第407話
その日の日本最大の探索者専用コミュニティサイト『SeekerNet』は、穏やかな凪の中にあった。
VTuberたちが切り拓いた「わちゃわちゃ」とした文化と、JOKERが火をつけたペットブーム。その二つの巨大な潮流は、すっかり世界の探索者たちの日常に溶け込み、誰もがこの平和で創造的な時間を楽しんでいた。
リフト戦争の熾烈な競争も、今やラダーランキングの上位に名を連ねるトップギルドたちの、日常的な記録更新報告へと姿を変え、多くの探索者にとっては、どこか遠い世界の出来事となりつつあった。
誰もが、思っていた。
この、穏やかで、そしてどこまでも予測可能な日常が、しばらくは続くだろうと。
その、あまりにも平和な幻想。
それを、破壊する、新たな「理」の顕現。
その最初の兆候は、いつも通り、最もありふれた、しかし最も世界の最前線に近い場所で、その産声を上げた。
【SeekerNet 掲示板 - B級ダンジョン総合スレ Part. 442】
1: 名無しのB級タンク
スレ立て乙。
さて、諸君。今日も始めようか。我々人類が、神々の気まぐれな悪戯に、どう立ち向かうべきかの議論を。
2: 名無しのC級(見学中)
1
乙です!
最近は、楽園諸島のハウジングの話ばっかりだったから、こういうガチなスレは落ち着きますねw
3: 名無しのA級(お忍び)
2
ああ。平和なのは良いことだがな。
少し、刺激が足りんと思っていたところだ。
今日も、リフトランク60の周回作業が始まる…。
4: 名無しのVファン
3
**楽園諸島やVチューバーの話題をしてたら、**トップランカー様が退屈しちゃいますよね!
でも、うちの推しのるなちゃんが、昨日初めて自分の島でファンミーティング開いてくれて、最高だったんですよ!
5: 名無しの週末冒険者
4
いいなあ、ファンミ。
俺も、ギルド島の祝福の塔のバフのおかげで、ようやくリフトランク20を安定して回れるようになったところだ。
毎日が、充実してるよ。
その、あまりにも平和で、そしてどこまでも満ち足りた、日常の会話。
それが、唐突に、そしてあまりにも無慈悲に断ち切られた。
その書き込みが投下されたのは、正午を少し回った、その時だった。
155: 名無しのリフトジャンキー
…おい。
盛り上がってる所すまん。
ネファレム・リフト、ランク50を周回してたら、こんなアイテムが出た。
その、あまりにも不穏な、そしてどこまでも核心を突いた書き込み。
それに、スレッドの空気が、わずかに変わった。
156: 名無しのゲーマー
155
どうせまた、ちょっと珍しいMODが付いたレア装備だろ。
見飽きたわ、そういうの。
157: 名無しのリフトジャンキー
156
違う!違うんだよ!
アイテムじゃねえ!石板だ!
彼は、震える指で、その神々の遺産のスクリーンショットを、スレッドへと投下した。
158: 名無しのリフトジャンキー
「
[画像:手のひらに収まるほどの大きさの、まるで夜空の闇をそのまま切り取って固めたかのような、禍々しい紫色の石板。その表面には、見る者の精神を蝕むかのような、絶え間なく形を変える不可解な紋様が、血管のように脈打っている。]
名前:
夢魘の紋章
(Sigil of Nightmare)
レアリティ:
特殊 / フラグメント (Special / Fragment)
種別:
キーアイテム / リフトの紋章 (Key Item / Rift Sigil)
効果テキスト:
高ランクのネファレム・リフトで、ごく稀に発見される古代の石板。
オベリスクにて、試練の要石と共に捧げることで、ネファレム・リフトを、より危険で、より報酬の多い「ナイトメア・リフト」へと変質させることができる。
紋章には、そのリフトに課せられる、いくつかの「悪夢の詞」がランダムに刻まれている。
・このアイテムのナイトメア・アフィックスは「敵を倒すと10秒後に爆発する氷属性の爆弾が発生する」である
・このアイテムの報酬は「ナイトメア・リフトクリア時に次のレベル1分の経験値を得る」である
このアイテムは、使用すると消費される。
フレーバーテキスト:
賢者は、この石板を市場で売り、確実な富を手にするだろう。
だが、真に賢い者は知っている。
最も価値のある宝とは、安全な取引の先にあるのではなく、
自らが乗り越えた、悪夢の深淵の底にこそ眠っているのだということを。
さあ、お前はどちらの賢者だ?
」
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
スレッドの、全ての時間が止まったかのような錯覚。
そして、その静寂を破ったのは、一人の、あまりにも素直な、そしてこのスレッドの全ての住人の心を代弁するかのような、一言だった。
165: 名無しのゲーマー
…は?
