第411話
貿易港「サンクチュアリ・ポート」のビーチ。
その一角に、1日前に突如として出現した、巨大な朱色の鳥居。
その奥からは、楽しげな祭囃子と、甘い綿あめの匂いが漂ってくる。
JOKERと美咲と静は、そのお祭りを満喫するために、その光の中へと、足を踏み入れた。
「――わーっ!」
最初に、その歓声を上げたのは、美咲だった。
彼女の目の前に広がっていたのは、永遠の夕暮れが続く、どこまでも広がる夏祭りの会場だった。
空には、時折美しい花火が打ち上がり、その光が、沿道に並ぶ無数の提灯の赤い光と、優しく混じり合う。
道の両脇には、様々な妖怪たちが営む、無数の屋台が並んでいた。
「お兄ちゃん、見て!たこ焼き屋さん!タコさんが、自分の足焼いてる!」
「…ああ。シュールな光景だな」
「あっちには、りんご飴が!…うわっ、りんごに顔がついてる…!」
その、あまりにも非現実的で、そしてどこまでも楽しそうな光景。
それに、美咲と静は、その瞳をキラキラと輝かせながら、夢中で駆け回っていた。
JOKERは、その二人の後を、少しだけ離れた場所から、その口元に穏やかな笑みを浮かべて、ついていく。
彼の、孤独だった戦いの、その傷を癒すかのような、あまりにも温かい時間だった。
やがて、三人は一つの屋台の前で、足を止めた。
そこは、射的の屋台だった。
棚の上には、ぬいぐるみや、精巧な細工が施された木刀といった、子供たちが喜びそうな景品が並んでいる。
そして、その屋台の主人である、一本歯の下駄を履いた天狗が、その長い鼻を揺らしながら、威勢のいい声を上げていた。
「さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!この、天狗印のコルク銃で、見事景品を撃ち落としたお客さんには、そいつを丸ごとプレゼントだ!」
「お兄ちゃん、やりたい!」
美咲が、その袖を、きゅっと引っ張る。
「…ああ。やってみろよ」
美咲と静は、それぞれコルク銃を手に取ると、真剣な表情で、その的を狙った。
パンッ、という、間の抜けた音。
二人が放った弾は、惜しくも的を逸れ、その後ろの壁に、ぽすり、と虚しい音を立てて当たった。
「あー、難しい!」
「…むぅ。悔しい、です…」
その、あまりにも可愛らしい、そしてどこまでも微笑ましい光景。
それに、JOKERは、ふっと息を吐き出した。
そして彼は、言った。
「…貸してみろ」
彼は、美咲の手から、そのあまりにも軽いコルク銃を受け取った。
そして彼は、その銃を構えた。
その瞬間、彼の、その場の空気が、変わった。
それまでの、穏やかな保護者の顔ではない。
獲物を前にした、絶対的なギャンブラーの、その顔に。
彼は、銃の重さ、コルクの形状、棚までの距離、そして、景品の重心。
その、全ての変数を、その脳内で、一瞬にして計算し尽くした。
そして、彼は引き金を引いた。
パンッ!
乾いた音が、響き渡る。
放たれたコルクは、美しい放物線を描き、棚の、最も奥にあった、特賞の、巨大な熊のぬいぐるみの、その眉間に、寸分の狂いもなく、吸い込まれていった。
そして、その巨体を、いともたやすく、棚の下へと叩き落とした。
射的で無双するJOKER。
静寂。
そして、美咲と静の、割れんばかりの歓声。
「「すごい!」」
だが、彼のショーは、まだ終わりではなかった。
パンッ、パンッ、パンッ!
