第42話
神崎隼人は、その新たなE級ダンジョンの入り口に立っていた。
そこは、これまで彼が攻略してきた【棄てられた砦】や【毒蛇の巣窟】とは、全く違う空気を纏っていた。
崩れかけた、大理石の柱。
色褪せたステンドグラスが残る、アーチ状の窓。
そして、空気中に漂う濃密な魔素は、どこか甘く、そしてアカデミックなインクのような匂いがした。
E級ダンジョン、【魔術師の廃墟】。
その名の通り、かつて高名な魔術師が、その工房として使っていた遺跡がダンジョン化した場所だ。
彼がこのダンジョンを次なる狩場として選んだ理由は、ただ一つ。
SeekerNetで手に入れた、ある一つの「噂」だった。
『――魔法を使う敵は、その体内に多くの魔素を溜め込んでいる。故に、魔石をドロップする確率が、僅かに高いと噂される』
「さてと。その噂が本当かどうか、この目で確かめてやろうじゃねえか」
隼人は、配信を開始する。タイトルは、『【魔石ファーム】魔術師の廃墟、効率周回』。
一万人を超える観客たちが、彼の新たなショーの始まりに、期待のコメントを寄せる。
彼は、その声援を背中に感じながら、廃墟の奥深くへとその歩みを進めていった。
廃墟の内部に生息していたのは、ゴブリンやコボルトのような亜人ではない。
魔術師が生み出したのであろう魔法生物の残骸や、制御を失い暴走した書物、そして純粋な魔力の塊である**【ウィスプ】**といった、魔法系のモンスターばかりだった。
彼らは一様に、物理的な攻撃ではなく、小さな魔法の弾丸を放って攻撃してくる。
だが、そんなものは今の隼人には、もはや脅威ではなかった。
彼の全身を覆う【元素の盾】のオーラが、その貧弱な魔法弾をことごとく弾き返し、無力化する。
そして彼は、自らの完成されたスキルコンボで、それらの魔法生物を一方的に蹂躙していく。
それはもはや、戦闘ですらない。
ただ、効率的に魔石を収集するための「作業」。
彼の圧倒的な無双劇に、コメント欄ももはや見慣れたというように、穏やかな雑談の場となっていた。
そして彼は、気づいた。
これまでのダンジョンとは、明らかに違う一つの事実に。
「…なんだ、やけに人が多いな」
そうなのだ。このダンジョンでは、これまでの過疎ダンジョンとは違い、ちらほらと他の探索者たちの姿を見かけるのだ。
パーティーを組んで、慎重に進む者たち。
隼人と同じように、ソロで効率的に敵を狩り続ける者たち。
このダンジョンが、魔石を稼ぐための人気の「狩場」であるという噂は、どうやら本当らしかった。
その事実に、コメント欄も盛り上がる。
視聴者A: おお、他のPTだ!
視聴者B: そういやJOKERさんって、今まで過疎ダンジョンばっか選んでたから、他の冒険者と会うの初めてじゃね?
視聴者C: 人気の狩場に来ると、こんな感じなのかー。面白いな。
隼人もまた、その光景に、これまで感じたことのない新鮮な興味を抱いていた。
他人のギャンブルを見るのは、好きだ。
他人が、どんな手札で、どんな立ち回りをするのか。それを観察し、分析することは、自らのプレイスタイルを見つめ直す、最高の機会となる。
彼はこれまで、自分の戦いに夢中で、他の探索者の戦闘など、一度も見たことがなかったのだ。
隼人は、一体のゴーレムを処理し終えると、ふと足を止めた。
前方の大きな図書館のような広間で、一つのパーティーがモンスターの大群と交戦しているのが、見えたのだ。
彼は、配信の視聴者たちに語りかける。
「…なあ、お前ら。ちょっと、寄り道してもいいか?」
「他人の戦い方ってやつを、見学させてもらおうじゃねえか」
彼は、そのパーティーに敵意がないことを示すようにゆっくりと近づくと、邪魔にならない距離から、敬意を払って軽く会釈した。
パーティーのリーダーらしき屈強な戦士が、隼人の姿に気づき、一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに状況を理解し、鷹揚に頷き返してくれた。見学の許可は、得たらしい。
そして隼人は、その光景に目を奪われた。
そのパーティーの戦闘スタイルは、あまりにも異質だったからだ。
