第410話
その日の世界の空気は、穏やかな凪の中にあった。
JOKERがA級上位ダンジョンを蹂躙し、世界のトップギルドたちがリフトの階層を競い合う。そんな、どこか遠い世界の出来事をBGMに、大多数の探索者たちは、それぞれの日常を謳歌していた。
特に、F級、E級といった低ランクの探索者たちと、彼らを魅了してやまないVTuberたちの世界は、これ以上ないほどの平和と、創造的な熱気に満ちていた。
誰もが、思っていた。
この、穏やかで、そしてどこまでも予測可能な日常が、しばらくは続くだろうと。
その、あまりにも平和な幻想。
それを、破壊する、新たな「理」の顕現。
その最初の兆候は、いつも通り、最も平和で、そして最も多くの瞳が見つめる場所で、その産声を上げた。
X(旧Twitter)トレンド - 日本
1位: #楽園諸島
2位: #Vの島
3位: #今日のF級
4位: #夏祭り
5位: 自動翻訳
【The Calm Before the Festival】
@Dungeon_Gamer_Taro
今日の楽園諸島、平和だなぁ。
サンクチュアリ・ポートのビーチ、完全に海の家と化してる。
週末冒険者のオジサンたちが、屋台でモンスター素材の串焼き売ってるしwww
@V_Fan_Aoi
**Vチューバーがさぁ、**ああいう風にダンジョン以外の場所で楽しそうにしてくれると、こっちもなんだか和むよね。
昨日のアリアちゃんのハウジング配信、最高だった…。
@Hoshikawa_Mikan_Fan
今日の、みかんちゃんの配信見てる奴いる?
今、サンクチュアリ・ポートのビーチで、ファンのみんなとビーチバレーしてるぞ!
平和の象徴かよ。 #Vの島
@Gamer_Tetsu
(星川みかんの配信画面のスクリーンショット)
みかんちゃん、サーブしようとして、ボールじゃなくて自分の足元のカニのペット蹴っ飛ばしてて草。
今日も、通常運転だな。
その、あまりにも平和で、そしてどこまでもいつも通りの日常の会話。
それが、唐突に、そしてあまりにも劇的に、断ち切られた。
その書き込みが投下されたのは、正午を少し回った、太陽が最も高く輝く、その時だった。
@Mikan_Live_Watcher
…ん?
おい、みかんちゃんの配信見てる奴!
みかんちゃんの後ろ!
なんだ、あれ!?
その、あまりにも不穏な書き込み。
それに、スレッドの空気が、わずかに変わった。
@Dungeon_Gamer_Taro
は?なんだよ。
また、変なペットでも見つけたのか?
@Mikan_Live_Watcher
違う!違うんだよ!
砂浜から、なんか生えてきてる!
彼は、震える指で、その神々の悪戯のスクリーンショットを、スレッドへと投下した。
[画像:星川みかんのアバターが、ビーチバレーボールを追いかけている、平和な配信画面のスクリーンショット。だが、その遥か後方、水平線が広がるはずの砂浜の中央に、巨大な、朱色の鳥居の上部が、まるで古代遺跡のように、砂の中からゆっくりと姿を現し始めている]
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、爆発。
『は!?』
『鳥居!?なんで、ビーチに!?』
『バグか!?いや、違う…!世界の理が、また…!』
その混乱の渦の中で、星川みかん本人もまた、その異常事態に気づいた。
あるVチューバーが、サンクチュアリ・ポートのビーチで遊んでたら、巨大な鳥居が出現する瞬間を目撃する。
「え…?えええええええええええええええ!?」
彼女の、素の絶叫が、数十万人の視聴者の鼓膜を揺らした。
「な、な、なんですか、あれはー!?おっきな鳥居ですー!」
彼女は、ビーチバレーを放り出すと、その好奇心の塊のような瞳をキラキラと輝かせ、その未知なる建造物へと、駆け出していった。
そして、その彼女に続くように。
その場にいた、**たくさんの目撃者が、**そして彼女の配信を見て、慌ててポータルを開いて駆けつけた、無数のファンたちが、一つの巨大な奔流となって、その鳥居の元へと、殺到していった。
【SeekerNet 掲示板 - 総合雑談スレ Part. 1825】
1: 名無しの実況民A
おい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
祭りだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
楽園諸島で、とんでもねえことが起きてるぞ!!!!!!!!!!!!!!!
2: 名無しのゲーマー
1
乙!
ああ、見てる!みかんちゃんの配信!
なんだよ、あの鳥居!かっけえ!
