第424話
その日の東京の空気は、新たな時代の熱狂と、それに伴う喧騒で満ち満ちていた。
国際公式ギルド、日本支部。その一階に広がる巨大な換金所のフロアは、まるで巨大な蜂の巣のように、絶え間ない人の出入りと、無数の声と、そして何よりも、剥き出しの欲望の匂いで溢れかえっていた。
「――お待ちしていました、JOKERさん」
彼女の声は、いつも通りの、心地よいアルトだった。
だが、その声の奥に、わずかな震えがあるのを、隼人は見逃さなかった。
「ああ」
彼は、短く答えた。
「落札した品、もう来てますよ。どうぞ」
雫は、そう言うと、カウンターの内側のセキュリティゲートを解除し、その奥の、一般の探索者は決して足を踏み入れることのできない、特別なエリアへと彼を導いた。
そこは、静寂と、ひんやりとした空気に支配された、白い大理石の回廊だった。
二人の足音だけが、高く、そして静かに反響する。
やがて、彼女は一つの、分厚いチタン合金でできた、重厚な扉の前で足を止めた。
「こちらです」
彼女が、その指紋と網膜を認証させると、扉が重い駆動音と共に、ゆっくりと開かれた。
部屋の中は、がらんとしていた。
ただ、その中央に、一つの黒曜石でできた台座だけが、スポットライトに照らされて、静かに鎮座していた。
そして、その台座の上に。
一つの、禍々しいオーラを放つ、鋼鉄の鎧が、まるで古代の王の亡骸のように、横たわっていた。
「――ドリヤニの試作品」
雫が、その名を、囁くように言った。
JOKERは、無言のまま、その鎧へと近づいていく。
それは、彼がこれまで見てきた、どの装備とも違っていた。
美しい装飾も、魔法的な輝きもない。ただ、そこにあるのは、純粋な、そしてどこまでも暴力的なまでの、「機能」の塊。表面には、無数の実験の跡であろう、溶接痕と、そして微かに紫電が走る、おびただしい数のルーン文字が刻まれている。
彼は、その鎧に、そっと手を伸ばした。
そして、彼のARコンタクトレンズが、その神々の遺産の、その全てを、彼の視界へと映し出した。
ドリヤニの試作品
聖者のホバーク
鎧
品質: +20%
アーマー: 1587
エナジーシールド: 272
要求 レベル 67, 109 筋力, 94 知性
アーマーおよびエナジーシールドが200%増加する
最大ライフ +90
雷ダメージ以外のダメージを与えない
アーマーはヒットにより受ける雷ダメージにも適用される
雷耐性は受ける雷ダメージに影響しない
近くの敵はプレイヤーと同じ数値の雷耐性になる
被験体番号7番。彼は、雷光の中で歓喜の叫びを上げた。
己が身を焦がす痛みこそが、世界を浄化する聖なる炎であると、ついに悟ったのだ。
素晴らしい。実に、素晴らしい完成度だ。
彼らは雷を恐れ、無駄な壁を積み上げる。
私は雷を招き入れ、我が魂と融合させる。
この肌を裂く一筋の稲妻こそ、敵の心臓を貫く、神の槍なのだから。
愚者どもは、ただひたすらに雷からの守りを固める。
だが、真の傑作とは、嵐を遠ざける鎧ではない。
嵐そのものを、己が身に招き入れる導雷針なのだ。
我が身を裂く一筋の稲妻が、やがて敵陣を焼き尽くす万雷の豪雨となることを、彼らはまだ知らない。
「…ああ」
そして、彼はその鎧を、まるで壊れ物を扱うかのように、慎重に、しかし確かな手つきで、そのインベントリへと収納した。
その、あまりにも満足げな、そしてどこまでも楽しそうな横顔。
それを、雫は、その大きな瞳を輝かせながら、見つめていた。
彼女は、その声を、ひそひそうとしたものに変えた。
その声には、一つの巨大な計画の、共犯者だけが持つことのできる、秘密の響きがあった。
「――これで、新ビルドへの一歩前進ですね」
その、雫の言葉。
それに、JOKERは、最高の、そして最も獰猛な、ギャンブラーの笑みを浮かべて、答えた。
「ああ。俺の新ビルドのキーアイテムが、こいつだからな」
その、あまりにも揺るぎない、そしてどこまでも自信に満ちた、肯定の言葉。
それに、雫の瞳が、さらにキラリと輝いた。
彼女は、もはやただの受付嬢ではない。
彼のビルドの、その全てを理解し、そしてその進化を共に喜ぶ、最高の軍師だった。
「ええ。こんなピーキーなアイテム、人気ないですからね」
彼女は、その分析を、続けた。
その声は、プロの、それだった。
「雷ダメージ以外の全てを捨てるという、あまりにも極端な制約。そして、自らの耐性を下げるという、自殺行為にも等しい運用法。普通の探索者なら、誰も手を出そうとはしません。それでも1億はしますが、この装備が脚光を浴びる日を待って投資する人ぐらいでしたからね、今までは」
彼女は、そこで一度言葉を切ると、その顔に、最高の、そしてどこまでも純粋な、ファンとしての笑みを浮かべた。
「それを、JOKERさんが変えるんだから、ワクワクしちゃいます」
その、あまりにも真っ直ぐな、そしてどこまでも温かい、信頼の言葉。
それに、JOKERは、少しだけ照れくさそうに、鼻を鳴らした。
そして彼は、その最高の共犯者へと、その究極の、そしてどこまでも挑戦的な、ショーの開幕を、宣言した。
その声は、どこまでも楽しそうだった。
「――ああ。楽しみにしてな」
彼は、そう言うと、その静寂な部屋を後にした。
彼の心は、もはやこの場所にない。
次なる、そして最高のテーブルへ。
自らの、弱点すらも、最強の武器へと変える、新たなビルドの、その設計図を、その脳内で描きながら。




