第460話
その日の世界の空気は、一つの巨大な「祭り」の予感に、朝から揺れていた。
JOKERが、たった一人で神々の領域の番人「アルトリウス」を打ち破った、あの伝説の一夜。その衝撃は、世界のトップランカーたちの心を、希望よりもむしろ深い諦観で満たしていた。
あの領域に、我々がたどり着くことはない。
世界のメタゲームは、JOKERという絶対的な王者の出現によって、一つの完成と、そして停滞を迎えたかのように見えた。
誰もが、そう思っていた。
その、あまりにも静かすぎる均衡を、二人の、あまりにも若く、そしてどこまでも美しい天才たちが、その無邪気な挑戦状で、粉々に打ち砕くまでは。
その日の正午、X(旧Twitter)のタイムラインに、二つの、あまりにも対照的な、しかしどこまでもリンクした投稿が、同時に投下された。
アリス@オーディン:
【超重大発表】
皆さん、こんにちは!アリスです!
なんと、なんと!今夜9時から、青龍の小鈴さん(@Xiaoling_Seiryu)と、どっちが先にアルトリウスさんを倒せるか、競争することになりましたー!
JOKER先輩の伝説を見て、私も挑戦してみたくなったんです!予習はバッチリなので、10時間でのクリアを目標に頑張ります!みんな、応援してくださいね! #アルトリウスレース
龍 小鈴@青龍:
【告知】
今夜21時。オーディン所属、アリス氏と共同で、【神々の坩堝】への挑戦を開始する。
どちらが先に、かの騎士を打ち破るか。純粋な、武の競い合いだ。
JOKER殿の記録には及ばずとも、こちらも10時間を目安とする。
観測を、許可する。
#アルトリウスレース
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、爆発。
SeekerNetの、全てのサーバーが、その一瞬、悲鳴を上げた。
【SeekerNet 掲示板 - ライブ配信総合スレ Part. 1168】
1: 名無しの実況民A
おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
祭りだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ガチの、神々の代理戦争が、始まるぞ!!!!!!!!!!!!!!!
2: 名無しのゲーマー
1
乙!
うおおおおお!マジかよ!
アリスちゃんと、小鈴ちゃんが、アルトリウスに挑戦!?それも、レース形式で!?
面白すぎるだろ!
3: 名無しのビルド考察家
2
【予備心臓】を持つ、不死身の矛、アリス。
【金鐘罩・鉄布衫】を持つ、絶対防御の盾、小鈴。
そして、二人ともが【持たざる者】を装備した、スマイト徒手空拳ビルド。
矛と盾、どちらが先に、あの深淵の騎士を穿つのか。
これは、歴史に残る一戦になるぞ…。
その、あまりにも巨大な期待。
それに、答えるかのように。
その日の夜21時、きっかり。
三つの、あまりにも豪華な配信が、同時に始まった。
アリスと小鈴、それぞれの挑戦配信。
そして。
【配信タイトル:【神々の代理戦争】特等席で、高みの見物】
【配信者:JOKER】
JOKERの配信画面には、アリスと小鈴の配信画面が二分割で映し出され、そのワイプの中で、JOKER、ソフィア・リード、そして朱雀 湊が、豪華なソファに座り、まるで世紀の一戦を観戦するVIPのように、その様子を眺めていた。
「よう、お前ら。見ての通り、今日は観戦モードだ」
JOKERの声が、1000万を超える観客の鼓膜を揺らす。
「俺が切り拓いた地獄へ、あの二人のひよっこが、どう挑むのか。最高のショーを、始めようじゃねえか」
◇
「では、行きますわよ!」
アリスは、その大きなサファイアのような青い瞳を、闘志の炎で燃え上がらせていた。
彼女の戦略は、シンプルだった。
第二の心臓があるので積極的に攻撃していく。もちろん避けるが攻撃重視。
彼女は、アルトリウスが姿を現した、その瞬間、一直線に、その懐へと飛び込んでいった。
「オラオラオラオラオラオラ!」
黄金の雷霆が、嵐のように、吹き荒れる。
その、あまりにも無謀な、そしてどこまでも攻撃的な突撃。
それに、JOKERが、面白そうに解説を入れる。
「…はっ。馬鹿だな、あいつは。だが、悪くねえ。自分の、最大の武器が何かを、よく理解している」
アリスの猛攻は、確かにアルトリウスを捉えていた。
