮大なクエストだった。
彼は、理解した。
これは、もはやソロプレイの領域ではない。
レイドだ。
最高の、仲間たちと共に挑む、究極のレイドクエスト。
彼は、その思考を、肯定するかのように。
一つの、通信回線を開いた。
宛先は、彼が、この世界で、唯一「対等」だと認めた、三人の、怪物たち。
【持たざる者同好会】。
JOKER:
「――新しいゲームが、始まったぜ」
彼は、その一言と共に、ギルドの鑑定報告書を、そのグループチャットへと、投下した。
そして、彼は続けた。
その言葉は、挑戦状であり、そして何よりも、最高の、仲間たちへの、招待状だった。
「これは、レイドだ。四人で挑む、最高のな。俺は、北のキメラを担当する。残りの、三つの席。誰が、埋める?」
「最初に、自らの担当するガーディアンのフラグメントを、4つ全て集めた奴が、勝ちだ。最高の、ショーを、始めようぜ」
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでもJOKERらしい、宣戦布告。
それに、答えるかのように。
世界の、三つの場所で。
三つの、神々の魂が、同時に、その輝きを増した。
オーディンの、荘厳な訓練場。
アリスが、その通信を受け取り、そのサファイアのような青い瞳を、これ以上ないほどキラキラと輝かせた。
「レース、ですのね!しかも、今度は、みんなで一つのゴールを目指す!最高ですわ!」
青龍の、静寂な道場。
小鈴が、その瞑想の中から、静かに目を開いた。
「…面白い。受けて、立ちましょう」
そして、ヴァルキリー・キャピタルの、衛星軌道上の、玉座の間。
ソフィア・リードが、そのホログラムに映し出された挑戦状を、その完璧な表情を、わずかに緩ませて、見つめていた。
「…四体の守護者。16個の欠片。そして、一つの未知なる変数。合理的で、そして何よりも、美しい挑戦ですわね。ええ、このソフィア・リード。謹んで、お受けいたしますわ」
その日、世界の探索者たちは、まだ知らない。
水面下で、人類史上、最も豪華で、そして最も危険な、レイドパーティが、結成されたことを。
そして、彼らがこれから挑む戦いが、この世界の、本当の「謎」を、解き明かすための、最初の、そして最も重要な、一歩となることを。




