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ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物  作者: パラレル・ゲーマー
世界情勢編

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第454話

 その日の世界の空気は、一つの巨大な「夢」の熱に浮かされていた。

 日米両政府が共同で発表した、【魔石(ませき)エネルギーを利用した、空間拡張技術】。その、あまりにも唐突に世界に提示された神の御業は、人々の日常を、その根底から塗り替えようとしていた。

 東京では、家賃3万円の四畳半アパートが、一夜にして四十畳の高級マンションへと生まれ変わる。アメリカ大陸では、一本のトレーラートラックが、貨物列車に匹敵する輸送能力を手に入れる。

 SeekerNetの掲示板は、連日その奇跡の報告で溢れかえり、誰もが、この輝かしい未来が、自分たちの元にも訪れることを信じて疑わなかった。

 世界は、かつてないほどの楽観と、幸福感に満ちていた。

 だが、その光が強ければ強いほど、その影もまた、深く、そして濃くなることを、まだ誰も知らなかった。


 ◇


 ロシア連邦、モスクワ、クレムリン。

 その、赤い城壁に囲まれた権力の中心部。大統領執務室の空気は、凍りついていた。

 壁一面に設置された巨大なモニターには、日本のワイドショーが映し出されている。画面の中では、日本の一般市民が、拡張された自らの部屋で、涙ながらに歓喜の声を上げていた。

 その、あまりにも平和で、そしてどこまでも西側的な光景。

 それを、ソファに深く腰掛けた二人の男が、氷のように冷たい瞳で、見つめていた。

 一人は、現ロシア連邦大統領。

 そして、もう一人は、その傍らに影のように控える、元KGBの将軍にして、ロシア探索者管理総局の最高責任者、ディミトリ・ヴォルコフだった。


「…茶番だな」

 大統領が、吐き捨てるように言った。

「我々が、北極海の氷の下で、新たな魔石(ませき)鉱脈を血眼になって探している間に、奴らは、ただの箱を広げるだけで、無限の領土を手に入れたというわけか」

「はい、閣下」

 ヴォルコフは、その表情を一切変えずに答えた。

「これは、もはやただの技術ではありません。領土、資源、そして兵站。戦争の、全ての概念を塗り替える、究極の戦略兵器です」

 彼は、手元のAR端末を操作し、モニターの映像を切り替えた。

 そこに映し出されたのは、シベリアの、凍てつく荒野を走る、ロシア軍の旧式な輸送部隊の映像だった。

「我々の軍隊が、一個師団を前線に展開させるのに、数週間を要する。だが、もしアメリカが、この技術を搭載した輸送機を10機保有していたら?彼らは、24時間以内に、我が国の国境の、あらゆる場所に、一個師団を送り込むことが可能になる。我々の、この広大な国土という最大の利点が、一夜にして、最大の弱点へと変わるのです」


