第48話
その日の夜、神崎隼人は、西新宿の殺風景な自室の闇の中に、一人座っていた。
ギシリと軋む椅子。古びたパソコンのモニターだけが、彼の険しい表情を、ぼんやりと照らし出している。
彼の脳裏には、数時間前のあの光景が、まるで呪いのように焼き付いていた。
ひんやりとした、大理石の広間。
玉座から立ち上がる、巨大な骸骨の王。
そして、その王が放つ青白い憎悪のオーラをその身に浴び、無限に立ち上がってくる死者の軍勢。
なすすべもなく、その身を蝕んでいった「凍傷」の、冷たい痛み。
HPバーが、みるみるうちに削り取られていく、あの絶対的な絶望感。
彼は、負けたのだ。
探索者としてダンジョンに足を踏み入れて以来、初めての明確な「敗北」。
それは、彼のプライドを深く傷つけた。
だが、それ以上に彼の魂を震わせていたのは、別の感情だった。
悔しさではない。恐怖でもない。
それは、あまりにも難解で、あまりにも理不尽なパズルを前にした、子供のような純粋な**「好奇心」と「闘争心」**だった。
あのイカサマテーブルを、どうひっくり返すか。
あの必勝のギミックを、どう破壊するか。
その思考が、彼のギャンブラーとしての本能を、最高に刺激していた。
彼は、SeekerNetを開いた。
そして、向かう先はただ一つ。
『戦士クラス総合スレ』。
彼はその検索窓に、あの忌々しい敵の名前を、一字一字確かめるように打ち込んでいく。
『骸骨の百人隊長 凍傷 凍結 対策』
そして彼は、この敗北の分析と、次なる勝利への布石、その全てをショーとして世界に晒すことを決めた。
彼は、配信のスイッチを入れる。
タイトルは、挑発的だった。
『【作戦会議】D級ボス「骸骨の百人隊長」を、どうハメるか?』
そのタイトルを目にした彼のファンたちが、彼の無事を安堵すると同時に、その不遜な態度に呆れ、そして熱狂しながら、次々と彼のチャンネルへとなだれ込んできた。
彼の敗北を見届けた数万人の視聴者たちが、彼の次なる一手に注目し、固唾を飲んで見守っている。
JOKERのリベンジマッチ。
その第一幕が、今、始まった。
【承】戦士スレに記された、四つの「正解」
隼人が検索結果として表示されたスレッドを開くと、そこはまさに地獄の様相を呈していた。
『【悲報】百人隊長に、また全滅させられた…』
『【助けて】凍結ループから、抜け出せません』
『このクソボス設計した奴、頭おかしいだろ!』
阿鼻叫喚の悲鳴。そして、幾多の屍を乗り越えた先人たちの、血の滲むような知識の蓄積。
彼は、その膨大な情報の中から、彼が求める答えを探し当てていく。
そして、彼が見つけ出した「凍結」への対策は、大きく分けて四つだった。
彼は、その一つ一つを、視聴者に見せるように読み上げていく。
【第一の回答:戦わない】
「…ほう、まず一つ目の回答か」
隼人は、スレッドの中で最も多くの「いいね」が付けられた、あるベテランの書き込みを見つけた。それは、あまりにもシンプルで、あまりにも身も蓋もない回答だった。
名無しの古参兵:
『いいか、新人。お前が百人隊長の凍結ループにハメられて、ここに泣きついてきたというのなら、俺が授けられる答えはただ一つだ。「そういう敵とは、戦うな」』
その一言に、コメント欄がざわつく。
名無しの古参兵:
『そもそも、百人隊長は倒してもドロップするアイテムが、そのリスクと労力に全く見合っていない。大したレアも、ユニークも落とさないくせに、ギミックだけはD級の中でもトップクラスにいやらしい。つまり、典型的なハイリスク・ローリターンのクソボスだ。
ダンジョンは、一つじゃない。行く場所は、選べるんだ。お前のような低級の探索者が、十分な対策を用意できないうちは、危険なテーブルには最初から近寄らない。ビジネスと、同じだ。これに尽きる』
その、あまりにも合理的で、正しい意見。
隼人は、静かに頷いた。
「なるほどな。勝てないゲームは、しない。これが、ビジネスとしては理想の立ち回りだ」