3: 名無しのB級タンク
みんなで、行くことにする!
俺も、今からポータルで飛ぶ!
乗り遅れるなよ、お前ら!
4: 名無しのA級(お忍び)
…ほう。
またか。
神々の、気まぐれなアップデート。
面白い。
実に、面白いじゃねえか。
その熱狂は、瞬く間にSeekerNetの全ての掲示板へと、燎原の火のように燃え広がっていく。
そして、その情報の奔流は、当然のように、世界の、あらゆる国の探索者たちの元へと、届けられた。
【The First Pioneers】
@Mikan_Live_Watcher
みかんちゃん、鳥居くぐったぞ!
うおおお、光がすごい!
@Gamer_Tetsu
入ると、そこはお祭り会場だった!
なんだこれ!提灯がいっぱいで、祭囃子が聞こえる!
屋台もあるぞ!たこ焼き!りんご飴!
最高じゃねえか!
@V_Fan_Aoi
すごい!すごい!
妖怪さんたちが、屋台やってる!
みんな、ニコニコしてて、全然怖くない!
可愛い!
その、あまりにも唐突な、そしてどこまでも平和な、異世界への扉。
スレッドは、お祭り騒ぎとなった。
そして、その熱狂の、まさにその頂点で。
一つの、この世界の、歴史を永遠に変えることになる、小さな、しかし決定的な「奇跡」が、発見された。
@US_Explorer_Bob (X - English)
This is insane! I followed the crowd through the gate! It's some kind of Japanese summer festival! So cool!
But... wait a minute. Why can I read all your posts in perfect English?
(なんだこれ、ヤバい!みんなについてゲートをくぐってみたんだ!日本の夏祭りみたいだ!最高だな!
でも…ちょっと待てよ。なんでお前らの書き込みが、全部完璧な英語で読めるんだ?)
@US_Explorer_Bob
え?
あんたの書き込み、普通に日本語で読めるけど…?
え?え?
ええええええええええええええええええええええ!?
@German_Guild_Hans (X - German)
@Dungeon_Gamer_Taro
Seltsam. Für mich ist das alles auf Deutsch.
Was zum Teufel geht hier vor?
(奇妙だな。俺には、全部ドイツ語に見えるが。一体、何が起きてるんだ?)
@Build_Kousatsu
…まさか。
そういうことか。
この、「幽世の祭壇」と呼ばれる空間。
その内部では、世界の理が、特殊な法則で満たされているのだ。
海外の人の言語が、自動翻訳されてる事を発見する。
全ての言語と文字が、個々の探索者の母国語へと、自動的に翻訳される。
…なんだ、この奇跡は。
神々の、悪戯か。
それとも、祝福か。
その、あまりにも衝撃的な、そしてどこまでも希望に満ちた発見。
それが、最後の引き金となった。
スレッドは、もはや制御不能の熱狂の坩堝と化した。
言葉の壁が、ない。
その、あまりにも甘美な響き。
それは、世界の、全ての探索者にとって、究極の福音だった。
冒険者達は、お祭り会場に殺到する。
日本の、アメリカの、中国の、ヨーロッパの、南米の。
あらゆる国の、あらゆる人種の探索者たちが、その肌の色も、信じる神も、そして話す言葉も、全てを忘れて、一つの「祭り」の熱狂の中へと、その身を投じていった。
だが、会場は、それに応じて、自動で、どんどん巨大な会場になる。
人が増えれば増えるほど、祭りの会場は、その地平線を、まるで生き物のように、どこまでも、どこまでも広げていく。
決して、満員になることはない。
ただ、常に活気があり、賑やかで、そしてどこか心地よい、少し混雑してるな、ぐらいを維持する。
その、あまりにも優しく、そしてどこまでも完璧な、世界の理。
その、あまりにも平和で、そしてどこまでも美しい光景。
それに、SeekerNetは、もはや言葉を失っていた。
ただ、そのあまりにも巨大な「奇跡」の前に、ひれ伏すしかなかった。
@Hacksla_Haijin
…チッ。
なんだよ、これ。
気味が悪いほど、平和じゃねえか。
まあ、いい。
たまには、こういうのも、悪くはねえか。
俺も、少しだけ、覗いてくるとするか。
その、あまりにも珍しい、そしてどこまでも素直な、ハクスラ廃人の一言。
それが、この歴史的な一夜の、全てを物語っていた。
世界の、全ての探索者が、その階級も、国籍も、そして憎しみも、全てを忘れて、ただ一つの、同じ祭りの熱狂の中にいた。
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも温かい、奇跡の一夜。




