第44話
絶望。
神崎隼人の視界に映る光景は、その一言で全てを表現できた。
倒しても、倒しても、次から次へとその砕かれた骨を再構築し、立ち上がってくる骸骨兵の無限の軍勢。
彼の最強の矛であったはずの【無限斬撃】は、この終わりのない悪夢の前では、ただ無力だった。
MPが尽きることはない。だが、彼の精神と肉体が、この不毛な消耗戦に耐えきれなくなるのは、時間の問題だった。
背後から、側面から、絶え間なく繰り出される錆びついた剣の一撃。
その一つ一つは、彼の鉄壁の防御力の前では、かすり傷にすらならない。
だが、その小さなダメージの蓄積が、確実に彼のHPバーを削り取っていく。
そして何よりも、彼の心を蝕んでいたのは、この戦いが永遠に終わらないのではないかという、圧倒的な閉塞感だった。
『ダメだ、JOKERさん!一度引け!』
『このギミックは、初見殺しすぎる!』
『D級って、こんなのばっかりなのかよ…』
コメント欄もまた、絶望と諦めの声で埋め尽くされていた。誰もが、彼の初めての敗北と撤退を覚悟していた。
隼人は一度、大きく後方へと跳躍し、骸骨の群れから距離を取った。
そしてその絶望的な光景を、冷静に、しかしその瞳の奥では燃え盛るような闘志を滾らせながら、分析する。
(…おかしい)
彼は、思う。
(このギミック、あまりにも強力すぎる。だが、それ故に不自然だ。どんなゲームにも、必ず「解法」は存在する。どんなイカサマにも、必ず「タネ」はあるはずだ)
彼のギャンブラーとしての思考が、高速で回転を始める。
この状況は、何に似ている?
そうだ。これは、あの雀荘のテーブルと同じだ。
山を積む、ディーラー。
牌を配られる、プレイヤー。
俺がいくら良い手を作ろうとしても、ディーラーが配る牌そのものがイカサマであったなら、決して勝つことはできない。
この骸骨兵たちは、ただの「牌」だ。
いくらこの牌を叩きつけても、意味がない。
本当の敵は、この牌を配り続けている「ディーラー」。
彼の視線が鋭く、墓室の奥深く。
祭壇の影で、不気味な呪文を唱え続ける、あの黒いローブの人影たちを捉えた。
【死霊魔術師】。
(…なるほどな)
彼の脳内で、全てのピースが一つの形へとはまった。
(雑魚をいくら叩いても、意味がねえ。ディーラーがカードを配り続ける限り、このテーブルからは降りられないってわけか)
そうだ。
このゲームのルールは、単純だ。
目の前の軍勢を殲滅することではない。
あの忌々しいディーラーの、息の根を止めること。
(――つまり先に、**ディーラー**を叩き潰せばいいだけの話だ)
その、あまりにもシンプルで、あまりにも大胆な「解法」。
それにたどり着いた、瞬間。
彼の心に巣食っていた全ての絶望と焦りは、嘘のように消え去っていた。
後に残されたのは、最高のギャンブルを前にした、獰猛な高揚感だけ。
彼は、ARカメラの向こうで絶望している観客たちに、不敵な笑みを向けた。
その声は、自信と確信に満ち溢れていた。
「お前ら、見てろよ」
「こういうイカサマテーブルはな、こうやってひっくり返すんだ」
その宣言と同時に、彼は動いた。
もはや彼の目に、目の前の骸骨の群れは映っていない。
完全に、無視した。
彼の視線はただ一点。
後方で高みの見物を決め込んでいる、あのネクロマンサーの集団だけを見据えていた。
「グルオオオオッ!」
隼人の、そのあまりにも予測不可能な動き。
それに気づいた骸骨兵たちが、一斉に彼へと殺到してくる。
その数は、数十。
まるで、白い骨の津波。
普通の探索者であれば、その圧力だけで押し潰されていただろう。