彼は、そう視聴者に語りかける。
そして、その口元に獰猛なギャンブラーの笑みを浮かべて、続けた。
「だがな、俺はギャンブラーだ。勝てないゲームを、どうひっくり返すか。それを考えるのが、最高に楽しいんじゃねえか」
その狂気に満ちた言葉に、視聴者たちは歓喜の声を上げた。
これこそが、彼らが愛するJOKERの姿だったからだ。
【第二の回答:ユニークで対策する】
「さて、次だ」
隼人は、別の回答を探し始める。
次に多く語られていたのは、特定のユニークアイテムによる、物理的な対策だった。
ハクスラ廃人:
『それでも、どうしてもあの骨野郎を倒したいっていう、酔狂な奴がいるなら話は別だ。答えは、いつだってシンプル。**「金で殴れ」**だ』
スレッドには、対策となる様々なユニークアイテムの情報が、並んでいた。
ハクスラ廃人:
『一番簡単なのは、【夢の破片】。あのMPスタックビルドの最終装備の一つでもある、イカれた指輪だ。あれを装備すれば、凍傷も凍結も、完全に無効化できる。だが、まあ、値段はお前らの想像を絶する。本気で買うなら、億は覚悟しろ』
『そこまで金がない貧乏人には、別の選択肢もある。**【氷霜の頂】ってユニーク兜だ。こいつは、凍結状態だけを無効化してくれる。凍傷のスロウとDoTは食らうが、あの最悪の無限ループだけは、避けられる。これなら、数十万で手に入ることもあるだろう』
『あるいは、もう少しトリッキーな手もあるぜ。【冬の抱擁】**っていうユニーク指輪。こいつは面白い効果でな。凍傷のスタック数を、5個までに強制的に制限するんだ。つまり、どんなに攻撃を食らっても、凍結には絶対に至らないってわけだ。これも、比較的安価で手に入る』
隼人は、その多様な選択肢に、深く感心した。
「なるほどな。カードは、一枚じゃねえってことか」
彼は、視聴者たちに語りかける。
「金持ちは、最強のカードを買ってこのゲームを降りる。だが、頭を使えば、弱いカードでも十分に戦えるってわけだ。面白いじゃねえか」
【第三の回答:パッシブツリーで対策する】
「三つ目の回答は…パッシブツリーか」
彼は、さらにスレッドを読み進めていく。
そこには、パッシブスキルツリーの奥深くにあるキーストーンで対策するという方法も、記されていた。
だが、スレッドの論調は一様に、**「これはあまりオススメしない」**というものだった。
ベテランシーカ―:
『時々、いらっしゃいますね。パッシブツリーのキーストーン**【揺るぎなき意志】**(気絶と凍結を無効化する)を取得して、対策しようとする新人の方が。ですが、はっきり言って、それは最悪の選択です』
『なぜなら、あのキーストーンは、戦士のスタート地点からあまりにも遠すぎる、知性系のエリアにあるからです。そこまでポイントを伸ばす、その過程で失う火力や耐久力は、計り知れません。費用対効果が、まるで合わないのです』
『そもそも、たった一つのダンジョンの、たった一体のボスのギミックのために、ビルドの根幹をなすパッシブを歪めるのは、愚者のすること。振り直しには、高価なオーブが必要です。絶対に、やめておきましょう』
隼人もまた、この意見に完全に同意した。
彼の貴重なパッシブスキルポイントを、こんな局所的な対策に使う気は、毛頭ない。
「なしだな。パスだ」
彼は一言、そう呟いた。
【第四の回答:フラスコで対策する】
「そして最後が、フラスコか」
それは、彼がすでに雫から教えられていた方法だった。
スレッドでの評価も、彼女のそれと全く同じだった。
元ギルドマン@戦士一筋:
『最後に、**【加熱のフラスコ】**だな。これを使えば、確かに一時的に凍結は解除できる。だが、ソロでこれに頼るのは、愚の骨頂だ。効果時間は、数秒。チャージにも、限りがある。あれは、あくまでパーティで誰かが事故った時の、最低限の保険。これからパーティプレイを考えているなら、一本用意しておくべきだという程度の代物だ。ソロでこれに命を預けるのは、ただの自殺行為だ』