彼は、その後も、立て続けに、その神がかった射撃を、披露し続けた。
木刀、お面、そして風車。
棚の上の、全ての景品が、まるで自ら落ちることを望んでいるかのように、次々と、その下へと落下していく。
数分後。
そこには、空っぽになった棚と、その前に呆然と立ち尽くす天狗の店主、そして、おびただしい数の景品の山を前に、どこか満足げな表情を浮かべるJOKERの姿だけがあった。
「…お、お客さん…」
天狗の店主が、その震える声で、言った。
「――勘弁してくれ…」
その、あまりにも切実な、魂の叫び。
それに、JOKERは、最高の、そして最も不遜な笑みを浮かべて、答えた。
「…ああ。悪いな、親父さん。少し、熱くなっちまった」
その、あまりにも大人げない、そしてどこまでもJOKERらしい一言。
それに、美咲と静は、腹を抱えて、笑い転げていた。
そして、その温かい笑い声の、その輪の中へと。
一つの、新たな声が、加わった。
「おうおう、暴れてるな」
その、聞き慣れた、そしてどこか飄々とした声。
それに、JOKERは、はっとしたように振り返った。
そこに立っていたのは、冒険者学校の、韓国からの留学生たちを率いる、あの教師。
パク・ジフンと、その生徒達だった。
「…なんだ、アンタらか」
JOKERは、照れくさそうに、そう言った。
「奇遇だな。アンタらも、祭り見物か?」
「ええ、まあ」
ジフンは、そう言って人の良い笑みを浮かべた。
だが、彼の後ろに控えていた、十数人の韓国人の生徒たちの目は、笑ってはいなかった。
彼らの視線は、ただ一点。
JOKER、ただ一人に、その全ての尊敬と、そして畏敬の念を込めて、注がれていた。
そして、その中の一人が、その震える声で、呟いた。
「…ま、まさか…」
その、あまりにも初々しい反応。
それに、ジフンは、悪戯っぽく笑った。
そして彼は、その生徒たちの、その背中を、パンと叩いた。
「おい、お前ら!本物のJOKERだぞ!」
その一言が、引き金となった。
生徒たちは、爆発した。
「本物だー!」
「うわああああ!JOKERだ!」
「握手して下さい!」
その、あまりにも熱狂的な、そしてどこまでも純粋な、ファンの奔流。
それに、JOKERは、一瞬だけ、その顔をひきつらせた。
だが、彼は決して、その手を、引っ込めはしなかった。
彼は、その一人一人の、その震える手を、少しだけ面倒くさそうに、しかしどこまでも真摯に、握り返した。
それに応じるJOKER。
その、あまりにも意外な、そしてどこまでも優しい、神対応。
それに、生徒たちは、もはや言葉を失い、ただ感涙にむせんでいた。
数分後。
その、ささやかなファンミーティングが、終わりを告げる頃。
ジフンは、その申し訳なさそうな顔で、JOKERに、深々と頭を下げた。
「悪かったな、プライベートの所を。じゃあな」
「…ああ」
JOKERは、短く答えた。
パク・ジフンと、生徒達は、去っていく。
その、嵐のような一団が去った後。
美咲が、その大きな瞳を、これ以上ないほどキラキラと輝かせながら、兄の顔を、見上げた。
その声は、どこまでも誇らしげだった。
「人気者だね、お兄ちゃん!」
その、あまりにも純粋な、そしてどこまでも温かい、妹からの賛辞。
それに、JOKERは、照れくさそうに、そしてどこまでもぶっきらぼうに、その頭をガシガシとかいた。
「…うるせえよ」
だが、その口元は、確かに、緩んでいた。
「まあ、こんな時ぐらい、良いだろ」
彼は、そう言って、どこか遠い目をした。
「流石に、『サインを下さい』とかは、断るかも知れないがな」
その、あまりにもJOKERらしい一言。
それに、美咲と静は、顔を見合わせた。
そして、彼女たちは同時に、くすくすと笑った。
◇
彼らは、その後も、その祭りを、心ゆくまで満喫した。
そして、その日の冒険の、最後に。
彼らは、その射的で手に入れた大量の景品を、全て「祭りの引換券」へと交換した。
そして、その引換券を手に、景品交換所へと向かった。
彼らが、選んだのは、一つの、あまりにも美しい、そしてどこまでもこの場所にふさわしい、記念品だった。
【浴衣】。
そして、景品の浴衣アイテムで、浴衣姿になる、三人。
彼らが、そのアイテムをインベントリから「使用」した、その瞬間。
三人の体を、淡い、しかし確かな光が包み込んだ。
光が収まった時。
そこに立っていたのは、いつもの戦闘服の姿ではない。
JOKERは、その黒いローブから、深い藍色の、粋な浴衣姿へと。
美咲は、その制服から、朝顔の模様が描かれた、可愛らしいピンク色の浴衣姿へと。
静は、そのモノトーンのドレスから、撫子の花が描かれた、しっとりとした紫色の浴衣姿へと。
その、あまりにも見事な、そしてどこまでも魔法のような変身。
それに、美咲と静は、その場でくるりと回りながら、歓声を上げた。
「わー!すごい!魔法みたいだね!」
美咲と、静は、楽しそうにする。
その、あまりにも無邪気な、そしてどこまでも美しい、二人の少女の姿。
それに、JOKERは、ただ静かに、そしてどこまでも優しい目で見守っていた。
そして彼は、その新たな「祭り」の装束を身にまとったまま、次の屋台へと、その視線を向けた。
その瞳には、もはや退屈の色はない。
ただ、この最高の休日を、心ゆから楽しむ、一人の兄の、温かい光だけが宿っていた。
「さて、どんどん景品取るぞ。ペットも、欲しいな」




