第419話
世界の常識が、また一つ塗り替えられてから数日が経過した。
【伝説の宝石】。
ネファレム・リフトからごく稀にドロップするという、そのあまりにも強力で、そしてどこまでも育成しがいのある神々の遺産は、世界の探索者たちの日常を完全に変貌させた。もはや、ただダンジョンを周回するだけの日々は古い。今は、自らの魂を賭けて一つの宝石を磨き上げ、その輝きを競い合う、新たな時代が始まっていた。
その熱狂は、当然のようにX(旧Twitter)のタイムラインを支配していた。
X(旧Twitter)トレンド - 日本
1位: #ジェム育成日記
2位: #今日のF級
3位: #リフト周回
4位: 1000万の輝き
5位: #V探索者デビュー
@Dungeon_Gamer_Taro
はぁ…。今日も一日、リフト周回だったぜ。
レジェンダリージェム、マジで出ねえな。もうB級リフト50周はしてるんだが?
隣のパーティがドロップさせたの見て、マジで持ってた剣投げそうになったわ。
@Build_Kousatsu
まあ、落ち着け。ギルドの非公式データによれば、ドロップ率は約2%。単純計算で50周に一個だ。君の運が悪いわけじゃない、それが普通だ。
問題は、そこから始まる果てしない育成の方だがな。 #ジェム育成日記
B級以上の探索者たちが、この新たな「沼」にどっぷりと浸かり、その魂をすり減らし、そして時には輝かせている。それが、この世界の新しい常識だった。
だが、そのあまりにも熾烈で、そしてどこまでもストイックな世界の、すぐ足元。
F級、E級という、安全で、そしてどこまでも優しい揺り籠の中では、全く違う、穏やかで、そしてどこまでも平和な文化が、花開こうとしていた。
その中心にいたのは、この新しい時代の寵児たち。
VTuber探索者だった。
【Chapter 1: Project "Make Aria a Gem Owner"】
その日の癒月アリアの配信は、いつものように、穏やかで、そしてどこまでも優しさに満ちていた。
【配信タイトル:【E級】毒蛇の巣窟で、迷子のコブラさんを探します!】
彼女は、E級ダンジョンの、その薄暗い洞窟の中を、ペットの白熊「わたあめちゃん」と共に、てちてちと歩いていた。
「皆さん、こんばんはー。癒月アリアです」
彼女の、その鈴を転がすような声が、数十万人の視聴者の心を、優しく撫でる。
「今日は、このダンジョンで迷子になってしまったという、小さなコブラさんを探しに来ました。きっと、心細い思いをしているはずです。みんなで、見つけてあげましょうね」
その、あまりにも突拍子もない、そしてどこまでも彼女らしい、冒険の目的。
それに、コメント欄が、温かい笑いと、ツッコミで溢れかえった。
『アリア様、それはモンスターですwww』
『助けたら、噛まれますよwww』
『でも、そういうところが好き』
彼女は、そのコメントを拾うと、ふふっと、楽しそうに笑った。
「大丈夫ですよ。きっと、お話しすれば、分かってくれます」
その、あまりにも無防備な、そしてどこまでも純粋な魂。
だが、その日の配信は、少しだけ、いつもとは違う空気に包まれていた。
チャット欄の、その温かいコメントの、その裏側で。
一つの、巨大な「計画」が、水面下で、着々と進行していたのだ。
X(旧Twitter)
@Aria_Fanclub_Bucho
同志諸君。時は、来た。
我らが聖女、アリア様は、今もなお、初期装備のまま、そのか細い体で、E級の脅威に立ち向かっておられる。
B級の猛者たちが、伝説の宝石を手に、その力を誇示している、まさにその裏側で。
…このままで、良いのか?
否!断じて否である!
アリア様こそ、あの輝きをその手に宿すに、最もふさわしいお方ではないのか!?
#アリア様を宝石の主に
@Aria_Fan_USA
(自動翻訳)
The president is right! What can we do? We must protect our Saintess!
(会長の言う通りだ!俺たちに、何ができる?聖女を、守ねば!)
