第39話
【宿命の腰帯】を創造した、あの熱狂のクラフト配信から、一夜が明けた。
神崎隼人の部屋は、相変わらず万年床とコンビニの容器が、そのだらしない日常を主張している。だが、その部屋の主の内面は、劇的な変化を遂げていた。
彼の銀行口座には、これまでの人生で一度も目にしたことのない、桁の数字が並んでいる。そして彼の腰には、それだけで高級車が一台買えてしまうほどの価値を持つ、神のベルトが巻かれている。
だが彼は、浮かれてはいなかった。
むしろ、その思考はこれまで以上に冷徹に、そして貪欲に研ぎ澄まされていた。
(この1000万のベルトは、ゴールじゃない。スタートだ)
彼はギシリと軋む椅子に座り、古びたパソコンを起動させる。
(この1000万を、どう活かすか。どう転がして、2000万に、1億に変えていくか。それこそが、重要だ)
彼は、ダンジョンには向かわなかった。
今日の彼の戦場は、この情報の海。
日本最大の探索者専用コミュニティサイト、『SeekerNet』。
彼がトップページを開くと、真っ先にそのあまりにも見慣れてしまった自分の名前が、目に飛び込んできた。
サイトの人気スレッドランキング、その不動の1位。
『【神創出】新人JOKER、また伝説を作る【100万ベルト】 Part.3』
スレッドの勢いは凄まじく、彼が寝ている間にも数千のコメントが書き込まれ、すでに三つ目のスレッドへと突入していた。
彼はそのリンクを一瞥すると、ふんと興味なさげに鼻を鳴らした。
中を見るまでもない。
どうせ、自らの幸運を賞賛する声と、その資産を羨む声。そして、彼の正体を暴こうとする、無駄な憶測の洪水だろう。
『一体、何者なんだ…』
『配信で見る限り、ただの若者だが…』
『裏に、巨大なギルドがついているのでは?』
(…好きに言ってろ)
彼は、自らの名声には一切関心を示さない。彼が求めるのは、次の勝利に繋がる、実践的な「情報」だけだ。
彼は、そのお祭り騒ぎのスレッドを意図的に無視し、SeekerNetの検索機能を使って、自らが求める情報の深淵へとダイブしていく。
トップランカーと、百戦錬磨のベテランたちだけが棲息する、専門的な掲示板。
そこにこそ、彼が次に進むべき「テーブル」のヒントが、眠っているはずだからだ。
【承】隼人が新たに見つけ出す「三つの情報」
【第一の道標:スキルの「質」という新たな強化軸】
彼がまず調査を始めたのは、自らの攻撃能力の、さらなる強化についてだった。
彼は、三つの強力なスキルコンボを手に入れた。だが、それはまだ完成形ではない。ベースとなるスキルジェムも、それを補助するサポートジェムも、全てマーケットで安く買い叩いた、中古のガラクタ。
これを、さらに強化する術はないのか。
彼は検索窓に、『スキルジェム 強化』と打ち込んだ。
表示されたスレッドの中から、彼は一つのマニアックな取引スレッドを見つけ出した。
『【トレード】Q20スキルジェム交換スレ Part.128』
「…Q20?」
隼人は、その見慣れない隠語に首を傾げた。
スレッドの中では、彼が理解できない単語が飛び交っていた。
『出)Q20/Lv20 サイクロン 求)同等価値のオーラジェム』
『買)Q20 ヘビーストライク 50万で買います。WISください』
『誰か、俺のQ0のパワーアタックと、Q20のポータル交換してくれねえかな…』
Qとは、なんだ。
隼人は、その謎のアルファベットの意味を知るために、さらに検索を重ねていく。
そして彼はついに、その答えが記された一つの古い、しかし今もなお参照され続けるガイドスレッドにたどり着いた。
『【初心者脱出】クオリティシステムの全て』
