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ギャンブル中毒者が挑む現代ダンジョン配信物  作者: パラレル・ゲーマー
楽園諸島編

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第401話

 その日の世界の空気は、一つの巨大な「問い」を巡って、静かな、しかしどこまでも深い熱気に包まれていた。

【ネファレム・リフト】。

 その無限の階層の頂を目指す、トップギルドたちの熾烈な競争。

 その、あまりにも巨大な熱狂の渦の中心から、ただ一人、完全に隔絶された男がいた。

 神崎隼人――“JOKER”。

 彼は、その全ての狂騒を、まるで対岸の火事のように、あるいは、水槽の中の熱帯魚を眺めるかのように、ただ静かに、そしてどこか退屈そうに、見下ろしていた。


 彼はリビングのソファで、冒険者学校の分厚い教科書を広げ、熱心に予習をしている二人の少女へと、その声をかけた。

 その声は、いつもより少しだけ、穏やかだった。


「おい、お前ら。少し、休憩にしないか」

 その、あまりにも唐突な提案。

 それに、神崎美咲と桜潮静は、驚いたように顔を上げた。

「え?お兄ちゃん、どうしたの急に。レベリングは、いいの?」

 美咲の、その素直な問いかけ。

 それに、JOKERは、照れくさそうに、その頭をガシガシとかいた。

「ああ。たまには、な」

「面白い場所に、連れてってやるよ」


 彼は、そう言うと、その場でポータルを開いた。

 行き先は、デルヴ鉱山の闇でも、A級ダンジョンの地獄でもない。

 世界の、全ての探索者のARウィンドウに、数日前に、突如として追加された、あの未知なる座標。

「楽園諸島」。

 彼は、その穏やかな光の渦へと、二人の少女を、優しく促した。

 JOKERは、その日、配信をしなかった。

 これは、世界の誰も知らない、彼だけの、そして彼らだけの、ささやかな休日だった。


 ◇


 ポータルを抜けた瞬間、彼女たちの全身を、これまでにないほどの、温かく、そしてどこまでも心地よい空気が包み込んだ。

 ひんやりとしたダンジョンの石の匂いではない。

 むわりとしたアジールの潮の匂いでもない。

 甘い花の香りと、太陽の匂い、そしてどこまでも澄み切った、潮の香りが混じり合った、生命力そのもののような空気。

 そして、彼女たちの目に飛び込んできたのは、信じられないほどの、絶景だった。

 どこまでも続く、真っ白な砂浜。

 その砂浜に、寄せては返す、エメラルドグリーンに輝く、穏やかな波。

 空には、この世界のそれとは違う、少しだけ大きな、優しい光を放つ太陽が、二つ、輝いている。

 そして、その太陽の光を浴びて、ヤシの木が、心地よい影を落としていた。


「――きゃー!すごい!」


 最初に、その沈黙を破ったのは、美咲の、歓喜の絶叫だった。

 彼女は、その場でぴょんぴょんと飛び跳ね、その喜びを全身で表現していた。

「海だ!海だよ、静ちゃん!」

「うん…すごい…」

 いつもは冷静な静もまた、その大きな瞳を、これ以上ないほどキラキラと輝かせながら、その光景に、ただ息を呑んでいた。

 はしゃぐ、二人。

 その、あまりにも無邪気な姿。

 それに、JOKERは、ふっと、その口元を緩ませた。


「おいおい、あんまりはしゃぐなよ」


 彼の、そのぶっきらぼうな、しかしどこまでも優しい声。

 それに、美咲は、最高の笑顔で振り返った。

「だってお兄ちゃん!こんな綺麗な場所、初めて来たんだもん!」

 彼女は、そう言うと、その履いていた冒険者学校の革靴を、勢いよく脱ぎ捨てた。

 そして、裸足のまま、その白い砂浜へと、駆け出していった。

 その、あまりにも楽しそうな後姿を、JOKERは、ただ静かに、そしてどこまでも愛おしそうに、見守っていた。

 彼の、ギャンブラーとしての魂が、この瞬間だけは、どこまでも穏やかな凪の中にあった。


 そこは、貿易港「サンクチュアリ・ポート」だった。

 彼らが降り立ったポータルの周辺には、無数の探索者たちが、思い思いの時間を過ごしていた。

 戦闘服を脱ぎ捨て、ラフなTシャツと短パン姿で、ビーチバレーに興じる者たち。

 パラソルの下で、冷たいトロピカルジュースを飲みながら、談笑する者たち。

 そして、その海の家のようなレストランから漂ってくる、香ばしい、バーベキューの匂い。

 その、あまりにも平和で、そしてどこまでも楽しそうな光景。


「お兄ちゃん!静ちゃん!早く、早く!」

 美咲が、波打ち際で、その小さな手を、大きく振っている。

「分かった、分かったよ」

 JOKERは、そう言って、静と共に、その白い砂浜へと、その歩みを進めた。

 海水浴や、食事を楽しむ。

 その日の彼らは、ただの、どこにでもいる、ありふれた家族のようだった。

 冷たい波の感触に、声を上げて笑い。

 砂浜に、下手くそな城を作り。

 そして、疲れたら、ビーチサイドのレストランで、モンスターの素材を換金して手に入れた「ゴールド」を使い、この島でしか食べられない、新鮮なシーフードのグリルを、頬張った。