@Gamer_Tetsu
…おいおい、アリアちゃんのファンクラブ、とんでもねえこと企んでやがるぞ…。
まさかとは、思うが…。
その、「まさか」は、現実となった。
アリアの配信が、中盤に差し掛かった頃。
彼女が、一体の毒蛇に追い詰められ、「ひぃん、助けてくださいー!」と、半泣きになっていた、まさにその時だった。
彼女の、その配信画面が、これまでにないほどの、まばゆい光の奔流に、完全に包まれたのだ。
虹色の、黄金色の、そして様々な国の通貨で送られてくる、無数の祝福の光。
スーパーチャットの、嵐。
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでも暴力的なまでの、「愛」の奔流。
それに、アリアは、その大きな瞳を、ぱちくりとさせた。
「え…?え…?えええええええええええええええ!?」
彼女の、素の絶叫が、数十万人の視聴者の鼓膜を揺した。
「な、な、なんですか、これー!?皆さん、どうしたんですかー!?」
その、あまりにも純粋な困惑。
それに、チャット欄が、一つの、あまりにも温かい、そしてどこまでも力強い言葉で、埋め尽くされた。
『アリア様!これは、俺たちからの、プレゼントです!』
『この金で、伝説の宝石を買ってください!』
『そして、俺たちの手で、あなたを、B級の、その先へ連れて行きます!』
その、あまりにも壮大な、そしてどこまでも愛に満ちた、ファンたちの決意表明。
それに、アリアの瞳から、大粒の涙が、堰を切ったように溢れ出した。
「…う…、うう…」
彼女は、その全てに、涙ながらに感謝を伝えた。
「皆さん…本当に、ありがとうございます…!でも、でも、そんな、1000万円もするようなもの、私には、もったいないです…!」
その、あまりにも健気な、そしてどこまでも謙虚な、彼女の言葉。
それが、ファンたちの、その最後の理性の箍を、完全に外した。
スパチャの嵐は、さらにその勢いを増していく。
数分後。
その日、彼女の配信で集まった金額は、1000万円を、遥かに、そしてあっさりと、超えていた。
その日の夜。
アリアは、震える手で、ギルドの公式マーケットにアクセスした。
そして、彼女は、ファンたちの愛の結晶で、一つの、小さな、しかし世界の何よりも重い、宝石を手に入れた。
【指導者の|カリスマ《》】。
オーラの効果を増幅させ、そして仲間を守る、サポーターのための、究極の宝石。
彼女は、その宝石を、自らの【清純の元素】の首輪へと、そっとはめ込んだ。
そして、その奇跡の瞬間を、数十万人のファンと共に、分かち合った。
「…これは、私だけの宝石じゃありません。みんなの、宝石です」
彼女は、涙ながらに、そう言った。
「だから、私、もっともっと頑張ります!この力で、世界中の、困っている人を、一人でも多く、助けられるように!」
その、あまりにも気高く、そしてどこまでも美しい、聖女の誓い。
それに、チャット欄は、この日一番の、そしてどこまでも温かい、祝福の嵐に、完全に包まれた。
一つの、新たな伝説が、生まれた瞬間だった。
【Chapter 2: The Saintess of Gacha and Her Divine Drop】
アリアの、その感動的な物語が、世界の探索者たちの心を温めていた、まさにその裏側で。
もう一つの、全く質の違う、しかしどこまでも伝説的な「奇跡」が、産声を上げようとしていた。
カクヨムライブ所属、シスター・クレア。
彼女の配信は、その日もまた、厳かで、そしてどこまでも神聖な祈りの言葉で、始まった。
「――天にまします、我らが父よ。願わくば、御名を崇めさせたまえ」
彼女の、その透き通るような声が、静寂なヴァー-チャル教会に響き渡る。
彼女の信者たちは、その祈りの言葉に合わせて、チャット欄を「アーメン」の四文字で、埋め尽くしていた。
今日の、彼女の配信のテーマ。
それは、「皆様の、レジェンダリージェムドロップ祈願」だった。
「主よ、あなたの迷える子羊たちが、今、一つのささやかな奇跡を求めております」
彼女は、その美しい顔に、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、続けた。
「どうか、彼らの、その地道な努力が、報われますように。彼らのインベントリに、あなたの祝福の光が、満ち溢れますように」
その、あまりにも敬虔な、そしてどこまでも他者のための、祈り。
それに、チャット欄の信者たちが、涙ながらに感謝の言葉を捧げる。
『ありがとうございます、クレア様…!』
『この祈りがあれば、今日の俺は、やれる…!』
その、温かい空気の中で。
クレアは、ふと、こう言った。
「…では、私も、皆様の祈りが届くよう、ほんの少しだけ、その道筋を作って参りましょうか」
彼女はそう言うと、一体の、F級ダンジョンの入り口へと、その歩みを進めた。
そして、彼女はたった一度だけ、リフトに挑戦した。
「主よ、見ていてください。これが、私の信仰の証です」
彼女が、そのリフトガーディアンを、その聖なる光の一撃で浄化した、その瞬間だった。
ありえない奇跡が、起こった。
ボスの亡骸から、ドロップしたのは、ただの魔石ではなかった。
一つの、ひときわ強い、伝説の輝きを放つ、宝石だった。
それも、ただの宝石ではない。
彼女の、その信仰ビルドに、あまりにも完璧に、そしてどこまでも美しく、噛み合う、一つの神の御業。
【守銭奴の呪い】。
富そのものを、力へと変換する、あの禁断のジェム。
静寂。
そして、爆発。
『は!?』
『出たああああああああああああああああ!!!!!!!!!!』
『マジかよ!一発で!?』
『しかも、クレア様のビルドに、ドンピシャじゃねえか!スパチャ(お布施)を、そのまま火力に変えられるのかよ!』
『神は、いた…。マジで、いたんだ…!』
その、あまりにも劇的な、そしてどこまでもご都合主義的な、奇跡。
それに、チャット欄は、もはやお祭り騒ぎではなかった。
一つの、巨大な宗教的熱狂の、その中心となっていた。
クレアは、その宝石を、静かに拾い上げた。
そして彼女は、カメラの向こうの、熱狂する信者たちに、最高の、そしてどこまでも慈愛に満ちた笑みを向けて、言った。
その声は、神の、それだった。
「――信じる者は、救われるのです」