彼は、そのスレッドを食い入るように読み進めていく。
1 名無しの宝石職人
「ようこそ、新人。お前がこのスレにたどり着いたということは、ただスキルを使うだけの段階から卒業し、自らのスキルを「育てる」という、新たなステージに興味を持ったということだろう。
いいか、よく聞け。全てのスキルジェムには、「レベル」とは全く別の、もう一つの成長軸が存在する。
それが、**『クオリティ(品質)』**だ」
「クオリティは、スキルジェムそのものが持つ「完成度」や、「魔力の純度」を示す数値だ。通常、ダンジョンでドロップするジェムのクオリティは0%に近い。だが、その数値を高めれば高めるほど、スキルにはレベルアップとは全く別の、強力なボーナス効果が付与される」
「例えば、【衝撃波】のサポートジェム。こいつのクオリティを上げれば、衝撃波の攻撃範囲が拡大していく。【無限斬撃】のベースに使っている【ヘビーストライク】なら、クオリティに応じて、気絶させる確率が上昇するといった具合だ」
「そしてこのクオリティは、通常**20%**が限界とされている。クオリティ20%のスキルジェムは、それ自体が一つの完成品として、極めて高値で取引される。トップランカーたちが血眼になって求めているのは、このQ20のジェムだ」
隼人は、息を呑んだ。
スキルに、そんなもう一つの強化軸が存在したとは。
彼は、自らのインベントリを確認する。そこに並んでいる、彼がなけなしの金で買い揃えた9つのサポートジェムと、3つのスキルジェム。
そのクオリティは、当然全て**「0%」**だった。
「…どうやって、そのクオリティとやらを上げるんだ?」
彼が抱いた疑問の答えは、そのスレッドのさらに下に書かれていた。
1 名無しの宝石職人
「クオリティを人工的に上昇させる方法は、ただ一つ。
ダンジョンでごく稀にドロップする**【宝石職人のプリズム】**という、極めて希少なクラフトアイテムを使うことだけだ。
だが、言っておく。こいつは、マジで出ない。そして、一つのプリズムで上げられるクオリティは、わずか1%。つまり、一つのスキルジェムをQ20にするためには、20個ものプリズムが必要になる。それが、どれほど途方もない道のりか、分かるな?」
隼人はマーケットで、【宝石職人のプリズム】の相場を検索した。
そして、その価格に絶句した。
一つ、5万円。
一つのスキルを完璧に仕上げるために、100万円という大金が必要になる。
彼が今日手にしたベルトと、同じ価値。
それが、この世界のトップランカーたちの常識。
(…なるほどな。俺のスキルは、まだガラクタ同然ってことか)
彼は、自らの現在地と、頂との圧倒的な距離を、改めて痛感させられた。
だが彼の心は、折れるどころか、逆に燃え上がっていた。
新たな、そして極めて攻略しがいのあるパズルが、目の前に提示されたのだから。
【第二の道標:究極の賭け「堕落」という名のギャンブル】
クオリティという、新たな目標を見出した隼人。
彼はさらに、情報の海を深く、深く潜っていく。
クラフト、オーブ、確率、奇跡。
そんなキーワードで検索を重ねていくうちに、彼は一つの異様な雰囲気を放つ、掲示板のカテゴリーにたどり着いた。
そこは、SeekerNetの中でもひときわオカルティックで、そして狂信的なプレイヤーたちが集う場所だった。
『腐敗文明 考察スレ』
スレッドのタイトルも、どこか不気味なものばかりだった。
『【目撃報告】棄てられた砦の最下層で、「脈打つ肉塊」を発見』
『【悲報】腐敗オーブで、俺の全財産(ユニーク剣)が消えた』
『「堕落」こそが、最強への唯一の道である』
腐敗?堕落?
