第437話
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、もはや日常を取り戻していた。
いや、日常の「基準」そのものが、根底から書き換えられてしまったと言うべきか。
JOKERがスマイト徒手空拳ビルドで世界のレベリングの常識を破壊し、アルトリウスという絶対的な壁を打ち破ってから、数ヶ月が経過していた。世界の探索者たちは、もはや彼の動向に一喜一憂するのではない。ただ、彼が次に何を壊し、何を創り出すのかを、一つの壮大な連続ドラマのように楽しみに待つようになっていた。
そのあまりにも安定し、そしてどこか予測可能になってしまった日常。
それを、破壊する時が来た。
その日の午後。
何の前触れもなく、彼の配信は始まった。
【配信タイトル:【Lv.70】スマイトビルド試練回】
【配信者:JOKER】
【現在の視聴者数:9,987,421人】
『きたあああああああ!』
『レベル70!?いつの間に!』
『同時接続1000万目前!サーバー耐えられるのか!?』
その熱狂をBGMに、配信画面に映し出されたのは、西新宿のタワーマンションの一室。その漆黒のハイスペックPC【静寂の王】の前に座る、神崎隼人――“JOKER”の姿だった。
「よう、お前ら。見ての通り、今日は試練回だ」
JOKERの声は、どこまでも穏やかだった。
「このスマイトビルドも、ようやくレベル70まで来た。だから、3回目の試練を果たしに行こうと思う」
彼がそのインベントリから取り出したのは、一つの禍々しい石の鍵。
【皇帝の迷宮への鍵】。
三度目の地獄への、招待状だった。
◇
スマイト素手ビルドをレベル70まで上げ、そしてクソゲー3回目の皇帝の迷宮をクリアした主人公。
その挑戦は、もはや語るまでもないほどの蹂躙劇だった。
彼が、その二度の試練の果てに、その魂に刻み込んだ皇帝の迷宮の「理」。
トラップの、その全ての起動タイミング。
イザロの、その全ての攻撃パターン。
その全てを、彼は完璧に読み切り、そして嘲笑うかのようにすり抜けていく。
ボスの出番?ダイジェストで振り返ると、周りは針地獄で、相撲みたいな小さな安全地帯で、デカいハンマー持ちの皇帝と戦うという、クソゲーだったよ?
彼はボス部屋にたどり着くまでの道中、視聴者に向かって、まるで観光案内でもするかのように、そのクソゲーっぷりを解説していた。
「…ああ、ここな。ここは、床から無数の針が突き出してくるんだが、その安全地帯が、力士が二人並んだらもう満員になるくらいの狭い円の上だけっていう、クソ仕様だ。そこで、あのデカいハンマー持ったジジイと相撲を取らなきゃならねえ。マジで、設計者の頭の中を一度見てみたいもんだぜ」
そのあまりにも的確な、そしてどこまでも辛辣なレビュー。
それに、コメント欄が爆笑の渦に包まれる中。
彼は、その皇帝イザロを、スマイトの一撃で光の粒子へと変えた。
ワンパンだった。
彼は、そのあまりにもあっけない勝利に何の感慨も浮かべることなく、祭壇へと進んだ。
まあ、それはともかく、これで5ポイント目と6ポイント目をゲットした。
彼のアセンダンシー…万能者のそのパッシブスキルツリーに、新たな二つの星が、その輝きを灯した。
これで、合計6ポイント。
◇
その配信から、数日間。
JOKERは、ただひたすらにリフトを周回し続けた。
そして、リフト周回を20回して、レジェンダリージェムのレベル上げと、自分のレベル上げをする。
彼のレベルは、あっという間に70から71まで上がった。
彼の三つのレジェンダリージェムもまた、そのランクを、世界の誰もが到達したことのない領域へと引き上げていった。
SeekerNetは、そのあまりにも日常的な、しかしどこまでも常軌を逸したレベリングの光景に、もはや驚きすら通り越して、一種の安らぎすら感じ始めていた。
だが、その水面下で。
JOKERの、その魂の奥深くで。
一つの巨大な歯車が、静かに、そして確実に回り始めていたことを、まだ誰も知らなかった。
その日の夜。
JOKERは、配信を切った自室で、一人その魂の設計図を眺めていた。
彼の目の前のホログラムモニターには、二つのあまりにも対照的なビルドの、その完成形が表示されていた。
一つは、彼が今その身に宿している、スマイト徒手空拳ビルド。
レベル71。
アセンダンシーは、万能者。
三つの、ランク25を超えた伝説の宝石。
そして、もう一つ。
彼がこの数ヶ月間、水面下でその全ての知恵と資産を注ぎ込み、そして練り上げてきた究極の、そしてまだ誰も見たことのない、神を造るための方程式。
彼は、その二つの完成された芸術品を、まるで我が子を見るかのように愛おしそうに、そしてどこか誇らしげに眺めていた。
そして、彼は呟いた。
その声は静かだった。だが、その奥には、一つのあまりにも大きな決断を前にした、ギャンブラーの確かな覚悟が宿っていた。
「そろそろビルドをリスペックしたいが、キーパーツが全然揃わないな…」
彼のARコンタクトレンズの視界には、ドリヤニビルドを完成させるために必要ないくつかの、あまりにも希少で、そしてまだこの世界のどこにも存在が確認されていない、神話級のユニークアイテムのリストが表示されていた。
そして、それ以外にも、彼の計算を完璧に満たすためには、いくつかのまだ見ぬ「解」が必要だった。
彼は深く、そして重いため息をついた。
そして、彼はその思考を切り替えた。
その瞳には、もはや迷いの色はない。
ただ、自らが今立つべきテーブルを、そして振るべきサイコロを完璧に見定めた、絶対的な王者の光だけが宿っていた。
「まあ、今のビルドに不満はないし、S級まではコイツ一本でいくか」