だが、その代償もまた、大きかった。
彼女が、五撃目を叩き込んだ、その瞬間。
アルトリウスの、カウンターの薙ぎ払いが、彼女の、そのがら空きになった胴体を、完璧に捉えた。
アリスのHPバーが、一瞬で蒸発する。
だが、彼女は死なない。
【予備心臓】が、その鼓動を再開する。
彼女は、全回復した状態で、その場に再び立ち上がった。
「なっ…!?」
**倒したはずの敵が起き上がる事態にビックリして、アルトリウスは攻撃を食らう。**彼の、その完璧だったはずの動きに、ほんのわずかな、しかし致命的な硬直が生まれた。
「今ですわ!」
アリスは、その隙を見逃さなかった。彼女の、渾身のスマイトが、アルトリウスの胸に、深く、深く叩き込まれる。
ボスのHPバーが、大きく揺れた。
だが、その直後。
我に返った騎士の、怒りの二刀流が、再びアリスの体を、光の粒子へと変えた。
そして再びアリスを倒す。アリスはオベリスクの前に飛ばされる。
「…ふぅ。痛かったですわ」
オベリスクの前に戻されたアリスは、その額の汗を拭った。
だが、その表情に、絶望の色はなかった。
むしろ、その瞳は、新たな発見への、歓喜に輝いていた。
「うーん、第二の心臓のチャージが復活してますね。中では第二の心臓使い放題って事ですね。これは嬉しい誤算です」
彼女は、そう言うと、最高の笑みを浮かべた。
「これなら、何度でも、心ゆくまで、殴り合えますわね!」
と良い再び挑戦する。
その、あまりにも狂気的な、そしてどこまでも彼女らしい結論。
それに、コメント欄は、爆笑と、そして戦慄に包まれた。
◇
一方、その頃。
小鈴の闘技場は、絶対的な静寂に支配されていた。
彼女は、戦っていない。
ただ、舞っていた。
アルトリウスの、その神速の剣技。その、全ての軌道、全てのタイミング。
その全てを、彼女は、その武術の達人としての超感覚で、完璧に読み切り、そしていなし続ける。
小鈴は回避と防御優先である。その鉄壁で死なずに華麗に立ち回り、徐々に削りを入れていく。
彼女の戦いは、JOKERの、あの死闘を、彷彿とさせた。
だが、その質は、全く違う。
JOKERのそれが、ギリギリの緊張感の中で生まれた、即興のジャズセッションだったとすれば。
彼女のそれは、数千年かけて練り上げられた、完璧な能の舞だった。
その、あまりにも美しく、そしてどこまでも人間離れした光景。
それに、JOKERですら、その息を呑んでいた。
「…化け物め」
小鈴は、一度も被弾することなく、アルトリウスのHPを、確実に削り続けていく。
1割、2割、3割…。
そして、ついにその場所へとたどり着いた。
世界の、トップギルドたちが、その総力を挙げても、決して超えることのできなかった、あの絶望の壁。
4割の壁。
小鈴は初挑戦でアルトリウスを5割まで削る。
だが、その瞬間。
アルトリウスが、咆哮を上げた。
彼の、その折れていたはずの左腕が、深淵の闇を纏い、新たな「剣」として、その姿を現したのだ。
二刀流。
5割からの猛攻に耐えられずHP0になる。
これまでとは比較にならない速度と手数で襲いかかる、死の嵐。
それに、小鈴の、その完璧だったはずの舞が、初めて、わずかに、乱れた。
その、コンマ数秒の、綻び。
それを見逃すほど、深淵の騎士は、甘くはなかった。
大剣と、闇の剣。
その、二つの絶望が、交差する。
小鈴の、その小さな体が、まるで木の葉のように、宙を舞った。
「…………」
オベリスクの前に戻された小鈴は、無言だった。
彼女は、ただ静かに、自らの、そのまだ震える手を見つめていた。
そして、数秒後。
彼女は、その黒曜石のような瞳に、確かな光を宿して、呟いた。
その声は、どこまでも、冷静だった。
「――うーん、まあまあですね。初戦としては、良かったのでは」
その、あまりにもストイックな、そしてどこまでも彼女らしい、自己分析。
それに、コメント欄は、畏敬と、そして純粋な賞賛の言葉で、埋め尽くされた。
◇
「――面白い。面白いじゃねえか」
JOKERは、その二つの、あまりにも対照的な戦いを、心の底から楽しそうに、眺めていた。
「一人は、無限の命で、理不尽をゴリ押しする。もう一人は、ただの一つの命で、完璧を追求する」
「矛と、盾。最高の、ショーだ」
彼の、その言葉を、肯定するかのように。
二人の少女の、その気高い挑戦は、まだ始まったばかりだった。
世界の、本当の最強が決まるのは、もう少しだけ、先の話。