隼人は、その意味の分からない単語に興味を惹かれ、一つのスレッドを開いた。
そこに書かれていたのは、彼のギャンブラーとしての本能を根底から揺さぶる、あまりにも危険で、そしてあまりにも甘美な情報だった。
それは、**「腐敗領域」**と呼ばれる、謎のエリアの存在。
通常のダンジョン内に、ごく稀に出現する、赤黒い血管のようなものに侵食された、異質な空間。
そこに一度足を踏み入れれば、二度と後戻りはできない。
領域内のモンスターは、異常なまでに強化され、探索者自身には、常に呪いのようなデバフがかかり続ける。
まさに、死と隣り合わせの地獄。
だが、その絶大なリスクの先には、それに見合うだけの報酬が待っている。
この腐敗領域でしか手に入らない、特殊なクラフトアイテム。
それが、【腐敗のオーブ】。
このオーブが持つ効果は、ただ一つ。
アイテムを**「堕落」**させること。
堕落したアイテムは、その存在を変質させられ、二度とクラフトを行うことができなくなる。
そして、その結果は完全にランダム。
神の気まぐれ。あるいは、悪魔の悪戯。
奇跡: アイテムに、極めて強力な特殊な固定能力が、新たに付与される。
変質: アイテムが、全く別のランダムなレアアイテムに変化する。
変転: アイテムのソケットの色や数、リンクが、ランダムに変化する。
無: 何も起こらない。ただ、堕落しただけのガラクタとなる。
消滅: そして最悪の場合、アイテムそのものが、この世界から完全に消滅する。
隼人は、そのあまりにも暴力的なギャンブル性に、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。
アイテムが消滅する、リスク。
それは、普通の探索者であれば、決して手を出してはいけない禁断の果実。
だが、彼は違った。
彼の魂が、歓喜に打ち震えていた。
これだ。
これこそが、俺が求めていた究極のギャンブルだ。
彼のユニークスキル、【運命の天秤】。
この、アイテム消滅すらありえる究極の賭けのテーブルで、一体どんな奇跡を起こすのか。
彼は、自らの最強の切り札を試す、最高の舞台を見つけ出したのだ。
【第三の道標:人の域を超えし者「アセンダンシー」への道】
そして、最後に。
隼人がたどり着いたのは、彼のこれまでの常識そのものを破壊する、一つの衝撃的な情報だった。
彼は、自らの長期的な成長の可能性を探るため、検索窓にこう打ち込んだ。
『戦士 上位職』
そして表示された、一つのSeekerNetの公式解説ページ。
そのタイトルは、荘厳で、そしてどこか挑戦的だった。
『汝、人の域を超え、神の領域へと至るか?――【皇帝の迷宮】と【アセンダンシー】について』
彼は、そのページを開いた。
そして、そこに記されていたのは、この世界の最上位に君臨する者たちだけが知る、もう一つの力の体系だった。
「戦士」、「盗賊」、「魔術師」。
それらは、あくまでスタート地点に過ぎないと。
そのさらに上位に位置する**「上位職」**が、存在するのだと。
戦士であれば、
防御を極め、決して倒れることのない不壊の城塞**【ジャガーノート】**。
攻撃と生命吸収に特化し、敵の血を啜り、力へと変える殺戮機械**【スレイヤー】**。
自らを傷つけ、その痛みと怒りを純粋な破壊力へと転化させる狂戦士**【バーサーカー】**。
それぞれが、一つの道を極めし者たち。
そして、その神の領域へと至る唯一の道。
それが、古代の狂える皇帝が築き上げた、死の罠だらけの巨大なダンジョン…**【皇帝の迷宮】を、たった一人でクリアすること。
それを成し遂げた者だけが、自らのクラスに対応したアセンダンシーを一つだけ選び、通常のパッシブツリーとは全く次元の違う、極めて強力な「アセンダンシー・スキルツリー」**を、解放する権利を得るのだという。
隼人は、そのあまりにも壮大な物語に、ただ圧倒されていた。
だが、次の瞬間。
彼の脳内に、一つの悪魔的な、しかしあまりにも魅力的な可能性が、稲妻のように駆け巡った。
(――一つだけ、選ぶ?)
彼の口元が、ゆっくりと吊り上がっていく。
それは、世界のルールを根底から覆す、JOKERの笑みだった。
(普通の探索者は、そうだろうな)
(だが、俺には【複数人の人生】がある)
(もし、そうだとしたら…?)
(俺は、ジャガーノートになり、スレイヤーになり、そしてバーサーカーにもなれるということじゃないのか…?)
全てのクラスの、全てのアセンダンシーをその身に宿し、戦況に応じて、その役割を自在に変化させる。
それはもはや、探索者ではない。
神の軍勢、そのもの。
そのあまりにも途方もない可能性に、彼は思わず声を上げて笑っていた。
気がつけば、窓の外は白み始めていた。
隼人は、徹夜で情報の海に潜り続けていたのだ。
彼は大きく伸びをすると、椅子から立ち上がった。
彼の心は、疲労感よりも、むしろこれ以上ないほどの高揚感と期待感で満たされていた。
クオリティ、腐敗、アセンダンシー。
三つの、新たな道標。
このゲームは、彼が思っていたよりも遥かに深く、広く、そして面白い。
彼は、もう迷わない。
やるべきことは、明確だ。
まずは、このE級ダンジョンを完全にしゃぶり尽くす。
金を稼ぎ、オーブを集め、そしてもしかしたら存在するかもしれない、腐敗領域を探す。
そして力を蓄え、いつか必ず、あの【皇帝の迷宮】へと挑戦する。
彼の壮大なギャンブルの第二幕は、今、始まったばかりなのだ。




