第435話
その日の日米合同冒険者高等学校、大講義室。
その空気は、これまでにないほどの、静かで、そしてどこまでも張り詰めた沈黙に支配されていた。数百人の若者たちが、その席で身じろぎもせず、ただ一点、教壇の上の巨大なホログラムモニターに映し出された、歴史の奔流を、その魂の全てで見つめていた。
先週、彼らが目の当たりにしたのは、絶対的な絶望だった。原初の災厄、リヴァイアサン。その、あまりにも巨大で、そしてどこまでも静かなる黙示録が、人類の、その矮小な抵抗を、まるで存在しないかのように無視し、その歩みを進めていく光景。黎明期最強と謳われたB級探索者たちが、その誇りを、心を、完全に砕かれていく様。
その、あまりにも重い歴史の真実。
その続きを、彼らは今、固唾を飲んで待っていた。
教壇に立つ、歴史学者、石川講師の、その静かな声が、その沈黙を破った。
「――前回、我々は一つの時代の終わりを見た。人類が、その歴史上初めて、自らの力では到底抗うことのできない、絶対的な『理不尽』の前に、完全にひれ伏した、その瞬間を」
彼の声は、どこまでも穏やかだった。だが、その奥には、あの時代を生きた者だけが持つことのできる、確かな熱量と、そして深い敬意が宿っていた。
モニターの映像が、切り替わる。
そこに映し出されたのは、ニューヨークの摩天楼でも、大西洋の絶望の海でもない。
ローマ、ヴァチカン。
サン・ピエトロ大聖堂の、その荘厳なバルコニーに、静かに立つ、一人の老人の姿だった。
法皇ヨハネ・パウロ四世。
彼の、その穏やかな瞳だけが、この世界の、最後の希望を、宿していた。
「リヴァイアサンが、ニューヨークの沖合に到達。世界の終わりまで、残り24時間を切った、その時。これまで沈黙を保っていた、ローマ正教の法皇が、全世界に向けて緊急の声明を発表する。それは、人類の歴史上、最も多くの人間が、同時に、そして同じ祈りと共に見守った、最後の放送となった」
モニターの中の、老いた法皇が、その重い口を開いた。
その、か細い、しかしどこまでもよく通る声が、講義室の、そして世界の、隅々にまで響き渡った。
「――我が、愛する、全ての子らよ」
その、あまりにも温かい呼びかけ。
それに、講義室のあちこちから、鼻をすする音が聞こえ始めた。桜潮静も、その隣に座る神崎美咲も、その大きな瞳に、うっすらと涙の膜を張っていた。
「顔を、上げなさい。涙を、拭いなさい。そして、聞きなさい。これから私が語るのは、絶望の物語ではありません。我々人類が、この試練を乗り越え、そして未来へと歩みを進めるための、最後の、そして最も輝かしい、希望の物語です」
◇
講義室の、巨大なモニター。
その、あまりにも壮絶な、そしてどこまでも美しい勝利の光景を、生徒たちは、ただ涙ながらに、見つめていた。
石川講師の、その静かな声が、その感動の余韻を、優しく包み込んだ。
「――こうして、人類は初めてのSSS級ワールドボスを退ける事が出来ました。」
「15ヶ月目で起きたこの事件で、人類は神の軍団となり、SSS級ワールドボスを倒す事が出来た。これが、その事件の全容です」
彼の声には、深い、深い敬意が宿っていた。
「もちろん、今ではSSS級やSS級やS級の活躍で、普通に倒す事が出来るようになりましたが、それでも、世界のどこかでワールドボスが出現すれば、彼ら英雄たちが、今もこうして討伐しています」
彼は、そこで一度言葉を切ると、その場にいる、全ての未来の英雄たちへと、その最後の、そして最も重要な言葉を、告げた。
「この、重い事実を、噛みしめてください。そして、彼ら名もなき英雄たちや、未来への道を、その身を賭して切り開いた、あの羊飼いの犠牲に、感謝しましょう」
その、あまりにも温かい、そしてどこまでも真摯な言葉。
それに、生徒たちは、その溢れ出す涙を、拭うこともせず、ただ深く、そして静かに、頷いていた。
美咲と静もまた、その小さな胸に、一つの、決して消えることのない、温かい灯火を、確かに感じていた。
英雄とは、何か。
強さとは、何か。
その、あまりにも重い問いの、その答えの一端を、彼女たちは、確かに、その目に焼き付けたのだから。




