表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物  作者: パラレル・ゲーマー
買い物編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

470/491

第453話

 その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、一つの巨大な「祭りの後」の静けさと、そしてどこまでも優しい興奮の余韻に包まれていた。

 神崎隼人――“JOKER”。

 この世界の理そのものを、その身一つで蹂躙し続けてきた絶対的な王者が、S級ダンジョンでアーティファクトをドロップし、そして、全世界が見守る生配信の真っ只中で、完璧な美少女へとその姿を変えた。

 その、あまりにも衝撃的な、そしてどこまでも美しい「神話」の誕生。

 その余韻は、彼が配信を終えた後も、SeekerNetのあらゆる掲示板で、熱病のように燻り続けていた。


 西新宿のタワーマンション、その最上階。

 JOKERは、ギシリと軋む高級ゲーミングチェアにその身を深く沈め、目の前の漆黒のモニターに映し出された、自らの配信のコメントログを、ただぼんやりと眺めていた。

 ログは、「JOKERちゃん」という、あまりにもむず痒い、しかしどこまでも熱狂的な愛情に満ちた言葉で、完全に埋め尽くされている。


「…はぁ」


 彼の口から、重いため息が漏れた。

 だが、その響きには、いつものような不機嫌さはない。むしろ、未知なるテーブルで、予想外のカードを引いてしまったギャンブラーのような、静かな、しかし抑えきれない高揚感が滲んでいた。

 彼は、おもむろにインベントリを開き、その中の一つのアイテムを、ホログラムとして空間に投影した。

【アニマとアニムスの円環】。

 白金と黒金が、完璧な二重螺旋を描く、神々の遺産。


(…面白い)


 彼の、その魂が、震えていた。

 これまで、彼が求めてきたのは、常に「力」だった。より高い火力、より堅牢な防御、そして、世界の理を支配するための、より深い「知識」。

 だが、この指輪が彼にもたらしたのは、そのどれでもなかった。

 それは、ただの「可能性」。

 神崎隼人という、固定された存在からの、一時的な「解放」。

 “JOKER”という、あまりにも重すぎる役割からの、逃避。

 あるいは。


(――最強の、ブラフ)


 彼の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。

 この姿であれば、誰も俺をJOKERだとは思うまい。S級ダンジョンの入り口で、あるいはアジールの、あの薄暗い酒場で。この世界の、全てのプレイヤーの裏をかくことができる。それは、彼にとって、何よりも甘美な、そしてどこまでも危険な、新しい「手札」だった。

 この手札を、最大限に活かすためには、それ相応の「舞台装置」が必要だ。


(…服、欲しいな)


 彼の、その思考を肯定するかのように。

 彼のARコンタactレンズの片隅に、ごく普通のLINEの通知が、淡い光を灯した。

 そこに表示されたグループ名は、彼がこの数ヶ月で、いつの間にか慣れ親しんでしまった、奇妙なコミュニティの名前だった。



 雫: 「皆さん、おはようございます!さて、JOKERさん。昨日はお疲れ様でした。例の『お買い物』の件ですが、本日はいかがでしょうか?美咲さんと静さんは、夏休みでいつでも大丈夫とのことですわ」

 詩織: 「ふふっ。私も、本日は非番ですわよ。JOKER様の、新たな門出を、ぜひお祝いさせてくださいな」

 祈: 「最適な服飾の選定。そのデータ収集には、私も興味があります。同行を許可します」

 美咲: 「お兄ちゃん!行こうよ!絶対、楽しいよ!」

 静: 「…はい。私も、楽しみ、です」


 その、あまりにも温かい、そしてどこまでも逃げ場のない、包囲網。

 それに、JOKERは、ふっと息を吐き出した。

 そして彼は、キーボードを叩いた。

 その返信は、どこまでも、彼らしかった。


 JOKER: 「ああ、行く。最高のやつを、見繕ってもらうぜ」


(――女の俺、いけー)


 彼の、その魂の奥深くで。

 もう一人の彼が、静かに、そして確かに、その産声を上げていた。


 ◇


 その日の午後。

 東京、銀座。

 世界の、全ての富と、美と、そして欲望が集まる、神々の街。その、メインストリートに面してそびえ立つ、老舗百貨店の、その正面入り口。

 そこに、五人の、あまりにも場違いなほど美しい少女たちが、集っていた。

 いや、正確には、四人の少女と、一人の、まだその性別に戸惑いを隠せない、青年だった。

 JOKERは、その待ち合わせ場所の、あまりの人の多さと、華やかな空気に、すでに辟易していた。

(…なんで、こんな場所に…)