 その、一口一口が、これまでのどの食事よりも、美味しく感じられた。


 その、あまりにも穏やかで、そしてどこまでも幸せな時間が、永遠に続くかのように思われた。

 彼らが、その最高のシーフードを味わい尽くし、満足げなため息をついていた、その時だった。


「――よう。お前さん、そんなところで、油売ってていいの?」


 その、あまりにも聞き慣れた、そしてどこまでも無骨な声。

 それに、JOKERは、はっとしたように顔を上げた。

 そこに立っていたのは、彼の、もう一つの「家族」だった。

 A級パーティ【ラスト・ベット】。

 リーダーの、赤城。

 その両脇を、颯太と、白鷺が固め、そしてその後ろで、轟が静かに微笑んでいた。

 JOKERは、ラスト・ベットのメンバーと合流する。


「…なんだ、お前らか」

 JOKERは、照れくさそうに、そう言った。

「奇遇だな。お前らも、休暇か?」

「ええ」

 赤城は、そう言って、その傷だらけの顔に、人の良い笑みを浮かべた。

「ギルドの連中が、あまりにもうるさくてね。『たまには、休め』と、半ば強制的に、ここに送り込まれたのよ」

「そしたら、見ろ。このザマだ」

 彼女は、そう言って、その隣に立つ颯太を、親指で指し示した。

 颯太は、その手に、二本の、巨大なロブスターのグリルを握りしめ、その口の周りを、ソースでべとべとにしながら、夢中でそれを頬張っていた。

 その、あまりにも子供っぽい姿。

 それに、その場の全員が、どっと笑った。


「…紹介するよ」

 JOKERは、その笑い声の余韻の中で、言った。

 彼は、その少しだけ照れたような顔で、美咲と静の、その二人へと、その視線を向けた。

 そして、妹と、静を、紹介する。

「こっちが、俺の妹の、美咲。で、こっちが、そのダチの、静だ」

 その、あまりにも不器用な紹介。

 それに、美咲は、その顔を真っ赤にさせながら、深々と頭を下げた。

「は、はじめまして!いつも、兄が、お世話になっております!」

 静もまた、その隣で、完璧な角度で、その頭を下げていた。


「ああ、話は聞いてるわよ」

 赤城は、その優しい目で、二人の少女を見つめた。

「あんたが、命よりも大事にしてる、宝物なんだろ?」

 その、あまりにも真っ直ぐな、そしてどこまでも温かい言葉。

 それに、JOKERは、これまでにないほど、その顔を、真っ赤に染めた。

「…うるせえよ」


 そして彼は、その照れ隠しのように、今度はラスト・ベットのメンバーを、二人の少女へと紹介した。

「こいつらは、A級の冒険者仲間だ。時々、お邪魔して、周回してる」


 その、あまりにも穏やかで、そしてどこまでも温かい、自己紹介。

 その日、その瞬間。

 彼の、二つの世界が、確かに、一つに繋がった。

 全員で、しばし、休息する。

 彼らは、その後、日が暮れるまで、ただ他愛のない話をして、笑い合った。

 ギルドの、愚痴。

 新しい、ビルドの話。

 そして、VTuberたちの、最近のゴシップ。

 その、あまりにも平和で、そしてどこまでも尊い時間。


 やて、空が、黄昏色に染まり始める頃。

 JOKERは、その砂浜に寝転がりながら、その美しい、しかしどこか物悲しい空を、ただぼんやりと、眺めていた。

 そして彼は、ポツリと、その心の底から漏れ出た、あまりにも素直な一言を、呟いた。


「…たまには、こういうのも、悪くないな」


 その、あまりにも珍しい、そしてどこまでも穏やかな、彼の本音。

 それに、彼の隣で、同じように寝転がっていた颯太が、悪戯っぽく、その横顔を覗き込んだ。


「JOKERさん、あんまり遊びに行かなそうですもんね」


 その、あまりにも的を射た、そしてどこまでも遠慮のない、ツッコミ。

 それに、JOKERは、ぐっと、言葉に詰まった。

 そして彼は、その反論を、試みた。


「おいおい、俺だってな…」


 だが、その言葉は、続かなかった。

 彼は、ふっと、その口元を緩ませた。

 そして、彼は最高の、そしてどこまでも幸せそうな、照れ笑いを浮かべて、言った。


「…まあ、行かないな」


 その、あまりにも潔い、そしてどこまでも人間的な、敗北宣言。

 それに、一同は、笑った。

 ラスト・ベットの、豪快な笑い声。

 美咲と静の、鈴を転がすような、可愛らしい笑い声。

 そして、JOKER自身の、心の底からの、楽しそうな笑い声。

 その、あまりにも温かい、そしてどこまでも尊い、ハーモニー。

 それを、楽園諸島の、二つの優しい太陽だけが、静かに、そしてどこまでも優しく、照らし出していた。

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