だが隼人は、もはや敵の数を数えてはいなかった。
それは彼にとって、ただの障害物。
ただ、そこにある壁。
そして壁は、突破するためにある。
「――邪魔だ、雑魚がッ!」
彼は、雄叫びを上げた。
そして、その白い津波の中へと、自らその身を投じた。
一体の骸骨が振り下ろす、錆びついた大剣。
彼は、それを避けない。
長剣で、完璧なタイミングで**【パリィ】**する。
キィンという甲高い金属音と共に、骸骨の攻撃が弾かれる。そして、彼のHPが回復し、自動でカウンターが叩き込まれる。
だが彼は、その一体に構うことはない。
彼は、その反動を利用して、さらに前へ、前へと突き進んでいく。
右から、左から、殺到してくる骸骸たち。
彼は、その全ての攻撃を、最小限の動きでいなし、受け流し、そして時には、あえてその身に受け止める。
ガキンッ、と兜が軋む。
ゴンッ、と胸当てが悲鳴を上げる。
だが彼は、止まらない。
【鉄壁の報復】の効果で、彼のHPは減るどころか、むしろ回復していく。
敵の攻撃が、彼の推進力となり、彼の生命力となる。
まさに、攻防一体の永久機関。
視聴者A: うおおおおお!なんだ、この立ち回りは!
視聴者B: 骸骨の攻撃を利用して、前に進んでるぞ!
視聴者C: パリィで回復しながら、強引に突破する気か!なんて、無茶な!
視聴者D: これがJOKERのギャンブル…!
彼は、もはや嵐だった。
骸骨の軍勢という荒れ狂う嵐の中を、さらに巨大な嵐となって突き進んでいく。
そして、ついに。
彼は、その白い壁を突破した。
彼の目の前に、驚愕に目を見開くネクロマンサーたちの姿があった。
彼らは、信じられなかった。
自分たちが作り出した完璧な無限の壁を、たった一人で、正面から突破してくる人間がいるなどと。
彼らが、慌てて次の呪文を詠唱しようとする。
だが、もう遅い。
「――チェックメイトだ」
隼人は、その脆弱な魔術師たちの集団のど真ん中で、温存していた全ての魔力を解放した。
彼の右腕に、力が集中する。
長剣が、赤い闘気のオーラをその身に激しく纏った。
そして彼は、その渾身の一撃を、地面に叩きつけた。
【必殺技】衝撃波の一撃
ドッゴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!
凄まじい轟音と共に、大地が砕け散る。
直撃を受けたネクロマンサーたちは、悲鳴を上げる暇すら与えられなかった。
その脆弱な肉体は、質量の暴力の前に一瞬で吹き飛ばされ、壁や柱に叩きつけられ、その生命活動を完全に停止させた。
そして、その死と同時に放たれた力の衝撃波が、広間全体を駆け巡り、残っていた骸骨兵たちをまとめてなぎ倒していく。
指揮官を失った骸骨の軍勢は、その動きをぴたりと止めた。
彼らをこの世に繋ぎ止めていた呪いの力が、消え去ったのだ。
彼らはもはや、敵ではない。
ただ、そこに突っ立っているだけの、魂の抜けた骨の人形。
「さてと」
隼人は荒い息を整えながら、ゆっくりと立ち上がった。
そして、動かなくなった骸骨の軍勢を見下ろした。
「ショーの後片付けの時間だ」
彼はそこから、ゆっくりと、そして確実に、一体、また一体と骨の人形を「作業」として処理していく。
その光景を見ていた一万人の観客たちは、もはや言葉を失っていた。
ただ、そのあまりにも鮮やかな逆転劇に、戦慄するしかなかった。
隼人は最後の一体を斬り捨てると、ARカメラの向こうの観客たちに問いかけた。
その声は、勝者の余裕と自信に満ち溢れていた。
「どうだ、お前ら」
「ディーラーさえいなけりゃ、このテーブルは、ただのボーナスステージだ」