 彼の、その心の叫びを、肯定するかのように。

 彼の背後から、二つの、鈴を転がすような声が、同時に響いた。


「「お兄ちゃん!」」

「「JOKERさん!」」


 美咲と静。そして、雫と詩織。

 彼女たちは、その休日の装いに、その身を包んでいた。美咲は、白いワンピース。静は、落ち着いた色合いの、清楚なブラウス。雫は、キャリアウーマンらしい、洗練されたパンツスーツ。そして、詩織は、まるで皇族の園遊会にでも出席するかのような、優雅なアフタヌーンドレス。

 その、四者四様の、あまりにも眩しい輝き。

 それに、JOKERは、思わず目を細めた。

 だが、その彼の、憂鬱な気分を、完全に吹き飛ばすかのように。

 最後の、そして最も異質な訪問者が、音もなく、その姿を現した。


「…皆さん、お揃いですわね」


 冬月祈。

 彼女は、いつもの、禍々しくも美しいゴシックドレスのまま、そこにいた。

 その、あまりにも変わらない、そしてどこまでもマイペースな佇まい。

 それに、その場の全員が、どっと笑った。


「さて、と」

 雫が、その完璧な笑顔で、仕切り始める。

「では、JOKERさん。早速ですが、お着替えをお願いできますでしょうか?」

「…ここでかよ」

「ご冗談を。ちゃんと、個室はご用意してありますわ」

 彼女は、そう言うと、百貨店のコンシェルジュへと、その視線を向けた。

 数分後。

 彼らは、一般客は決して足を踏み入れることのできない、最上階の、特別なフィッティングルームへと、案内されていた。

 そして、JOKERは、そのあまりにも重い、そしてどこまでも滑稽な、運命の扉を開けた。


 ◇


「――まあ、こんなものかしら」


 数分後。

 フィッティングルームの、重厚なカーテンが、ゆっくりと開かれた。

 そして、その奥から現れた、一人の少女の姿に。

 その場にいた、五人の女性たちは、一瞬だけ、その呼吸を忘れた。

 そこにいたのは、一人の、黒髪の美少女だった。

 腰まで届く、艶やかな黒髪。

 切れ長の、しかしどこか憂いを帯びた瞳。

 そして、その身を包む、黒い、タイトな戦闘用のドレス。

 JOKER――いや、今の彼女は、そのあまりにも大きな注目に、少しだけ面倒くさそうに、しかしどこか楽しむように、その視線を受け止めていた。


「…綺麗…」

 最初に、その沈黙を破ったのは、静の、その素直な感嘆の声だった。

「うん!すごく、似合ってるよ、お兄ちゃん!」

 美咲もまた、その大きな瞳を、これ以上ないほどキラキラと輝かせている。

 だが、プロの目は、もっと厳しかった。


「…ふむ」

 雫は、その顎に手を当て、まるで鑑定士のように、その全身を、じっくりと眺め回した。

「素材は悪くありませんわね。ダンジョン産の、伸縮性と耐久性に優れた生地。ですが、デザインが、あまりにも…その…実用性に、偏りすぎていますわ」

「ええ」

 詩織もまた、その扇子で口元を隠しながら、優雅に、しかしどこまでも的確に、その評価を述べた。

「これでは、まるで戦場からそのまま抜け出してきたかのよう。もう少し、こう…柔らかな、女性らしいラインが、必要ですわね」

「…なるほど」

 祈が、その紫色の瞳を、分析的に細める。

「つまり、現状の戦闘能力を維持しつつ、より高い審美的価値を付与するための、最適な解を、導き出せばいいのですね。興味深い課題ですわ」


 その、あまりにも専門的で、そしてどこまでも容赦のない、三人の専門家たちの議論。

 それに、JOKERは、ふっと、その口元に皮肉な笑みを浮かべた。


「あら、厳しい評価ね。まあ、あなた達の言うことも、一理あるかしら」

 その、あまりにも冷静な、そしてどこまでも彼女らしい、返答。

 それに、雫と詩織は、顔を見合わせた。

 そして、彼女たちは同時に、くすくすと、楽しそうに笑った。


「では、始めましょうか。JOKER様の、最高の『概念武装』を創り上げる、このプロジェクトを」


 ◇


「まずは、カジュアルな普段着から、ですわね」

 詩織の、その鶴の一声。

 それに、一行は、百貨店の中層階にある、若者向けの、トレンディなセレクトショップへと、その歩みを進めた。

 美咲と静は、まるで自分たちの服を選ぶかのように、楽しそうに、ハンガーにかけられた色とりどりの服を、物色し始めた。


「お兄ちゃん!これ、どうかな?可愛いよ!」

 美咲が、持ってきたのは、白い、フリルのついた、可愛らしいブラウスと、花柄のスカートだった。

 それに、JOKERは、その美しい顔を、わずかに歪ませた。

「…美咲。あなたの感性は素晴らしいわ。でも、この服は戦略的に欠陥品よ」

