第41話
神崎隼人の頭の中は、今や完璧な、そして狂的なまでの勝利への設計図で満たされていた。
E級ダンジョンに通用する、三つの必殺のスキルコンボ。
それは、すでに彼の手の中にある。
だが、彼はまだ満足していなかった。
彼のビルドには、まだ最後の、そして最も重要なピースが欠けていた。
呪い。
敵を弱体化させ、自らの火力を底上げする、そのあまりにも効率的な力。
それを、自らのものとすること。
それこそが、彼のビルドを一つの「完成形」へと導く、最後の鍵だった。
彼の次なる戦場は、ダンジョンではない。
あらゆるスキルジェムとサポートジェムが取引される、巨大な「市場」。
彼はそこで、自らの交渉術と鑑定眼を武器に、最高のパーツを最も安く手に入れるための、新たなギャンブルに挑むのだ。
翌日。
隼人は再び、山手線の騒々しい車両にその身を揺られていた。
向かう先は、混沌と欲望と、そしてお宝が眠る街、上野。
JRの高架下に広がる、あの治外法権のフリーマーケット。
前回、彼がこの場所を訪れた時、その手に握りしめていた軍資金は、わずか三万二千円だった。
だが、今は違う。
彼の銀行口座には、十数万円という、彼にとっては天文学的な大金が眠っている。
彼はもはや、ガラクタの山から奇跡のかけらを探し出す、貧しい冒険者ではない。
明確な目的を持って、市場に乗り込んできたプロのバイヤーだった。
アメヤ横丁の喧騒を抜け、JRの高架下へと足を踏み入れる。
そこは相変わらず、混沌としたエネルギーに満ち溢れていた。
隼人は、その胡散臭い空気に、むしろ心が落ち着くのを感じていた。
ここは、騙される方が悪い、自己責任の世界。
彼のギャンブラーとしての本能が、研ぎ澄まされていくのを感じた。
彼の目的は、明確だ。
二つの、スキルジェム。
【自動呪言】と、【脆弱の呪い(Curse of Vulnerability)】。
彼はまず、比較的品揃えの多い、ジェム専門の露店へと向かった。
ガラスケースの中に、無造作に並べられた色とりどりの宝石。
彼はその中から、目的の呪いスキルジェムを見つけ出した。
「…【脆弱の呪い】、いくらだ?」
店主の、人の良さそうな笑顔の男は、待ってましたとばかりに答える。
「おお、兄ちゃん、お目が高い!そいつは、物理職なら必須のスキルだ!本来なら3万はする代物だが、今日は特別に、2万5千円でどうだい!」
「…高いな」
隼人は、冷たく言い放った。
「SeekerNetの市場価格は、確認済みだ。中古のクオリティゼロなら、1万8千円が妥当なところだろ。俺は、客だぜ?少しは、色をつけろよ」
「う…」
男は、言葉に詰まる。
「1万5千円。それ以上は、出さない。他を当たるだけだ」
隼人の、その有無を言わさぬ態度に、男は観念したように首を縦に振った。
最初のピースは、手に入れた。
だが、問題は次だった。
【自動呪言】。
このサポートジェムは、あまりにも汎用性が高すぎる。どんなビルドでも腐らないその性能故に、市場では常に品薄で、価格も高騰していた。
彼は何軒もの店を見て回ったが、在庫がないか、あるいはあっても法外な値段がつけられていた。
彼は舌打ちしながら、マーケットのさらに奥深く。
いかにも怪しげな空気が漂う一角へと、足を踏み入れた。
そして彼は、一つのテントの中で、それを見つけ出した。
店主は、フードを目深に被った謎めいた男。
「…【自動呪言】、いくらだ?」
「……10万円、ですね」
フードの奥から、くぐもった声が響く。
「…ふざけるな。相場は、8万がいいところだろ」
「いえ、これが私の言い値です。他ではもう、手に入らないでしょう?」
店主の言葉には、絶対的な自信があった。
隼人はその態度に苛立ちながらも、同時に、冷静に相手を観察していた。
フードの奥で、わずかに動く指先。客が来ないことへの、わずかな焦り。
見えた。
隼人は、ブラフをかけることにした。
「…そうか。なら、いい。知り合いの引退する探索者から、7万で譲ってもらう約束になってるんだ。今日は、それより安ければと思って来ただけだ」
「なっ…!?」
フードの奥の男が、明らかに動揺した。
「7万だと…?そんな、馬鹿な…。では、なぜここに…」
「念のためだ。もっと安い出物があるかも、しれねえだろ?まあ、なかったようだから帰る。じゃあな」
隼人が完璧なポーカーフェイスで背を向けた、その瞬間。
「…お待ちください」
店主が、声を上げた。
「……分かりました。7万5千円。それで、いかがでしょう」
「…ああ。それで、手を打ってやる」
完璧な駆け引きだった。
彼は、合計9万円という予算よりも一万円も安く、二つのジェムを手に入れることに成功したのだ。
その日の夜。
隼人は、自らのアパートで、静かにその儀式を執り行っていた。