その一言が、引き金となった。
スレッドは、爆発した。
『なんだこれ!?』
『ナイトメア・リフト!?なんだこれ、高難易度に出来るって事か?』
『フレーバーテキスト、かっこよすぎだろ!』
『いや、それより報酬を見ろ!報酬を!』
その混乱の渦の中で、一つの、あまりにも巨大な「甘い蜜」の匂いを、世界の探索者たちは、確かに嗅ぎつけていた。
172: 名無しのA級(お忍び)
…おい、待て。
そして、報酬が、レベル1アップ分の経験値!?
めちゃくちゃ美味しいじゃねーか!
その、あまりにも衝撃的な、そしてどこまでも甘美な、報酬。
それに、スレッドは、本当の意味での「爆発」を起こした。
もはや、それは賞賛ではない。
一つの、新たな黄金郷への扉が開かれたことに対する、純粋な、そしてどこまでも暴力的なまでの、欲望の奔流だった。
『マジかよ!』
『レベル1アップ!?ランク50で、かよ!』
『これさえあれば、レベル上げ放題じゃねえか!』
その、熱狂の、まさにその中心で。
あの、最初の発見者であるリフトジャンキーが、一つの、あまりにも人間的な、そしてどこまでも正直な「決断」を、下した。
255: 名無しのリフトジャンキー
…いやー、すごいのは分かった。
すごいのは、よーく分かったが…。
悪い、売るわ。
フレーバーテキスト、ごめんwwww
その、あまりにも潔い、そしてどこまでも現実的な、魂の叫び。
それが、引き金となった。
スレッドは、もはやお祭り騒ぎではない。
一つの、巨大な笑いの渦に、完全に飲み込まれていた。
それにwwwwwwと笑う、掲示板の名無し達。
『wwwwwwwwwwwwwwwww』
『正直者で草』
『賢者だったなwww』
『まあ、俺でも売るわwww』
その、あまりにも平和で、そしてどこまでも人間的な、笑いの連鎖。
だが、その和やかな空気を、断ち切るかのように。
一人の、冷静な、しかし世界の理そのものを揺るがすほどの、鋭い分析が、投下された。
301: 名無しのビルド考察家
…おい、お前ら。
笑ってる場合じゃねえぞ。
もっと、重要なことがある。
話は変わるけど、報酬はランダムって事か?
JOKERがドロップした、あのフラクチャーオーブの欠片も、来訪者からのランダム報酬だった。
これも、同じだ。
その、あまりにも的確な、そしてどこまでも本質を突いた指摘。
それに、スレッドの空気が、一瞬で引き締まった。
そして、そのビルド考察家は、その最後の、そして究極の「結論」を、告げた。
305: 名無しのビルド考察家
ああ。
ナイトメア・アフィックスと、報酬次第で、価値が変わりそうだな。
「レベル1アップ」は、間違いなく大当たりだ。
だが、ハズレもあるかもしれん。「ポータルスクロール1枚」とかな。
そして、アフィックスもだ。「敵が氷の爆弾を落とす」程度なら、まだいい。
だが、もし、「プレイヤーのクリティカル率が0になる」とか、「全ての攻撃が反射される」みたいな、ビルドそのものを殺しにくる、クソみてえなアフィックスがあったとしたら…?
その、あまりにも鮮やかで、そしてどこまでも悪魔的な、可能性の提示。
それに、スレッドは、本当の意味での「爆発」を起こした。
もはや、それは賞賛ではない。
一つの、新たな、そして最も危険なギャンブルのテーブルが開かれたことへの、畏敬の念だった。
815: 元ギルドマン@戦士一筋
…なるほどな。
そういうことか。
紋章そのものが、一つの巨大な「ガチャ」なのだな。
リスクと、リターン。
その、振り幅が、あまりにも大きすぎる。
821: ハクスラ廃人
ああ、間違いないな。
神様とやらは、とんでもねえクソゲーを、また俺たちに用意してくれたもんだぜ。
だがな…。
彼は、そこで一度言葉を切ると、その口元に、最高の、そして最も獰猛な笑みを浮かべた。
822: ハクスラ廃人
――最高の、テーブルじゃねえか。
その、あまりにも力強い、そしてどこまでもギャンブル狂らしい、宣言。
それに、スレッドは、もはや制御不能の熱狂の坩堝と化した。
誰もが、その未知なる、そしてどこまでも面白い、新たなゲームの虜になっていた。
その、あまりにも巨大な、そしてどこまでも混沌とした、新時代の幕開けを。




