第45話
そして彼は、ついにたどり着いた。
この地下墓地の、最深部。
巨大な円形のホール。その中央には、ひときわ豪華で、そして巨大な石の玉座が鎮座している。
ボス部屋だ。
コメント欄の有識者たちが、ざわつく。
元ギルドマン@戦士一筋: …来たか。ここのボスは、結構強いぞ。ただ殴ってるだけじゃ、勝てん相手だ。
ハクスラ廃人: ああ。ギミックを理解してないと、な。どうなる…?
隼人は、そのベテランたちの意味深なコメントを横目に、ゆっくりと玉座へと近づいていく。
彼が一定の距離まで近づいた、その瞬間。
玉座に腰掛けていた巨大な骸骨が、ゆっくりとその身を起こした。
それは、これまでの骸骨兵とは、明らかに格が違った。
身長は3メートルを超え、その骨の体には、錆びつきながらも、かつての威厳を感じさせる豪華な装飾が施された、プレートアーマーが装着されている。
そしてその手には、巨大な両手剣。
その空虚な眼窩には、王としての誇りと、そして侵入者への冷たい憎悪を宿した、青白い鬼火が燃えていた。
【骸骨の百人隊長】
D級ダンジョン【打ち捨てられた王家の地下墓地】の主。
【承】憎悪のオーラと、凍てつく死の宣告
百人隊長は、動かない。
ただ、その玉座から、隼人を見下ろしているだけ。
だが、彼が立ち上がったその瞬間、その全身から、目に見えるほどの冷気のオーラが、奔流のように溢れ出したのだ。
青白い霧のようなオーラが、瞬く間に広間全体を覆い尽くしていく。
そして、そのオーラに呼応するように、広間に散らばっていた無数の骨の山が、カタカタと音を立てて動き始めた。
次々と立ち上がる、骸骨兵たち。
その全てが、百人隊長のオーラをその身に浴び、その手に持つ錆びついた剣に、青白い冷気の魔力を宿していた。
【憎悪のオーラ】
術者と、その周囲の味方の全ての攻撃に、強力な追加冷気ダメージを付与する。
「…なるほどな。オーラ使いか」
隼人は、そのギミックを瞬時に看破した。
E級ダンジョンで、彼自身がその存在を知った、厄介な敵。
だが、今の彼の敵ではない。
彼の元素耐性は、60%を超えている。
多少の追加ダメージなど、彼のHP自動回復の前では、無意味だ。
彼は、いつも通り、まずは雑魚の処理から始めることにした。
殺到してくる骸骨兵の一体の攻撃を、長剣で受け流す。
だが、その瞬間。
彼の体に、これまで感じたことのない悪寒が走った。
チリと、肌を刺すような冷気。
そして彼のステータスウィンドウに、一つの見慣れないデバフアイコンが表示された。
『凍傷』
「…なんだと?」
彼の体が、わずかに重くなる。
そして彼のHPバーが、ゆっくりと、しかし確実に削られていく。
毎秒21、回復しているはずなのに。
その回復量を、わずかに上回る速度で、HPが1ずつ、2ずつと減少していく。
(…毒と同じDoTか。だが、威力は低いな。リジェネで、ほぼ相殺できる)
彼は、そう判断した。
だが、その判断こそが、このボスの本当の恐ろしさを見誤らせる、最大の罠だった。
彼は、一体の骸骨を斬り伏せる。
だが、その隙を突いて、別の骸骨の剣が彼の鎧を掠めた。
再び、チリという悪寒。
そして彼のステータスウィンドウのデバフアイコンが、更新される。
『凍傷×2』
彼の体の動きが、さらに鈍くなる。
そして、HPの減少速度が、明らかに加速した。
「…スタックするのか、このデバフも…!」
彼はここでようやく、このボスの本当のいやらしさに気づいた。
だが、時すでに遅し。
彼の動きが鈍ったその一瞬の隙を、周囲の骸骨兵たちが見逃すはずもなかった。
四方八方から、無数の冷気を纏った剣が、彼へと襲いかかる。
彼は、必死にそれをパリィし、いなす。
だが、捌ききれない数発が、彼の体に浅い傷をつけていく。
その度に、『凍傷』のスタック数が、×3、×4、×5と、着実に積み重なっていく。
彼の動きは、もはや泥沼の中のようだった。
そして彼のHPバーは、もはやリジェネでは到底追いつかないほどの、猛烈な勢いで削り取られていく。
秒間、30、40、50…。
視聴者A: まずい!動きが、完全に止められてる!