 その、あまりにも的確な、そしてどこまでも絶望的な分析。

 それに、大統領は、ぐっと言葉に詰まった。

 そして、彼はその怒りに満ちた瞳で、ヴォルコフを見つめた。

「…どうする、ディミトリ。指を咥えて、見ているだけか?」

「いえ、閣下」

 ヴォルコフの口元に、初めて、狼のような獰猛な笑みが浮かんだ。

「幸い、我々には、同じ不満を共有する『友人』がおります」


 ◇


 その数時間後。

 東京、霞が関。日本の政治の中枢、首相官邸の地下深く。内閣危機管理センターの極秘会議室は、一触-発の、火花が散るかのような緊張感に満ちていた。

 円卓の中央に浮かぶホログラムモニターには、三つの、あまりにも重い顔が映し出されていた。

 ワシントンD.C.、ペンタゴンからは、アメリカの「ダンジョン経済戦略局(DESA)」トップ、ジェニファー・アームストロング長官。

 北京、中国国家ダンジョン管理局からは、王毅ワン・イー主任。

 そして、モスクワ、クレムリンからは、ディミトリ・ヴォルコフ将軍。

 それを迎え撃つのは、日本の「超常領域対策本部」トップ、坂本純一郎特命担当大臣だった。


 最初に、その重い沈黙を破ったのは、中国の王主任だった。

 彼の声は、静かだった。だが、その一言一言には、一つの巨大な国家の、そして数千年の歴史の、重みが宿っていた。

「坂本大臣、アームストロング長官。まずは、この度の空間拡張技術の開発成功、心よりお祝い申し上げる。人類全体の、大きな進歩だ」

 その、あまりにも丁寧な、そしてどこまでも外交的な口上。

 だが、その裏に隠された、鋭い刃の存在を、坂本は見逃さなかった。

「我々、中華人民共和国は、国際社会の責任ある一員として、この素晴らしい技術が、人類全体の平和と繁栄のために使われることを、強く望むものである。つきましては、その技術の基礎的な情報を、我々にも開示していただくことは、できないだろうか。もちろん、軍事転用はしない。ただ、我が国の、深刻な住宅問題と、物流インフラの改善のために、だ。これは、世界平和への、貢献でもある」


 その、あまりにも正論で、そしてどこまでも反論のしにくい、要求。

 それに、アームストロングが、そのシルクのように滑らかな、しかしどこまでも鋭利な声で、答えた。

「素晴らしいご提案ですわね、王主任。ですが、ご存知の通り、この技術はまだ開発の初期段階にあります。安全性が、完全に確認されるまでは、その情報を国外へと持ち出すことは…」

 その、アメリカの、あまりにも見え透いた時間稼ぎ。

 それを、嘲笑うかのように。

 これまで沈黙を保っていた、ロシアの狼が、その牙を剥いた。


「はっはっは!長官殿は、ご冗談がお好きだ!」

 ヴォルコフの、その野太い、そしてどこまでも親しげな笑い声が、会議室に響き渡る。

「安全性、ね。結構なことだ。だが、我々は子供ではない。その程度の『建前』は、もう聞き飽きましたよ」

 彼は、その鋭い瞳で、坂本ただ一人を、射抜くかのように見つめた。

「単刀直入に、言わせてもらおう。その技術を、よこせ」


 その、あまりにも直接的な、そしてどこまでも暴力的なまでの、要求。

 それに、会議室の空気が、凍りついた。

 坂本は、その顔に一切の表情を浮かべることなく、ただ静かに、その挑戦を受け止めていた。

 彼は、時間を稼ぐように、ゆっくりと、そしてわざとらしく、テーブルの上に置かれた緑茶を一口啜った。

 そして、その重い口を、ゆっくりと開いた。

 彼の、その静かな一言が、この世界の、新たな冷戦の時代の、始まりを告げる、ゴングとなった。


「…王主任のご提案については、前向きに検討する余地があるかもしれません。ですが…」

 彼は、その視線を、ヴォルコフへと向けた。

 その瞳には、一切の揺らぎはなかった。

「…ヴォルコフ将軍。中国はともかく、貴国相手には、正直に申し上げて『いやです』としか、申し上げられませんな」


 静寂。

 数秒間の、絶対的な沈黙。

 モニターの向こう側で、王主任の眉が、わずかに動いた。

 アームストロング長官の口元に、面白いものを見たかのような、冷たい笑みが浮かんだ。

 そして、ヴォルコフ。

 彼は、そのあまりにも直接的な、そしてどこまでも屈辱的な拒絶の言葉に、怒りを爆発させるかと思われた。

 だが。


「――はっはっはっはっはっはっはっはっ!」


 彼は、腹を抱えて、笑った。

 その、あまりにも予想外の反応。

 それに、坂本ですら、その眉をひそめた。

 ヴォルコフは、その涙を拭うと、その顔に、最高の、そしてどこまでも胡散臭い、親友の笑みを浮かべて、言った。

 その声は、甘く、そしてどこまでも、脅迫的だった。


「――そんな事言わないでくださいよ、坂本大臣。我々は、『友達』じゃないですか?」


 その一言に、会議室の、全ての時間が止まった。

 友情という名の、呪い。

 その、あまりにも重い言葉の、その本当の意味を、この部屋にいる誰もが、痛いほどに、理解していた。

 追い詰められた王主任が、彼らにとっての最後の、そして最強のカードを切った。

「…分かりました。では、取引といきましょう。我が国の奥地に眠る、膨大なレアメタルの採掘権を、30年間、優先的にお譲りするのはどうですかな?これだけの譲歩、他にありませんぞ?」


