第47話
神崎隼人は、D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】から撤退した後、その足でまっすぐに、新宿のあのガラス張りのビルへと向かっていた。
関東探索者統括ギルド公認、新宿第一換金所。
もはや彼にとって、そこは第二のホームのような場所だった。
今日の成果は、ボスを討伐できなかったこともあり、決して多くはない。
道中の骸骨兵たちがドロップした、いくつかの魔石。
それらを全て合わせても、おそらく数万円程度だろう。
だが、彼の心は不思議なほど晴れやかだった。
そしてその胸の内には、これまで感じたことのない温かい感情が、静かにこみ上げてきていた。
(…一日で、5万か)
彼は、思う。
ほんの数週間前まで、彼は裏社会の薄暗いポーカーハウスで、命の次に大事な金を賭けて神経をすり減らし、一日数千円を稼ぐのがやっとだった。
それが、今ではどうだ。
たった一日ダンジョンに潜るだけで、その何倍もの金を、いとも簡単に稼ぐことができる。
しかもそれは、誰かを騙したり、陥れたりして手に入れた、汚れた金ではない。
自らの力と知恵で、正々堂々と掴み取った、勝利の対価だ。
(…悪くない)
彼は、自らの今の生き方を、初めて心の底から肯定することができた。
その確かな手応えが、彼の足取りを軽くしていた。
換金所のカウンターには、いつものように彼女がいた。
水瀬雫が彼の姿を見つけると、その大きな瞳を、少しだけ心配そうに細めて微笑んだ。
「JOKERさん、お待ちしておりました。お怪我は、ありませんか?」
「ああ、問題ない」
「配信、拝見しておりました。あの状況からの撤退のご判断、本当に見事でした」
彼女のその労いの言葉に、隼人は少しだけ照れくさそうに鼻を鳴らした。
彼は、今日の成果である魔石をインベントリから取り出し、カウンターのトレイの上に置く。
雫が、それらを手慣れた様子で鑑定機へとかけていく。
その鑑定を待つ、わずかな時間。
それは、彼らにとって貴重な作戦会議の時間だった。
「しかし、驚きました」
雫は、鑑定機のモニターを見つめながら、感嘆の声を漏らした。
「あの百人隊長のオーラと、凍傷のギミック。あれを初見で見抜き、そしてあのタイミングで撤退を決断できる探索者の方は、そう多くはいません。ほとんどの方はパニックに陥り、フラスコを浪費した挙句、なすすべもなく凍結の無限ループに囚われてしまいますから」
「…視聴者に、教えてもらっただけだ」
隼人は、ぶっきらぼうに答えた。
「あのまま続けていれば、詰んでいたと」
「はい。その通りです」
雫は、真剣な眼差しで彼を見つめ直した。
「JOKERさん、あなたのビルドは、確かに強力です。ですが、あの状況は、あなたのビルドにとって相性が最悪でした。遠距離から一方的に攻撃できる手段を持たないあなただと、視聴者の方々が指摘されたように、いずれは確実に詰んでいました」
「だからこそ、次、あの王に挑むためには、明確な対策が必要になります。凍傷か、あるいは凍結そのものを、対策するべきですね」
「…何か、いい方法はあるのか?」
隼人のその問いかけに、雫は待っていましたとばかりに、その瞳を輝かせた。
彼女の頭の中には、すでにいくつもの解決策が用意されていたのだ。
「はい。方法は数多くありますが、JOKERさんの今の状況で、最も現実的な選択肢は二つあります」
彼女はそう言うと、まず一つ目の提案を口にした。
「一つ目は、ユニークアイテムで対策するという、最もシンプルで、確実な方法です」
彼女はARウィンドウを操作し、一つのアイテムの情報を表示させた。
それは、美しいサファイアで装飾された、一つの指輪だった。
【夢の破片】
効果:
最大マナが、24%増加する。
マナの自動回復レートが、50%増加する。
あなたは、凍傷と凍結状態にならない。
「…なんだと?」
隼人は、そのあまりにもシンプルで、あまりにも強力な効果に、目を見開いた。
「この指輪を装備しているだけで、あなたはあの最悪の無限ループから、完全に解放されます。これこそが、あのダンジョンをソロで攻略するための、最も簡単な『答え』の一つですね」
「…だが、高いんだろ?」
「はい」
雫は、苦笑いを浮かべた。
「これ一つで、1000億円は下らないでしょう。ですが、その価値は十分にあります。多くのトップランカーが、最終装備の一つとして愛用している逸品ですから」
1000億円…?
その値段の大きさに、驚く。
「はい、これは極端な例ですが、凍傷や凍結状態を対策するユニークは、数多く存在します。」
「そして、二つ目の方法」
雫は、続けた。
「それは、フラスコで対策するという、より一時しのぎの方法です」
彼女は再びウィンドウを操作し、今度は青白い液体が満たされたフラスコの情報を、表示させた。
【加熱のフラスコ】
効果: 使用時、自身にかかっている凍傷と凍結状態を解除する。使用後、4秒間、凍結無効を得る。
「このフラスコを使えば、凍結の無限ループを、一時的に断ち切ることができます。ですが、見ての通り、効果時間はわずか4秒。そして、使用回数にも限りがある。フラスコが尽きる前にボスを倒しきらなければならないという、タイムリミットが生まれます」
「どちらかと言えば、これはパーティプレイで誰かが事故って凍結してしまった時に、サポート役が助けるために使うといった運用がメインですね。ソロでこれに頼り切るのは、あまりお勧めできません」
その時、鑑定の終了を告げる電子音が鳴り響いた。
雫がモニターを確認し、笑顔で告げる。
「お待たせいたしました。本日の買い取り価格、合計で5万2千円になります」
5万2千円。
その金額を前にして、隼人は静かに思考を巡らせていた。
ユニークか、あるいはフラスコか。
どちらのカードを、選ぶべきか。
彼のギャンブラーとしての選択が、試される時が来ていた。