視聴者B: 凍傷のスタックがヤバすぎる!あれは、スロウとDoTの複合デバフだ!
視聴者C: 慌ててフラスコを飲んでも、またすぐにかけ直される!相性が、最悪だ!
その通りだった。
隼人は、慌ててベルトに差した**【解呪のフラスコ】**を呷った。
彼の体を蝕んでいた凍傷のデバフが、一瞬、全て消え去る。
体が、軽くなる。
だが、その効果はわずか数秒。
その数秒の間に、また新たな骸骨の一撃が彼を捉え、再び、彼の体を凍てつく呪いへと引きずり込む。
ライフフラスコを飲んでも、その回復量は、スタックしたDoTの前では気休めにしかならない。
まさに、ジリ貧。
じわじわと、嬲り殺される、最悪のテーブル。
百人隊長は、その光景を、玉座の上から静かに見下ろしている。
その空虚な眼窩の鬼火が、まるで嘲笑っているかのように、ゆらめいていた。
こいつは、分かっているのだ。
この状況が、侵入者にとってどれほど絶望的かを。
そして、自分は手を下す必要すらないということを。
「…クソが」
隼人は、悪態を吐いた。
彼は、理解した。
このボスは、倒せない。
少なくとも、「今の俺では」。
彼のビルドは、確かに強力だ。だが、それはあくまで単体、あるいは数体の敵を相手にすることを前提としている。
この無数の雑魚が一体となって、一つの凶悪なデバフをばら撒き続けるという状況。
それは、彼のビルドの相性として、最悪だった。
プライドを捨て、ただ生き残るためだけに戦うなら、あるいは勝機はあるかもしれない。
だが、それは彼の流儀ではない。
ギャンブラーは、勝ち目のない勝負はしない。
いや、違う。
勝ち目のない勝負からは、一度「降りる」。
そして、必ず勝てる手札を揃えて、再びそのテーブルに戻ってくる。
それこそが、一流のギャンブラーだ。
「…なるほどな」
彼は、ARカメラの向こうで悲鳴を上げている観客たちに聞こえるように、静かに呟いた。
「こいつは、今の俺の手札じゃ無理だ。チェックメイトだな」
その、あまりにもあっさりとした敗北宣言。
それに、コメント欄が一瞬静まり返る。
「だが、どんなゲームも、負けを認めることから始まる」
彼は、動いた。
もはや、攻撃ではない。
ただ生き残るための、一点に集中した動き。
彼はまず、**【水銀のフラスコ】**を起動させ、その鈍重になった体を、無理やり加速させる。
そして正面の骸骨の壁に向かって、温存していた最後の魔力を解放した。
【衝撃波の一撃】。
それは、敵を倒すための一撃ではない。
ただ、道筋をこじ開けるための一撃。
吹き飛ぶ、骸骨たち。
その一瞬の隙間を、彼は閃光のように駆け抜けた。
そして、一度も振り返ることなく、この呪われた墓室から脱出したのだ。
彼のHPは、もはや残り数パーセント。
だが、その表情に悔しさや絶望の色はなかった。
むしろ、その口元には不敵な笑みすら浮かんでいた。
『JOKERさん、大丈夫か!?』
『惜しかったな…』
『いや、あの判断は正解だ。あれ以上続けてたら、死んでたぞ』
コメント欄の、労いの言葉。
それに、彼は答えた。
「面白いじゃねえか」
「どうやって、あのクソったれなオーラと、凍傷のスタックを無効化するか…」
「――次の『宿題』が、できたな」
そうだ、彼は負けたのではない。
新たな、そして最高に解きがいのある「パズル」を、見つけたのだ。
彼は、今日の配信をそこで終了した。
彼の頭の中は、すでに次なる一手でいっぱいだった。
あの状況を覆すための、新たなビルド。
新たな、スキルコンボ。
あるいは、まだ見ぬユニークアイテム。