彼はまず、アメ横で手に入れた二つのジェムを、テーブルの上に並べる。
赤黒い、不吉な輝きを放つ【脆弱の呪い】。
そして、それ自体は何の色も持たない、しかし他の全ての色を支配する可能性を秘めた、無色透明の【自動呪言】。
彼は目を閉じ、意識を集中させる。
彼の精神世界に、スキルをセットするための神聖な盤面が広がる。
彼はまず、スロットへと、【脆弱の呪い】をセットした。
次に、その隣のスロットに、【自動呪言】をはめ込む。
そして、二つのジェムを、脳内でイメージした光の線…「リンク」で繋いだ。
その瞬間、彼の魂に刻まれたスキルツリーが、新たな輝きを放った。
彼はゆっくりと目を開けると、現実世界で、その新たなオーラを起動させた。
彼の全身を、これまでの【元素の盾】の青白いオーラに加えて、ごく微かな、しかし禍々しい紫色の呪いのオーラが、ゆらりと立ち昇り始めた。
彼のMPバーが、更新される。
MP: 60/60 -> 54/60 (予約済み: 6)
たった、6のMP。
そのあまりにも小さなコストと引き換えに、彼はとてつもないアドバンテージを手に入れたのだ。
敵が受ける物理ダメージが、常に15%アップする。
それは、彼の全ての攻撃が、常に弱点を突き続けるのと同義だった。
彼のビルドの第一段階が、今、ここに完璧に完成した。
翌日。
隼人は、再びE級ダンジョン【棄てられた砦】の入り口に立っていた。
だが彼は、配信のスイッチを入れなかった。
これは、観客に見せるためのショーではない。
彼自身のための、純粋な力の確認作業。
マジシャンが本番前に、誰もいない舞台裏で最後のリハーサルを行うように。
彼は、静かに砦の中へと足を踏み入れた。
すぐに一体の【ゴブリン兵】が彼を見つけ、盾を構え、突進してくる。
隼人がその敵を視界に捉えた、その瞬間。
ゴブリン兵の頭上に、ふわりと紫色の不吉な紋様が浮かび上がった。
**【脆弱の呪い】**が、自動で発動したのだ。
敵は今、隼人の物理攻撃に対して、完全に無防備な状態となった。
そしてそこに、隼人は自らの完成された通常技を叩き込んだ。
「――【無限斬撃】」
シュインッ!
長剣が、唸りを上げて振るわれる。
これまでの戦いであれば、盾に弾かれ、体勢を崩させ、そして追撃の一撃を叩き込むという、数回のプロセスを必要とした相手。
だが、その一撃は、まるで熱したナイフでバターを切るかのように、ゴブリン兵の盾ごと、その体を両断した。
「ギ…」という、声にもならない断末魔。
ゴブリン兵は、一撃の下に光の粒子となって消滅した。
即死。
「…………」
隼人は、そのあまりの威力に、一瞬言葉を失った。
物理ダメージ、15%アップ。
数字の上では、そう理解していた。
だが、その効果は、彼の想像を遥かに超えていた。
彼の高い筋力。
無銘の長剣の、基礎攻撃力。
サポートジェムによる、ダメージ増加。
そして、脆弱の呪いによる、敵の防御力低下。
その全ての要素が、足し算ではなく、掛け算となって相乗効果を生み出し、彼のただの「通常技」を、もはや必殺技と呼んでも差し支えないほどの、破壊兵器へと昇華させていたのだ。
彼はその力を確かめるように、次の部屋へと進む。
そこにいたのは、五体のゴブリン兵。
彼が部屋に足を踏み入れた瞬間、五体の頭上に、同時に紫色の呪いの紋様が浮かび上がる。
そして彼は、ただ歩き、剣を振るう。
ザシュッ。
一体が、消える。
ザシュッ。
また一体が、消える。
もはや、戦闘ですらない。
ただ、歩き、剣を振るうだけの単純作業。
彼のE級ダンジョン周回の効率は、この瞬間、二倍、いや、三倍以上に跳ね上がっていた。
隼人は、砦の最深部、ホブゴブリンがいたあの広間にたどり着くまで、ほとんど足を止めることはなかった。
彼は、息一つ乱していない。MPも、HPも、満タンのままだ。
あまりにも、圧倒的な力。
あまりにも、完璧な安定性。
彼は広間の中心に立ち、静かに自らの両手を見下ろした。
左手には、神の御業【万象の守り】。
右手には、信頼できる鋼の相棒。
そして、その二つの手を繋ぐように、彼の頭脳と才覚が生み出した究極のスキルコンボが、彼の全身を駆け巡っている。
これでようやく、俺はスタートラインに立った。
彼は、そう確信した。
彼は満足げに頷くと、その日はそれ以上探索を続けることなく、ダンジョンを後にした。
彼の心は、すでに次のステージへと向かっていた。
この完成された力をもって、次に挑むべきテーブルはどこか。
D級ダンジョンか。
あるいは、あの禁断の領域…「腐敗」か。
それとも、全ての探索者が夢見る最終目標…「アセンダンシー」への道か。
選択肢は、無限にある。
そして、その全てを選ぶ権利が、彼にはある。




