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第4話

 洞窟の闇に響き渡っていた狂的な高笑いが、やがて途切れ、あとには隼人の荒い息遣いと、天井から滴り落ちる水音だけが残った。アドレナリンの奔流がもたらした熱狂がゆっくりと引き、代わりに、ぞくぞくするような全能感が全身を支配していた。

 彼は、自らの左腕に装着されたばかりのガントレット、【万象の守りパンデモニウム・ガード】を、うっとりと見下ろした。

 闇を溶かして固めたような、滑らかな黒曜石の甲殻。その関節部分に埋め込まれた五つの魔石が、洞窟内の濃密な魔素を勝手に喰らい、虹色の微光を明滅させている。それは、まるで生きているかのようだった。ひんやりとした感触が肌に心地よく、それでいて、その内側では膨大な魔力が静かに脈打っているのが分かる。これを身に着けているだけで、世界のことわりの一部を掌握したかのような、絶対的な安心感があった。

 それは、もはや単なる「装備」ではない。隼人がその半生で追い求めてきた、究極のイカサマ。どんなゲームのルールをも根底から覆す、最強の切り札(ジョーカー)そのものだった。


 視界の隅に目をやれば、ARコンタクトレンズが投影する半透明のウィンドウは、凄まじい勢いで更新され続けていた。数分前まで、わずか数人だった視聴者数は、すでに『758』という数字にまで膨れ上がっている。コメント欄は、もはや目で追うことすら困難なほどの速度で流れていった。


 視聴者A: え、なにこの配信、マジ?

 視聴者B: ↑つ【クリップ】 ゴブリンの洞窟で神クラフト、伝説の始まり

 視聴者C: リンクから。なんだこれ…なんだこれ…(語彙力消失)

 視聴者D: 探索者掲示板(SeekerNet)で祭りになってんぞ!「JOKER」って名前、もう覚えたわ!

 視聴者E: チャンネル登録した。通知もオンにした。あんたは俺の神だ。

 視聴者F: 新規です。本当にこれLv1の新人探索者なんですか…?出来上がったアイテム、うちのギルドのエースが使ってるやつより強いんですけど…


 賞賛、驚愕、祝福、嫉妬。あらゆる感情がごちゃ混ぜになった濁流のようなコメント。彼の起こした「奇跡」のクリップ映像は、瞬く間に大手探索者掲示板やSNSで拡散され、今この瞬間も、ネズミ算式に再生数を伸ばしているのだろう。

 普通なら、この熱狂に舞い上がり、有頂天になる場面だ。無名のフリーターが、たった数分で数百人の注目を集める存在になったのだから。

 だが、隼人の心は、驚くほど冷静だった。

 彼は、この状況を、ポーカーでロイヤルストレートフラッシュを成立させた直後のテーブルとして見ていた。熱狂するギャラリー、動揺する他のプレイヤー。だが、勝負はまだ終わっていない。この一手で得たチップを、次の勝負でどう活かすか。どう立ち回り、最終的な勝利を掴むか。重要なのは、常に「次」だ。


 隼人は、自分の全身をゆっくりと見下ろした。

 そして、内心で、現状の自分の「手札」を冷静に分析し、評価を下す。


(――一点豪華主義の、クソデッキだな)


 左腕には、国宝級のアーティファクト、【万象の守り】。これは、文句なしに最強のカードだ。エースであり、キングであり、そして、全てをひっくり返すジョーカーでもある。『全属性耐性+25%』。この効果一つで、彼はこの先、ほとんどのダンジョンで死ぬ確率を劇的に減らすことができるだろう。生存こそが、ギャンブルを続けるための絶対条件。これ以上ないほどの、完璧なスタートだ。


 だが、他の手札はどうか。

 右手に握られた武器は、秋葉原で五千円で買った、刃こぼれのナイフ。攻撃力も、リーチも、耐久性も、全てが最低レベル。

 胴体、足、頭に装備しているのは、探索者登録時に支給された、ただの布の服と革のブーツ。防御力など無いに等しい。

 そして、二つある指輪スロット、首輪スロット、ベルトスロットは、全て空。


 あまりにも歪で、アンバランスな構成。

 ポーカーで言えば、手元にジョーカーが一枚あるだけで、残りの四枚が全てペアにもならないブタ札のようなもの。麻雀で言えば、ドラが暗刻で乗っているのに、他の面子がバラバラでテンパイすらしていないようなものだ。

 このデッキで、果たして勝ち続けられるか?

 答えは、否だ。

 今回のように、最弱のモンスターであるゴブリン一体が相手なら、プレイヤースキルでどうとでもなる。だが、相手が複数になったら?少しでも格上のモンスターが現れたら?

