第439話
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、もはや日常の全てを放棄していた。
仕事も、学業も、そして睡眠すらも。世界の数千万に及ぶ探索者たちの視線は、一つの歴史的な発表に、その一点だけに注がれていた。
日米両政府による、共同記者会見。
【魔石エネルギーを利用した空間拡張技術の開発成功】。
そのあまりにも唐突に世界に提示された、神の御業。
テント一つが、一軒家になる。
そのあまりにも衝撃的な映像は、世界の価値観を、そして物理法則そのものを根底から覆してしまった。
SeekerNetの掲示板は、もはやただの情報交換の場ではなかった。一つの巨大な電子の円卓となり、世界の全ての人間が、そのあまりにも巨大な「未来」について喧々囂々の議論を繰り広げる、熱狂の議場と化していた。
【SeekerNet 掲示板 - 総合雑談スレ Part. 1922】
118: 名無しのトラック運転手
…なあ、お前ら。
俺、今、泣いてる。
俺のこのボロいトラックの荷台。
あそこが、10倍の広さになるってことか…?
そしたら、俺、今の10倍、荷物を運べるってことか…?
給料も、10倍になるのか…?
そのあまりにも人間的な、そしてどこまでも切実な魂の叫び。
スレッドには、そんな希望と興奮と、そして自らの常識が破壊されたことへの心地よい混乱が溢れていた。
誰もが、このSF映画のような未来の到来に、心を躍らせていた。
そのあまりにも熱狂的な空気。
その中で、一つの冷静な、しかしどこか達観したような声が響き渡った。
投稿主は、このスレッドの誰もがその名を知る、伝説のコテハンたちだった。
255: 元ギルドマン@戦士一筋
まあ、これくらいは想定済みですけどね
そのあまりにも唐突な、そしてどこまでも上から目線の一言。
それに、それまで熱狂に包まれていたスレッドの空気が、一瞬にして凍りついた。
『は!?』
『想定済み!?』
『なんだよあんた!いきなり出てきて何様だよ!』
そのあまりにも当然な、そしてどこまでも正当な反論の嵐。
それに答えたのは、もう一人の賢者だった。
261: ハクスラ廃人
おいおい、お前ら。落ち着けよ。
ギルドの旦那の言う通りだぜ?
驚くことじゃねえだろ。
むしろ、「ようやく来たか」って感じだがな、俺は。
そのあまりにも謎めいた、そしてどこまでも自信に満ちた二人のベテランの言葉。
それに、スレッドは混乱の渦に叩き込まれた。
**「どういう事?」**と、一人の名無しが、その全ての疑問を代弁した。
それに答えたのは、三人目の賢者。
ベテランシーカ―だった。
彼の言葉は、この世界の誰もが気づいていながら、誰もが意識していなかった一つの盲点を、鋭く、そして優しく突きつけていた。
268: ベテランシーカ―
皆さん、落ち着いてください。
ですが、少しだけ考えてみてほしいのです。
我々が日々、当たり前のように使っている、あの「奇跡」について。
よく考えてみろ。当たり前に使ってる、レベルアップしたら使えるインベントリも、物の大きさを無視して運べてるだろ?
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
スレッドの全ての時間が、止まったかのような錯覚。
そうだ。
インベントリ。
探索者であれば誰もが持つ、そのあまりにも便利で、そしてあまりにも常識外れの異次元のポケット。
巨大な戦斧も、おびただしい数のポーション瓶も、そして山のようなモンスターの素材も。その全てを、大きさも重さも完全に無視して収納できる、あの魔法の空間。
『…ああ…』
『言われてみれば…』
スレッドの住人たちが、そのあまりにも当たり前すぎてもはや意識すらしていなかった奇跡の存在に、気づき始める。
ベテランシーカ―は、その言葉を続けた。
275: ベテランシーカ―
それだけではありません。
ダンジョンはどうだ?あんまり入り過ぎると共有エリアになるが、例外を覗くと、ほぼ無限に人が入れる空間が広がってるだろ?
一つのゲートの、その小さな歪みの向こう側に、何千、何万という探索者が同時に存在できる、あの広大な空間。
あれもまた、我々の物理法則を完全に超越した、異次元の創造物です。
「空間拡張技術と言ってたが、ようは空間を新しく生成する技術って事だ。」
「これは10年前から自然と触れてる技術だから、この10年で人類が手に入れても不思議じゃないぞ」
そのあまりにも鮮やかで、そしてどこまでも論理的な証明。
それに、スレッドは本当の意味での「爆発」を起こした。
もはや、それは驚愕ではない。
一つの世界の理そのものが、自分たちのあまりにも身近な場所に常に存在していたという、その事実に対する畏敬の念だった。
『なるほど、確かに言われればそうだね』
『インベントリもダンジョンも、言われてみれば空間拡張技術そのものじゃねえか…!』
『俺たち、10年間、毎日魔法に触れてたのか…』
そのあまりにも巨大な「気づき」。
それに、スレッドはもはやお祭り騒ぎではなかった。
一つの、巨大な哲学の議論の場と化していた。
そしてその議論は、やがて、一つのより具体的で、そしてどこまでも夢のある未来への展望へと、その姿を変えていった。
511: 名無しの建築家
…おい、お前ら。
分かったぞ。
俺、分かっちまった。
この技術の、本当のヤバさが。
それを踏まえても、凄いと思うけどな。
512: 名無しのゲーマー
511
どういうことだ、建築家ニキ!
515: 名無しの建築家
512
いいか、よく聞け。
政府の発表では、「内部空間を10倍にする」と言っていた。
だが、それはあくまで現段階での話だ。
インベントリが事実上、無限の容量を持つのなら。
ダンジョンが事実上、無限の人間を収容できるのなら。
この技術の最終的な到達点は、どこにある?
空間が新しく作れる=部屋も増やす事が出来る、と思うぞ。
静寂。
そして、爆発。
『は!?』
『部屋を増やす!?』
『どういうことだ!?』
525: 名無しの建築家
そうだ。
今の技術は、まだ一つの空間を「広げる」だけだ。
だが、もしこの技術がさらに進歩して、複数の拡張空間を一つの入り口に「接続」できるようになったとしたら?
スイッチを切り替えるみたいに、ドアノブにつけて、物置、自室、リビングっていう風に出来るかもな、と夢を膨らませる。
玄関のドアを開ける。そのドアノブの設定を「リビング」にすれば、そこは広々としたリビングに繋がる。
同じドアノブの設定を「寝室」に切り替えれば、そこは静かな寝室へと変わる。
「書斎」、「シアタールーム」、「秘密の隠れ家」。
一つの小さなアパートの、たった一つのドアが。
無限の可能性へと繋がる、魔法の扉になるんだよ。
そのあまりにも壮大で、そしてどこまでも具体的な未来の設計図。
それに、スレッドはもはや制御不能の熱狂の坩堝と化した。
誰もが、その夢のマイホームの、その間取りを、それぞれの心に描き始めていた。
そしてその熱狂は、やがて一つの巨大な「文化」へと、その姿を変えていく。
ハウジング。
そのあまりにも甘美で、そしてどこまでも深い「沼」の、最初の、そして最も大きな波が、今、確かにこの世界へと押し寄せてきていた。
祭りは、まだ始まったばかりだった。
その輝かしい未来の始まりを、誰もが祝福していた。