「え?」

「このフリルは、敵に『私を掴んでください』と知らせるための標的。生存確率を著しく下げるわ。実用性が皆無ね」

 その、あまりにも冷静な、そしてどこまでも戦闘狂らしい分析。

 それに、美咲は、頬をぷくりと膨らませた。

「もう!ここは、ダンジョンじゃないんだから!」

「全ての日常は、戦場よ」


 その、あまりにも微笑ましい、兄妹の攻防。

 それを、祈が、その無機質な声で、断ち切った。

「…非効率的ですわね。その生地の繊維構造では、対刃性能は、皆無に等しい。最低でも、ケブラー繊維を織り込んだものでなければ」

「だから、ダンジョンじゃないんだってば!」


 その、あまりにも混沌とした、しかしどこまでも楽しそうな光景。

 それに、雫は、くすくすと笑いながら、その最終的な「答え」を、提示した。

 彼女が、その中から選び出したのは、一枚の、シンプルな、しかしどこまでも洗練された、黒いシルクのシャツと、タイトなスキニーパンツだった。

「…これなら、いかがでしょう?」

 彼女の、その完璧な選択。

 それに、JOKERの、その眉が、わずかに動いた。

(…悪くない)

 それは、彼の、その戦闘狂としての美意識と、そしてわずかに芽生え始めた、女性としての審美眼。その、両方を、完璧に満たす、一つの答えだった。


 ◇


 その後も、彼女たちの、そのあまりにも贅沢な、そしてどこまでも楽しい「仕事」は、続いた。

 詩織が、そのコネを使い、一般客は決して入ることのできない、VIP専用の、ハイブランドのブティックへと、一行を案内する。

 そこで、JOKERは、その人生で初めて、数百万はするという、優雅なイブニングドレスに、その身を包むことになった。

 フィッティングルームから、その姿を現した、その瞬間。

 それまで、騒がしかった五人の女性たちが、完全に、その言葉を失った。

 そして、その店の、百戦錬磨のはずだった、女性店員たちですら、そのあまりにも神々しい美しさに、ただ息を呑んでいた。

 JOKER自身もまた、その鏡に映る、自らの、そのあまりにも見慣れない姿に、ただ呆然と、立ち尽くしていた。

(…なるほど。これは戦闘服ではない。人の視線と思考を支配するための『概念武装』…そういうことね)


 その、あまりにも劇的な、そしてどこまでも美しい、変貌。

 その、祝祭の、合間に。

 彼らは、百貨店の最上階にある、美しい庭園が見えるカフェで、束の間の休息を取った。

 テーブルの上には、芸術品のように美しい、色とりどりのケーキと、香り高い紅茶が並べられている。

 JOKERは、目の前に置かれた、モンブランの、その完璧な造形を、分析するように眺めていた。

「この栗のペーストの粘度と、内部の生クリームの比率。計算されているわね」

 その、あまりにも冷静な分析。

 それに、美咲と静が、声を殺して、笑っている。

 詩織と雫もまた、その口元に、扇子を当てながら、その微笑ましい光景を、楽しんでいた。

 祈だけが、そのケーキの、糖分と脂質の、完璧なバランスについて、真剣な分析を、呟いていた。

 その、あまりにも平和で、そしてどこまでも尊い時間。


 ◇


 夕暮れが、銀座の街を、黄金色に染め上げる頃。

 彼らの、その長い、長い一日は、終わりを告げようとしていた。

 JOKER――いや、今日の彼女は、その両手に、持ちきれないほどの、紙袋を抱えていた。

 その全てが、彼女の、新たな人生のための、新しい「鎧」だった。

 彼は、その日の、最後の仕上げとして、自らのインベントリから、ギルドが発行する、ブラックカードを取り出した。

 そして、その全ての代金を、あまりにもあっさりと、そしてどこまでもスマートに、支払ってみせた。

 その、あまりにも圧倒的な、そしてどこまでもJOKERらしい、フィナーレ。

 それに、五人の少女たちは、ただ感嘆のため息を、漏らすしかなかった。


 その日の夜。

 タワーマンションへと、帰る道。

 JOKERは、再び男の姿へと戻っていた。

 だが、その心は、これまでにないほどの、穏やかな、そしてどこまでも温かい感情で、満たされていた。

 彼の隣で、美咲が、その日の戦利品を、嬉しそうに、そしてどこまでも誇らしげに、抱きしめている。


「…楽しかったね、お兄ちゃん」

「…ああ」

「また、行こうね。みんなで」

「…ああ」


 彼の、そのあまりにも短い、しかしどこまでも優しい、肯定の言葉。

 それに、美咲は、最高の笑顔で、頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