 この貧弱な武器と防具では、いずれ必ず致命的な隙を晒すことになる。左腕のガントレットがどれだけ強力でも、心臓を槍で貫かれれば終わりだ。


(まずは、このクソデッキを、戦えるレベルのデッキに組み直す必要がある)


 隼人は、次の手を考え始めた。

 選択肢は、いくつかある。

 一つは、この【万象の守り】を売ることだ。視聴者のコメントによれば、少なくとも4000万円、あるいはそれ以上の価値があるという。その金があれば、全身をそこそこの装備で固めることができるだろう。武器も、防具も、アクセサリーも、全てが揃う。最も堅実で、最も合理的な選択肢。

 だが――。

 隼人は、その選択肢を即座に棄却した。

 馬鹿げている。このガントレットは、もはや金銭的価値で測れる代物ではない。これは、彼のスキル【運命の天秤】が生み出した、彼の力の象徴そのものだ。これを手放すことは、自らの才能を、運命を、ドブに捨てるのと同じこと。第一、これを売って得た金で装備を揃えたところで、それは「普通の新人探索者」になるだけだ。妹を救うためには、普通では駄目なのだ。圧倒的な、規格外の存在にならなければ。


 では、どうするか。

 答えは、一つしかない。

 この【万象の守り】を軸に、残りのデッキを、全て自らの手で揃えていくのだ。

 必要なのは、金か?いや、違う。このダンジョンというテーブルでは、金で買えるものなどたかが知れている。本当に価値のあるカードは、自らの手でモンスターを倒し、確率の女神に祈り、ドロップさせるしかない。

 あるいは――。

 隼人は、再び自らの左腕に宿る力に思いを馳せる。

 あるいは、再び、この【運命の天秤】を使って、ゴミから奇跡を創り出す。


(どちらにせよ、必要なのは「試行回数」だ)


 ギャンブルの基本。勝負の回数を重ねなければ、リターンは得られない。ダンジョンで言えば、それはモンスターを狩る回数であり、ドロップアイテムを得る回数であり、そして、クラフトに挑戦する回数だ。

 そして、試行回数を増やすために最も重要なこと。それは、レベルアップ。

 レベルが上がれば、ステータスが向上し、生存率が上がる。より高レベルのダンジョンに挑めるようになり、より良いドロップ品が手に入る確率も上がるだろう。


 目標は、定まった。

 隼人は、狂乱状態のコメント欄に向かって、ゆっくりと口を開いた。彼の声は、先ほどの狂的な高笑いとは打って変わって、落ち着き払っていた。それは、ショーの次の演目を告げる、主役の声だった。


「さて、と…」


 その一言で、滝のように流れていたコメントが、ぴたりと静止した。数百人の視聴者が、固唾を飲んで彼の次の言葉を待っている。


「最高のジョーカーは手に入れた。だが、たった一枚のカードで勝てるほど、このテーブルは甘くないだろ?」


 彼は、刃こぼれのナイフをカメラの前にかざして見せる。


「見ての通り、他の手札はゴミばかりだ。このままじゃ、次のディールで即死するのがオチ。そうはなりたくない。俺は、このゲームの最後まで、生き残って勝ち続けなきゃならないんでな」


 彼の言葉に、視聴者たちが同意のコメントを打ち込む。

 視聴者A: 確かに…

 視聴者B: 防具が紙すぎるもんな

 視聴者C: まずは武器をどうにかしないと


 隼人は、その反応に満足げに頷くと、宣言した。

「だから、ショーはまだ始まったばかりだ。まずは、この新しいオモチャ…【万象の守り】の性能を、じっくりと試させてもらう」

 彼は、虹色に輝くガントレットを握りしめる。

「こいつがもたらす『攻撃速度+15%』ってのが、どれほどの効果を持つのか。そして、レベルを上げて、このテーブル…ダンジョンっていうゲームのルールを、もう少し正確に理解するとしよう」


 その言葉は、視聴者たちの心を再び熱くさせた。

 そうだ、まだ何も終わっていない。伝説は、今まさに始まろうとしているのだ。

 視聴者D: やったぜ!配信続けてくれるのか!

 視聴者E: レベリング配信きた!

 視聴者F: JOKERさんの戦闘、もっと見たい!


 隼人は、彼らの熱狂を背に、洞窟の奥の暗闇へと視線を向けた。

 次の獲物の気配が、すぐそこに感じられる。


「第二ラウンド、開始だ」


 静かな呟きと共に、彼は再び、音もなく歩き出した。

 左腕のガントレットが放つ微かな光が、彼の進むべき道を、そして、これから続くであろう波乱に満ちた運命を、静かに照らし出していた。

※2025/07/08 【万象の守り】の価格を20万円から4000万円に修正しました。国宝級なのに20万円は安すぎでは?と指摘があったので確かに安いので修正

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― 新着の感想 ―
数話前で、数時間で億単位の金を稼げるとの描写がある以上、この装備を国宝級というのであれば、最低限数千億から上の金額じゃないと違和感が半端なさ過ぎますね
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