前衛で敵の攻撃を引き受けているのは、パーティーリーダーの戦士、ただ一人。
だが、その戦士の周囲を、おびただしい数の【ゾンビ】と【骸骨】が、壁のように取り囲み、敵のゴーレムたちを一方的に蹂躙していたのだ。
キーキーと甲高い雄叫びを上げながら、骸骨の弓兵が矢の雨を降らせる。
ウオオオと呻き声を上げながら、ゾンビの大群が、その圧倒的な数でゴーレムを押し潰していく。
そして、その死の軍団の後方。
パーティーの最後尾で、薄汚れたローブを身に纏った一人の陰気な青年が、ただ腕を組み、静かにその光景を眺めているだけ。
彼こそが、この軍団を操る【ネクロマンサー】。
彼は、一切自らの手を汚さない。ただ「指揮」するだけで、敵を殲滅していく。
その、あまりにも効率的で安全な戦い方。
隼人は、戦慄した。
これが、彼がSeekerNetでその存在を知った、ビルドの一つ。
(…敵が集団なら、こちらも集団で対抗する。なるほどな。実に、合理的だ)
彼はそのパーティーに一礼すると、再び別の場所へと歩き出した。
次に彼が目にしたのは、ソロで戦う一人の女性の魔術師だった。
彼女は、数十体のウィスプの群れに、完全に包囲されていた。絶体絶命の状況。
だが彼女は、一切焦る様子はなかった。
彼女はただ静かに、その杖の先端に、一つの小さな雷の光を灯す。
そして、それを一体のウィスプへと放った。
次の瞬間。
隼人は、かつて雫に見せてもらった、あの悪夢のような光景を、再び目の当たりにすることになる。
パチッ!という乾いた音と共に、雷の光はウィスプに着弾した瞬間、**【連鎖】**し、隣のウィスプへと飛び火した。
そして、その雷は止まらない。
パチパチパチパチッ!
まるでピンボールのように、雷光がウィスプの群れの中を何度も、何度も反射し、跳ね回り、その全てを一瞬で結びつけていく。
数十体のウィスプが、まるで一本の雷の糸で繋がれたかのように、同時にその動きを止め、そして一斉に光の粒子となって弾け飛んだ。
たった一発の魔法で、敵のグループを一網打尽にする、圧倒的な殲滅力。
隼人は、そのあまりにも美しい光景に、言葉を失っていた。
(…あれが、【アーク】に、【連鎖】のサポートを付けたスキルか)
彼は、理解した。
あれは、ただの魔法ではない。
スキルとサポートジェムの組み合わせによって、完璧に計算され尽くした「システム」なのだと。
ネクロマンサーの、物量作戦。
魔術師の、範囲殲滅。
そして自らの、鉄壁のカウンター戦術。
どれもが、違う。
どれもが強力で、そしてどれもが、それぞれの哲学を持つ、完成された戦い方。
隼人は、砦の中で一人佇み、静かに思考していた。
最強のビルドなど、存在しない。
最強のクラスなど、存在しない。
あるのはただ、その状況と敵との「相性」だけだ。
そして、それぞれのプレイヤーが、自らの信じる最強の哲学を、そのビルドに込めて戦っている。
「戦士は、耐えて勝つ」
「盗賊は、避けて勝つ」
「魔術師は、動く前に殺す」
「召喚士は、数で殺す」
「…なるほどな」
隼人は、静かに呟いた。
「どれが一番強いなんて話は、不毛だ。要は、その状況でどう勝つかだ」
その言葉と同時に、彼は自らのユニークスキル【複数人の人生】の本当の価値と、その恐ろしさに、改めて思い至っていた。
そうだ。
他のプレイヤーは、一つの道しか選べない。
戦士として生きると決めたなら、魔術師にはなれない。
だが、俺は違う。
俺は、その全ての「正解」になれるのだ。
戦況に応じて、その仮面を自在に付け替える、究極のプレイヤー。
彼の心に、新たな、そしてより大きな野心の炎が灯った。
E級ダンジョンを攻略するだけでは、足りない。
全てのクラスを理解し、全てのビルドを使いこなし、そしてその全てを凌駕する。
それこそが、この世界の唯一の「例外」である彼に課せられた、宿命。
彼はARカメラの向こうの観客たちに、獰猛な笑みを向けた。
その瞳にはもはや、E級ダンジョンなど映ってはいなかった。
その遥か先。
神々の領域へと続く、無限の道が見えていた。
「…面白い」
彼は、呟いた。
「この世界の『最強』は、一つじゃねえらしい」
「――だったら、俺がその全てになればいいだけか」