 その、旧世界の価値観に基づいた、彼らにとっての最大限の提案。

 それを聞いたアームストロング長官は、一瞬だけきょとんとした顔をした後、これ以上ないほど美しい、しかしどこまでも残酷な笑みを浮かべて、こう言い放った。


「あら、主任。失礼ですが、今は西暦何年でしたかしら?」

「**えー、レアメタルとか(笑)。**ありがたいご提案ですが、私達のギルドは、B級ダンジョンを一つ周回すれば、貴国の一年分の産出量に匹敵する希少鉱物を採掘できますのよ。10年前でしたら、とても嬉しいお話でしたけれど、今は必要ないかしら…」


 その一言に、ヴォルコフと王主任の顔が、屈辱に凍りつく。

 自分たちの持つ最強のカードが、子供のおもちゃのように扱われたのだ。

 会議は、完全な日米の勝利で終わろうとしていた。


 ◇


 会議終了後、坂本とアームストロングだけの極秘回線。

「…見事な手腕でしたわ、坂本大臣」

「いえ、あなたの援護射撃のおかげですよ、長官」

 二人は、互いの健闘を称え合った。だが、その表情は、晴れやかではなかった。

「しかし」

 坂本が、重い口調で切り出す。

「このままでは、彼らは追い詰められて、何をしでかすか分からん。特に、ロシアはな」

「ええ、分かっていますわ。 追い詰められた熊は、最も危険ですものね」

「そこで」

 坂本は、続けた。その瞳には、この混沌としたテーブルの、その全てのカードを読み切り、そして唯一の勝ち筋を見つけ出した、天才ギャンブラーの光が宿っていた。

「こちらから、一つの『提案』を持ちかけるというのは、どうでしょう」

「『軍事利用の絶対厳禁』。そして、関連施設への、国際公式ギルドによる『永続的な査察権』。この二つの絶対的な条件を彼らが飲むのなら、限定的な民生用の基礎技術だけを、段階的に供与する。…という、新たなテーブルを、こちらから提示するのです」


 その、あまりにも老獪な、そしてどこまでも美しい、究極の外交戦略。

 それに、アームストロングは、その青い瞳を、楽しそうに細めた。

「…面白い。実に、面白い提案ですわね、大臣」

「その話、詳しく聞かせていただきましょうか」


 ◇


 数日後。

 再び開かれた、四カ国の緊急ビデオ会議。

 そのテーブルに、坂本とアームストロングは、新たな「提案」を提示した。

 その、あまりにも屈辱的で、しかしどこまでも魅力的な、悪魔の取引。

 それに、王主任とヴォルコフは、数日間、沈黙した。

 自国の軍事主権を、事実上、日米に明け渡すこと。

 それは、彼らにとって、死ぬよりも辛い選択だった。

 だが、彼らは同時に、理解していた。

 ここで、この手を取らなければ、自分たちの国は、10年後、世界の三流国へと転落するのだと。

 そして、彼らは決断した。


「…分かった」

 ヴォルコフの、その絞り出すような声が、会議室に響いた。

「その、屈辱的な条件。飲もう」

「ただし」

 彼の、その狼のような瞳が、再び、獰猛な光を宿した。

「技術供与の、その先にあるもの。…冒険者の育成ノウハウについても、我々は、あなた方と同等のものを、要求する」


 その、あまりにも意外な、そしてどこまでも本質を突いた、カウンター。

 それに、坂本とアームストロングの顔が、初めて、わずかに引き締まった。

 彼らは、気づいてしまった。

 自分たちが、この交渉に勝ったと、思っていた、その裏側で。

 本当の戦争は、まだ始まってもいなかったのだと。


「…やはり鍵は、冒険者育成だな」

 会議を終えた後、クレムリンの執務室で、ヴォルコフは、そう呟いた。

「これさえあれば、いつか追い抜く事も出来る」

「まあ、向こうもそれは分かってるから、死に物狂いで追い抜く事を阻止しようとするがな」


 時を、同じくして。

 ホワイトハウスの、シチュエーションルーム。

 アームストロング長官もまた、同じ結論に、たどり着いていた。

「…面白い。最高の、レースが始まったじゃないか」


 世界の、本当の戦いは、今、静かに、そして確かに、その火蓋を切って落としたのだ。

 それは、兵器の数でも、領土の広さでもない。

 ただ、どちらが、より早く、より強い「英雄」を、育て上げるか。

 その、あまりにもシンプルで、そしてどこまでも残酷な、競争の時代の、幕開けだった。

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